夢見る少女
アヴァロン=エラのバックヤードには巨大な石扉が存在する。特に精緻な装飾が施されている訳でもなく、ただただ大きいだけの石板が二つあるだけの開き戸だ。
そして、薄闇の只中に立つ僕の前、重々しい音を立て開かれたその扉の先にあったのは楽園だった。
見渡す限りの緑の大地に小高い丘。その頂上には大きな木が立っており、天井には太陽が浮かんでいる。
一歩足を踏み入れた瞬間、分厚いウレタンのソールを通して背の高い芝草の柔らかな感触が伝わり、爽やかな風が頬を撫でる。
初めて訪れた人はとてもここが建物内にある空間だとは信じられないだろう。
何度訪れても繰り返してしまうある種の感動を脳裏に走らせた僕は丘を登る。
黄金の果実をつける大木の根本にやってきたところで、鈴を転がしたような可愛い声がかけられる。
「よく来たね。いらっしゃい」
その可愛らしい声の主は、万屋のオーナーであり、この世界の主でもある少女だった。
しかし、声のした方向にはもう一人、黄金の実を垂らす大樹の根っこで作られたベッドにすやすやと寝息を立てるネグリジェ姿の少女がいた。
驚くべきはその容貌、宙に浮かぶ少女と木の根に横たわる少女、二人の姿は双子のようにそっくりなのだ。
だが、それもその筈だろう。何故なら眠っているのは目の前に浮かぶ少女本人なのだから。
なんて表現すると何を言っているのかと心配されてしまいそうだが、別に寝ぼけているとかそういう訳ではない。目の前に浮かぶ少女は思念体、眠る少女の魔法によって夢の中から呼び出された存在なのだから。
そして、この石扉をくぐった先に存在する空間も彼女の夢によって作られた世界である。
「虎助がここに来るなんて珍しいね。ボクに会いたくなっちゃったのかな」
「いや、普通に毎日来てるじゃないですか」
宙を泳ぎ、お気に入りである肩の上に飛び乗ったオーナーが、誂うような声色で問い掛けてくる。
その姿はまさに背伸びした少女そのものなのだが、本人の主張よると、これでもれっきとした大人の女性なのだという。
彼女がいまも幼い姿でいるというこの状況は、世界征服を目論んだ魔導師にかけられた、呪いの如き大魔法による副作用という話だが、本当のところは分からない。
と、そんな疑いがつい顔に出てしまっていたのだろうか。
「何か失礼な事を考えてない?」
ふわり肩車状態から心身一回転ひねり、僕の目の前に躍り出たオーナーが腰に手を当て睨んでくる。
「考えてません考えてませんって」
そして、多分これは無意識なのだろう。前屈みになった少女の胸元から覗く平面に、慌ててそっぽを向き、バタバタと両手を左右に振ると「まあいっか」素直過ぎる謝罪を不思議がりながらもオーナーは「よいしょっと」肩の上に戻る。
「それで今日はどうしたの?帰るにはまだ早い時間だよね」
「あんな戦いの後ですから、ここにも被害が及んでいるんじゃないかと思いまして、外の方を皆に任せてこっちのチェックにきたんですよ」
「あっ、そうなの?でも、アダマーだっけ?あの自称大魔王。ゲートの結界にすら手間取ってるようじゃ、ここの施設はびくともしないよ。ボクとしてはむしろ壊してくれた方がありがかったんだけどね」
質問に対するオーナーの答えは、破滅願望でもあるような聞き捨てならないものだが、これはまぎれもなく彼女の本心である。
何故ならそれは、彼女がこの世界の破壊を誰よりも望んでいるからだ。
このアヴァロン=エラという世界は彼女を縛る鎖のようなものだからだ。
だが、その一方で彼女にとってこの世界が安らぎでもある。
「でも、そうしたら、もう、皆さんと会えなくなってしまいますよ」
この世界の崩壊は、各世界を結ぶゲートの消滅に直結し、この世界で繋いだ人間関係の破壊を意味するのだ。
しかし、彼女は言う。
「まあね。でも、その時はその時さ。きちんと皆が息災でいられるように対策は打ってあるよ」
いくつもの次元の歪みを収束、世界のハブたらしめるゲートは、アヴァロン=エラが内包する莫大な魔力によって成立しているギミックだ。
そして、その殆どがオーナーにかけられた呪いの如き大魔法が原因で、他の世界に同じものを作るのは難しいのだという。
そうなのだ。ここで結んだ絆は一度失われてしまったら二度と戻れないかもしれないものなのだ。
この残酷とも思える真実に、僕はふと思い当たった事を口にする。
「もしかしてマリィさんに魔法剣を作らせたのはその一環ですか」
一時はアダマーを追い詰めながらも折れてしまった聖剣コールブラスト。それを作るきっかけとなった提案は、万屋のオーナーたるこの少女から強く奨められたからだった。
僕個人としては、どうせ大変な事態になりそうだ思い(実際、大変なことになったし)止めたかったのだが、
そんな裏事情を知るが故の問い掛けに、少女はすっと空に舞い上がる。まるで考えていることが正解であると言わんとばかりに――。
そして反転、幻想の太陽を背に受けて、
「お城から決して出ることができないお姫様。彼女には才能があって、それを存分に使いこなす行動力がある。彼女には彼女の持つ魔導器から繋がる世界よりも更に広い世界を知って欲しい――そう思ったんだけど。いまは別のことに夢中みたい」
僕をじっと見つめるオーナーの言う通り、聖剣と一緒に作った武器達を存分に投入したのなら、マリィさんは自分の置かれた現状を変えられたのかもしれない。
しかし、マリィさんは武器達の威力を試す途中、同じような問い掛けをした僕に対し言い切ったのだ。
これはあくまで趣味なのだと、相手が強硬手段に打って出ない限り、作った武器を使うつもりはないのだと、
オーナーからの提案の根底にあったのは、この世界で永遠を過ごす自身の境遇が、マリィさんのおかれる現状に少し重なると感じたからだろう。
「それに面白そうな魔道具を作ってくれそうだったからかな。爆発する剣なんて聞いたことないよ」
思い通りに動いてくれなかったマリィさんの事を嬉しそうに話すオーナー。
それは一体どういう感情なのだろう。はにかむオーナーに考えさせられながらも、一つ訂正をしておいた方がいいだろう。
「えと、多分あれは、ゲーム雑誌に乗っていた武器の性能を参考にしたんだと思いますけど」
するとオーナーは、ハッと目を丸くしたかと思いきや、ふぅん。と意味ありげな視線をサイドに飛ばして言う。
「やっぱり、虎助の世界の娯楽作品はアイデアの宝庫だね」
「カッコイイ武器や能力っていうのはそれだけで目を引きますからね」
「だね。ボクも魔法開発のヒントにいろんなゲームに触ってみたいけど、思念体のままじゃ物理現象を起こすには意外と神経を使うんだよね」
ボクもって――それじゃあまるで、みんながみんな魔法研究に役立てようとゲームをしているように聞こえるますけど…………実際のところはどうなんだろう?
そんな余計な思考を頭の片隅に走らせながらも、
「ここでプレイすればいいのでは?」
この夢の世界なら実態を保てるのでは?と提案してみるのだが、返ってきたのは納得のできる回答だった。
「店の方で皆がゲームをしている間、ボク一人だけここでピコピコやってるなんて寂しいじゃないか。それなら眺めてた方が面白いし」
確かに別の場所でワイワイとやっているのに、一人ポツンと別の場所でゲームをするほど虚しいものはないだろう。
「場所柄、ここだと携帯ゲームしか出来ませんしね」
ならば、ここに皆を招いてゲームをしてもらえば早いのだが、この場所に誰かを招くこと即ち、オーナーの秘密を明かさなければいけなくなってしまう。
なかなか思い通りにはいかないものだ。そう思う一方で、
そんなことは百も承知だと言わんばかりに、話題転換を図るオーナーが口にしたのは、ある意味でゲームと繋がりのあるテーマだった。
「そうそうインターネットへの接続はどうなってるんだい?こっちでも使えるようになると便利なんだけど」
現在、万屋の――いや、次元の狭間に存在するアヴァロン=エラの主たるこの少女は、この異世界に地球産のインターネットを引こうと画策している。
しかし、魔法によって確保した電気と同様に、こちらの世界にインターネットを引き込むには幾つかの問題が存在するのだ。
「すいません。まだ難しいみたいですから向こうの方で我慢して下さい」
「あっちだといずなが五月蝿いんだよね。無視すると笑顔で脅してくるし」
さもありなん。瞼を下ろさずとも容易に想像できる光景を僕はもやもやっと頭の横に浮かべ、苦笑しつつもフォローを入れる。
「まあ、ああ見えて母さんなりに気を使っているんだと思いますよ。ほら、ずっと同じ場所を見てると目が悪くなるとかいうでしょ」
「それくらいボクにだって分かっているさ。でも、やりたいものは仕方ないじゃないか。そもそもあっちの体じゃ視力なんて関係ないし、というか視力くらいなら魔法ですぐに治せるし」
オーナーは眼科医が聞いたのならびっくりするような台詞を吐き捨てて、ぷいっとそっぽを向いてしまう。
だがすぐに「全く――」と肩を竦めたオーナーは「それでどうなんだい?」理由を話せと本題に戻す。
「ゲートの特性から考えて有線で引くのは無理そうですね。だから、魔法的に無線で飛ばせるようなものを考えてもらいたいのですけど……ご入用がありましたら本でも何でも買ってきますから」
と、説明に続く提案に、オーナーはフムと可愛らしい顎に人差し指を添えて、
「向こうの知識はボクの知らないものばかりだからね。専門的な本は調べながらじゃないといけないから。どっちにしてもインターネットがあった方が便利なんじゃないかなって思うんだけど――」
確かに専門的な本を読む時、インターネットで関連情報を調べながらの方がより理解が深まるものだ。
オーナーの言うことにも一理あると思った僕はならばと少し角度を変えて、
「でしたら、専門書も用意しますか。あと、マリィさん達みたいに漫画とかライトノベルとかも用意したほうがいいかもですね。ファンタジーの世界観に現実を取り込んだ作品も多くて、新しい魔法や魔具のヒントになるかもしれませんし、意外とマニアックなものだと専門知識も得られたりしますから」
「そうなの?じゃあ今度読んでみようかな」
本当のところはかなり偏った知識なんだけど……というのは、言いっこ無しだ。
僕はそんな心の声をおくびにも出さず「ですね」と笑顔を送り、
「オーナーの読む本は難しい本ばかりですから。漫画も僕が読んでいるのを隣から覗くくらいですし、偶には息抜きも必要ですよ」
言うと、一瞬前まで機嫌が治りかけていたオーナーの白いほっぺがむっくり膨らむ。
いったい何事か?と思う僕だったが、
「二人の時はソニアでいいってゆったじゃん」
ああ、そのことか。
「ボクは仕事とプライベートはきっちりと分けたいの。気をつけてよね」
「すみませんオーナー。つい癖で――」
どういう訳かオーナーは二人きりの時には名前で呼ぶことを強要してきたりする。万屋が完成した際に『これからボクのことはオーナーと呼ぶように』と自ら言ったのにもかかわらずだ。
とはいえ、この世界の主にして雇い主である彼女にそう言われてしまえば、僕に逆らう余地はない。
にも関わらず、僕が謝りつつもあえてオーナーと呼称したのは、万屋店長としてまだ聞くべきことが残っていたからだ。
また叱責を受ける前にと言葉をつなぐ。
「でも、インターネットが繋がったら本格的に封印を解く為に動き出すんですよね」
「まあ、そうは言っても基本的にボクらは待つしかないんだけどね。虎助の世界は魔素が薄いから、もう半年くらいも調べてるのに役に立ちそうな情報はなかったし、インターネットを魔術的に改造できれば他の世界にも情報の網が張れるけど、完全な情報網が確立されるまでには時間がかかるだろうしね」
ソニアの最終的な目標は魔法の力で各世界に情報網を拡散させることだ。
もともと魔法大全と呼ばれる知識収集の為に作られた魔導器に、機械製品などに使われる電気的な情報集積の思想を取り込み、万屋の商品に刻まれた魔法式を連動させることによって、それぞれの世界の知識を収集する新魔法を開発してしまおうというのだ。
つまりそれはインターネットに魔法を取り込んだハイブリットな通信技術。
各世界には独自に存在する情報網にすらも魔法の力を使って接続、得られる膨大な知識を使えば、現在このアヴァロン=エラが、そして、自身が抱える問題に対する最善の解決策が導き出せるのではないかと考えているのだ。
「大丈夫です。きっと見つかりますよ。その為にこの店を作ったんじゃないですか」
そして僕がこんな辺境の世界で雇われ店長をすることになったのには、連れられてきたこの異世界で出会ったこのソニアという眠れる少女を助けてあげようだなんて、大それた事を考えたのが始まりだったりする。
いや、ただ高校生でしか無い僕が、魔法使いによって次元の狭間に隔離された女の子を助けようなんて、おこがましいかもしれないが、
僕はただ、彼女以外に住人が居ないこの世界で、せっせと一人、ゴーレムを作って友達を増やそうとする健気な少女を見て、どうにか力になれないかと思ってしまったのだ。
そして、自分の出来ることを、彼女の寂しさを少しでも紛らわそうと思いついたのが、人の集まる場所である店舗経営で、それが偶々、日本でインターネットの存在を知ったソニアの立てた計画と合致したというだけなのだ。
ゴーレムがいるという以外、誰も見向きもしなかったこの世界に、万屋を建てて、始めはマジックアイテム。需要に応じて保存の効く食料品から武器と防具、その他諸々へと、現在の販売形態に変化していったのは、ひとえに寂しくも退屈な思いをしていた彼女の気を少しでも紛らわそうと、彼女の縛られる現状を打破しようと、ここを目的に訪れる人を増やそうと、努力をした結果によるものだったのだ。
おかげで少ないながらも常連となる人も増えてきて、彼女が笑顔でいられる時間が多くなったと僕は思う。
それでもまだまだ努力が必要な事も多いけど、それは今後がんばっていくしかないだろう。
密かにそう決意を新たにした僕は、眠るソニアの周囲の掃除を済ませ、自宅で洗ってきた代えのネグリジェをベッド脇に置いて言う。
「それじゃあソニア。みんなが待ってますから戻りましょうか」
「うん」
僕はここでしか触れられない彼女の手を引き、幻想の陽光の下、安らかな眠る少女の寝所を後にする。
賑やかな面々が待つ外の世界へと戻る為に。
◆これにて一章の終わり。という感じです。
ここからはほぼプロットだけの状態なのでかなり不安です。
修正しながら頑張って物語を進めていきたいと思いますのでお付き合いの方、よろしくお願いします。
更新は日曜日のお昼頃、週1、2本を予定しています。
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