甚平
黄金の騎士こと八龍のお披露目と試運転を終えて万屋。
和室にある布団を取っ払った掘りごたつに腰を落ち着かせ、氷出しの緑茶で一息入れたところで、僕のことを上から下まで見たマリィさんが聞いてくるのは、
「そういえば、気になっていたのですが、今日の虎助の装いは、いつもと随分違った印象ですが」
「そうそう、甚平なんて急にどうしたんだ。カッコつけ?」
元春が言う通り、今日、僕が来ているのは古き良き和服の軽装である甚平だ。
でも、カッコつけって――、
その評価には文句をつけたいところだが、元春のことだ、そこまで深く考えて言ったわけではないだろうと、ここはスルーして、
「義姉さんのお土産で持ってきてくれてね。せっかくだから着てみようって思ったんだよ」
実はこの甚平を義姉さんからもらったのは六月末のこと、
だから、前々から着よう着ようとは思っていたのだが、学校がある日はわざわざ帰ってきてから上から下まで着替えるのは面倒で、だったら夏休み中の仕事着にしてはどうかと、ミストさんに作ってもらった布をコツコツ錬金術を使って合成していって、今日、甚平がお披露目となった理由を説明すると、元春が本来の説明とは少しずれた箇所に驚きを隠せないようで、
「志帆姉が、おみやげ、だと……。
志帆姉にそんな気配りができるわけがねー」
うん。義姉さんが持ってくるものといえば、厄介事や面倒事とか、僕や元春からしたらそんなイメージしかないんだけど。
ただ、今回の甚平に関してはちょっとした事情があって、
「魔女のお宝を探して地方を巡っていた時に、泊まったホテルの何万人目かのお客さんになったみたいなんだよ」
「ああ、それで、そいつをもらったんか」
付け加えるなら、そのとあるホテルの何万人目のお客様の記念品の中で、義姉さんも佐藤さんも使わないとなったのがこの甚平で、これをくれる代わりに見つけたお宝を鑑定をタダさせられたりなんてことがあったりしたのだが、それは義姉さんだから仕方がないとして、
「どうせ、そんなことだろうと思ってたけどよ。それでも志帆姉にしてはだろ」
正直、この意見に関しては苦笑するしかないね。
僕がノーコメントを貫いていると、ただ、マリィさんからしてみると義姉さんに関する話題にはあまり興味がなかったのかもしれない。僕と元春が甚平の由来を話している一方で、またしげしげと僕を見るようにして、
「しかし、甚平でしたか、その装いは虎助にピッタリですわね」
「ま、虎助は地味顔っすから」
マリィさんからの気恥ずかしい称賛の声はともかくとして、元春の評価は否定はすまい。自分が地味だって自覚はあるからね。
こういう伝統的な普段着は、往々にして地味な人の方が似合う場合が多いっていうから。
「けど、虎助がそういうの着るのって珍しいな」
「そうなのですか。イズナ様が普段の装いからみるに、虎助がこのような服装をしているのはおかしくないこと思うのですが」
たしかに、僕の母さんが普段から和服を着ているということで、僕も普段から和服を着ているのではというそのイメージもわからないでもないのだが、
「母さんのあれは趣味で、どちらかといえば余所行きの服ですから」
あと、和服っていうのは意外と武器が隠しやすいっていうのも大きな理由なんだけど、それを言ってしまうと後で母さんになにをされるのかわからないので、こちらの理由は伏せるとして、
「しかし、こういう衣装も悪くはありませんわね。私も和服を一着、手に入れておくのもいいかもしれません」
「ふむ、マリィさんがそう仰るなら――」
「いや、マリィちゃんはダメなんじゃね」
「……元春、それはどういうことですの?」
マリィさんの呟きに元春が何気なく反応。
その反応はマリィさんからしてみると小馬鹿にされたと感じるものだったのかもしれない。
キロリと鋭さを帯びた視線を元春に向けるも、元春はそんなマリィさんの視線の鋭さには気付いていないようで、能天気にも。
「いやー、着物って、巨乳が着るとカッコ悪いってよく聞くっすから、マリィちゃんみたいなムチムチボインボインな女子は似合わないんじゃ――」
と、ここでマリィさんがその細い指先にボッと炎を灯し、ようやく自分が虎の尾を踏みにいっていると気づいたのか、サッと青い顔を浮かべる元春。
ただ、マリィさんには落ち着いてもらいたい。
「マリィさん。元春の言うこともあながち間違いでもないですから」
その割り込みにマリィさんは指先に灯した炎の発射をストップ。
やや疑わしげにしながらも僕を見て、
「そうなのです?」
「はい。着物はスッと縦に線をつくることで綺麗に着せる衣装と言われていますから、マリィさんのようにメリハリがある体形の方には似合わないと言われているんです。
ただ最近では胸が大きい人には着方っていうのもあるらしいですけど」
追加した情報にマリィさんの指先に浮かんでいた火弾が消失。
そして、元春がこの場に残る危機的空気を散らそうと冗談のように言うのは、
「そ、それって花魁みたいな」
「あれは違うジャンルじゃないかな」
でも、あながち間違いでもないのかも。
そんな心の声が表情としてわずかに漏れ出てしまったのか。
「おいおい、もしかして」
元春が半信半疑にそう切り返してくるのだが、
ただ、その話はちらっと聞きかじった程度のもの、僕としてもそれが絶対とは言えないのだが、ここで適当にはぐらかすのは後々面倒になりそうだということで、僕はインターネットからそれらしき資料を探しながらも。
「そもそも、着物って昔は普段着だったんだよね。
だから、いまの着方はあくまで誰かがそう広めたことだと思うんだよ」
「言われてみりゃそうかもな。江戸の女子が全員貧乳ってのはありえねーし、花魁も貧乳より巨乳の方がいいだろうしな」
うん。元春の率直な意見へのコメントは差し控えるとして、
江戸時代の栄養状態がどうのこうのという問題もあるかもしれないが、例えば、ジャングルの中で原始的な生活をしている人の中でさえ巨乳の女性はいたりする。
だから、かつての日本に巨乳がいないなんてことなどありえないというのは決して間違ってないと思われる。
そして、そんな時代に生きる人達が、ふだん着物を着る時に――、
たとえば元春の意見を肯定するわけじゃないが、そういう職業の胸の大きな人が、わざわざ胸の下に詰め物をして体形をきれいに見せたりするだろうか。
いや、むしろそういう体形を売りにするような着方をするのではないか。
「それに浮世絵なんかでも胸の大きい人がいるみたいだし」
これはたまたま検索に引っかかった情報なのだが、江戸時代なんかの浮世絵の中に描かれる人物がすべて胸が小さいかと言われるとそうではないらしい。
「え、マジかよ。チェックしねーと、そのサイトのアドレス教えろよ」
いや、チェックしてどうするのさ。
僕はそんなツッコミを心の中で入れながらも、面倒だからと件のページをフリック。
その魔法窓ごと元春の手元にパスしたところで。
「そうじゃなくても温泉に行くと浴衣着るでしょ。あんな感じで気軽に着られるような着物にタオルを詰めるなんてみんなやらないからね」
別に和服といっても、すべてがすべてかっちり着るものでもない。
「けどよ。巨乳の人って――、その、動くとズレるって聞いたけどよ。それは大丈夫なんか」
妙にニヨニヨとなにを想像しているんだか。
ただ、このよく聞く着物の問題に関しては――、
「慣れないっていうのもあるんじゃないかな。例えば柔道の道着とか、うまく人が着ると激しく動いてもま普通に戦ってる分にはまったくズレないでしょ」
柔道着のうまい着方を、そのまま着物の着付けに当てはめるのは間違っているような気もしないでもないが、あれも慣れた人が着るのとそうでない人が着るのでは、試合中の着崩れに随分と差が出るものである。
「たしかに、胸がデケーとかでずれるってなると、重量級とか――、
って、あ゛あ――、変な想像しちまっただろ」
いや、勝手に想像して僕に文句をつけられても困るんだけど。
「なんなら甚平みたいに中で結べるように改造すればいいんだし」
マリィさんが求めているのはあくまで和装というジャンルであって、それはきちんとした着物である必要はないハズだ。
僕があえていま来ている甚平の構造に触れながらもそう言うと、マリィさんは興味深げな目線を僕に向けながら。
「その服は内側になにか仕込んでありますの」
「内側に結ぶところがあるんですよ」
そう言って、軽く腕をあげた僕がその結び目がある部分を見せてみると、マリィさんはおずおずとその部分に手を伸ばし、服の上から結び目を直に触って確認してみたところで小さく「本当ですの」と呟いて、
「た、たしかにこうしてあれば、そう簡単に前がはだけたりはしないですわね」
さわさわと僕の脇腹を触りながら早口でそう言うと。
「でもよ。マリィちゃんとかに着付けとかできんのか」
「そこはマジックテープで簡単に着付けたできる着物みたいにすればいいんじゃないかな。そもそも着物の着付けが難しいのは、昔からあった着物をそのまま着ようとするからだから」
「たしかに、見た目さえちゃんとしてりゃ、それでいいのか」
別に着物そのものを着やすいように改良してはいけないというルールなんてどこにもない。
それに、着物の着付けで難しいのは、無駄にごてごてした帯をきれいにまとめる為のテクニックやら、シュッと綺麗に見えるように体のラインを寸胴にする為の方法でしかない。
だから、たとえば夏祭りなんかでたまに見るようなゴシックロリータ風浴衣とか、そういうイロモノ系の和装のようにアレンジしてやれば、胸の大きいマリィさんでも簡単に着られて不格好にならない着物ができると思うのだ。
「なので、マリィさんが本当に着物が欲しいのでしたら、こういうデザインがいいとか、リクエストをいただけるとありがたいです」
「そういうことであれば協力させていただきますの」
と、マリィさんもこう仰っておられるので、さっそく各種、着物のデザインの参考になりそうな画像をいろいろ集めていると、元春が、
「つか、どうせだからトワさんのとかの着物も合わせた方がいいんじゃね。マリィちゃんだけ着物ってのも絵面がおかしいし、ちゃんとそういう着物とかもあるだろ」
うーん、そういう違和感はマリィさんがどんなデザインの着物を作るかにもよると思うんだけど。
なにも合わせないよりかは、多少なりとも合わせたほうが統一感が出るのはたしかかな。
そもそも、マリィさんが作った着物をどう使うかなんてわからないんだけど、もしもトワさんたちメイドさん達の着物もというのなら、さっきちょろっと言ったような改造浴衣のようなものなら、メイドさんに合わせた和装もわりと簡単に作れるかな。
とはいえ、これを作る作らないに関しては、彼女達の主たるマリィさんが決めるべきだ。
ということで、
「どうしましょう。マリィさん」
「そうですわね。トワ達もいろいろと服が欲しいでしょうし、元春の言わんとすることはわからないでもないですの。なので、私のいざ着物を作るとなったその時には一緒にお願いできますか」
元春にしては気の利いた指摘を――、
マリィさんはそんな視線を元春に送りながら、追加でトワさん達の着物の製作も検討することに。
と、マリィさんのものに合わせて、メイドさん達が来てもおかしくないようなデザインの着物のデザインを探そうとしたその時、元春がスッと手の平を前に出し。
「ちょい待ち、トワさん達の着物を作るなら、俺も金を出しますよ」
「……貴方、なにをたくらんでいますの」
割り込みをかけてきた元春にノータイムで目を細めるマリィさん。
うん。ここで元春が一枚噛んでくるってのは、またなにか変な着物でも作ろうとか、下心満載なことを考えているんだろう。
マリィさんと一緒に僕も疑いの視線を元陽に向けていると、元春は明らかに動揺した様子で、
「べ、別になにも企んでないっすよ。ただ俺はトワさんに俺がプレゼントをした服を着てもらいたいだけっす」
ああ、これは例のビーズアクセサリの時にやった、こっそりプレゼント作戦の一環ってことになるのかな。
僕は今日、甚平に合わせて腕に巻いている数珠を見て思い出しながら。
「でも、着物って意外と高いと思うんだけど」
はてさて、元春にその金額を払えるのか。
「って、あれってほとんど技術料みてーなもんだろ。万屋で作りゃ安くなんじゃねーの」
それは否定できないかな。
着物が高いのは、着物に使われる反物が緻密な技術で作られているものが多く、それだけにお値段が高くなるというパターンだからだ。
しかし、この万屋なら、その精緻な反物を作るのもエレイン君という生産お化けに頼ればよく、実際、最近は母さんもこっそりウチで着物を頼んでるらしいから。
「しかし、ものが着物となりますと、少々重たくはありませんの」
マリィさんの指摘した重いというのは気持ちのことであろう。
たしかに、お遊びのような状況で作ったビーズアクセサリと違って、着物というのは相当本気のプレゼントになるだろう。
そうなると、そのお礼も必然的にそれなりのものが必要となり。
「というか、前にビーズアクセサリをトワさん達に送った時ってどうなったんでしたっけ?」
「ああ、あの時はメイド一同でお菓子を作って渡しましたわよ」
「ふふん、いまでもとってあんぜ」
いや、食べようよ。
「とにかく、着物を送るってなるとトワさんも困っちゃうんじゃ」
「マジか」
「マジですの」
「じゃ、せめてトワさん達が着る着物のデザインだけでも」
今日は妙に諦めの悪い元春。
そんな元春に対してマリィさんは若干威圧するように元春を見つめ。
しかし、すぐに面倒そうにため息を吐き出すと。
「……まだ購入を決めた訳ではありませんが、もしも、私を唸るものが出せたら検討しますわよ」
「言ったっすね。
おっしゃ、虎助、いま調べたデザインをこっちに回せ。
ぜってートワさんに似合う着物を探し出してやっからよ」
そう言って張り切る元春に僕は困った顔をしながらも、マリィさんに「いいんですか」と確認を入れる。
すると、
「構いませんわ。どうせ元春が出してくるデザインですもの」
ああ――、
ふつうに考えると元春がまともなデザインの着物を選ぶとは思えない。
僕はそんなマリィさんの予想に苦笑しながらも、元春の要求通り、いま調べたばかりの着物の中で、せめて地味めのデザインサンプルをいくつか元春の手元に送るのだった。
◆装備品の紹介
虎助の甚平……志帆から送られた藍染めの甚平にアラクネの糸やムーングロウの金属糸などにより強化が施したもの。特段変わった能力はないが下手な金属製の軽鎧よりも高い防御力を備えており、素材の関係から魔素との親和性が高いため、アクアやオニキスなど、精霊の力を借りることによって、地肌が見えている部分の防御力を上げることが可能となっている。




