●黄昏の森
◆唐突なプロローグ?
夕日が差し込む森の中、息を切らせて走る少女が一人。
お気に入りの黒い薄絹のローブを振り乱し、少女は森を逃げ惑っていた。
そんな少女を追いかけるのは数十名の男女。
老人から小さな子供まで、年齢も性別もバラバラの者たちだ。
唯一の共通点は、全員が全員、まるで生気を失ったような目をしていることだろう。
しかし、そんな見た目とは裏腹に彼等の動きは俊敏かつ正確。
足場の悪い森の中もなんのその、まるで機械のごとく少女を追い詰めていく。
だが、幸いにもその森は少女にとって庭のような場所だった。
少女は土地勘を活かして、大人数で追いかけるには難しい――例えば沢山の巨石が転がる沢の近くなど、小柄な自分に有利な場所を狙って進むことで、なんとか追いつかれずにいた。
しかし、いくらそこが自分に有利なフィールドだとはいえど、小さな少女の体で大人の体力に叶うわけがない。
しかも、追いかけてくる者たちは、ウォーキングデッドならぬランニングデッドとばかりに無尽蔵な体力を持つような者なのだ。
走る速度はそこまででもないが、それが群れになって、自分が傷つくのも恐れず追いかけてくるのだからたまらない。
ゆえに、少女がどれだけ自分が有利な行き先を選んでいたとしても、徐々にその差は狭まっていく。
そして、背後から近づいてくる足音に、少女は目端に涙を溜めながらも必死になって逃げていると、少女の集中力が切れようとしていたそのタイミング。
まさにそのタイミングを狙ったかのように、少女の進行方向にあった茂みの中から中年の男が飛び出してくる。
ふいに飛び出してきた男に驚く少女。
しかし、ここで捕まるわけにはいかない。
襲いかかる男に対して、少女は体勢を低く、男の両腕から逃れ、男が飛び出してきた茂みの奥へと逃げ込もうとするのだが、男から逃れることだけに集中したせいか、足元がおろそかになり、少女は体勢を崩してしまう。
そして、男が現れた茂みの向こう、急な地面の落ち込みに転がり落ちてしまう。
上下左右と目まぐるしく変わる視界。
なにか硬いものにぶつかった衝撃。
そして、全身を襲う鈍痛。
どうやら、茂みの向こうは小さな沢になっていたようだ。
擦り剥けた肘や膝から血が滲み、少女自慢の薄絹のローブもボロボロになってしまった。
しかし、ここで足を止めるわけにはいかない。
少女には助けなくてはいけない人がいるのだ。
それは、自分を逃がすために囮として残ってくれた姉達だ。
少女は姉のためにもここで捕まるわけにはいかなかった。
痛めた体に鞭を打ち、少女はふたたび走り出す。
少女が目指すのは、この森の奥にある魔獣の領域。
ふだん姉達から、危険だから足を踏み入れてはいけないと厳しく言い含められている森だ。
しかし、今日この時くらいは姉達も見がしてくれるだろう。
姉達を助けるためには、どうしてもあの森へ行かなければならないのだ。
そう、その魔獣の領域まで逃げ切れば、この追手を振り切れる算段が少女にはあった。
少女は森に漂う魔素を感知して魔獣の領域を目指して走る。
そして、あと少し――、
あと少しで目的の魔獣の領域に辿り着く。
そんなところまで逃げてきたところで、少女は不意に足を止めてしまう。
なぜ少女は足を止めたのか。
目的の場所に辿り着いたのだと安堵したからではない。
ずっと走り続けて疲れたのでもない。
怪我がひどく走れなくなったのでもない。
いや、疲労も怪我もすでに限界を超えている。
しかし、少女はそれをないものとして走り続けていたのだ。
ならば、なぜ少女は足を止めたのか?
それは単純に体が動かなくなってしまったからだ。
早く、早く逃げなきゃ。頭ではそう思っているのだが体が動かない。
まるで自分の体が空気にでも捕まってしまったかのように動けなくなってしまったのだ。
「な、んで――」
ここまでずっと全力疾走だった影響から、途切れ途切れになってしまったその言葉。
それは自分い対する文句のようなもので、誰に向けた言葉ではなかった。
しかし、そんな少女の声に答える人物がいた。
「なんでって、賢い貴方ならもうわかってるでしょ」
少女の声に答えるように現れたのは妖艶な笑みを口元に湛える黒髪の女性だった。
いっけん地味なその印象とはうらはらに、人を惑わす魔力を持った女性だった。
睨む少女に彼女は言う。
「安心なさい。アナタもお姉さんも悪いようにはしないわ」
それは絹のようにするりと心の中に入り込んでくるような滑らかさを持った声だった。
しかし、少女はそんな女の声に揺蕩うわけにはいかなかった。
「どう、いう、こと?」
勇気を、気力を振り絞って声を上げる少女。
一方、女は余裕の笑みで、
「そんなの決まってるでしょ。アナタの為だもの」
彼女の言った言葉の意味を少女は理解できない。
いや、実際は理解はしている。しかし、納得はできないという少女の思いはその魔力を通して女に伝わる。
「ふふ、なんて素晴らしい魔力かしら、さすがは名高いマジックマイスター姉妹の末っ子ってところかしら」
そう言いながらも女は少女の魔力に全身を震わせるようにして、
どこか――、ここではないどこかから大きな鋏を取り出すと、その大鋏を大きく開き、動けない彼女の細い腰にそっと添えるようにして、
「痛くはないからね。まあ、そんな事は貴女が一番知ってるだろうけど」
そのままヂョキンと二つの刃を重ねるのだった。
◆本来ならこのお話はプロローグでやるべきお話だったりします。
いつか入れよう入れようとは思っていたのですが、次の章のネタフリにもなりそうだということで、このタイミングでぶっこんでみました。