テイマーさんと晩御飯
「エルマさん。そろそろ晩御飯ですけど何を食べますか?」
「え、その――、食事は自分で用意しますから大丈夫ですよ」
日も暮れて、マリィさんや元春達が帰った万屋の中、僕が声をかけるのは和室にいる栗毛の美女、エルマさん。
しかし、エルマさん側としてはこれ以上、自分のことで万屋に迷惑を掛けさせるわけにはいかないという思いがあるのだろう。晩御飯はどうするのかという質問に、遠慮するような素振りを見せるのだが、残念ながらこの世界において自分で食事を用意するのは難しい。何故かというとそれは――、
「でも、どうやって食事を用意するんです? この世界には野生動物がいませんよ」
そう、このアヴァロン=エラという世界には野生動物は存在しない。それどころか野草のたぐいも生えていないのだ。
だから、適当に狩りや採取で食料を確保することができなくて、
「じゃ、じゃあ、食料を買います」
「ええ、ですから、これもオーナーのお手伝いの報酬の先払いということで、なにが食べたいのかを聞いたんですけど」
エルマさんにはソニアの研究の手伝いをしてもらうことになっている。だから、その夕食も報酬の一部として用意しますからと言うと、エルマさんは恐縮するように体を小さくして、
「な、成程、そういうことでしたか。
だったらどんなものでも構いません。私はご厄介になる立場ですから」
うん。エルマさんからしてみると、いくら報酬とはいえ、すでに船の用意をしてもらうとなっている以上、これ以上、贅沢なことは言えないとか、そんな風に思っているのだろう。
しかし、どんなものでも構わないとか、そういうリクエストは、ご飯を用意する側からしてみると一番困るものである。
とはいえ、ここで無理やり聞き出そうとしたところでますますエルマさんを恐縮させてしまうだけ。
ということで、そこで僕が目をつけたのが、和室の奥で護衛兼クッションのクロマルに体を預け、カジュアル系の対戦アクションシューティングを楽しんでいる魔王様だ。
僕はお腹の上のシュトラから妨害を受けながらも、淡々と自分の陣地を広げていく魔王様にこう問いかける。
「魔王様はどうします?」
「……キャサリンがシチューを作ってくれるって言ってたから大丈夫」
ゲーム画面に目を向けたまま答える魔王様。
因みに、魔王様がいま言ったキャサリンさんというのは、魔王様の拠点である森の洞窟に住むバンシーで、ちょっと恥ずかしがり屋なガイコツ淑女だったりする。
曰く、今日は彼女が食事当番で、ちゃんと晩御飯を用意して待っているのだという。
「そうですか。だったら僕達もシチューに――、
いや、シチューだけだと物足りないかもですね。ここは残り物の冷やご飯を付け足してドリアにしましょうか」
だからと僕は魔王様の家の晩御飯を参考に今日の晩御飯のメニューを決める。
すると、魔王様はゲームを途中リタイア、だるんと体を仰け反らせるようにして、
「ドリア?」
「そういえば魔王様はドリアは食べたことがありませんでしたっけ?」
うん。逆さまに首を傾げるこのリアクション。魔王様にはドリアを出したことがなかったみたいだ。
ということで、僕はゲームを中断した魔王様を引き連れて、和室の隣りにある簡易キッチンに移動、実際に作りながらドリアがどんな食べ物なのかを教えていく。
とはいっても、僕が今回作ろうとしているのは、レンジで数分、お手軽にできる冷凍ドリアではなく、温めたご飯に、バターで炒めたペーコンやニンジン、玉ねぎなどと、顆粒コンソメとバターを混ぜ込んで焼くだけのなんちゃってドリアだ。
と、僕は魔王様に『ドリアというのはこういうものですよ』と教えながらも、チャッチャと下ごしらえをして、ドリア本体を耐熱皿に敷き詰め、その上にピザ用のチーズを乗せて、温めたオーブンに放り込む。
すると、頭の上に乗せたシュトラを乗せた魔王様はオーブンの中を覗き込んで、フツフツと焼けていくなんちゃってドリアに「……おいしそう」と一言、僕が「魔王様も食べていきますか?」と訊ねると、魔王様は迷うように少し俯くように考えるが、すぐにふるふると頭の上のシュトラごと首を左右に振って、
「……キャサリンが待ってるから帰る。
……でも、ご飯ある?」
「あ、はい。向こうで作るんですね。パックご飯なら沢山ありますので持っていって下さい。ベル君お願い」
魔王様からのお願いに、僕はベル君に工房にある食料保管庫からご飯パックの箱を持ってきてもらうと、ベル君を待つ間にと、カウンターに置いてあるメモ帳から一枚ページを千切り取り、なんちゃってドリアのレシピを記していく。
そして、
「チーズとかベーコンはありますか?」
「……前に買ったのがまだ残ってる」
「じゃあ、簡単な作り方をメモしておきましたから、これをラドさんに見せてください」
魔王様の拠点に残りの食材があるのかを確かめると、「うん」と頷き、完成したメモ書きを魔王様に渡す。
そして、帰ってきたベル君にパックご飯がたくさん入ったダンボールを魔王様に渡してもらって、「……ありがと」と軽やかなステップを踏みながら店を出ていく魔王様を見送ると、焼き上がったなんちゃってドリアを鍋敷き代わりの小さなフローティングボードに乗せて和室まで運んで、
「熱いかもしれませんので気をつけて下さいね」
この手の料理の大定番。火傷の注意を向かいに座るエルマさんにしたところで「いただきます」と手を合わせる。
一方、エルマさんの世界では食前にそうするのだろう。ぎこちなくも祈りの言葉を唱えて、
僕はそのお祈りが終わるのを待って、用意した銀のスプーンで上に乗ったチーズとドリアをチーズの焦げ目を崩しながら掻き混ぜ、スプーンにすくい取ったドリアにフーフーと息を吹きかけて、
「おいしい」
おっと、先を越されたみたいだね。エルマさんの口からお褒めの言葉が溢れたのを聞いて一安心。
味の方は特に変わったことをしていないので間違いはないと思うのだが、それでもエルマさんはまったく知らない世界からのお客様、口に合わないなんてこともあるかと思っていたのだが、そんなことも無かったみたいだ。
「でも、あんなに簡単に作っていたのにこんなに美味しいなんて」
「元の味がしっかりしていますからね」
今回、このなんちゃってドリアの味を決めているのはレトルトのシチューと顆粒コンソメ。
そのレトルトシチューも、もともとご飯にかけて食べることを想定したとした商品なので、失敗が挟まれる要素など殆どありえないのだ。
「それに今日はいいベーコンを使っていますから」
「そうなんですか」
「はい。以前、狩った巨獣のものですね」
「きょ、巨獣ですか。
それは私に出してもいいものなんですか?」
「いっぱいありますからね。
出し惜しみしていても痛むだけですから」
実は今回のドリアには、そろそろ賞味期限が気になってきたベヒーモのベーコンが使われている。
鑑定によると、魔素を多分に含んでいるおかげもあるようで、数年は美味しく食べられるそうなのだが、現代地球に生きるものとしては、缶詰でもないのに年単位での保存するという状況にはちょっと抵抗があったりするのだ。
だから、隙あらば消費するようにしているわけで、
「明日はなんにしましょうか?」
「その、もっとお手頃な料理でお願いします」
「そうですね。栄養のバランスとかもありますし、明日は世界樹農園で取れる野菜を使った炒めものとかがいいですかね」
もちろんその炒めものにはべヒーモのベーコンを――、
いや、ここはボルカラッカの冷凍肉を使うべきかな。
僕がそんなことを考えていると、エルマさんがおずおずとやや遠慮がちに聞いていくるのは、
「あ、あの、世界樹って――」
「ああ、お店の裏に世界樹がありまして、その袂にマールさん――、樹の精霊ドライアドの一人が営んでいる農園があるんですよ」
「ええと、世界樹ですか。それにドライアド? いろいろと混乱してきましたよ」
まあ、いきなりそんなことを言われたらたしかに混乱するよね。
そもそもここからじゃ不可視の結界のおかげで世界樹そのものが見えなくなっているから。
「今度、案内しますよ」
「お、お手柔らかにお願いします。
……ご飯の方も――」
お手柔らかにって言われても、お安く地球側で買ってきたものを出しても、それはそれで恐縮させちゃうかもしれないし、エルマさんが考えるリーズナブルなメニューってのは、逆にコストがかかりそうでなかなか難しいかな。
でも、食料といえば、エルマさんが自分の世界に戻った時に持って帰ってもらうだろう食料も考えておかないといけないよね。
こっちは賞味期限とかそういうのを考えないといけないから、レトルトとかシリアルバーみたいなものがいいと思うんだけど。
向こうに帰ってからは、しばらく潜水艇の中ってことになるから、できるだけゴミが出ないような工夫も必要だよね。
まあ、その辺のゴミの問題は賢者様の世界の加工技術『クアリア』を使えばどうにかなると思うけど、栄養の問題はどうしよう。
サプリメントを魔力で強化したものとか?
いや、水分の補給も兼ねて紙パックの野菜ジュースなんかも用意しておいた方がいいのかもしれないな。
でも、まずは目の前のご飯だね。
僕は、今後のメニューやエルマさんに渡す保存食、それらメニューのことを考えながらも、いい感じの温度になったスプーンの上のドリアを口の中に放り込んだ。
◆ご飯にシチューをかける食べ方って賛否両論ありますよね。『でも、ドリアにしたら……』今回はそんな裏テーマも含んだお話でした。シチューもこうやってリメイクすると『シチューにご飯は絶対ノー』という人もわりと食べられたりします。そして食べた後でその事実を教えてあげると――、まあ、そういうことです。