●トワとリズの里帰り
巨大空魚の骨格そのままの飛空艇が、広大な森に面する要塞の中庭に舞い降りる。
ここはガルダシア領のお隣、カイロス領の北端、魔獣の領域などとも呼ばれる空白地帯に面し、ルデロック王国において北の楔と呼ばれる要塞ギダロス。その中庭にある訓練場だ。
赤土が敷き詰められただけの訓練場に着陸した飛空艇の中から出てくるのは、黒と白――、対照的な髪色を持つ二人のメイド、トワとスノーリズ。
彼女たちは、出迎えの兵士が集まってくる姿を横目に、広い訓練場を見回すと、訓練場の隅にうず高く積み上げられた訓練用の武器に目を留めて、クスッと笑い合い。
「ここに来るのも久しぶりですね」
「五年ぶりくらいでしょうか」
「そうですね」
「――と、いつまでも懐かしんでいる場合じゃありませんでしたね」
「ええ、まずはお館様へのご挨拶になるのでしょうが――」
若干の呆れと懐かしさを滲ませるトワとスノーリズ。
そんな二人がまずはこの要塞の主である伯爵に挨拶をしようと、自分達の出迎えに集まってきた兵士達に伯爵の所在を確認しようと歩き出したところで、まるで二人の会話を聞いていたように訓練場に面する二階バルコニーの窓が開け広げられ、そこに現れた、ガッチリとした大柄の壮年男性が訓練場に飛び降りてくる。
ズシン――、
重い地響きを立てて訓練場に舞い降りた彼はフレイナード=カイロス。
ガルダシアの極北と呼ばれるルデロック王国の北の辺境を治める伯爵である。
トワとスノーリズは無駄に派手で豪快な登場を決め、自分達の方へと歩いてくるカイロス伯爵にスッと頭を下げると。
「「お久しぶりですお館様」」
「うむ、久しいなトワにスノーリズ。
おおよそのことは把握しているが、手紙にあったアレはどうなった?
東部の鼠共が身の程をわきまえず姫にちょっかいをかけたのだろう。
ヌシ達が処したのか? まだならばこちらから手を回すがどうするのだ?」
父と娘という気安さもあるだろう。
出会い頭の挨拶もそこそこに、マシンガンのように質問を飛ばしてくるカイロス伯爵。
そんなカイロス伯爵の忌憚のない――というよりも、単に『揉め事があるなら俺も混ぜろ』と言わんばかりの物言いに、スノーリズがやや苦笑いを浮かべながらも。
「いえ、件の馬鹿な貴族の始末しましたのでお館様からの支援などの必要ありません。
実際に私共が直接なにかしたのではないのですが、決着はほぼついてしまったかと」
前のめりになる伯爵をやんわりと宥め。
「ただ、その際にされた街道封鎖の影響がまだ残っておりまして、またこのようなことがあっても困ると、今回、いまある街道の他に新しく道を作ろうかということになったのです。
今日はそのご挨拶と細かな説明、そして打ち合わせを行いたいと思いまして馳せ参じたのですが」
「ふむ、そういうことならレイアに相談しろ。儂にはよくわからん」
直接的な実力行使ならまだしも、政治的な圧力となると自分の出る幕はない。
伯爵としてそれはどうなのかという発言でカイロス伯爵はスノーリズとの会話を一旦打ち切ると、続けて「そんなことよりも――」という言葉を前置きにして、脈絡もなくこんなことを言い出す。
「トワにスノーリズ、俺と試合え」
「いきなりですね」
「いつものことだろうに」
そう、このようなカイロス伯爵の無遠慮なお誘いはいつものこと。
娘であるトワとスノーリズは勿論のこと、周りの兵士や秘書官もなれたものだ。
「なにしろ、お前達の話を聞いたのがあのバカの暴走の時が最後だ。
なまっているのではないかと思ってな。少し稽古をつけてやろうというのだ」
『ありがたく思うがいい――』そんな副音声が聞こえてきそうなカイロス伯爵の発言に、トワとスノーリズは苦笑を禁じえない。
しかし、そんな二人の態度も当然のものである。
なにしろカイロス伯爵のいま、自分の国の王をつかまえて、バカと一刀両断にしてしまったのだ。
本来なら不敬罪にあたる発言だ。
但し、カイロス伯爵が下すこのルデロック王への評価に関しては、トワとスノーリズのみならず、この場にいるすべての人間が正しく思っていることであり。
「本当に変わりませんねお館様は――」
その一言で、カイロス伯爵の不敬な発言をさらりと流すトワは、
「しかし、私共に『稽古をつけてやる』と言い切ってしまうのは少々おごりが過ぎるのではないでしょうか?」
誂うようにそう言うと、
「そうですね。最近は砦の中にこもられて前線に出ておられないと聞いております。なまっているのはお館様の方なのでは?」
スノーリズがそれに追随。
「フン、言いよる」
娘達二人から、逆に心配するような言葉を受けたカイロス伯爵は破顔一笑。
嬉しそうにその厳しい白髭を撫でながらも『その挑発に乗ってやろう』とばかりにその笑みを不敵なものに変化させると。
「儂が前線に出ないのは儂が出るだけの相手が現れないだけなのだがな。
ヌシ達がそこまで言うのなら、いいだろう。その実力、しかと見せてもらうぞ」
それは天然の肉体強化の魔法か。
全身に魔力をみなぎらせるカイロス伯爵の静かながら迫力のある声に、スノーリズは静かに瞑目するといかにも面倒だと頬に手を当て。
「仕方がありませんね。トワ、いいですか」
「構いませんよ」
スノーリズからのご指名に一歩前に出るトワ。
すると、そんな二人のやり取りを見てカイロス伯爵は目を鋭く細め。
「ほう、一人でよいのか?」
「問題ありません」
確認というよりも純粋な興味。
そのようなカイロス伯爵からの問いかけに粛然と答えるのは戦いに挑むトワの方。
「それで獲物はどういたしましょう」
「その背中のものを使ったらどうだ」
カイロス伯爵が視線で示すのは、この場において若干場違いのようにも思えるトワが持つ箒だった。
「よいのですか?」
「クク、武器にそこまでこだわりを持たぬヌシがそこまで言うか、相当の業物のようだな」
「本来ならば私には分不相応なものですから」
あえて聞き返すトワの言葉は端的なものだったが、カイロス伯爵はその短い言葉の中に秘められた隠しようのない確信のようなものを感じ取ったようだ。
嬉しそうに笑みを浮かべて――、
しかし、トワがカイロス伯爵に急かされるがままにその箒に掛けられた偽装を解いたその瞬間、カイロス伯爵が「むぅ」と唸り声をあげる。
逆にトワは『してやったり』と口元を若干緩め、わざとらしく「どういたしました」と問いかける。
すると、カイロス伯爵はその大きな顔いっぱいに驚愕を貼り付けて、
「トワ。おヌシ――、その槍をどこで手に入れた」
「さて、どこだったでしょう。
父上が私に勝つことができたのなら思い出すかもしれません」
「……トワよ。いまの言葉、ゆめゆめ忘れるでないぞ」
カイロス伯爵からの鋭い問いかけに、誂うような口調で返すトワ。
そして、そんなトワのはぐらかすような返答に『言質はとった――』と、カイロス伯爵がその腰に凪ぐ剣を抜き構えると、トワも愛槍であるメルビレイに水を纏わせ、まずは小手調べにと超速の突きを放つ。
刹那、ギィ――と打ち鳴らされる硬質の響き。
トワの突きにカイロス伯爵が剣を合わせたのだ。
そして、その耳障りな金属音に遅れることわずか――、
「むぅ――」
それは驚きというよりも戸惑いの響きか、カイロス伯爵の口から苦しげな声が溢れ。
「父上衰えましたか」
「舐めるでないぞ」
娘からの安い挑発に、カイロス伯爵は凄絶な笑みを浮かべて斬りかかる。
その姿は親子の語らいや稽古などではなく、純粋な殺し合い。
しかし、やっている二人の顔は笑顔そのもの。
嵐のような武器さばきに打ち鳴らされる金属音。
その激しい戦いの音がこの訓練場に人を惹き付ける。
そんな周囲の状況に、トワが自分よりも縦にも横にも身の丈半分は大きいカイロス伯爵を弾き飛ばし。
「……見物人も増えてきましたようですし、そろそろ一段、力を引き上げましょうか」
「なんだ。出し惜しみか、トワ?」
「いえ、準備運動のようなものでしょうか。
父上の体を気遣ってのことでしたが、必要ありませんでしたか」
「余計なお世話よ」
「ならば行きますよ」
それは気安い親子の会話。
迂遠な煽りを受けたカイロス伯爵の大振りの一撃に合わせるように、トワが聡く足元を狙う。
ただ、このいやらしいトワの小技にカイロス伯爵は超反応。
足元を狙った槍撃を踏みつけることで封じ、そのまま斬りかからんと前に出るのだが、残念ながらカイロス伯爵のこの攻撃は通らなかった。
我が槍を汚い足で踏ませる訳にはいかないとトワが槍を引いたからだ。
しかし、トワのその動きはカイロス伯爵から見ると明らかなる悪手だった。
「武器をかばうとは日和ったか」
震脚とも呼べる強烈な踏み込みからの切り返し、袈裟斬りの残身から手首を180度返したカイロス伯爵の斬り上げがトワに迫る。
ただ、トワは冷静だった。
「別に、私には余裕がありますから」
迫るカイロス伯爵の攻撃に、トワが取った行動は、槍をわざと地面に突き刺し、その柄を斜めに起こすことだった。
シュインと綺麗な音色を残して逸らされるカイロス伯爵の斬撃。
そして、攻撃をすかされたことで体が右に流れてしまったカイロス伯爵に、トワは地面に突き刺した槍を斜めに回すようにして、柄頭による打突をその脇腹へと放つ。
重量級のカイロス伯爵の体が再び大きく弾き飛ばされる。
一方、トワは大きくノックバックしたカイロス伯爵を追いかけるようにダッシュ。
その側面に回り込むと、直角軌道からの突きを放ち。
ガキン。
「お館様、そろそろよいのではありませんか」
「むぅ、仕方あるまい」
トワが放った突きを間一髪、カイロス伯爵が剣で弾き返したところで差し込まれるスノーリズの声。
そして、スノーリズからの『試合終了』の声に、周囲から重い溜息のような音が漏れ出る中、剣を収めたカイロス伯爵が、特にダメージを受けたようでもなく、平然とした足取りでトワの下に歩み寄ると。
「トワ、それ程の実力をどこで身につけた」
「戦いが終わってまず聞いてくることがそれですか」
まず聞くことはそれなのか。
呆れるような雰囲気を隠さずそう訊ねるトワ。
しかし、すぐになにか思いついたとばかりに口元に微かな笑みを浮かべ。
「そうですね。私が強くなったその理由は、先にお願いした街道が繋がったのならわかるやもしれません」
「どういうことだ」
トワが言った言葉の意味がわからないとカイロス伯爵は焦れた様子で聞き返す。
けれど、すぐになにかに気付いたようにフサフサの白い髭をたくわえた顎に手をやって。
「いや、そういうことなのか……。
ならばさっさとその街道を通さねばな」
「ありがとうございます」
トワの言いたいことはカイロス伯爵にも伝わったみたいだ。
「しかし、こうすんなりと行きますと、用意した手土産が無駄になってしまいますね」
「手土産だと?」
交渉はまとまったタイミングで、スノーリズの口から零れ落ちたその言葉に、野太い眉毛の片方を跳ね上げるカイロス伯爵。
「はい。今回は急な話でしたので、ちょっとしたお土産を持ってきたのですが、無駄になりましたね」
ハァ――と至極残念そうにするスノーリズのすぐ横にあったのは、一見しただけでもその禍々しさを理解できる骨の鎧だ。
そして、スノーリズがいつの間にかそこに置いてあった鎧を、これまた貴重品であるマジックバッグの中に収納しようととしたところ――、
「ちょっと待てい」
カイロス伯爵が慌ててそれを制す。
ただ、こういう交渉事に関してはスノーリズの方が一枚も二枚も上手で、
「待てと言われましても、お館様はトワとの死合で満足しましたでしょう」
スノーリズの正論に「むぅ」と苦虫を噛み潰した顔をするカイロス伯爵。
すると、スノーリズはそんな伯爵の表情にニコリとやわらかに笑い。
「ならばこうしましょう。私共が作るトンネルが完成したらこれをお渡しすると」
「わかった。
レイア、聞いたな。早急にガルダシアからもたらされた話を進めるのだ」
「はっ」
◆カイロス伯爵領の特殊性。
真剣による試合は上級者にのみ許された訓練法です。素人は真似をしないようにお願いします。
――と、冗談はこのくらいにして、
カイロス伯爵領において、真剣を使った訓練は回復魔導師の訓練にもなっております。
最初の打ち合いでお互いの実力をある程度把握、後は絶妙な技の応酬といいますか、真剣勝負でのプロレスと行った感じでしょうか。
とにかく、彼等なりにある程度の安全性が確保されていると思われます。
ちなみに、領主であるカイロス伯爵が前線の砦にいるのは、純粋にそこが戦いの最前線だからです。
嫁やお妾さん、娘さんも多かれ少なかれ、伯爵と同じような気質を持っている為、病気療養や領地経営に特化した家族を除き、その殆どがこの砦に住んでいるようです。




