出産に向けての準備
エドガーさん達が万屋にやって来た翌日、
頼まれたベビー用品の選定をしていたところ、そこに部活帰りの元春がやって来て、またなにを勘違いしたのか、裏切り者だのなんだのとバカみたいなことを言い出したので、僕が昨日あったことをわざとらしく懇切丁寧に説明したところ、ようやく落ち着いてくれたみたいで、
「で、ベビー用品を調べてるって訳か」
「うん」
「しかし、その、ベビー用品ですか、それは本当にいろいろありますのね。
私、このオーガニック? よくわかりませんがオムツくらいしかわかりませんの」
「哺乳瓶とかはないんすか?」
「そもそも、その哺乳瓶で与える粉ミルクというものに心当たりがありませんの。
もしかしたら似たようなものがあるかもしれませんが、私の場合、乳母がその役割をしてくれていたのでしょうから」
哺乳瓶ができたのは、たしか産業革命に頃って話だったかな。なぜかその頃に、同時多発的にさまざまな場所で哺乳瓶が発明され、その後の人口爆発につながったとかなんとかという歴史ミステリー的な話を、脱線好きな先生が授業中に話していた覚えがあると、魔法窓の一つを覗き込みながら言ったマリィさんの言葉に思い出す一方で、
「おお、乳母っすか。さすがは元王族って感じっすね。
でも、ってことは、将来マリィちゃんが赤ん坊を産んだとしても、その母乳は誰も味わガッ――」
はい、いつもの。
今回は特に気持ち悪いというかなんというか、マニアックな発言を口にしかけた元春がマリィさんによって爆殺され、そんなマリィさんが膝から崩れ落ちるその様を一瞥、『なにもありませんでしたわよ』と言わんばかりに花が咲いたような笑顔を貼り付け聞いてくるのは、
「それで、虎助はなにを悩んでいますの。
資金に問題がないようでしたら、一通りの商品を揃えれば問題はないのではありませんの」
「そうですね。オムツとか哺乳瓶とかはあまり問題はないんですけど。
産着とかは赤ちゃんによってはすぐに着られなくなってしまいますし、
ベビーベッドも、死亡事故とかが心配ですから、どれを選んだらいいものやらと迷っていまして」
「産着はなんとなく理解できますが、赤ちゃんのベッドで死亡事故ですの?」
僕の解説に凄く驚いた声を上げるマリィさん。
「ええ、赤ちゃんは時に大人が予想しない動きをしたりするみたいですから、どうみても挟まらないような場所に頭などを突っ込んだりして窒息なんて事故もあったりするみたいでして――」
と、この手の話は定期的に聞く話だと前置きしながらも、聞きかじった実例を交えながらいろいろと説明したところ、マリィさんからしてみるとそれは衝撃の事実だったみたいである。
「そ、それは恐ろしいですわね。
た、ただ、今回の場合はその心配はないのでは?
エドガーでしたか、少なくとも、あのフクロウが主の子供の監視を怠ることは無いでしょうから」
「そうなんですよね」
ここまで見てきたエドガーさんの性格を鑑みるに、パキート様の赤ちゃんに、それは――、それはもう過保護といわんばかりの対応を取ることは火を見るよりも明らかだ。
ゆえに、ベビーベッドの件は、今度エドガーさんがいらした時に、その危険性と合わせて相談をするのがベターかなと、僕が最終的な判断は彼に丸投げしようと決めたところで、マリィさんの爆殺攻撃から早くも復活してきた元春がふらつきながらも立ち上がり。
「そ、そういえばよ。出産のフォローとかはどうすんだ?
さすがにあの森ん中じゃ医者とか呼べねーよな」
「ああ、そっちね。
そっちは今のところ、母さんと連絡が取れるようにって準備してるよ。
当然といえば当然なんだけど、出産経験者だし、母さんならなんとかしてくれるんじゃないかと思ってね」
「な~る。
だけどよ。さすがのイズナさんでも産婆経験とかはないんじゃね。
……いや、イズナさんならあるのか?」
うん。母さんならそういう経験があっても特に不思議じゃないよね。
まあ、たとえそれが無かったとしても、母さんなら、なんとかしてくれるんじゃないかって期待が大いにあるのだ。
ただ、それでも、母さんにも仕事があるから、タイミングによっては連絡が取れない場合もあると考えて、その時には賢者様にフォローを頼んであると僕がそう言うと、マリィさんが警戒するように目を細めて、
「ロベルトにですか?」
「賢者様はアニマさんなんて存在を生み出すほどの錬金術師ですから、そういう知識に詳しいかなと思いまして」
賢者様はホムンクルスなんて存在を一から作り出してしまうような人である。
だから、人の出産に関する知識にも詳しいのではないのかと、赤ちゃん特有の病気や危険にも詳しいのではないかと、そう思って声をかけてみたのだが、ふだんの賢者様を知っているマリィさんとしては不安があるみたいで、「ロベルトだけというのは心配ですわね」と心の底からそう言って、
「お母様にも声をかけておきましょうか」
「ユリス様にですか」
「ええ、お母様は私達がいない午前中、よくこの店に顔を出しているそうですから」
成程、たしかに、マリィさんが領主の仕事をしている午前中、ユリス様はよく万屋に顔を出していたりする。
マリィさんは、そんな僕も含めて常連客のほとんどがいない午前中に、なにかハプニングがあった場合を想定して、事前にユリス様にお願いを入れておこうと言うわけか。
「そういうことでしたら、そうですね――、気にするようにお願いしておいていただけますか」
正直、万屋としては、ユリス様にまで迷惑をかけるのはどうかと思うのだが、今回の赤ちゃんの出産に関しては、僕たちもそれほど役に立てないと思う。
ソニアですら完全に専門外だからね。
それならば、出産の経験があるユリス様に声をかけておくのは、悪くはないアイデアなのかもしれない。
僕は特に何も出来ない自分に不甲斐なさを感じながらも、マリィさんに「お願いします」と頭を下げてお願いする。
すると、僕が頭を下げている隙に、和室で黙々と携帯ゲームをしていた魔王様が、ぬるっとカウンターの方へとやって来て、
「……フルフルとか呼ぶ?」
「フルフルさんですか、どういうことでしょう?」
話の流れからして、魔王様のそれがロゼッタ姫の出産に関わる提案であることは理解できるのだが、
どうしてここでフルフルさんの名前が出てくるのだろう?
魔王様の突然の提案に、僕が頭上に小さな疑問符を浮かべつつも、その真意を確かめてみると、魔王様ではなくマリィさんが、
「祝福なのではありませんの? 妖精は子供の味方ですから」
ああ、言われてみると、たしか妖精にはそんな逸話みたいなものもあったような。
まあ、妖精の伝承というのなら、それとまったく逆のパターンもあったりするんだけれど。
魔王様がわざわざ言うってことは悪いようにはならないのだろう。
ということで、
「では、その時になったらお願いします」
「……わかった」
魔王様は軽く頭を下げる僕に一つ頷くと、頭の上からずり落ちそうになるシュトラを抱きかかえるように和室へと戻って、
「しっかし、妖精の加護とか、その赤ん坊は贅沢だな」
再び復活の元春である。
まるで生まれたての子鹿のように全身をプルプルさせながらも、まるで何事もなかったというように、しれっと会話に入ってきた元春に、それは元春の態度へ向けたものだろうか、それとも【G】の実績がもたらす驚異に生命力へ向けたものだろうか、マリィさんが呆れたようなにしながらも。
「過剰なくらいがいいのでは?」
「出産は命がけですからね。
医療設備が整った日本でも場合によっては――って話があるくらいですから」
「そうなん?」
「ほら、ドラマとかでそういう設定とかあるでしょ。そういう設定がありふれるくらいには普通に危険が伴うものらしいよ。
実際、そこまでじゃなくても、途中でダメになっちゃったとか、そういうは話は聞いたことがあるでしょ」
「ああ――」
とはいっても、ロゼッタ姫の場合、もう出産間近ということで、そういった心配はないだろうけど、出産を目前にして急な破水――、そこからの緊急出産なんてパターンもあるみたいだから、その辺は気をつけないとね。
「でもよ。出産っていったら、ふつう病院とかでするもんなんだよな。
そっちの方はどうするん?」
「自宅出産なんて方法もあるから、そこまで気にする必要はないと思うけど。
余裕があったら魔王様の拠点作りに使った余りのボックス型の建物と浄化系の魔法で対応してもらおうと思ってるよ」
「なんか本格的だな。
待てよ。
ってことは分娩台も?」
「いや、それは別に必要なくない。
……でも、分娩台くらいならリーヒルさんの変形とかでなんとかならないかな」
「おお、リビングメイルの上でおっぴろげの姫様とかもえ――」
本当に君は学習能力というものがないのかな。
ズドン。ぐるん。ゴシャアァァアア――と、マリィさんの天誅を受ける元春。
そして、マリィさんはというと駆除した害虫にもう興味がないと一顧だにせず、ただにこやかに微笑んで、元春のおバカな発言で微妙になった空気を変えるように聞いてくるのは、
「しかし、例のボックスが余っているということは、マオの城は完成したということになりますの?」
「……ん、みんなの部屋ができた」
「それはおめでとうございますの。
しかし、マオが作ったお城ですか、ちょっと気になりますわね」
「……来る?」
「ええと、それは――」
「あれ、マリィさんには話していなかったかもしれませんが、最近、魔王様が暮らす森に不審な輩がやって来ているみたいで、魔王様のところにもいろいろと遠隔操作が可能なゴーレムを配備しましたので、それを介してなら、見学ができますよ」
「あら、そういうことですの。
でしたら、マオさえよければ伺わせていただきますの」
「……わかった。楽しみ」