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玲さんの自炊事情

 それはある日の夕食時、

 訓練場から帰ってきた玲さんがいそいそとカップラーメンにお湯を入れていた。

 その小さな姿に僕が――、


「あの、玲さん。最近毎日ラーメンですけど体とか大丈夫ですか?

 もしよろしければ僕がお夕飯を作りますけど」


 もう少し食事のバランスに気をつけた方がいいんじゃないかと、そう声をかけたところ。


「ああ、いいわいいわ。私は現代食に飢えてるの」


 玲さんはラーメン片手に魔王様がゲームをする和室に上がって、


「ほら、あっちの食事って栄養は完璧だけど美味しくないじゃない。

 だから、しばらくは自分の好きなものを食べたいの」


 うん。その話はもう何度も聞いていたんだけど。


「玲さんは向こうでどんなものを食べていたんですか?

 基本的にあちらの世界の食事も美味しかったと思いますけど」


「そうよね。虎助たちの地元のご飯が美味しいのはそうだけど、私達のところもそんなに悪くはないわよね」


 僕に続いてそう言ってくるのはホリルさん。

 彼女はいつものように――というよりも、最近は毎日のように万屋に顔を出すようになったナタリアさんの監視と、ついでに玲さんの指導的な立場になるのかな。

 意外と面倒見のいい彼女が毎日のようにこっちにきて、玲さんの面倒を見てくれているのである。

 ちなみに、本来の師匠であるナタリアさんは、現在自分のマント作りに没頭しているそうな。

 日に数度、風のマント作りに使える魔法式をダウンロードしていく以外、特に何もしていない。


 さすがはあちらの世界のとある大陸で四大問題児と数えられているお方である。

 なにごとも自分の興味にとことんって感じだね。


 と、そんな玲さんを取り巻く人間模様はそれとして――、


「ちょっと待って、あっちの食べ物が美味しいってどういうこと?」


「どういうことと言われましても、そのままの意味ですけど」


 万屋の商品拡充や純粋な技術の研究目的、そして、僕やソニアの個人的な興味から、賢者様にはその世界の売り物をいろいろと仕入れてもらっている。

 しかし、その時、出てきた食べ物には大きなハズレもなく、中には日本で手に入れられるものよりも美味しいものもあって、機会があればプルさんに手に入れてもらっている食べ物だっていっぱいあるのだ。


 しかし、玲さんは向こうの食事がとにかく不味かったという。

 この認識の違いはなんなのか。

 その辺り、詳しく聞いてみると、そこで飛び出した商品ラインナップにホリルさんが顔をしかめて、


「レイ、アナタ――、あれを食べてたの?」


「え、なにかおかしかったです?」


「ええ、レイが向こうでよく食べてたっていうグリストンってヤツだけど。

 あれって栄養補給に特化しただけの携帯食料なの。

 たしか、主な原料はグリ豆とドナテ芋じゃなかったかしら。

 高タンパク・ハイカロリーで育成も簡単なそれを粉にしたものに、栄養剤やフレーバーを混ぜ込んで魔法調理したものがそれよ。

 あと、キャスティスは神秘教会の中だけで食べられてる宗教食だからね。

 あんなの一般人は食べないわ」


 成程、玲さんが食べていたそれは、味を度外視して生産性と栄養に特化した食べ物で、いわゆるご飯は栄養が取れればそれでいい的な人御用達のディストピア飯のようなものだったみたいだ。

 そして、神秘教会に囲われていた頃に食べていたものは、宗教上決められた粗食だそうで、


「まあ、あの宗教団体とあのナタリアだものね。

 別に向こうにもふつうに美味しいものはいくらでもあるわよ」


「そんな……」


 ショックを受ける玲さん。

 ちなみに、教会から脱出した後、街中で美味しそうな食べ物を見たりしなかったのかという疑問に関しては、玲さんがナタリアさんと出会ったのが神秘教会による連れ回し(ドナドナ)の最中で、

 その後、二人は神秘教会に見つからないようにと大きな街には立ち寄らず、目立たないように各地で転々としていた為、街で食事をすることはもちろん、食料を買い求める機会もほぼなかったからみたいだ。

 そして、そんな食事に慣らされた玲さんは、かの世界のSF的な世界観から、この世界の食事はこういうものなんだという固定観念が植え付けられてしまったからなのだという。


「それはご愁傷さまと言いますか、なんと言いますか」


「もう、そんなこと聞いてないってば、もう」


 うん。玲さんのご怒りは尤もである。


「それで、話を戻しますけど、玲さんはもう少し健康に気をつけた方がいいと思います」


「いや、それはわかってるから。

 お姉ちゃんにも言われてるし、だから野菜ジュースとか飲んでるんじゃない。

 あと師匠からもらった栄養剤もあるから、ラーメンばっかでも大丈夫なんだから」


 それって、考え方がナタリアさんとあんまり変わらないような。

 これはもしや、行動を共にする内に考え方がナタリアさんに汚染されてしまったとか。

 と、そんな僕の心の声はホリルさんも思ったことだったのかもしれない。

 ホリルさんが玲さんを可愛そうな目で見る一方で、僕はちょっと困ったような顔をしながら。


「とにかく、少しは料理をした方がいいと思うんです。ですよね、ホリルさん」


「ええ、私が言うことじゃないけど、虎助の言うとおりよ」


「でも、わたし料理とかできないんだけど」


 玲さんが異世界に転移させられたのは大学に入る前――、

 そして、大学には実家から通う予定だったことを考えると料理が出来ないというのもお察しなのかな。


「だったら、これを機に始められてはどうです?」


「うぅ、妙に勧めてくるわね。なにか理由でもあるの」


「いえ、こちらも玲さんが戻れるように努力はするつもりですけど、

 転移研究の進捗状況によっては長期戦になるかもしれませんので」


 ソニア自身のこともあるので、こちらとしても玲さんが地球に戻れるように頑張るつもりではあるが、その結果がいつ出るのかはわからない。

 成果が出るのが一週間後かもしれないし、何年も研究が進まないことだってあるのだ。

 だから玲さんには、その間、出来る限り自分のことは自分で出来るようになってもらいたい。

 でないと、もしもの時に困ってしまうのは玲さんだ。

 なので、まずは簡単な料理でも作れるようになればと思ったんだけど。


「けど、料理を始めるって一人じゃ絶対うまくいかないでしょ」


 たしかに、料理素人が誰の手助けもなく料理をはじめるのは難しい。

 まあ、要領のいい人なら、アニマさんのようにレシピ動画をインターネットで調べたりして、なんとかなってしまうこともあるのだが、玲さんがそういうタイプであるとは思えない。

 だから――、


「僕が教えますよ。今度アニマさん達と一緒にどうですか?」


「アニマさんってロベルトさんのところの美女よね。どういうこと?」


「えと、以前アニマさんから料理をおぼえたいとの相談を受けまして、

 僕が主催で、定期的に料理教室を開いてるんですよ」


「君、高校生よね」


「最近は趣味みたいなものになってますが、料理は必要に迫られておぼえまして」


 母さんには料理に毒を入れるというクセ(・・)がある。

 僕は強力な異常耐性を持っていることもあり、母さんの料理も普通にいただけるのだが、僕の友達なんかはそうじゃなく。

 例えば昔、まだ僕と義姉さんが姉弟じゃなかった頃、母さんが作ったお菓子を食べて、盛大に下痢をしたことがあったのだ。

 だから、そういう事故が起きないようにと、僕が必死になって料理をおぼえたのだと――、

 まあ、そんな物騒な経緯を濁しつつも、僕がそれなりに料理が出来る理由として玲さんに伝えたところ、玲さんは少し迷うようにラーメンを啜っていたのだが、

 僕がその様子をじっと見ていると、なにが決め手になったのかはわからないが、ラーメンを食べ終わる頃には、なんとかやる気になってくれたみたいだ。


「……しょうがないわね。

 わかったから、やるから、これでいいでしょ」


「では、ちょうど明日するつもりでしたので、そちらに参加ということでいいですか」


「明日って、妙にグイグイくると思っていたら狙ってたの?」


「タイミング的なこともありますけど、ここ最近の食事を見ていたらさすがに心配にもなりますよ」


 そう言って僕が、いま玲さんが食べているラーメン、そしてお店のキッチンに重ねられているカップラーメンの容器に目を向けると、玲さんはバツが悪そうな顔になって、

 まあ、インスタントラーメンの開発者は毎日ラーメンを食べて大往生したという逸話があるのだが、あの話は一日一食という話だったし、料理はおぼえて損はない技術である。


 ということで、玲さんの料理教室参加が決まり、翌日の放課後――、

 続々と集まって来る生徒さんに、玲さんは挨拶したり恐怖したり恐縮したりしながらも調理開始となるのだが、


「なんで親子丼?」


「実はつい先日、いい鶏肉が入ったとの報告がありまして、

 せっかくだからそれを使った料理にしようってことでこうなりました」


 ちなみに、そのいい鶏肉というのはメガブロイラーのお肉である。

 そう、前に言っていたヴェラさんによるメガブロイラーの探索が実を結び、メガブロイラーの捕獲に成功。お店にもそのお肉を下ろしてくれたのだ。


 ちなみに、いまはその生息地から精霊の森にメガブロイラーを連れてこられないかと画策中で、ヤンさん達を乗せる為に作成した籠を改造してメガブロイラーを生きたまま運べないかと相談されていたりする。


 とまあ、そんな理由もあって、魔王様の拠点でも鶏肉料理が出来る人を増やそうと、今回の料理教室にはアラクネのミストさんや魔王様の拠点のお母さん的存在のキャサリンさんなどが参加してくれているわけで、

 ただ、その所為か、玲さんがいろいろと精神をすり減らしたりしたのだけど、話してみればいい人(?)だってことはわかってもらえたみたいだ。

 いまはすっかりリラックスしてくれたみたいで、いつもの調子で聞いてくるのは、


「でも、親子丼って難易度、高くない?」


「そうでもないですよ。作り方を押さえれば案外簡単に作れますよ」


 というか、この料理教室もそれなりの数、開催しているから、あまり簡単な料理だとアニマさん達の勉強にならないのだ。

 だから、作り方の基本さえおぼえてもらえば簡単でありながら、これまで材料の入手から、あまり教える機会がなかった和食の一つ、親子丼を選んだということだと、今回のメニュー選びの説明を軽くしたところで、まずはだし汁作りから始めよう。


 とはいっても、これは簡単に沸かしたお湯の中に顆粒だしを入れる即席のものを使う。

 ちなみに、この顆粒だしについては、キノコやら、獣骨や川魚なんか錬金術で加工すれば他の世界でも入手は可能で、

 本来ならカツオだしやら、昆布だしやらが手に入ればよかったのだが、残念ながら賢者様の研究所があるのも魔王様の拠点があるのも山の中。

 なので、海のものは手に入らないからと、あり物で作っただし汁を大小二つの鍋に分け、片方には野菜などを適当に放り込み煮ておく。

 これは親子丼につける野菜スープで、後で塩で味を整えれば簡単に完成となる。


 と、そんなスープの一方で玉ネギばかりを放り込むのは親子丼のタレに使うだし汁だ。

 こっちには醤油とみりん、砂糖を混ぜた調味料を追加する。

 ただ、この調味料を入れる前にみんなに混ぜ合わせた調味料の味見をしてもらわなければならない。

 実は今、賢者様とマリィさんと魔王様の拠点では味噌を作る実験をしていて、その際に取れるたまり醤油に砂糖などを加えれば同じような味付けが出来るのではと考えたのだ。


 と、混ぜ合わせた調味料を味見してもらったところでタマネギが煮込まれる鍋の中に投入。

 またしばらく煮たところで、それを適量、小さなフライパンに取って、鶏肉を入れ火にかけていく。

 そして、鶏肉に火が通ったところで最後に卵を入れていくことになるのだが、この時に卵をあまりといてはいけない。


「どうして?」


「卵の白身と黄身で火の通り方が違うんです。

 だから、まずは白身の部分を入れて火を通していきたいんですけど。

 あんまりかき混ぜると、火が通るまでに時間がかかる白身の塊を先に鍋に投入とかが出来ませんから」


 ただ、これはそこまでしっかりと分けなくてもよくて、できるだけ黄身を残して流し込む為にあまり混ぜないようにしなければいい。


 そうして白身を投入、蓋を被せて煮ること数分――、

 白身に火が通ったところで火を止め、仕上げに黄身を回しかけて、蓋をして予熱で蒸らすこと三十秒ほど。

 出来上がったそれを盛り付けた御飯の上に乗せれば完成なのだが、ここで玲さんが、


「ねぇ、とろとろ過ぎて、うまく鍋から移せないんだけど」


「崩れてもいいんですよ」


 卵は柔らかく仕上がっているので御飯の上に乗せてしまえば変わらない。

 軽くスプーンで掬うようにように親子丼の具材をご飯の上に乗せれば完成だ。

 そして、卵の半熟度合いを味わうべく、すぐにスープを用意して、そのまま試食に入ることに。


「おいしいわね」


「素晴らしいです」


「これでリドラ様のお役に立てます」


「入れる具材はアレンジが効きますから、いろいろと試してみてくださいね」


 鶏肉の代わりにカツを乗せれば定番のカツ丼、牛肉を入れれば他人丼、それ以外にもトマトを入れたりも出来るというと、アニマさんがなにか感じるものがあったのか。


「成程、この料理ならばマスターも野菜を食べてくれますか」


 ああ、賢者様がなかなか野菜を食べてくれないっていってたからね。


「私は揚げたウインナーとか入れてみたいです」


 ミストさんの場合は純粋に自分の好みだね。

 そして、玲さんはというと――、


「これでしばらくは戦えるわね」


 うん。具材を変えればいろいろと楽しめはするんですけど。

 さすがに毎食は丼ものはどうかと思いますよ。

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