侯爵領のその後
あっという間の解決となったオールード侯爵家での一件から二日、
放課後、僕がいつものように万屋でまったりした時間を過ごしていると、今日の部活動は夏休み前の軽い打ち合わせだけで終わったそうで、僕が出勤してからすぐ店にやってきた元春が、夏休みに計画している遠征のため、複数の魔法窓に映し出したホテルの予約サイトを眺めながら聞いてくるのはアビーさんの実家のその後だった。
「で、結局、あれからアビーっちン家の騒動はどうなったん」
「とりあえず、兄二人は武闘派として知られる辺境伯のもとで鍛え直されるってことになったみたいだね」
「次男だけじゃなかったん」
「上のお兄さんは今回の動きに全く気づいてなかったみたいだからね」
これは後になって聞いたことであるが、長兄マグネスはオールード侯爵が倒れたことをそこまで心配していなかったみたいなのだ。
アビーさんが言うには、もともとオールード侯爵は、長兄マグネスと同じく脳筋のカテゴリに入るような人だったそうで、子供の頃からそんな父親に鍛えられたマグネスとしては、あの父親がちょっと倒れたくらいでどうにもならないと高をくくっていたそうである。
結果的にその思い込みが、次男マティアスの画策を許し、オールード侯爵自身は命の危機に繋がったという。
うん。オールード侯爵は完全に育て方を間違えたみたいだね。
とまあ、そんな事情もあって、今回これをいい機会だと、男兄弟の二人は、フレアさん達がいる森とはまた別の、空白地帯沿いにある領地の応援戦力として送られて、運が悪ければ魔獣と戦って命を落とすような現場で、長兄マグネスは上に立つものとしての資質を、次兄マティアスは根性やら性根を鍛え直されるそうだ。
「そりゃご愁傷さまだな」
「私としましては甘い処遇だと思いますが」
と、この裁定に関して、イケメンの不幸が楽しいとニマニマする元春の一方で、マリィさんとしてはマティアスの処遇に怪訝な表情。
まあ、今回マティアスがしでかそうとしていたことは、完全に暗殺からの権力の簒奪の計画になるからね。伯父であるルデロック王の姿が重なるのだろう。
実際、権力の簒奪というのは即刻首を刎ねられてもおかしくないようなことだしね。
ただ、今回のマティウスの動きで、領に関わる不穏分子があぶり出せたことと、被害者であるオールード侯爵が後遺症なく回復できたということ、そして、マティアスの母親の実家が彼の裏側にある人間の処罰に素早く動いたことで、即処刑という最悪の事態は避けられたとのことである。
それ以外にも、これからマグネスとマティアスが赴くことになる空白地帯に面する領地というのが、その土地柄、常に人員不足の状態の場所だそうで、マジックアイテム作りが盛んなオールード侯爵領家としては、ここに今回やらかした二人を送ることにより、以前から魔獣素材の取り引きで大きな関わりがあるその領地に誠意を示したいという思惑もあるそうだ。
実際、マティアスが取り仕切っていた商売では、その領地とのつながりを薄くして、他国から安価な素材を仕入れるという動きになっていたらしいからね。
つまり、実害をこうむったかもしれない相手に、その原因となっていた人物の身柄を預けることで、その扱いを、煮るなり焼くなり、お好きなようにしてくれてかまわないという意味合いがあるのだそうだ。
ちなみに、長兄のマグネスは、前述のように今回の件にはほぼ――というかまったく関わりがなく、完全に弟がやらかしたことのとばっちりを受けた形になるのだが、もともと彼は殺そうとしても死ぬ人じゃないそうなので、今回のことも自分とマティアスを鍛え直すいいチャンスだと張り切っているのだそうだ。
まさにポジティブシンキングの塊である。
「成程、複雑な裏がありますのね。理解しましたの。
しかし、そうなりますと、オールード家の後継問題はどうなりましたの?
いまの話を聞く限り、他の兄弟にもまだ目がありそうな話になっていますが――」
「それに関しましては、オールード侯爵が職務に復帰しましたので、当初の予定通り、三男が当主の第一候補というのは変わらないみたいですね。
ただ、三男が成人年齢になるまでに、二人の兄がここまでのマイナスを覆すくらい大きな功績をあげた場合、また別途考えるということになっているそうです。
とはいえ、今回やらかしたことを考えると、並の功績では再考に値しないとは思いますが」
何度も言うが、マティアスがやらかそうとしたことはお家の乗っ取り、しかも、当主の命を奪うという形でだ。
故に、今回の処置は、たとえこの処罰の結果、マティアスが死んでも構わないとそういう処罰であり、そんな立場まで落とされた人間が、ふたたび跡継ぎの立場まで戻ってくることはほぼ不可能。
まあ、長男に関しては罪はほぼ無く、自身の武功もそれなりにあって、今後、領軍を預けることを念頭に、次男の監視と彼そのものを鍛え直すという目的で放り込まれたという意味合いが強いそうだが。
「しかし、オールード侯爵はまだ病み上がり、三男もまだまだ幼いと言います。また今回のようなことがあった場合、少々不安ですわね」
「ああ、そちらに関しては長女が補佐につくことになっているそうですよ」
「それはまた面倒な役回りを押し付けられたものですわね」
「それなんですけど、実はその姉も今回の件に関係していたみたいでして――」
今回の騒動後、マティアスの背後関係を、リスレムやスカラベ、時にちょっと危ない魔法や魔法薬などを使ってアビーさんが少し探りを入れてみたところ、セリーヌさんがアビーさんのフォローに雇った『白盾の乙女』が襲われた件は、マティアスが裏でこそこそと画策していることを嗅ぎつけた長女が、後に自分の有利になるようにと各方面にコンタクトを取り、立ち回った結果、起きた状況だったみたいなのだ。
ただ、彼女に限っては、その証拠が残らないようにうまく動いていたこともあって、嫌疑不十分としてこの処分となったそうなのだが、
「なにその女、怖っ」
アビーさんに言わせると、その人は、虫も殺さないような顔をしてしれっと強烈な毒を吐くような人らしい。
と、そんな話を本人の写真などを見せながらしたところで、
「まあ、そういう人だから、逆に権力をちらつかせて働かせようって考えみたいだね」
「それって、なんかまた面倒なことになりそうじゃね」
「ですわね」
元春やマリィさんが懸念することもわからないではないけど。
「面倒を抱えても使いたいくらい有能な人らしいんですよ。その長女さんは――、
それに裏切りとかそういう問題は大丈夫だと思います。アビーさんがオールード侯爵にスカラベを数体とメモリーカードを渡してくれたみたいですから」
「おいおい、それって――」
そう、現在その長女さんはオールード侯爵がすでにこっそりと監視下におかれているのだ。
いまサイネリアさんが操っていた銀騎士を使って、その国内の通信環境を整えているところなので、この通信網がきちんと整備されたあかつきには、国内のどこにいても、その行動が筒抜けになるだろう。
「だから、なにかやらかしたら、すぐに排除すればいいだけだから、放っておく手はないってことになったんだよ」
「排除とか物騒だな」
「いや、排除っていっても別に暗殺とかそういうのじゃなくて、単純に上からの命令で問題がある件には関わらせないようにするだけだからね」
要するに左遷である。
なにかやらかしたタイミングでそういう事例を出せば、裏でこそこそ謀をするような聡い人間なら自分が監視されているんだと気付くハズだ。
そうすると下手に動くこともままならず、結果、飼い殺しになるしかないというわけだ。
「おいおい、そりゃ、えげつねーな」
「ですが、有能とはいえ獅子身中の虫を飼うのなら必要な処置だと思いますの」
実際、マリィさんが雇っている元侵入者のお兄さんもそんな感じで使われてるんだよね。
まあ、あちらは監視ではなく物理的な管理なのだが……、
そして、この件に関して元春の意見が甘いのは、生きている世界の違いもあると思うが、なによりその長女が美人だからだろう。
もしも、この対象が次兄マティアスだったら、いきなり首を斬らてたとしても『仕方がなかったんじゃね』の一言で済まされると思うんだよね。
「でもよ。親父が娘の監視をするとか、どんなプレイだっての」
いや、プレイって……、
元春とかじゃないんだからとそう言いたいところだけど。
「その辺は大丈夫だよ。スカラベはちゃんとプライベートを守ってくれるから」
具体的には、スカラベがというよりも、通信に紛れ込ませたシステムが明らかに監視とは関係ないプライベートな情報を自動的にカットしてくれるのだ。
「なにその無駄に高度な機能」
「元春とかが悪用するかと思って、開発当初からつけてたんだけど」
ここまでスカラベや本当に実用的な用途でしか使っていなかったから、いまのところその機能が活躍する場面がなかっただけだ。
「当然の処置ですわね」
「いやいや、俺がそんなことするワケないじゃないっすか」
元春はこう言うけど、実際スカラベを自由に使えるようになったらそういうことをするのは確実だ。
最近は向こうでもライカ達を使っていろいろやっているみたいだし。
ただ、そこは相手が精霊だけあって、法を犯すような仕事には使っていないみたいだから、まあ、僕が口をだすことでもないだろう。
「で、アビっちはいつ頃こっちに来るん? 帰ってくるんだよな」
「研究が途中だからね。それに向こうにいたら後継候補だのなんだのってうるさいみたいだから」
領主である彼女の父親はその辺、諦めているらしいのだが、それでもアビーさんの才能を鑑みると、周囲としては黙っていられない。アビーさんが領館に滞在していることがわかれば、各所からお見合いの依頼などが押し寄せてくるだろうとのことである。
なので、実家に戻っていることがバレない内にと、妹さんにいつでも連絡が取れるようにとメモリーカードを――、また、跡目争いに巻き込まれてもいいようにと、万屋で人気のアラクネインナーやら護身用の魔法銃なども置いて、早々に領館を出たそうである。
「その姿が目に浮かぶようですわね」
お見合いうんぬんの話はマリィさんも心当たりがあるのだろう。
「じゃ、すぐに帰ってくるってことなんか」
「ううん、国内外でスカラベが使えるようにってインベントリの設置をしながらゆっくりと帰ってくるみたい。銀騎士がいるから、今まで危険で行けなかった場所の調査とかもしたいそうだから」
「彼女らしいですわね」
「そうですね」