●胎教と音楽の話
それは、フレアが森のログハウスで暮らすようになってからの日課としている、魔の森の周囲のパトロールも兼ねた魔獣狩りを終えて、ログハウス側に湧く泉で軽く水浴びをした後のこと、
ログハウス前のウッドデッキのひだまりの中、ロッキングチェアーに揺られ、まどろんでいたロゼッタ姫を見つけたフレアは、ちょうど近くの広場で、魔法窓を片手に魔法の練習をしていたティマとポーリに『姫はなにをしているのかと』訪ねてみた。
するとティマがポーリを押しのけるように前に出て、
「姫様なら魔法窓を使って音楽を聞いているわ。
ほら、姫の手元に小さな魔法窓が浮かんでいるでしょ」
「たしかに――、
しかし、なぜここで音楽を?」
フレアが知っている音楽というのは、酒場で、街角で、吟遊詩人が歌い上げる国の英雄や有名冒険者の功績を称える物語だ。
それをどうして今ここで?
そんなフレアの疑問符にティマは苦笑しながらも。
「ああ、そうね。ここで姫様が聞いているのは、どっちかっていうと王宮のパーティなんかで聞く音楽と同じかしら。
虎助が言うにはそういう音楽を聞くとお腹の赤ちゃんにいいみたいなの」
「音楽を聞くことがまだ生まれていない赤ん坊にいい?
それはどういうことなのだ」
「それは僕も気になりますね」
母親であるロゼッタ姫が音楽を聞くことでお腹の赤ん坊にいい影響がある。
ティマが言っていることがよくわからないと聞き返すフレアに、いつの間にかそこにいたパキートが続くのだが、
「「魔王パキート!?」」
「あ、ああ――、すみません。驚かせてしまいましたか」
いまだに魔王がいる生活というものに慣れないのか、不意に登場した魔王パキートについつい身を固めてしまうティマとポーリ。
すると、パキートの肩に止まっていたエドガーがそんな二人の無礼な態度にその大きな瞳を鋭く細める。
しかし、当のパキートは申し訳無さそうに頭に手をやりながらも、ただ、今はティマが言っていた音楽の話が気になると、驚かせてしまったことを謝りながらも続きを促す。
と、そんなパキートの態度にティマは毒気を抜かれながらも――、
「私もよくは知らないけど、前に万屋に行った時に音楽のデータを渡してくれたのよ。
なんでも、お母さんの精神がお腹の赤ちゃんにも影響するみたいで、虎助の世界じゃ『胎教』って名前でよく知られていることみたいよ」
「ああ、あの時に渡されていたもの(?)でしたか」
イマイチ要領を得ないティマの答えに思い出したかのように声を上げるのはエドガー。
それは溜まった獲物を万屋に売りに行った時のこと、購入を決めたベビー用品をいくつか注文するエドガーに、虎助がなにげなく渡してきたのがそれだった。
エドガーとしては、それが魔法窓を介して使うものだったということで、その受け取りを魔法窓の扱いに慣れているティマに任せていたのだが、まさかそれが音楽だったとは少し予想外だったのだ。
「成程、『胎教』ですか、興味深いですね。
それで、ロゼさんが聞いているのはどのような音楽なのです?」
「ちょっと待って」
『胎教』というはじめて聞く概念に関心をしつつも、その内容を確認するパキート。
そんなパキートからの問い掛けに、ティマは魔法窓を開き、念話通信を経由して姫が聞いている音楽をここにいる全員に聞こえるように音楽を再生する。
すると、その音楽を聞いた一同は、
「聞いたことがない音楽だね」
「でも、癒やされますね。この音楽。
まるで沐浴をしているかのようです」
「お待ちくだされ、聖女が実感できるほどの癒やし効果があるということは、この音楽にはなんらかの魔法効果が付随しているのではありませんか?」
パキートがその曲そのものに興味を、ポーリがその美しい音色に癒やされ、エドガーが聖女すらも陶酔させるその音楽になんらかの仕掛けがあるのではと心配するのだが、
ティマは「ああ」と思い当たるように言うのは、
「この歌を歌ってるのが虎助が契約しているセイレーンだから、その所為かもね」
「セイレーンですと。
その歌は大丈夫なのですかな?」
セイレーンといえば、例えば、昔話などで船乗りの天敵として語られる存在だ。
そんな存在の歌を『胎教』とやらを名目に身重であるロゼッタに聞かせて大丈夫なのかと意見するエドガー。
ティマはそんなエドガーから向けられる批難じみた眼差しを軽く受け流ながらも。
「単純に歌が大好きなだけの娘だからね。誰かに聞かせるための歌には噂にあるような変な効果は付与しないと思うわ。
てゆうか、アンタもアクアの歌声なら聞いたことがあるでしょ」
「私がこの歌を聞いたことがあるですと?」
「ほら、万屋に行った時に虎助の近くでちっちゃいのが二人歌ってたでしょ」
「もしや――」
「そ、あの片っぽの青いドレスを着た方がアクアよ」
それは、はじめてアヴァロン=エラに言った時のことだ。
虎助の側にいた青と黒のスクナが二人でなにやら歌を歌っていた。
エドガーがそんな万屋での光景を思い出す一方で、ティマもまた別のことを思い出していた。
「と、そういえばアクアで思い出したけど、アンタ等、スクナはどうしたのよ。
たしか、前にミスリルのカードを渡したと思うけど」
ティマはスクナカードに興味を示していたパキートの為に、ミスリルのカードならそれほどお金がかからないからと、前に万屋に行った時にスクナカードを何枚か買ってきていた。
それらスクナカードはちゃんとパキート側に渡してあったハズだが、それはどうなったんだろう?
そんなティマの疑問にパキートは申し訳無さそうに頭に手をやって、
「みんなに止められててね。まだ使ってないんだよ」
「止められてるって、どういうことなの?」
「完全に未知の魔導器ですからな。ものが精霊を扱うものだけに、特に我々のような存在が使った場合、どのような事態に陥るかもわかりませぬからな。安全の為、誰かが先に試した後でなければパキート様には使っていただきたくないのです」
アハハと笑いながらも困った顔をするパキートに『せっかく買ってきたのに――』とばかりに問い返すティマ。
そんなティマにエドガーが語った内容は、ティマからすると慎重過ぎるものではあったのだが、エドガーが懸念することも分からなくはない。
なにしろパキートはこう見えていちおう【魔王】と呼ばれている存在なのだ。
かの世界において魔王と呼ばれるマオがすでにスクナと契約している現状を考えると、エドガーの心配はやや考え過ぎなものではあるのだが、そもそもマオの存在をほぼ知らないといってもいいだろう彼等が、その可能性を心配するのはある意味で当然の話である。
「ふぅん、まあ、その辺のタイミングは、アンタ達に任せるわ」
ということで、脇道にそれた話はこれにて終了。
話は戻って、
「しかし、結局これを聞くだけで赤ん坊にいいというのはどういうことなのだ?」
音楽を聞いただけでお腹の赤ちゃんに影響を与えるなんて、そんなことがあり得るのか?
フレアから出された改めての疑問に、どう答えたらいいものかと考えるティマ。
すると、ティマに代わってパキートが、
「いや、案外それが重要なのかもしれないよ。これは王侯貴族によくある話みたいなんだけど、男の子を産まなければならない重圧で妊娠が残念な結果に終わるなんてことがあるみたいだから、音楽を楽しむことによって母親の気持ちを軽くするのはいいことなんじゃないのかな」
ロゼッタとの交際、そして自分がかつて人間だった頃に垣間見た貴族の世界を鑑みると、音楽の効果はそれなりに高いのではとそう言って、
「そうなのか?」
「みたいですよ。僕もそこまで詳しくはないのですが、読み物なんかでもそういう物語はかなりの数がありますよね」
「言われてみると、歌劇なんかでもそういう話は多いわね」
続くフレアからの疑問符に少し気まずそうにしながらも、パキートが出した例に、何故かティマが実感がこもった頷きを何度も繰り返す。
「と、終わってしまいましたね」
「意外と短いものなのですな」
「虎助の世界ではこのくらいが一般的みたいよ。飽きないように何曲も回して聞くみたい」
終わってしまった音楽にポーリが名残惜しそうに呟いて、エドガーがこの世界における常識から、いま聞いた曲の短さを指摘するのだが、ティマがそれに万屋で聞いてきた知識をひけらかし。
「他にも曲があるのかい」
「そうね。ここに入ってるのがだいたい五百曲くらいかしら」
「ご――、それはすごい量の音楽だね。結構な値段になったんじゃないかい」
この世界において、音楽というものを楽しめる場所というのは意外と少なかったりする。
そもそも、歌詞はともかく、楽曲の種類がそれほど多くないのだ。
そんな音楽が五百曲。それも何度も聞けるような状態で、魔導器に封じ込められているとなれば、それはかなりの価値になるのではとパキートが驚くが、実はこれに関しては万屋からのサービスがかなりなされていて、
「百曲くらいがアクアの趣味で、残りの半分が虎助の家族が集めていた音源を取り込んでくれたものみたい。だから、それに向こうで音楽を買うと意外と安いのよ」
かの世界でこういう音楽を聞くとなると、それなりにお金がかかる。
ただ――、
「パキート様が驚いておられるのはそれだけではないだろう」
「そうだね。こっちの世界にも蓄音の魔導器もありはするけど高価かつ貴重だからね。それに、これはそれをこの魔法窓に備わる一機能として落としているから」
パキートが知る蓄音のアイテムは手のひらサイズのクリスタル状のものだった。
しかも、その大きさでようやく一時間ほどの音楽が記録できるようなものなのだ。
それが、別の機能を持つ魔法式の一部、おまけのようにつけられているこの魔法窓――もしくはメモリーカード――は、フレアにとって驚愕のものだったのだ。
ただ、それもあくまでパキート達が常識であって、
「それこそ、今更じゃない。あの店はカード型の魔導書を作るような店なのよ。たくさんの楽曲を小さなものに取り込むことくらい訳ないわよ」
「言われてみれば――」
「おそるべき技術力ですな」
たった一つのアイテムですら、その技術を知らしめられる。
あらためてアヴァロン=エラに、そして驚異のマジックアイテムを販売する万屋に興味を湧き上がらせるパキートだった。
◆ちょっとした補足。
アクアはオニキスと組んでミュージックビデオ風の動画を配信していたりします。
ちなみに虎助はそのステージ(ジオラマ)作りを手伝っていて、そのロケーションが明らかに素人のものではないと注目されていて(手のひらサイズならではの利点)、
アクアの容姿と純粋な歌唱力、そして、エアギター・エアキーボード担当のオニキスのリアルヴァーチャルキャラクターのような容姿も相まって、そこそこ注目される存在になっていたりします。
◆次回は水曜日に投稿予定です。