ドラゴン来る
◆結膜下出血っていうのになりました。
朝起きたら左目の半分が真っ赤でビックリしました。
その日、僕はとあるお客様を出迎えるためにゲートの前で待ち構えていた。
エレイン君とデータ上で在庫のチェックをしながら待つこと数分――、
ゲートに巨大な光の柱が立ち上り、現れたのは、先日のストームワイバーンなどとは比べるまでもない迫力を持った黒と白の西洋龍。
「お待ちしておりました」
「ええ、来てあげたわ。
さ、案内してくれるかしら」
うやうやしく頭を下げる僕に声をかけてくるのはヴェラさんだ。
つい最近まで呪いの力によってエルフの姿にさせられていた白龍である。
「ではないわ」
そして、そんなヴェラさんの頭にズドンと黒くしなやかな尻尾が振り下ろすのはリドラさん。
魔王様の拠点の守る黒龍である。
さて、どうして今日、このお二方が連れ立ってアヴァロン=エラまでやってきたのかというと、それは魔王様達が暮らす拠点へのボロトス帝国のの襲来に端を発した――というのは少し違うかな。
とにかく、龍の谷において転生龍帝シャイザークが起こしたアレコレを解決した感謝と謝礼を渡すであるという。
正直、あの件に関しては、魔王様からのお願いだったということ、そして、万屋としても利があってことだったので、別に感謝とか謝礼とかそういうものは必要なかったのだが、リドラさんがそれではいけないとこのような運びとなったのである。
ということで、リドラさんの物理的なダメ出しからのリテイク。
「この度は私を救っていただけるご助力をいただき感謝す――いたします。
つ、つきましては、私からいくつかの鱗を譲るということで、い――ご容赦お願いできますか」
「いえ、こちらもいろいろと情報が手に入れられましたし、なにより魔王様とリドラさんからのご依頼でもあったからなので気にしないでください」
ちなみに、形式上このお二人の上役とかになるのかな。
魔王様は朝から万屋に顔を出していて、いまは玲さんやユリス様と一緒に魔法修行をしていたりする。
と、先にお店に顔を出している魔王様がなにをやっているのかはそれとして、形式的な挨拶を済ませた僕達が腰を落ち着かせるために向かうのは、万屋ではなく、その奥にある世界樹農園。
そう、体が大きな二人をお迎えするのは広い場所が必要なのだ。
と、そんなこんなで万屋の横を通り過ぎ、世界樹を覆う認識阻害の結界を乗り越え、農園の景色が広がったところでヴェラさんがため息を漏らすように口にするのは、
「へぇ、聞いてはいたけどいいところね」
これは素直に嬉しいご感想である。
この世界樹農園の整備は、僕はもちろん、マールさんやディーネさん? そして、世界樹農園で育ったマンドレイク達と、改めてディーネさんの眷属となったルファンさん達が力を入れてやってくれてるからね。
僕は遠巻きにこちらを伺うルファンさん達にさりげなく『こちらは大丈夫』だという合図を送りながら、今日のために用意した、古代樹を輪切りにしただけの大きな丸太テーブルの前にリドラさんとヴェラさんをご案内。
「ええと、リドラさんはいつも通り、お茶で構いませんか」
「ですな」
「それでヴェラさんはいかが致しましょう」
「えっと、ここにすごいご馳走があるって聞いたんだけど」
「こら、ヴェラ、なにを言っておる」
「構いませんよ」
僕としてはお茶とかコーヒーとか、適当な飲み物を聞いたんだけど、ヴェラさんはガッツリとしたものをご所望だったみたいだ。
「すごいご馳走ですか?」
ただ、ヴェラさんのいうご馳走とは一体なんなのか、特に心当たりがないと聞いてみると、ここでヴェラさんが教えてくれたのは本当に意外なメニューで、
「ここに鳥の中に米っていうのを詰めた美味しい料理があるって聞いたけど」
鳥の中に米?
「ああ、もしかして前にリドラさんにお出しした鳥の丸焼きですか」
「よくわからないけど、それが食べたいの」
成程、ヴェラさんのリクエストはわかった。
わかったんだけど……。
「それなんですけど、残念ながらもうお出しすることができないんですよ」
「え?」
もしかして、それはリドラさんも期待していたのだろうか。
その細い驚声が零れたのはリドラさんの口からだった。
しかし、メガブロイラーがこのアヴァロン=エラに大量来襲したのはすでに一年近く前のこと。
それから唐揚げに焼き鳥、それこそ特にリドラさんにお土産だと、ヴェラさんが食べたそうにしていた鳥の丸焼きをお願いされて作ったこともあって、すでに在庫が切れているのだ。
そもそも、ゲートの仕様上、このアヴァロン=エラにメガブロイラーのような肉付きのいい鳥系の魔獣はなかなか現れず、よしんば現れたとしても、その数は一匹か二匹で、すぐに消費され、宿泊施設の素材買い取り所にもバックヤードにも、鳥系魔獣のストックがない状態なのだ。
「しかし、食べられないとなると俄然食べたく鳴ってくるわね」
その気持ちはわからないでもない。
ただ、無い袖は振るうことはできないのだ。
「とはいえ、似たものは一応作れますけど」
「それは本当でありますか」
と、ここで食いついてきたのはリドラさん。
本当にメガブロイラーの丸焼きが食べたかったんだね。
「ええ、普通の丸鶏でなら同じものを作れるのですが――」
自宅に戻って、なじみのお肉屋さんに行けば丸鶏が売っている。
それを買ってくれば同じようなメニューは作れる。
「ただ、やっぱりメガブロイラーと比べると、味が落ちると思うんですよね」
具体的には圧倒的な肉のジューシーさと鍛えられた肉が織りなす独特な食感か。
あの野性味あふれるメガブロイラーの美味しさは、スーパーなどで買える普通の鶏肉では太刀打ちすることが出来ないのだ。
そして、メガブロイラーと普通の鶏肉の両方を食べたことのあるリドラさんは、メガブロイラーが持つ美味しさのポテンシャルをよく知っており。
「むぅ、それは道理ですな」
重々しく一言。
すると、そんなリドラさんの反応を見てか、ヴェラさんがむむっと難しい顔をして、
やはりメガブロイラーは諦められないと、ここに来た目的などすっかり忘却の彼方か。
「こうなったら私が取ってくるから――」
「止めておけ、我らではあの料理に使えるような仕留め方はできまい」
ゲートに戻ろうと方向転換するヴェラさんの尻尾をリドラさんが掴む。
ヴリトラやシャイザークに比べると随分小柄とはいえ、リドラさんもヴェラさんも大型のバスくらいの大きな体である。
そんな二人にとってメガブロイラーをキレイに仕留めるのは至難の業なのだ。
まあ、直接的な攻撃力をもたない魔法で仕留めるという方法も無くもないのだが、それだって仕留めた後の処理のことを考えると、ヴェラさん達だけでの捕獲は難しく。
「くっ、こんなところで大きな体の弊害があるなんて思わなかったわ」
その感想は短くない時間エルフと生きたからこそ出てきたものか。
ただ、ヴェラさんとしてはそれで諦めるという選択肢はないようだ。
「そうだわ。ヤン達に頼めばいいのよ」
ちなみに、ヴェラさんの言うヤンという人物は、ボロトス帝国によって魔王様達が暮らす森に連れて来られた元戦闘奴隷で、いまは魔王様の拠点の防衛をしながら暮らしている狼の獣人さんのことである。
「ヤツ等には見回りの任務もあるのだぞ」
「それなら私が代わりに見回りをするわ」
「お前にはリフィオの精霊谷の見回りがあるだろうに」
そして、リドラさんがいま口にしたリフィオの精霊谷という場所は、以前、精霊水がらみでボロトス帝国が聖霊狩りまがいのことをしでかした土地であり。
そこに残っている精霊のために、ヴェラさんがボロトス帝国などが入ってこないようにと見回りをしてくれているそうなのだが、
「だったら、そのついでに探すわ」
「ううむ、それなら構わないのか?」
仕事のついでというなら構わない。
求めているものがメガブロイラーだけあってリドラさんの判断も甘くなっているのかな。
ただ、これにも一つ、問題があって――、
「あの、それだとヤンさん達が危険なのでは?」
「なにかあったら私が守るわよ」
「いや、そういう危険ではなく、ヴェラさんはリフィオの精霊谷に行く時、他の人に見られないようにと空高く飛んで移動しているんですよね」
「ええ、リィリィからそう言われているわ」
これは周辺諸国に余計な緊張を作り出さない為の処置だという。
「その、あまり高く飛ばれると、空気が薄くなったり寒くなったりで、人種には結構厳しい環境なんですよ」
「そうなの?」
長い首を傾けるヴェラさん。
もともと高い飛行能力と耐久性を持つ龍種からしてみると、高高度の飛行など、それこそ平地を飛ぶのとかわらないものなのかもしれないが、すべての生物がそうと言うわけにはいかないのだ。
例えば高山病――、
これは高度二千メートルあたりから症状が現れる病気で、
この他にも高高度の飛行には気圧や寒さといった障害がつきまとい、時として最悪の自体もありえるのだ。
「そういえば昔、シャダイもそんなことを言っておったな」
「シャダイ、ですか?」
「かつて人間と契りを交わした変わり者の同胞がおりましてな。以前その者に同じようなことを聞いたことがあるのです」
契りというと結婚かな?
いや、種族の差を考えるとまたニュアンスが違うのかもしれない。
たとえば、竜騎士と呼ばれるような存在だとか?
「でも、かといって低くは飛べないんでしょ。
私達が見つかると面倒になるから」
ヴェラさんのような強大な力を持つ龍種が低空を飛ぶ場合、誰かに見つかってしまう可能性を考えなくてはならない。
そう、フレアさんが拠点としていた地域でもそうだが、高位の龍種というのはそれそのものが災害のようなもので、そのような存在が人の暮らしがある上空を頻繁に飛ぶとなると、その目的に関わらず周辺各国に緊張が走り、結果的に魔王様の拠点にも何らかの悪影響があるかもしれないと、特にリフィオの精霊谷に移動する時は高い高度を飛ばねばならないということになっているのだ。
ちなみに、ヴェラさんの得意属性は、その鱗の色が示す通り光なので、光学迷彩のような魔法も使えるとは思うのだが、龍種であるヴェラさんの魔力や存在感を誤魔化すのは難しく。
そうなると、やはりどうにかするならヤンさん達の方になってしまい。
「周囲の空気を何とかするのは魔法でなんとか出来ますけど、ヤンさん達ですよね」
「それが何?
って、ああ、そういうこと――、
そういえば獣人は細かい魔法が苦手だったわね」
そう、獣人という種族は特定の分野以外の魔法の扱いが極端に苦手な種族なのである。
中には、以前お店を訪れたことのある、獣人三人娘のゼラさんのように魔法が得意な獣人もいるのだが、基本的にその種族に由来するような特殊な魔法以外、ほぼ使えないというのが正直なところなのだ。
ただこれも、ヤンさんのお仲間にゼラさんのように魔法が得意な人がいればいいのだろうが、ヴェラさんのみならず、リドラさんまであのリアクションともなると、魔法が得意な人がいないのは明白で、
それならヤンさん達だけでなく、例えば魔法が得意なフルフルさんたち妖精の誰かについていってもらうという方法も無くは無いのだけれど、場所が一度ボロトス帝国の侵攻を受けた場所となると、やはり下手な人員は連れていけないわけで、
「そうなると、高いところを飛んでも平気な装備を用意するとか、
もしくはカゴのようなもので密閉空間を作って、それをヴェラさんが運ぶようにするとかですか」
ちなみに、専用の装備というのは宇宙服のようなもの想像している。
「どっちかと言えばカゴがいいかしら、背中に乗せると落としちゃいそうで怖いわ」
たしかに、高速で飛行する龍種の背中に乗っての移動となると、騎乗帯のようなものでもつけてもらわないとその勢いで振り落とされかねない。
そう考えると、ヴェラさんの言う通り、カゴ――というかカプセルホテルのような感じのものを用意して、それを運んでもらうようにした方がいいのかもしれない。
「では、カゴを用意しますか」
「ええ、すぐにお願いできるかしら」
「と、こら、ヴェラ、貴様、なにを勝手なことを言うのだ。
それに、虎助殿に頼むにしても、頼み方というものがあるだろう。
なにより、そもそも我々が今日ここに来た目的は謝罪であって、遊びに来たのではないのだぞ」
話の流れに乗って僕が聞いた問いかけに軽く応えるヴェラさん。
そして、そんなヴェラさんの態度に説教を始めるリドラさん。
実際、その為に今日はここに来たのだから、まずはそれを果たそうっていうリドラさんの言い分は正しいとも言えるのだが、
ヴェラさんにかけられた呪いに関するアレコレは、最初にも言った通り、万屋としては利益があっての話であって、
なにより魔王様が心配をしているのなら手伝うのが当然なところもあるからと――、
「まあまあ、ヴェラさんの謝礼は先ほど受け取りましたし、これも仕事のうちですから」
僕は滔々と説教の言葉を並べるリドラさんを落ち着かせ。
「それにメガブロイラーが手に入れるなら、こちらとしてもありがたいですし、ここは協力体制ということで」
「そうよ。アナタいいこと言うわね」
「ヴェラ」
「いいじゃない。例のなんだったっけ、シャイザーク? どっかのバカのお礼になるかもしれないし、アナタも食べたいんでしょ」
ヴェラさんのこのセリフが止めになったかな。
「くっ、
だが、これで終わりだと思うなよ」
「はいはい。ちゃんとお礼はするから」
「むうぅ……、
では、虎助殿、お頼み申す」
「了解しました」
◆次回投稿は水曜日の予定です。




