アビーの秘密
それは、空も藍色に染まり始める午後七時過ぎ、
そろそろ夕食も近いとマリィさんが帰り支度を始める中、フレアさんがまた新しくお客様を連れてきたみたいだ。
ただ、そのお客様というのがまた、何故か目隠しの上に、魔法窓の機能を使って強制的に音楽を聞かされている女性ばかりの四人組で、
えと、これ、なにか犯罪的なことじゃないよね。
連行されてきたお客様の異様に、僕が内心でそんな言葉を呟いていると、フレアさんは僕がそんな心配をしているとは露知らず――というよりも、やましいことはしていないという自信があるのだろう。
「虎助、いきなりで悪いのだがアビーを呼んでくれないか」
「構いませんが、そちらの方々はどちら様ですか?」
うん。こんな怪しげな状況だ。とりあえず簡単にでも説明が欲しいという僕に、フレアさんは頭に手をやりながら。
「ああ悪い、彼女等は、つい先頃、森の中で、魔獣と兵士の両方から追いかけられていたところを助けた者たちだ」
「で、ちょっと事情を聞いてみたんだけど。この人達、どうもアビーの知り合いみたいでね。なにか緊急の用事があるってことでこうして連れてきたのよ」
成程、状況から見るに捕虜か奴隷かのようにしか見えないけど、目隠ししているのは、遺跡のワープゲートやら、この世界の説明だとか、緊急事態にいちいち説明していくのが面倒だからってことかな。
僕は二人の話を聞いて、連行されてきた彼女達がどうしてこんな状態なのか、それを納得しながらも魔法窓を開いて、
「わかりました。ただ、声をかけてみますけど、期待しないで下さいね」
「それ、どういうこと?」
期待しないで下さいという僕に、目を細めるのはティマさんだ。
「いや、アビーさんがですね。いったん研究に没頭し始めてしまうと話しかけても聞いてくれなくなりますので――」
「ああ――」
しかし、『期待しないで下さい』というその理由を告げたところ、ティマさんもそういう人に心当たりがあるのだろうか、溜息を吐くようにはしているが納得してくれたみたいだ。
「まあ、そういうことですから、連絡をとってみますがあまり期待しないで下さいね。
と、あと、そちらの方々はどうしましょう」
アビーさんを呼び出すことは当然として、彼女がすぐに万屋に顔を出してくれるとは限らない。
いや、むしろ結構な時間待つことになるのはほぼ確実だ。
だとしたら、その間、彼等をずっとそのままにしておくのか。
さすがにそれはさすがに忍びないと、ここは彼女達をもてなした方がいいのかと、気を使って訊ねてみたところ、フレアさんは「そうだな」と手を腰に、連れてきた彼女達に視線を走らせて。
「一応、こちらからはなにもしないから騒がないようにとは言ってあるのだが、さすがにこのままとはいかないか」
それ、聞きようによっては脅しとも取れるんですけど。
とはいえ、状況が状況なので、それもまた已む無しか。
「でしたら、訓練場にベンチを用意しますから、そちらで待機していてもらうということでどうでしょう」
訓練場なら、もしも戦闘になったとしても他に被害は出ないし、訓練場を結界で囲んでしまえば即席の牢屋のように扱える。
ということで、フレアさんが連れてきた彼女達には、一般のお客様にも開放している訓練場に移動してもらい、こんなこともあろうかと用意してあったエアソファーと組み立て式のテーブルを設置した上で、お茶を出し、訓練場を結界で覆って少しお待ち願うことに。
ちなみに、その際に彼女達の目隠しと強制的に聞かせていた音楽は解除してもらった。
そして、ここまでの状況を簡単に説明をすることになったのだが、連れてこられた彼女達『白盾の乙女』はフレアさん達が――、
いや、フレアさんがまたなにかやらかしたのか、意外と冷静なご様子で、特に暴れるようなことはなく、ティマさん達がちょっと厳し目の視線をフレアさんと彼女達の両方に向ける中、フレアさんが連れてきたお客様の対応をする一方、ベル君にどうにかアビーさんを連れてくるように頼んで一時間半、アビーさんとしても、自分をここに連れてきてくれたフレアさんの頼みとあらば無視できないってところかな。
万屋に顔を出してくれたアビーさんは和室で待機していたフレアさん達を見つけて、
「久しぶり。
で、誰かお客さんが来てるって聞いたけど」
「ああ、森の中で襲われているのを見つけてな。
助けてみたところ君に会いに来たというのだが、まずは彼女等を確認してくれるか」
皆さんを散々待たせたアビーさん。
しかし、彼女は挨拶もそこそこにすぐに本題に入る。
それに、フレアさんパーティの女性陣がジトッと恨めしげな視線を向けるのだが、フレアさんは特に気分を害することもなく、問題の四人を魔法窓越しに確認してもらうのだが、アビーさんはその四人に心当たりがないようで、
「えっと、彼女達は誰だい?」
ただ、そんな疑問も次の言葉で一転する。
「知り合いではないのか?
セリーヌという人物の執事から、君を保護するように依頼したということなのだが」
「セリーヌが……」
「お知り合いですか?」
「妹だよ。少し彼等と話させてもらってもいいかい?」
僕からの問いかけに答えつつも、フレアさんに確認を取るアビーさん。
「構わないぞ。その為に連れてきたのだからな」
「しかし、直接の対面というのはどうなんでしょう?
いまのさっきで連れてきたばかりなので、素性の確認はまだ確実とはいえませんから」
「たしかに、妹の名前を利用した語りという可能性もあるわね」
「でしたら、訓練場の結界を少しいじりましょうか」
ゲート由来の結界展開機能を使えば、訓練場を取り囲む結界を改造し、中にいる彼等と入り口から入るアビーさんとの間に無色透明な仕切りを作ることも簡単である。
「そうだね。それで行こうか」
と、アビーさんのOKが出たところで、彼等に気付かれないように慎重に結界を展開して、最低限だけど安全を確保したところでご対面。
簡単な挨拶に始まり、姉妹にしか通じない合言葉のようなものを交わして、いざ本題となるのだが、
その結果――、
「マティアスがそんなことをね」
彼女達の話によると、依頼主であるアビーさんの妹さんが、彼女から見れば兄であり、アビーさんから見れば弟であるマティアスなる人物が、アビーさんを亡き者にしようと画策しているという話を偶然聞いてしまったそうだ。
そこで、そのセリーヌさんが自分の執事に頼んで、懇意にしている彼女達『白盾の乙女』に、アビーさんの安全を確保してくれるように依頼を出したそうなのだ。
しかし、どういうわけか、その動きが察知されていたようで、彼女達がアビーさんの足跡を辿り、例の森に辿り着いたところで砦の兵士たちに襲われてしまったそうだ。
まあ、その襲撃自体は乱入してきたカモシカ型の魔獣と、フレアさんたちパーティによって事なきを得た(?)らしいのだが、実の姉を害するだの、兵士を動かすだのと、もしかしてアビーさんはやんごとなき家柄のお人なのだろうか。
少し不躾だとは思うのだが、こちらとしてはアビーさんを預かっている身だ、もしものことを考えて、その辺のことをやんわり本人に訊ねてみたところ。
「ああ、君達には世話になってるからね。そこのところ一回きちんと話した方がいいかな。
でも、その前に彼女達を休まてあげてあげようか」
おっと、僕としたことがちょっと先走ってしまったかな。
「そうですね。ここまでの旅路もそうですが、兵士に襲われたり、魔獣に襲われたり大変だったみたいですから」
ということで、アビーさんから今回の件の説明を受ける前に、まずは彼女達に落ち着いてもらおうと、エレイン君に頼んで彼女達を宿泊施設にご案内。
あらためてアビーさんが何者かという話なのだが、
「実は僕、ベルタ王国オールード公爵家が娘、アビゲイル=オールードなんだよ」
「ベルタ王国のオールード公爵家というと、マジックアイテムの生産で有名なところよね」
「つまりアビーは公爵令嬢?」
「そうなのか」
「たしかに普段のアビーさんからはそうは見えませんね」
これがアビーさんの素性を聞いたフレアさん達のリアクション。
「あれ、なんか反応悪くないかな。
僕、これでも一応いいとこのお嬢さんなんだよ」
アビーさんとしては、自分の身分を明かしたところで、もっと大袈裟なリアクションを期待していたのかな。少し慌てたようにするのだが、
「ここにはもっと偉い人がゴロゴロいますから」
「ああ――⤴」
元一国の姫に魔王と呼ばれながら精霊達の愛を一心に受ける少女。
他にも東方の大賢者にとある王国で勇者認定を受けていた冒険者や元聖女など、偉いか偉くないかでいったら、正直よくわからないんだけど、珍しい肩書を持つ人材を数え上げたらきりがない。
「それに、マジックアイテムもこの店にあるものの方がいいものばかりなのよね」
「ああ――⤵」
そして、もう一つの驚きどころであるマジックアイテムの件に関しては、そのベルタ王国のオールード領がどれくらいの品を売りにしているのかは知らないが、ティマさんの反応を見る限りではこの万屋に勝るものはないと思われる。
と、アビーさんとしては地元の自慢が潰された形になるのかな。ややテンションを落としたところで、
「それで、アビーはどうして命を狙われていますの」
「単純な話、跡目争いだね。最近父が倒れてね。自分で言うのもなんだけど魔獣の研究者としていろいろやって来たから、僕を当主にって押す人が少なからずいるんだよ」
気を取り直すというよりも、単純に気になっただけなのかな。特にフォローをする様子でもなくマリィさんがした問いかけに、アビーさんは苦笑しながらもそう答え。
「しかし、こういうものは男系やら年功序列で決まるのではありませんの」
アビーさんのお国ではどうなっているのかわからないが、貴族王族がいるような国では大抵、男系の長子が優遇されるきらいがある。
それは、いろいろな世界からこの万屋へとやってくるお客様から聞かされる話からしても想像できるのだが、アビーさんのお家に限っては、
「残念ながらウチの長兄は剣のことしか頭にないような人だから、領軍なんかには人気だけど、文官集には人気がないんだよ」
これもその国の情勢などによっても多少は価値観も変わるだろうが、トップに立つ人間がただの脳筋っていうのは不安なものだ。
「で、次に、問題のマティアス――、ああ、マティアスは我が家の次男なんだけど、これがまた放蕩者の弟でね。それなりに商才があるみたいなんだけど、実は取り引き関係者とズブズブって話があって、別の意味で周囲からの評判が悪いんだよ」
それは脳筋とは別の意味で不安な人だね。
「で、その下の男子となるとまだ十歳にもなっていない弟しかいなくてね。他に人材を――て話になると僕か姉様がその槍玉に上がるんだけど――」
成程、アビーさんもまた厄介な状況に巻き込まれてるみたいだね。
「それで、アビーはどうしたいのだ」
なにやら愚痴になりそうな雰囲気を察した訳ではないだろうが、いい感じのタイミングでフレアさんから差し込まれた問いかけにアビーさんが答えるには、
「僕はそういうのに興味がないから、正直、巻き込んでくれるなっていうのが本音かな。
そもそもそういうのが嫌だから実家から距離を取っていたんだし」
なんでも、この後継問題は数年前から出ていた話だそうで、アビーさんは権力とかそういうものにはまったく興味がないということで、貴族といえばその世界では、家庭教師のような人から勉強を教わるのが主流だそうだが、アビーさんは実家から離れるために、わざわざ王都にある錬金術師を育成する学校へ進学して、その学校を卒業したタイミングで、以前から興味のあった研究職の道へ進み、実家との距離をさらにとっていたそうなのだ。
しかし、好きこそものの上手なれ。そうして入った研究の道で功績を打ち立ててしまったことで、図らずもアビーさんにも脚光が当たってしまい、彼女を取り込もうといくつかの家が息子との婚姻を持ちかけてきたところで、タイミング悪くも、オールード家当主である父親が倒れてしまったらしく、跡目争いが活発化すると予想したアビーさんは慌てて行方をくらましたのだとか。
まあ、僕達の常識からいうと、父親が倒れたのなら見舞いに行くとかになるのだろうが、そこは貴族の世界、実家からの手紙を受けて見舞いに行ったところ、幽閉されるなんてパターンも考えられるからと、とりあえず、仲のいい妹と連絡を取り合って、隣国への逃れることと相成ったそうだが、
「とすると、このまま関わらない方向ですか」
「そうしたいのはやまやまなんだけど、妹が僕の支援に回ったってことが向こうに伝わると、今度は妹の身が心配だからね。僕もなにか手を打たないといけないと思うんだ」
たしかに姉妹二人が協力しあっているとなれば、余計な勘繰りをする人が出てくるのかもしれない。
そして、妹さんにも魔の手が――、なんてことになったとしたらアビーさんとしてはたまらない。
「しかし、どうしますの。
現状、打てる手はほぼないといっていいと思いますけれど」
「俺に手伝えることがあれば、手伝うが――」
「ありがとう。僕としては兄達には悪いけど、一番下の弟が領主を務めるのが一番だと思うんだけどね。なにしろ、あの子は正妻の長男になるから」
アビーさん曰く、その子はその立ち位置は勿論のこと、上の男子二人がなんなんだってくらいに利発な子だそうだ。
ちなみに、アビーさんのお父さんであるオールード侯爵には三人の妻がいて、上の男子二人はそれぞれ、第二、第三婦人の子供らしく、そういった意味でも、領主にふさわしいのは間違いなく三男なのだそうだ。
「たしかにその話を聞くと、オールード侯爵もその子が自分の跡を継ぐことを想定していたのですね」
しかし、その侯爵が倒れてしまったとなると、まだ十歳にも満たない彼が家督を継ぐのは困難で、場合によっては傀儡政権のような状況が生まれるかもしれないということで。
「こうなると、アビーさんのお父さんに目覚めてもらうのが一番の解決になりますか」
「そうだね。だけど、目覚めてもらうってどうやって」
「これを使えばいいんですよ」
アビーさんの問いかけに、僕がカウンターのすぐ近くに設置された棚から取り出したのは、言わずとしれた伝説の万能薬エリクサー。
「それは――、
いいのかい? それって相当お高い薬だと思うけど」
「アビーさんにはいろいろとお世話になっていますから」
正確に言うとお世話をしているのはこちらなんだけど、ソニアからも、研究仲間として、何かあったら助けになるようにって言われてるしね。
「それにエリクサーはあくまでお守りのようなものですから」
そう、エリクサーを渡すのは万が一の措置であり、実際に侯爵の病状を調べてみて、他の薬でも治療可能だったら、そちらを使えば安上がりになる。
「ふぅ、そういうことならここで押し問答をするっていうのも非効率だね。エリクサーは最後の手段ってことでありがたくその提案に乗らせてもらうよ」
さすが学者さん。ここまで説明をすれば、面倒な押し付け合いに時間を割くのはもったいないって判断してくれたみたいだ。
「しかし、そうなると僕が直接行くしかなくなるのかな」
「ですねえ」
「だが、それは危険なのではないのか」
相手の狙いはアビーさんだ。フレアさんの心配も当然だけれど。
「アビーさん一人で行くならそうなんですけど、護衛をつければどうでしょう」
「そこで俺達の出番なのだな」
やる気満々のフレアさんには悪いんだけど。
「いえ、今回は急がないといけない事態かもしれませんから」
それに、例の砦の兵士の問題も残っているから、フレアさん達にはあの森に残ってもらいたい。
『僕がこっちから銀騎士でサポートするから』
と、またなんともいいタイミングでメッセージを差し込んできたね。
その通信の主はサイネリアさん。
実は、急に呼び出されたアビーさんを心配して、ソニアと二人でサポート体制を整えていたのだ。
ちなみに、そんな二人の提案に対するアビーさんの反応は、
「世界をまたいで操れるのかい?」
「ですね」
これはお家騒動の話より、銀騎士の方に興味が言っちゃってる感じだね。
さて、これで問題解決の算段はついた。
後はアビーさんの準備を済ませて、問題の侯爵領に向かうだけど。
いまからその準備をするってことになると、今夜は徹夜を覚悟しないといけないってことなのかな。