潜水艇実験
エルマさんに潜水艇シミュレーションを渡した翌日、僕は〈空歩〉が付与されたスニーカーを使って、地元近くの海にやって来ていた。
どうして僕がこんなところに来ているのかというと、完成した潜水艇がちゃんと動くのかを確かめるためである。
本来なら、こういう実験は、安全の為に直接ソニアのフォローが受けられるアヴァロン=エラで行うべきであるのだが、残念ながらアヴァロン=エラに海は存在しないので、わざわざ地球側の海までやってきたというわけだ。
まあ、工房裏の井戸に引きこもる、水の大精霊さんにお願いすれば、一面荒野のアヴァロン=エラでも、大量の水を確保できるのだが、そんな大掛かりなことをディーネさんにしてもらうとなると、後で要求されるのか分からない。
だから、こうしてわざわざ人目を忍んでここまでやって来たという訳である。
ちなみに、現在時刻は午後六時半、
沖の防波堤にいるのは僕と母さん、そして、僕のスクナであるアクアとオニキスの四人である。
夕闇迫る防波堤の上、工房にいるソニアに念話通信をつないだ僕は、懐から取り出した真っ黒な小箱を海へと放り投げる。
すると、小箱を投げ込んだ海面が光に包まれ、酒蔵にある巨大な樽を横に浮かべたような潜水艇が出現して、
「へぇ、これがソニアちゃんが作った潜水艇ね。
すっごいレトロな感じだけど大丈夫?」
「見た目はこんなだけど、性能はソニアの折り紙付きだよ。
わざわざ、こういうデザインにしているのはこれを持って帰るお客様の世界観に合わせているんだよ」
「ああ、そういうこと」
見た目からくる疑問に対する答えに納得した母さんは、波間に揺れる潜水艇を見下ろしながら腕組みをして、
「でも、この船、使えそうね。今度、私もソニアちゃんに使ってもらおうかしら」
「使うって、いったい何に使うつもりなの」
「それは、まあ、いろいろよ」
いろいろって――、
母さんの場合、その『いろいろ』が問題になると思うんだけど。
しかし、母さんがわざわざはぐらかすようなことにツッコミを入れるとなると藪蛇になるのは見え見えだ。
ということで、僕は母さんの言う『いろいろ』というのがなんなのかと聞きたい気持ちをぐっと我慢。
どこか楽しそうにする母さんから逃げるように、海上に出現させた潜水艇の上にダイブ。
巨大な樽を横倒しにしたような潜水艇の中央、飛び出したセイルに魔力を流してハッチを解放すると、潜水艇の中に体を滑り込ませ。
「じゃあ、ちょっと行ってくるからこっちの見張りをお願いね」
「気をつけてね」
こちらを見下ろす母さんに手を降って潜水艇に乗り込んだ僕は、アクアとオニキスが乗り込んだのを確認するとハッチを閉めて、船体前方のコクピットに着席する。
ちなみに、どうして今回、アクアとオニキスが同行しているのかというと、海中で万が一の事故が起きた場合、水と闇を司るこの二人がいれば安心だからだ。
僕はそれぞれに僕の肩の上に乗った二人に「もしもの時はお願いね」と声をかけながらもシステムを起動する。
そして、まずはと確認するのは潜水艇にチャージされるエネルギー。
ちなみに、今回地球側での実験ということで、潜水艇本来のタンクとはまた別に、でっかい乾電池のようなミスリル製の魔力バッテリーを持ち込んでいたりする。
これでメインのエネルギーを使い切ったとしても、水上までの浮上はなんとかできるハズだ。
と、潜水艇を動かす魔力が充分なのを船内に取り付けられた各種メーターで確認した僕は、船体の前後左右を映すモニターを展開。アヴァロン=エラにいるソニアと防波堤に残った母さんとの通信を開くと、水漏れがないのか、船体に不備はないか、それらチェックを行った上で潜水艇を発信させる。
ちなみに、今回、日が暮れて、暗くなった海の中を進むために〈暗視〉の魔法を発動させている。
暗闇での視界確保といえば、〈証明〉をの魔法を使うのが定番なのだが、出港する場所が漁港の近くということで、いや、それ以外にもオニキスとの相性がいいこともあるのだが、ともかく、隠密行動に最適な〈暗視〉の魔法を使うことにした。
と、そんなこんなでひっそりと漁港付近の海域を抜け出した僕は、周囲に船影がなくなったところで通信越しのソニアに声を掛ける。
「それで何からチェックする?」
『そうだね。まずはちゃんと本体はできてるのか、システムは動くのか、基本的な確認からかな。
ってことで、ラファを出してくれるかな』
「了解――」
と、ソニアからの指示を受けて、潜水艇に付与されるマジックバッグから排出したのは、向こうの世界で『掃除屋』の調査を担うことになるカメ型ゴーレムだ。
そう、ソニアが言ったラファというのはこのカメ型ゴーレムのことである。
ちなみに、どうしてソニアがこのカメ型ゴーレムにラファという名前をつけたかというと、無事に次元を超えてアヴァロン=エラへと戻ってこれるようにと、某アメコミヒーローの愛称からとった名前だったりする。
「で、イズナは先行してどんどん潜って行っちゃって、虎助の方はゆっくりとカメを追いかけるように進んで』
「わかったわ」
本来なら、このカメ型ゴーレムは、射出と同時にスタンドアローン状態となり、『掃除屋』の調査を行うことになっている。
だが、今回実験しているのは地球の海ということで、ソニアはラファの制御を母さんに任せたみたいだ。
一方、僕は射出から数秒で海の彼方へと消えてしまったラファを追いかけるように潜水艇を進ませる。
そうして、またしばらく薄闇に包まれた海中を進むだけの状態になるのだが、
数分ほど海中の散歩を楽しんだところで、母さんからの声を届けるモニターから『あっ』と素っ頓狂な声が聞こえてくる。
母さんとしては珍しいそんな声に、なにかトラブルでもあったのか訊ねてみると、
『虎助、アワビがいっぱいいるわ。マップに印を付けておくから、そっちで回収してもらえる』
なにを言うかと思ったら、そんなこと?
『そうだね。マニピュレーターの試験にちょうどいいかな』
そして、ソニアからの提案は確かに重要なことなんだけど。
「あのさ、マニピュレーターの実験はわかるけど、アワビとか勝手に取っちゃっても大丈夫なものなの? 漁業権とかそういうのがあるんじゃないの」
海の中の資源を回収するには、それに応じた権利が必要だったハズだ。
だから、僕のような素人が勝手に取っていいものじゃないんじゃないかと聞くと、母さんはあっけらかんと。
『大丈夫よ。私そういう権利はもれなく取ってるから回収しちゃって」
いつの間にと、そう思わないでもないのだが、その自信満々な声を聞く限り、母さんの言葉に嘘はないのだろう。
しかし、よくもまあそんな権利を持っていたものだと、僕が思っていると、母さんは『まったく』とばかりにため息を吐き出して、
『ねえ、虎助。あなた、今までにも海や山でいろいろな獲物を取ってきたでしょう。あれだって無許可じゃないのよ』
言われてみれば――、
母さん主催のブートキャンプでは、海の幸はもちろん、ウサギとかイノシシなどの狩りも普通に行っていた。それにも一定の許可が必要なのだ。
つまり、母さんは僕たちが問題なく、そういうことができるようにと、あらかじめ手を回していたということなんだろう。
しかし、そうなると、僕がここでアワビを回収しても全く問題ないのかな。
ということで、僕はソニアの指令に従うようにマニピュレーターの実験という名目でアワビのゲットに挑むことになるのだが、この潜水艇に備わるマニピュレーターは、潜水艇と同様に銀騎士を動かすものと同じシステムを使っている。
だから、通常のマニピュレーターを使うよりも遥かに簡単に行うことが可能で、危なげなくアワビを回収となるのだが、
ただアワビは物品ではなく生物なので、その回収にはマジックバッグ機能ではなく、潜水艇の回収ボックスを使わなくてはならない。
だから、マニピュレーターを使い、アワビを回収ボックスにアワビを入れようとするのだが、いざアワビを回収しようとしたその時、潜水艇の前方を捕らえていたモニターが白く煙る。
いったい何が起こったのかというと。
『エイかしら?』
「たぶんエイだね」
砂煙が舞い上がる中、一瞬しか確認できなかったが、あの特徴的な体と尻尾はエイとしか考えられない。
『それで、こういう時はどうするの?』
『〈浄化〉を使うんだよ。虎助』
「うん。わかってる」
白く煙るモニターを見てだろう母さんからの質問に対するソニアの切り返し、その言葉に僕は手元の金属球に魔力を流して、潜水艇に付与されている〈浄化〉を発動させる。
すると、周囲に舞い上がっていた砂煙が霧散して、一瞬でクリアになった視界に母さんが、
『へぇ、便利な魔法ね。
でも、わざわざこれを使うくらいなら、最初から砂煙にも対応した目を用意しておい方が良かったんじゃない?』
『そこは、〈浄化〉に使う場合と視界確保の魔法を常時使った場合のコスト差だね』
いろいろな機能を複合した魔法はそれだけ継続消費量が大きい。
それに比べて、一つ、視界を確保する魔法をパッシブに、それで対応できないシチュエーションには様々な対抗魔法を使うといった運用方法の方がトータル的には魔力の消費量が少なくなるのだ。
まあ、それもどれくらい潜るのかにもよるのだが、
『だから、状況に合わせて基本となる目を用意して、その他ハプニングには別の魔法を使うんだよ』
『納得したわ』
ソニアと母さんが会話を交わす一方で、僕はすっかり元に戻った視界の中、潜水艇を再発進。
そして、また数分、海底を舐めるように船を進めて、そろそろ海底が急激に落ち込む辺りまで来たところで船内に警報音が鳴り響く。
「ソニア。深さ百メートルのところまで到達したみたいだよ」
『水漏れは?』
「いまのところ――、大丈夫かな」
船体が軋むような音もしなければ、水が染み出してきている様子もない。
コクピットから身を乗り出すように狭い船内をくまなくチェックしてみるけれど。
うん、乗った時のままだ。
『見た目はただの樽なのに丈夫なのね』
『ベースになってる古代樹が堅いのもあるけど、その上でいろいろなものをコーティングしてるからね。むしろそっちの方が重要だったりするんだけどね』
『じゃあ、それを使えば見た目は木材でも、相当の強度があるものが作れるってこと?』
『うまく処理してやれば魔鉄鋼に匹敵する強度になるんじゃないかな』
『それは面白いわね』
と、ソニアの説明になにやら含みのある呟きをこぼす母さん。
僕はそんな母さんの言葉に若干の不安を感じながらも。
「ここからどうするの? こっちの実験は一通り終わったけど、ラファの方はまだまだでしょ」
『そうだね。ラファには『掃除屋』の調査をしてもらわないといけないから、できれば一万メートルくらいまで潜って欲しいんだけど』
「いや、そんな深い海なんてそうそうあるものじゃないからね」
ソニアが言うような深い海があるのはマリアナ海溝だったかな。
他にも同じくらいに深い海があるのかもしれないけど、どちらにしてもこの近海にそういう場所はないんじゃないかな。
ということで、他になにかラファの性能を確かめられるようなものがないのかと考えていたところ、母さんがふと思い出したかのように言うのは、
『だったら、沈没船でも探したらどうかしら』
『沈没船?』
『そう、深海に眠る沈没船を見つけて志帆ちゃんに教えてあげたら面白そうじゃない』
『ああ、それはいいかもだね』
いや、悪趣味だよ。
義姉さんの目的、性格を考えると、そういうのは自分で見つけたいだろうからね。
それが、母さんからの報告で見つかったとなれば、逆に『キィー』と発狂して、元春あたりに怒りをぶちまけそうな話である。
「でも、沈没船ってこんな近くの海域にあるの?」
現在いるのは東海沖数十キロといった位置である。
もう少し進めばメタンハードレートが取れるとかそんな話は聞いたことがあるけど、なにか有名な船が沈んでいるとか、そういう話はなかったように思う。
だから、こんな場所で沈没船を探しても見つからないんじゃないかという僕がそんな疑問を口にすると、母さんが言うには、
『探せばあるんじゃないかしら。この海域はひっきりなしにタンカーが行き交ってるし、明治より以前にはこの海域で何隻か商船が沈んだって話だから』
「詳しいね」
『職業柄、そういう話を聞いたりするのよ』
はて、母さんの職業と沈没船になにが関係があるんだろうか。
そんなツッコミが脳裏を過るのだが、普段の母さんを考えると、そのツッコミが通じるかというと『うーん』と考えてしまうものである。
だから、やっぱりここもさらっと聞き流して、
「明日は祝日だし僕はいいけど。母さんは防波堤の上でしょ。大丈夫』
『ええ、いつ何があってもいいように野営の準備はしてあるから』
『じゃ、今からお宝探しと洒落込もうか』
ソニアの号令でラファの実験も兼ねた沈没船探しが始まるのだが、
現実とはかくも非情なものである。
探知魔法の仕様によって、その後、一時間足らずで沈没船そのものは見つかったのだが、お宝となるとそうそう簡単には見つけられず、結局のところ収穫は、特に珍しくもない古銭に幾つかの陶磁器、そして、錆びた大砲くらいと微妙な結果に終わったのだった。
◆潜水艇およびカメ型ゴーレムの解説
ノーチラス……古代樹をメインに使った木製潜水艇。ただし世界樹の樹液などを使ったコーテイング剤およびFRPにより強度は通常の潜水艇を上回る。設定上の最大深度は30メートルとされているが、実際には数百メートルの深海まで潜れる。直接の武装は持っていないが、マニピュレーターやマジックバッグ機能をうまく使うことで魔獣の撃退をも可能な戦力を備えることが可能となっている。
ラファ……ミスリル・魔鉄鋼をメイン素材にしたカメ型ゴーレム。基本的にスタンドアローンであるが、専用の魔法アプリを使うことによって、ある程度の遠隔操作も可能。放電やちょっとした自己修復機能などが備え付けられている。
ちなみに、ラファの元ネタは某亀忍者です。最初はその設定上、おしゃべりな傭兵から名前をもらおうとも考えていたのですが、やっぱりカメだからということでこっちの名前をつけさせてもらいました。
◆今週は少々バタバタしておりまして、次回の更新は日曜日になるかと思われます。