エルマが帰った万屋で
潜水艇の実地試験が終わって二日、ソニアによる点検を受けた潜水艇は、その後、幾つかの改良点が加えられて、ついに完成を迎えた。
そして、この日、エルマさんがご自分の世界へと帰ることになった。
早朝、ゲートの前に並ぶのは僕・元春・次郎君・正則君と制服姿の地球組。
その対面には万屋製の装備を身に着けたエルマさんにプイアにヤートと揃っていて、
「お別れですね」
「はい。少し寂しいです」
「研究が進めば、また来れるようになるかもしれませんから、その時はお願いします」
「期待しています」
昨日、すでにささやかなお別れ会をやっていたということで、ここでは軽く挨拶だけ。
エルマさんとその従魔たちには、あらかじめゲートの近くに呼び出してあった潜水艇に乗り込んでもらって、見送りに来た僕達がそれをゲートまで押していくことになる。
ちなみに、僕達が押す潜水艇の下には、近所のホームセンターで仕入れてきた無垢板で作ったフローティングボードが敷かれている。
これを使えば僕達も簡単に潜水艇を運ぶことが出来て、エルマさん達も、戻った先でおちついてその後の行動を決められるというものだ。
というわけで、「よっしゃ行くぞ」という正則君の掛け声に合わせて、僕達はフローティングボードに乗った潜水艇をゲートまで押していき、転移に伴う光の洪水に巻き込まれた次の瞬間、僕達は自宅のリビングに立っていた。
そして、
「行っちまったな」
「ああ、行っちまったな」
「では、学校へ行きましょうか」
「って、ジローそりゃタンパク過ぎんだろ。もうちょっとアンニュイな気分に浸らせろよ。
つかよ。今日はもう一仕事したんだし休みでいいんじゃね」
エイルさん達との別れに、なにやら雰囲気を出して言葉を交わす元春と正則君。
しかし、次郎君としてはエルマさんにそこまでの思い入れはないのかもしれない。元春と正則君が浸るエルマさんとの別れの余韻をぶった切って、さっさと学校へ行こうと歩き出す。
と、そんな次郎君の態度が原因なのか、それともゴールデンウィークを間近にして、もう休み気分に入っているのか、元春がまるで小学校に入りたての子供のように駄々をこねるも。
「なに言ってるのさ。今日と明日行ったらゴールデンウィークなんだから頑張ろうよ」
「ですね」
問答無用。僕達はそう言うと元春を引き摺り学校へ行く。
そして放課後――、
新入生の指導に忙しい次郎君と正則君と学校で別れた僕達はいつものように万屋に出勤する。
因みに、新入生が部活動に参加し始めたこの時期に、元春が暇そうにしているのは、つい一週間ほど前の新入生の勧誘期間にまた何かやらかしたらしく、部活動が停止中だからとのことである。
まあ、そのやらかしたことによって有望な新人が見つかったというのだから、またなんといったらいいものやら。
とにかく、そんなわけで元春と連れ立って万屋に来たのはいいけど、朝に始まった元春のだらけモードは夕方になっても続行中らしく。
「虎助、元春はどうして、ああもうなだれていますの」
「エルマさんがご自分の世界へと帰ってしまいましたので、少しアンニュイになってるんだと思います」
と、いままではそうなっているんだけど。
いま元春がカウンター横の応対スペースで固まったまま動かないでいるのは、なにか相談したいことがあるということで、珍しくこの時間にやってきたトワさんに原因があると思われる。
「私、見送りにいけませんでしたが大丈夫でしたの?」
「はい。お気遣いなくと――」
マリィさんも魔王様もエイルさんとの別れの挨拶は昨日済ませてある。
けれど、そこは礼儀としての話なのだろう。
今朝、見送りに行けなかったことを気を使って聞いてくるマリィさんに、そのことはエルマさんにも言ってあると、僕があらためてそう伝えると、マリィさんもその言葉に少しホッとしたみたいだ。
口元に微笑をにじませながらも、石化状態の元春の斜向い、柔らかソファに身を沈めると、すかさずお茶を出すベル君に「ありがとう」と一言。
「しかし、元春ではありませんが、毎日のように顔を合わせていた方がいなくなってしまうというのは寂しいものですわね」
たった半月ほどではあったが、毎日のように顔を合わせ、少なからず打ち解けていた相手と急に会えなくなるというのは寂しいものだ。
「エルマさんには異世界通信を可能とする中継機は幾つか持たせたんですけど、常在する次元の歪みの近くに中継機を設置しませんと念話通信も難しいですからね」
世界と世界をつなぐ次元の歪み、もしくはマリィさんのように特殊な魔導器でもなければ、世界間転移はもちろん、念話通信すら不可能となる。
だから、現状どうあってもエルマさんとコニュニケーションを取ることは不可能となっている。
「やはり調査が進まないとどうにもならないということですのね」
「そうですね。エルマさんには転移の現況でもある『掃除屋』の調査をしてもらうべく、マリィさんのところで使っているプテラと同じようなカメのゴーレムを渡しているのですが――」
「すべては結果待ちということですのね」
付け加えるなら、ウミガメ型ゴーレムが調査したデータを受け取ったところで、ようやく調査が始まるといったところなのだが、ここで細かい指摘をしても意味がないと、僕はマリィさんのその結論に「ですね」と答え。
「そういえば、幾人かにもここに戻って来られるようにと対応していたようですが、そちらはどうなっていますの?」
「いまのところは全滅ですね」
アヴァロン=エラのアドレスとも言うべきデータを保存したメモリーカード。
ある意味でアヴァロン=エラへの片道切符となるそれを、僕は何人かのお客様に渡しているが、基本的にそういったお客様は、なんらかの自然現象、もしくは偶然の産物によって生まれた次元の歪みを通って、このアヴァロン=エラに迷い込んできた人である。
ゆえに、もう一度、このアヴァロン=エラに来ようにも、ふたたび次元の歪みに出会さなければどうにもならない。
何人かの興味のある人は、積極的に次元の歪みを探してくれているとは思うのだが、それでもそんな自然現象に出会うことは難しいのだ。
「マオのように自らが歪みを作るという訳にもいきませんからね」
魔王様のように強大な魔力を持つ人間なら、自ら、意図的に次元の歪みを生み出すことも不可能ではないが、それは、最初から魔力が圧倒的な種族か、神に愛されたような存在でない限り絶望的。
「人工的に安定的な転移に関わる歪みを発生させるのはやっぱり難しいですからね。マリィさんの魔鏡に魔王様の魔法、賢者様のところの歪みにフレアさんの世界に存在するゲート。それ以外にもいろいろとデータは揃って来ているんですけど、わずかなコストで安定的にそれを生み出すのはまだ難しいみたいで」
その実験の意味も含めて見込みの有りそうな人に特別な〈メモリーカード〉を渡しているのだが、
「それで、今回、エルマにやけに協力的だったのですね」
「まあ、それ以外にも理由はあるんですけど、だいたいそんな感じですかね」
ソニアによると、『掃除屋』そのものの研究に加えて潜水艇を手にしたエルマさんがその世界の各地を巡ることで、魔法や魔獣のデータや地理的データ、その世界そのものの構成などを調べる目的があるそうなので、マリィさんが言うことが全てではないのだが、
なんにしてもまずは『掃除屋』の調査をするカメ型ゴーレムが戻ってこなければデータの回収がままならない。
ただ、エルマさんをお繰り返してすでに半日、まだなんのリアクションもないということは――、
「実験は失敗だったということですの?」
「いえ、単に『掃除屋』に遭遇できていないということなのではないでしょうか」
たとえ、元の世界に戻ったとしても、その場所に『掃除屋』がいるとは限らない。
エルマさんが『掃除屋』に食べられ、アヴァロン=エラへと転移した、その地点に戻っている可能性だってあるのだから。
「なんにしても、エルマからなんらかの情報が送られてくるまで、こちらとしてはどうしようもないということですわね」
「そうですね」