●島の亀と剣の虎
◆今回は基本的に三人称視点でのお話になりますが、『◆』マークを境に主軸となるキャラクターが代わります。ご注意ください。
視界を覆い尽くす真っ白な光が収まると元春は波打ち際に立っていた。
青い海に白い砂浜、そしてヤシの木と、南国パラダイスのようなその世界の似つかわしくない完全武装の姿でだ。
「おお、なんじゃこりゃ、スゲーな。セブかセブなのか、
遊びてーところだけど、一人ではしゃぐってのもな。取り敢えず頭でも探すか」
一人はしゃぐ鎧姿の元春はどこか滑稽に見えなくもない。
だが、元春本人はそれに気付くことなく。
「けど、なんで砂浜になってんだ?」
いま元春がいるのは島亀という巨大生物のべっ甲を使って作ったディストピアの中、故にその白い砂浜もなにもかもが島亀の残留思念が作り出したどこかの世界で生きていた島亀の在りし日の姿でしかないのだが、そんなことなど知る由もない元春は「ま、いっか」とあてもなく歩き始めて暫く――、
見つけたそれは、干潮時だけに現れる砂の道と呼ぶべきものだった。
しかし、よくよく見ると砂の道はゆっくり動いているみたいで、
ここが島亀の上と知っている元春からしてみると、それは単なる海中に生まれた道ではなく。
「これってもしかして頭かよ。
ってことは調べた方がいいんだよな。
ちょっち危ねーかもだが、行かねーわけには行かないよな。
問題は鎧はどうすっかだな。
海ん中だから身軽な方がいいかもだけど。
いや、襲われるかもしんねーからそのままの方がいいか。
そんで――」
元春はぶつぶつと独り言を呟きながらも、鎧の中から一枚のカードを取り出す。様々な機能を備え、簡易的な魔導書としても使えるマジックアイテム〈メモリーカード〉だ。
元春は〈メモリーカード〉を使って、一枚の魔法窓を呼び出し、そこに表示されるリストから一つの魔法式を呼び出す。
「えっと、こいつだな〈息泡〉」
いま元春が発動させた魔法〈息泡〉は、今回、元春が島亀を調査するに当たって虎助から提供された魔法である。
使用者の顔の周りに水の膜を張って、数分間の水中行動を可能にする、水および生活の初級魔法だ。
魔法名を唱えた瞬間、元春が顔の周りにビーチボールサイズの泡が出現する。
元春はこれで水の中でも呼吸ができると、ゆっくりと海の中に入っていって、海水が胸くらいまでの深さに達すると、そこで一つ大きく息を吸って、とぷん。中腰の姿勢で顔を水につけて、スーハーと魔法の効果を確認すると、自分の吐き出した息が水面で小さな泡となって消えるのを見て、
「吐いた息がそのまま減ってくのか。
で、泡は少しづつちっこくなってくと。
あんま長く潜れる魔法じゃねーみたいだな」
今は宇宙飛行士がつけるようなヘルメットくらいの大きさがあるが、それもいつまで続くかわからない。元春は〈息泡〉を張り直すとブラットデアの補助を受けながらも水中を歩き出す。
そうして始まる海中散歩。
「しっかし、これ完全にあれだな。ダイビング?」
ディストピアは素材となった存在の残留思念を軸に世界が形成される。
故に再現された世界の中には、そのディストピアの主たる生物以外にも、その記憶に残る生物が再現されていて、元春が歩く海中には色とりどりの小魚にサンゴ礁と、いかにもトロピカルな景色が広がっていた。
元春はそんな光景に目を奪われながらも、海中に続いていく一本の砂道を進んでいく。
と、行き着いた先にあったのはゆらりゆらりと揺らめきながら海中に消えていく一筋の白い道。
「ありゃ、こっちは尻尾だったか」
そう、元春が頭があると思っていた道の先にあったのは、細く長いしっぽだった。
前後逆だと来た道を戻ろうとする元春。
しかし、ちょうど振り返ったタイミングに一匹のタコが泳いできて、
「うおっと、危ね!!」
突然、目の前に現れたタコに、元春が反射的に手を伸ばす。
一方、元春の眼前に突っ込んできたタコは、そんな元春の行動に自分が襲われたと勘違い。
タコの口から吐き出された真っ黒な墨に、元春の視界はブラックアウト。
そして、視界を塞がれた元春はどうにかその墨の中から抜け出そうとして、一歩、二歩と動いたところでズルっと足を滑らせる。
「あ、やばっ」
足を踏み外したと気づいた時には時すでに遅し、必死にもがくも島亀の尻尾は遠のくばかり。
ここで元春に虎助ほどの冷静さがあったなら、鎧を脱ぎ捨てるという選択肢もあったのだが、重い鎧によって急激に海の底へと沈んでいく状況に、パニックになった元春にその判断ができるはずもなく。
結果、なすすべなく海の底へと落ちていくことになった元春は、自分の周囲に浮遊する空気の膜がなくなるまで深海への自由落下に身を任せるしかないのだった。
◆
一方その頃、サーベルタイガーのディストピアの中へと入っていた正則は笑っていた。
彼の目の前には刃のような全身の毛を逆立てる赤錆色の虎が一匹。
戦い始めたのはいつのことだったか、正則がディストピアに入ると、そこは世界遺産とかになりそうな岩の密林だった。
スタート地点から数メートル、歩いたところでこの赤錆色の虎に襲われたのだ。
その攻撃そのものは装備していた鎧〈クリムゾンボア〉の堅牢な防御によって防ぐことが出来たのだが、戦いを始めてたった数分の間に受けた度重なる攻撃によってすでにガタガタ。
このままではただ嬲り殺しにされるだけだと、なにか突破口はないのかと、追い詰められた正則が『なにか盾のようなものが作れれば――』とそんな発想に至ったところでふと思い出す。
「ってゆうか、バカか俺は」
正則の呟きに反応してか、襲いかかるサーベルタイガー。
それに対して正則が取った行動はもちろん防御。
しかし、それは今までの鎧をそのまま盾に回す方法ではなく。
「〈壁〉」
その一言でせり上がる岩の壁。
これはクリムゾンボアに付与された土属性の特殊魔法。
イメージによって周囲の土や石ころなどを好きな形へと変化させるという単純な魔法である。
そう、正則が思い出したのはクリムゾンボアに付与されたこの魔法、実はこの岩の密林とも言うべきフィールドは正則にとって有利な戦場だったのだ。
最初からこれを使っていれば――、今更ながらに思い出した鎧の機能にそう後悔する正則だったが、もともと正則はこういった魔法への適性があまりない。そして、ここ数日、部活動などで忙しく、こちらの世界に来ていなかったから、忘れていても仕方のないことなのだ。
そう自分を慰めた正則は、
「俺としたらガチで殴り合いたいから、こういうのはあんまり好きじゃないんだけどな」
このセリフは言い訳なのか、それとも本気なのか。
どっちにしても負けるのはもっと嫌だと、壁により突進を止めた正則は壁を飛び越えるようにロンダート。
壁にぶつかるサーベルタイガーにスタンプをヒットさせた上でのヘッドロック。
このまま首をへし折るか、それとも締め落とすのが先かとばかりに力を込めていく正則。
しかし、サーベルタイガーの首から肩にかけて生えている剣状の体毛は、防御の役割りをも果たしているようだ。
「チッ、絞め技は効かねぇか」
首元をガッチリと極められているにも関わらず、苦しむ素振りも見せずに自分を近くの岩に押し付けようとしてくるサーベルタイガーに、正則は舌打ちしながらも近くの岩壁に蹴りを入れて、
「〈横槍〉」
簡素なイメージに応じて岩の壁から飛び出した石の槍がサーベルタイガーの脇腹に突き刺さる。
しかし、やはりそこは稚拙なイメージ。正則の魔法練度も相まって、それは刺突というよりも打撃としかならずに、サーベルタイガーは苦しそうにうなりながらも目を血走らせて、再び正則へと飛びかかる。
だが、そんなサーベルタイガーに対して、正則は兜の下で好戦的な笑い顔を作り。
「たしか手負いの獣が一番ヤベェんだったよな。
で、こうなった獣には先手必勝」
師であるイズナの教えに従って飛びかかってくるその懐に踏み込んでインファイトを挑む。
オラオラとノーガードで攻める正則に面をくらうサーベルタイガー。
しかし、正則が数発の拳や蹴りをサーベルタイガーに叩き込んだところで、
「は?」
戦いの最中に漏らすにはあまりに間抜けなその一言。
そんな一言と共にじんわりと熱を感じる腹部に正則が視線を落とすと、そこにはいつの間にか一本のサーベルが突き立てられていて、
ゴポッ――、
吐血と共に正則の体から急激に力が抜ける。
そして、動きが止まった正則めがけてサーベルタイガーはその大きな口をあけて――、
次の瞬間、グシャリと何かが潰れるような音が響く。
◆
場所は戻ってアヴァロン=エラの工房エリア。
虎助と次郎が魔法薬の実験をする東屋の前に帰ってきたのは完全装備の元春と正則だ。
呆然と立ち尽くす二人に声をかけるのはもちろん虎助である。
「おかえり、正則君はともかくとして元春はなんでこんなに早く帰ってきたの?」
「……海に落ちたんだよ」
元春が潜った島亀のディストピアは滅多なことがなければ危険がないハズのディストピア。
それがこんなに早く帰ってくるなんて、なにかあったのかと訊ねる虎助に元春がふてくされたように答えるのは海に落ちたという報告だった。
「海に落ちたって、元春って泳ぎ得意だったでしょ」
しかし、島亀の周囲にはそれなりの広さの砂地が続いていたハズだ。
そして、元春はその盗さ――いや、写真という趣味から、普通の人よりも泳ぎが得意だったと記憶している。
それがどうしてそんなことになってしまったかと訊ねる虎助に、元春は不機嫌の顔のまま。
「ブラットデアを装備してたんだよ」
たしかにいくら泳ぎが上手くても、鎧を装備した状態では意味がない。
しかし、それならそれで鎧を脱ぎ捨てればよかったのでは?
ディストピアの中なら装備やアイテムをなくしても、一度死亡してしまうか、ディストピアから一度脱出すればすぐに元に戻る。
だから、その場で脱ぎ捨ててしまえばいいのではないかと言う虎助だったが、
「……」
「忘れてたんだね」
わかりやすい元春の反応に「ハァ」とため息を吐く虎助。
そして、元春とはまた違った難しい顔をする正則に目を向けて、
「それで正則君はどうだったの?」
「それがよくわかんねぇんだよな。
あとちょっとってところまで追い詰めたところで突っ込んでったら、いきなり腹を刺されてよ。力が抜けたところを頭からガブっとやられてな」
あんまりにもな正則の最後の状況を聞き「うわぁ」と情けない声を漏らしたのは元春。
だが、虎助からしてみると、正則が出会した状況なんてよくあることで、だからと万屋のデータベースから似たような魔獣のデータを引き出して、
「何か特殊能力かな。ああいうタイプは高度な魔法は使わないと思うんだけど」
正則が受けたという謎の攻撃を想像しながらも、気を取り直して、
「それで、どうするの?」
特殊行動まで引き出せたってなると、これでこのディストピアの調査は完了にしてもいいと、虎助が正則君に水を向けると、正則君は考えるまでもないといったご様子で、
「もうちょっとで勝てそうだったからな。少し休んでから再チャレンジだぜ」
拳を握り気合を入れる正則に、虎助は『まったく』と言わんばかりの笑顔を向けながらも、そのまま視線をスライドさせて、
「元春はどうする?」
「俺も変なことをしなきゃ普通に探索できてたからな。もうちょっちやってみるわ」
あまりにも情けない最後になにか感じるものでもあったのだろうか、元春も島亀の探索を継続するらしい。
ということで、さっそくディストピアに挑むのかと思いきや、「その前に――」と一言挟んだ元春が、虎助と次郎、二人の方をまじまじと見て、
「次郎のそれどうなってんだ?」
「なにかおかしなところでも?」
なにか気になることがあるらしい元春の声に首を傾げる次郎。
そして、虎助も元春がなにを問題視しているのかわからないようだ。頭上に小さな疑問符を浮かべるも。
「いやいやいやいや、お前らの目は節穴か、次郎の顔とかツヤツヤになってんじゃんかよ」
どうやら元春は次郎が飲んだ美肌薬の効果を敏感に察知したらしい。
しかし、同じくディストピアに入っていた正則はというと「もともとこんなもんじゃなかったか?」と、そこまで効果を見て取れない様子で、
そんな三人の鈍感さに、元春は処置なしとばかりに肩を竦めて、
「まあ、いいや。
とりあえず次郎、休みが終わって学校行ったらゼッテーいろんなこと言われるから覚悟しとけよ」
まさかそんな――、被験者である次郎と最初から実験に付き合っていた虎助は元春の言葉を軽く受け流すが、この元春の予言めいた指摘は、後日、現実のものとなる。
次郎の変わりようを見た、イズナに千代、次郎の母親、そしてクラスメイト等々が、ことあるごとに一夜にして超絶美肌を手に入れた次郎の秘密を探ろうと動いたのだ。
その後、数ヶ月の間、次郎と虎助の二人は詰めかける女性陣の相手に四苦八苦することになるのだが、それはまた別の話。
◆魔獣紹介
島亀……直径1キロ程の甲羅を持つ巨大な亀。穏やかな性格で戦いを好まない。海をゆったりと移動しながら海中のプランクトンなどを主食に生きている。島の大地を形成しているのは脱皮した甲羅が風化したもの。
※島亀のディストピアのクリア条件は島亀と友誼を結ぶこと、手っ取り早い方法は島亀の脱皮を手伝うこと。それ以外にも島亀に気に入られる方法もあるのだが、巨大な島亀に認識してもらうのが大変。その点、脱皮の手伝いは直接甲羅を剥がすので認識されやすい。
サーベルタイガー……サーベル状の体毛をまとった赤錆色の虎。体毛の色はあくまで周囲に溶け込むための保護色で錆びているのではない。喉元の体毛が数本、細長いコーン状になっており、体内から繋がる管から息を吹き込むことで勢いよく飛ばすことができる秘棘となっている。
◆次回は水曜日に投稿予定です。