吸血姫、アヴァロン=エラへ降り立つ
◆新章開始です。
それは五月も半ばを過ぎたある日の放課後、巨大な鎧を引き連れた男女二人組が万屋にやってきた。
ちなみに、件の鎧の一人はさすがにお店には入れないみたいで、入り口の側で待つみたいだ。
まるで相方を失った金剛力士像のように店の前に佇む大きな鎧を残し店に入ってきた二人組に、僕が「いらっしゃいませ」と声をかけると、
「久しぶりだな虎助」
そう挨拶を返してきたのは真紅の鎧がトレードマークのフレアさん。
そんなフレアさんに続くように店に入ってきたのは、魔王パキートの忠臣の一人レニさんだ。
彼女はレアな素材をふんだんに使った万屋の商品を物珍しそうに見回すと、「はじめまして」と僕が軽く下げた頭に対して、「こちらこそ初めまして」と優雅に一礼してくれる。
さて、どうしてここにフレアさん達がいるのかというと、魔王パキート――、いや、この場合、身重のロゼッタ姫といった方が正しいかな。
いろいろあって様々な方面から追われている二人の為に、僕たち万屋がとある安全な森を提供することになったのだが、その森に魔王パキート御一行が住まう拠点を作らなければならないと、その準備の為に、ゲートからゲートへのそ移動、のついでにここに寄り道をしたというわけだ。
ちなみに、三人がここまでの移動に使ったゲートは、三人が使用したすぐ後にその機能を再び停止させてもらっている。
だから、間違って誰かがそこに迷い込んだとしても、魔王城から他の土地への移動はできないようになっている。
まあ、もともと魔王パキートがそうしたのか、各ゲートへの入り口には、その部屋が見つからないようにと幻惑の魔法がかけたあったみたいだから、魔法的な看破能力が相当高くでもない限り、そうそうゲートがある部屋には入れるものではないのだが……。
「それで、ご注文の通りでいいんですよね」
「そうですね。本来なら、主には以前と変わらぬように過ごしていただきたいのですが」
「さすがにそれは――」
「ええ、私もそれが難しいことくらいわかっております」
ちなみに、僕とレニさんが交わすこの会話の内容は、森に作る拠点をどのようにするのかという話である。
レニさんとしては、それが緊急避難的な場所だったとしても、そこが魔王パキートの居城となれば、魔王パキートに不自由がないようにと設備を整えておきたいみたいなのだが、ただ、やはりそこは、場所柄というか――、時間的余裕もあまりないこの状況で、思い描くような拠点を作ることは難しいと、いや、生活環境だけというなら、可能な限りその要望に答えたものを作れるのだが、研究者としての側面を持つ魔王パキートに満足してもらえるような施設はさすがに作れない。
なので、そこのところは、後で森を切り開いたり、地下室を作ってもらったりすることで対応してもらうことになった。
というか、あえてそうやって森を開発するなら、むしろ、再整備した転移ゲートを使って魔王城に帰還、いまもあの城の探索を続ける冒険者をどうにかした方が手っ取り早い気もするのだが、ただ、それをすると魔王パキートがルベリオン近郊に戻ってきたことを喧伝するようなものなので、その辺の判断はおそらくロゼッタ姫の出産が終わってからの話になると思う。
「それで、件の森の様子を聞いてもいいでしょうか」
「そうですね。そこは魔素の濃い森らしく、強力な魔獣がそれなりの数ひそんでいるみたいですね。
ただ、魔王城とその周辺を管理していたレニさん達なんとかなるのではないかと」
とはいえ、ロゼッタ姫の安全を万全に考えるのなら、魔王パキート一行が森に到達する前に大規模な間引きをしておいた方がいいのではないかということ、そして、それだけが理由ではないのだが、三人の装備の更新をしておいた方がいいのではないかと言ったところで、
「装備の更新ですか?」
「とはいっても、メインはリーヒルさんになりますかね。前の交信でガルーダモードがうまく使えないというお話でしたので、その改善と、拠点作りに便利なオプションを幾つかつけようかと思いまして」
ちなみに、これは、拠点確保のために木々を伐採するのに便利なチェーンソーや、その後の拠点作りに使えそうな各種工具の代わりとなるものだったりする。
「確かにそれは必要かもしれませんね」
「では、俺達には特になにもないと?」
「いえ、お二人にも用意しておりますよ。
まず、フレアさんの場合は陽だまりの剣の強化ですね」
「ソルレイトの強化?」
「正確に言うと陽だまりの剣に宿る精霊を強化するための準備のようなものでしょうか」
そう、せっかくだからこの機会に、フレアさんの陽だまりの剣に精霊の卵の殻を錬金合成して、剣に宿る精霊の成長を促そうと考えているのだ。
「ああ、これにお代はいりませんから」
この実験によって欲しいものは陽だまりの剣がどうなっていくかというその情報。
それに、現在逃亡生活まっただ中のフレアさん達――は違うか、レニさん達には資金的な余裕があまりないと思うからね。
「それとレニさんになんですが、メイド服と魔法のブーツくらいは用意したんですけど」
そう言って取り出すのは、ミストさん制作のメイド服とベヒーモの革で作ったブーツに〈追い風〉やら〈空歩〉やらの魔法式を刻み込んだ魔法のブーツ。
実はこれ、レニさんの為に作ったものではなく、マリィさんのところのメイドさん達のために作った装備の試作品。
しかし、その能力はなかなか高く、魔法のブーツなんかはうまく使えば森の中での行動のサポートにつながるのではないかと思う。
と、そんな説明を織り交ぜつつも、このメイド装備一式を格安で譲り、他になにかリクエストでもあれば万屋で可能な限りのサポートをすると――もちろん対価は必要だが――そんな話していたところ、ここでまたゲートを通って誰かがこのアヴァロン=エラへとやって来たみたいだ。
突然、立ち上った光の柱に、レニさん――と、おそらくはリーヒルさんもだろう――が警戒する中、現れたのは小型の黒龍。そうリドラさんだ。
「おお、あれは賢龍殿ではないか」
そして、ゲートから現れたリドラさんを見つけて店から飛び出すフレアさん。
一方、レニさんはというと、龍種と対峙した経験はないのかな。
緊張も顕に硬い声で問いかけてくるのは、
「間宮殿、かの龍はいったい?」
「あの方は他の世界の魔王様の眷属で、黒龍のリドラさんです」
「他の世界の魔王様?」
「はい。いまもこのカウンターの奥にいるんですけど」
「その、それはどういう意味で?」
僕の説明に『なにを言っているのかわからない』とレニさんがそう返す。
まあ、許可のない人にはカウンターの奥が見えないようになっているから、レニさんがそんなリアクションになってしまうのも無理もないけど、この説明をする前に、先に店の外にいるリーヒルさんにちゃんと説明をしておかないと、フレアさんが初めてリドラさんに出会った時のようになりかねないからと、僕はリドラさんの登場に困惑するしかないでいるレニさんを引き連れて万屋の外へ。そして、入り口で固まっていたリーヒルさんと一緒に簡単な説明をするのだが、
まだ現実を受け入れるのには時間がかかるかな。
僕は呆然とするレニさんのリアクションに、彼女への対処を一旦保留。
フレアさんと一緒に店の前までやってきたリドラさんに「いらっしゃいませ」と定番の挨拶をして、
「今日はお早いですね。なにかありました?」
「いや、今日は我が君をお迎えに来たのではなく。相談があってきたのだ」
おっと、どうもリドラさんのご用事は魔王様のお迎えではなく、また別の理由でここを訪れたみたいだ。
ということで、リドラさんのお話を聞くためにも、あと、どうせだから、このついでにリーヒルさんのパワーアップもついでにやっちゃおうということで、リドラさんと楽しげに会話を交わしていたフレアさんに茫然自失のレニさんの誘導をお願い。
僕はリドラさんと――、それは種族的な素養なのか、すぐに正気を取り戻したリーヒルさんとお話をしながら工房裏にある世界樹農園を目指す。
すると、その道中、同じ魔王様に仕えているという共通点からか、リドラさんとリーヒルさんの会話が弾んでいるようで、
「まったく外の連中は我が君の広いお心を理解しておらぬ」
「その言葉から察するに、なにやらそちらももちらで大変なようですな」
「ですな。我が力を振るえたのならばそれが一番なのですが、それをすると主が悲しむもので」
「お互い、苦労しますな」
「然り然り」
そして、辿り着いた世界樹農園でもレニさんはまたびっくり。
「なんですか、なんなんですかこの場所は――」
そういわれましても、このアヴァロン=エラはこういう場所とご理解していただくしかないのですが……。
と、結局、僕はレニさんがふたたび落ち着くまでの間、リドラさんのご用件やリーヒルさんのパワーアップをして過ごすことになるのだった。