国境付近の隠し砦
「ちょっと面倒なことになったのかもしれません」
時刻は午後八時過ぎ、元春はもちろん、マリィさんも魔王様も帰宅した店内で、僕は念話通信の向こうのレニさんにそんな報告をしていた。
『どういうことでしょう』
「実は今日、森の境界あたりに怪しげな武装集団が集まっているのを見つけまして、とりあえず、そのご報告をと思いまして」
いつもよりも二割増しで目を吊り上げるレニさんに、簡単にではあるが僕が状況を伝えると、
『こんな辺鄙な森に武装集団だと。もしや盗賊か?」
フレアさんがその報告を遮るように聞いてきて、
「それが、全員が全員、同じような鎧を着ているみたいで、
どこか、国か組織が絡んでいるみたいなんですよね」
『正規の兵だと。となると戦争か』
「いえ、それはないんじゃないかと――、
集まっているといっても五十にも満たない人数ですから――」
まあ、この近くに軍隊が展開していて、そこに夜襲を仕掛けるとかなら、それくらいの人数でも戦争という言葉も当て嵌まるのかもしれないが、周囲にそんな軍隊が出張っているような気配もなく、ただただ謎の武装集団だけがそこに固まっているとなると、その目的がいまいちわからない。
僕がそう言うと、フレアさんもその意見には納得してくれたようだ。
ただ、次の瞬間、フレアさんはハッと気付いたように顔を上げて、
『もしや、ロゼッタ様を狙って――』
「そうですね。可能性としては一番ありそうな可能性なんですけど、それだと彼等がいる場所がおかしいんですよね」
どういった方法なのかは未だによくわかっていないが、少なくとも、ルベリオン王国がロゼッタ姫が例の鉱山街にいたという事実を掴んでいたのは間違いない。
もしも今回、魔王様が見つけた兵士達が、その情報を元にロゼッタ姫を確保しようとしているという勢力だったのなら、最後に姫が目撃された地点から、しかも数ヶ月たったこのタイミングで、鉱山街からそれなりに距離のある、こんな場所に網を構えるなんてあまりないのではないか。
むしろ、発見からすぐに、鉱山街から伸びる街道沿いにその網を張るのではなかろうか。
僕がそう言ったところ、それにはレニさんも同意してくれたみたいで、
しかし、主とその奥方であるロゼッタ姫の障害になるかもしれない勢力が、森の近くに潜んでいるというのは、レニさんにとって見逃せないことなのだろう。
『それで、その連中はどこにいるのです?』
それがたとえ自分達と関係ない勢力だとしても、主の安全を思うなら先に排除しておくべきだと、表面上、冷静に聞いてくるのだが、
「教えるのはいいんですけど、殺さないでくださいよ」
『どういうことです?』
次の忠告にモニター越しのレニさんの細い眉がすっと釣り上がる。
レニさんとしては、僕が人間ということで相手に情けをかけようとか、そう思っているのかもしれない。
だけど、それは完全なる誤解である。
「彼等がなんでこんなところにいるのかまではわかりませんが、どちらにしても、国境沿いに展開している集団が突然いなくなってしまったら、その調査にまた誰かが派遣されて来るなんてことになりませんか」
『その可能性は高いでしょうね」
そう、彼等がどういう理由で、レニさん達がこれから拠点としようとしている森の側に留まっているのかは不明だが、もしもそんな彼等が忽然と姿を消したとしたら。
なにが起こったのだろうと、少なくとも、彼等をここに派遣した何者かが調べに入るだろう。
そうなってしまっては面倒だ。
「なので、僕としては彼等には自発的に帰ってもらいたいんです」
『自発的にですか』
そう、あくまで自発的――、
自発的に帰ってもらうことが重要なのだ。
そして、その方法はというと。
『なにか作戦でもあるのですか』
「そんな作戦というほどのものでもなくても、
単純に圧倒的な戦力をもってして追い返すのが手っ取り早いのでは」
ただ、そうなると、問題なのはその人選で、
「僕としてはその役目をリーヒルさんにお願いしたいんですけど」
『リーヒルにですか、それはどうしてかと聞いてもよろしいでしょうか』
謎の武装集団への対応にと、すぐにリーヒルさんを指名する僕に、レニさんがやや不満そうに聞いてくる。
ただ、その不満はリーヒルさんに問題があるというよりも、単にレニさん自身が件の兵士達を相手にしたという思いが強く現れているみたいだ。
しかし、今回は相手方に丁重にお帰り願うのがその目的だ。
なので、顔が売れているレニさんだと、逆に敵を引きつける結果になってしまうかもしれないのだ。
その点、リーヒルさんなら、たとえばスパイダーモードに変形して、毛皮などで偽装をすれば、もう魔獣にしか見えないと思うのだ。
それに、その対象が蜘蛛型の魔獣の場合、素材的にあまりおいしいものもなく、その習性から、住処に立ち入りさえしなければ襲われることはほぼないという結論に至る可能性が高い。
だから、こちらが圧倒的な力を見せれば、相手もわざわざ寄って来ないのではと、僕がそんな考えを伝えたところ、レニさんも僕と同じような結論に至ってくれたみたいだ。『しかたありませんね』と、諦めたようにリーヒルさんを呼びに行ってくれて、作戦の準備に入ることになる。
ちなみに、リーヒルさんの変装にはレニさんたちが駆除した森の魔獣の素材を使うことになった。
現在、レニさん達がいる森にいる魔獣は、そこそこ強い個体もいるそうだが、基本的に狼やイノシシなど、定番の動物から変化した魔獣だそうで、それなら、万屋から新しくなにかカモフラージュに使う素材を購入してくるよりも安上がりな上、時間の短縮にもなり、あくまで、ただの変装に使うだけのものなら適当な処理でも問題なく戦闘に使えるということで、これを利用することになったのだ。
しかし、それは、あくまで使い心地を考えないという前提条件があって、
『気持ち悪いのであるが』
どうやら、リビングメイルであるリーヒルさんにも触覚のようなものがあるみたいだ。
ろくに処理もされず貼り付けられた毛皮が気持ち悪いとクレームをつけてくるのだが、
レニさんはそんなリーヒルさんのクレームを『我慢しなさい』という一言で一蹴。
作業を進めつつも、通信越しに聞いてくるのは、
『リーヒルのサポート体勢はどうしましょう』
「そうですね。お二人には、相手側に姿を見られないようにフォロー役をしてもらうということでお願いできますか、それ以外のフォローはこちらでしますので」
『よいのですか?』
「砦を急襲するならリスレム達の監視網が役に立つでしょうし、僕がやった方がいいかと」
『それは、そうですね――』
『頼んだぞ』
「了解です」
そして、
「では、襲撃は兵士が動き出す早朝ということで、僕はこの辺で休ませてもらってもいいでしょうか」
『そうですね。時間も時間ですから、
リーヒルはともかく、我々も偽装が終わり次第、休んだ方がよさそうですね』
『そうだな』
『待ってくれ、それは、その間、我は魔獣の皮を貼り付けられたままだということであるか』
最後、リーヒルさんの嘆きが聞こえた気もするが、あえて無視されたことは言うまでもないだろう。
◆
朝もや立ち込める森の外れ、ひっそりと建つ石組みの建物近くの雑木林にリーヒルさんは潜んでいた。
ちなみに、打ち捨てられた砦のような石組みの建物は、見た目こそオンボロに見えるが、建物自体はちゃんとしたもので、この外観はわざとそうしてあることが、調査の結果、判明している。
おそらくは、この建物を管理する国なり組織なりが、国境沿いの拠点として、怪しまれないようにわざとそういう見た目に作ったのだろう。
『敵は?』
「建物の周囲に四名、内部に四十といったところですかね。
とはいえ、鍵がかかってる部屋とかもありますから、これよりも少し人数は増えるかもしれませんが」
すっかり大蜘蛛の魔獣のような姿になったリーヒルさんに僕がやや曖昧に答える。
レニさんへの報告から数時間、僕が休んでいる間にも、ベル君やエレイン君がこの周辺の調査を引き継いでいてくれたのだが、砦の内部にはリスレムでも侵入が難しい区画が存在しているらしく、さすがに半日という時間では、その内部まで調べることは不可能だったのだ。
ただ、それでもなにも情報がない状態で戦うよりも、ずっとマシな状況で、
『ふむ、承知した』
「と――、あと、これは夜中の話になるんですけど、国境側からやって来た人物と砦の兵士の間で情報のやり取りがあったそうです」
僕が仮眠を取っている間、リスレムを通じて監視をしてくれていたベル君の話によると、夜の闇に紛れて砦に入った隠密が一人の兵士に手紙を渡したのだという。
まあ、その手紙はその彼が読んだ後にすぐに燃やされ、その内容までは知ることが出来なかったのだが、
『近々、なにかしらの動きがあるということか』
「かもしれません」
『となると、ここで襲撃を成功させることが必須ということになるのか。
で、突入の方法はどうするのだ。例のアレを使うのか』
「いえ、ここは魔獣に扮したリーヒルさんの縄張りだと、相手側にそう知らしめなければなりませんから、なにをするにも、まずはこちらの存在をアピールしてからということでお願いします」
そう、今回の目的は、あくまでこの森に危険な魔獣がいることを砦の兵士達に知らせることにある。
ゆえに、相手側には、自分達がなにに襲われたのかをきちんと把握してもらわなければならず、こうしてわざわざ敵が活動を始める、早朝の襲撃となったのだ。
『そうであったな。
では、派手にいくとするか』
「そうですね。
でも、その前に、ここにも罠を仕掛けておきませんと、
間違って森に入られても面倒ですから」
『承知した』
ということで下準備。
乱戦の中、敵が森に逃げ込んでしまう場合を考えて、レニさんとフレアさんが手分けして周囲の森にも仕掛けてくれている罠を、リーヒルさんにもここにもしかけたところで、その二人と連絡を取り、下準備が完了したことを確認する。
そして、朝もやにまぎれて砦へと接近すると、スパイダーモードの機動力を全開にして砦へと突撃。見張りの兵士を一人、前足で殴り飛ばす。
ちなみに、この攻撃はもちろん手加減をしてもらっている。
というよりも、今回の戦いでは、相手を怪我させないようにと、リーヒルさん自身に〈柔鎧〉という柔らか結界魔法がかけられているのだ。
そんなリーヒルさん攻撃をもろに喰らい、吹き飛ばされる兵士。
そして、勢いよく中を舞う同僚に、同じく見張りをしていた兵士達がフリーズ。
しかし、その暴力が自分に向けられるとなれば呆然としてもいられない。
一人、二人と、見張りの兵士が吹き飛ばされたところで、唖然としていた最後の一人が再起動。
『敵襲だ』という声が響き、砦の内部から十数名の兵士達がわらわらと走り出てくる。
ちなみに、そんな後発の兵士達は、そもそもここに誰かが襲撃するなんて事態を考えていなかったのか、『こんな朝っぱらからどこのバカが攻めてきやがったんだ』とか『まったくそこらの魔獣なら見張りだけでなんとかして欲しいぜ』と、あからさまに気だるそうな余裕を振りまいていたのだが、彼等の威勢も、砦から出たところで一気に霧散してしまう。
まあ、いまのリーヒルさんはおどろおどろしい大蜘蛛の魔獣にしか見えないからね。
油断したところに、巨獣かと言わんばかりのリーヒルさんが攻めてきたのだ、思考停止してしまうのもわからないではない。
しかし、中には切り替えが早く、勇猛果敢な人物もいるもので、兵士達の数名が、やられた仲間の仇だと、ズタボロにされた仲間を見て――実際は吹き飛ばされただけなのだが――リーヒルさんに斬りかかるのだが、リーヒルさんの猛攻はむしろここからが本番だった。
貼り付けられた皮の感触が原因か、やや低めだったテンションを一転、スイッチを切り替えて、襲いかかる勇猛果敢な兵士達に『その意気やよし』とどこかで聞いたようなセリフを口ずさみ。
『――』
金属が軋むような不協和音を撒き散らす。
ちなみに、これはリーヒルさんが直接叫んでいるのではなくて、その金属ボディを利用した、ちょっとした音響魔法だったりする。
仕組みは単純、鎧内部で発生した軋音を増幅させて外に放ったものなのだが、
それが、聞く人が聞けば鳥肌が立ってしまうような金属の擦れる音を増幅したとしたらどうだろう。
特に、至近距離でその音を聞いてしまった人はたまらない。
結果的に勇猛果敢な一部の兵士達はその場でうずくまることになり、先に吹き飛ばされた仲間と同じ運命に――、
そして、恐怖からリーヒルさんに近づかなかった兵士達はといえば、音の被害は軽微なものの、それゆえに近付いてリーヒルさんに殴り飛ばされた兵士達の姿を目の当たりにすることになり。
『ひ、ひぃ、化け物』
一人の兵士が逃げ出したのをきっかけに数名の兵士が逃げ出す。
そして、残る兵士達も、唸りをあげて振り払われたリーヒルさんの一撃によって、建物の一部までもが破壊されてしまった事実を目撃してしまうと、これはダメだと砦を放棄、逃走を始めるのだが、あまりに情けない兵士達の状況に、なにか思うところがあったのだろうか、リーヒルさんは大きく前足を振り上げるようにして『悪い子はいねが』とばかりに彼等を追いかけ始める。
すると、追われた兵士達の一部が森の中に逃げ込もうとして、
『なんだよ。これ、動けないぞ』
『糸だ。糸が木々の間にはめぐらされている』
おっと、うまい具合に罠に引っかかってくれたみたいである。
そう、これは、リーヒルさんが、そして、レニさんとフレアさんが、突入の前に森の各所に仕掛けてくれた罠。ミストさんから提供された糸の表面に接着剤を塗布、周囲の枝に絡めておいた逃走防止の罠である。
と、まさに蜘蛛の巣に捕えられた獲物となってしまった兵士達を見て、リーヒルさんが行きがけの駄賃だとばかりに、逃げ遅れた兵士達を薙ぎ倒しながらゆっくりと近付いていって、獲物達を前にゆっくりとその歩みを停止。
カシャンカシャンとまさに獲物を前にした蜘蛛のように前顎――のように見えるアーム――を動かしたリーヒルさんは、その口元から紫色の煙を吹き出させる。
これは彼等の装備するただの金属製の武具を溶かす毒霧。
ヴリトラのブレスを解析、錬金術で再現したそれである。
そんな毒霧に巻かれ、装備を溶かされた兵士達は慌てふためく。
『おい、ヤバイぞ。鎧が溶けてる』
『酸? いや、この色は毒か?』
『クソ、このままじゃ食われちまう。なんとかしろって』
『なんとかしろってったって、この糸が切れねぇんだよ』
そして、
『ヤ、ヤツが近付いてくるぞ。魔法が使えるヤツは魔法を放て』
『いや、そうだ。魔法だ。火の魔法ならこの糸を燃やせないか』
誰かの声に、魔法が使えるものがいたのだろうか、すぐに火の手が上がり。
しかし、魔王様の拠点に住まうアラクネさん達が作り出す糸は、【精霊の加護】によって炎に対しても強い耐性を持っている。
結果、彼等は動けないままに糸に点いた炎に巻かれることになり。
『うわああぁぁぁぁぁ――っ!!』
『だ、誰だよ。魔法を使えなんてバカなことを言ったヤツは』
『誰か、誰か、助けて』
『水だ。水を出してくれ――』
このままだと、彼等が死んでしまうかもしれない。
ということで、ここで僕は砦の周囲の森に潜むレニさんとフレアさんにメッセージを送り、魔法剣の発動元としてフレアさんに持たせておいた水のディロックでの消火を頼み。
ただ、その所為で一部の兵士達がその水流によって蜘蛛糸トラップから抜け出すことに成功したみたいだ。
突然の水流に驚きながらも助かったことを喜ぶ兵士達。
しかし、気を抜くにはまだ早過ぎる。
『Gyuwaaaaaaaaaaaaa――!!』
兵士達から小さな歓声が上がった次の瞬間、戦場に謎の奇声が響き渡ったのだ。
ちなみに、この声はリーヒルさんがさっき使った音響魔法ではなく、少し放れた場所からサポートをしてくれているレニさんが魔法窓を展開し、某ゲームの飛竜の鳴き声をそのまま大音響で流しているだけだ。
ただ、兵士達にとっては、いまの状況も合わせて、それが酷く恐ろしいものの鳴き声に聞こえてしまったのかもしれない。
さっきまでの歓声ははどこへやら、警戒に腰を浮かせて、周囲に視線を泳がせる。
と、ここで更にダメ押し。
森の奥から鉄砲水が押し寄せる。
ザザァと押し寄せる鉄砲水に、各所から悲鳴が上がり、慌て逃げようと振り返る兵士達。
しかし、今更気づいてももう遅い。
森の奥から押し寄せられた大量の水に兵士達は巻き込まれ。
『ぎゃぁぁぁぁああ!?』
『なんだこりゃ。水が、水が痛い』
『まさか、これもさっきの毒みたいな――』
と、兵士達は思わぬ水の攻撃力に戸惑っているが、
実はこの水、ただ水のディロックを使って呼び出しただけでなく、それと同時に唐辛子爆弾を使ってカプサイシンをプラスしたものなのだ。
名付けるとしたら灼熱の鉄砲水。
そんな恐怖の鉄砲水にけたたましい悲鳴を上げながら森の外へ流されていく兵士達。
僕はそんな兵士を映像越しに眺めながらも、
「このくらいで大丈夫ですかね」
『少々やり過ぎたきらいもあるが、姫の安全を思うならばやむを得まい』
何気ない僕の呟きにリーヒルさんがそんな言葉を返してくれる。
そして、
「問題は逃げ遅れたこの人達なんですけど……」
先の鉄砲水で大半の兵士はこの場から姿を消したけど、全員が全員、リーヒルさんの魔の手から逃れられたのではなかったみたいだ。
数名の兵士がまだ糸に絡められていて、今の鉄砲水のショックで失神。死屍累々とした姿をその場に晒していた。
と、僕がそんな兵士達をどうしようかと考えていたところ、この状況を生み出した一人である、レニさんが森の奥からやって来て、
『蜘蛛の魔獣は捕えた獲物を保存しておく習性があるといいます。なので、このまま糸で拘束した上で放って置くというのはどうでしょう。ナイフを持っているようですから、放っておいても逃げるでしょう』
「それが妥当ですかね」
ふむ、たしかに、これ以上、僕達がなにかする必要はないのかも。
ということで、レニさんのアイデアを採用。
さて、そろそろ朝のトレーニングの時間だ。
後の処理は三人に任せて、僕は落とさせてもらおうか。
◆次回は水曜日に投稿予定です。
毎度、誤字の報告ありがとうございます。暇を見ては訂正を進めております。