万屋印のオリジナル商品
放課後、僕がアヴァロン=エラに到着する時間は大体午後四時過ぎだと決まっている。
いつもの時間に学校から帰宅した僕は、ユニフォームのようになっているカーゴパンツに無地のジップパーカーというシンプルな服装に着替えるなり、無明の闇が広がるそにあの口へとダイブ。荒野に降り立つと、ゲート前のランドマークとなっている巨大ゴーレム・モルドレッドの股下を潜り抜け、真っ直ぐ万屋へと出勤する。
しかし、店の中には定位置に佇むベル君以外、誰の姿も見当たらなかった。
店が開いているとしても、きちんとした話し相手がいないというのはつまらないものなのだろう。最近はみんな僕がやってくる時間に合わせて来てくれたりするので、今日はそのパターンなのかな。そう思いながらも、僕は緑色の小柄なゴーレム・ベル君とハイタッチ。代理店長の役目を交代する。
そして、どうせ誰もいないならと、いつもの上がり框に腰を下ろすやいなや、ベル君に頼んで大量の刀剣類を用意してもらう。
煩型のお姫様がいない隙に、万屋における仕事の一つである武器整備をしてしまおうというのだ。
地球の夕焼けよりも赤色分の濃い独特の残照に染まる店内に、カチャカチャシュッシュと軽快な音が静かに響く。
魔法剣などと呼ばれる魔法の武器には、〈自己保全機能〉という日々取り込む魔素によって切れ味などを保つ機能が組み込まれていたりするものらしいのだが、ゲートを通りやってくる装備の中には、そんな機能が備わっていない普通の武器や防具も多くある訳で、
基本的にそういうアイテムは、手入れが面倒だからとリサイクルに回してしまうのだが、中にはリサイクルしてしまうのが惜しい一品だと、オーナーが判断するアイテムが紛れ込んでくることが時折あったりして、バックヤードには少なからず整備が必要な武器が眠っているのだ。
そして、僕がいま、正式名称不明の砥石の粉が詰まった肩たたき棒のような道具で整備しているのも、そんな一本だった。
もっとふわふわしたものだとイメージしていたその道具で、汚れを拭き取った柄のない裸の刀身を叩き、研磨剤を塗布してから、柔らかい紙をあてがい、指先で刃を挟み研ぐようにしてそれを拭い取る。
そしてもう一枚、今度はフランネル生地に油を染み込ませて、さっと刀身に馴染ませるように塗り込んだ後、刀身に刃こぼれやヒビがないかを最終チェックをしてから柄を取り付ければ作業完了だ。
と、そんなタイミングで「お邪魔しますの」と店に入ってきたのはマリィさんだった。
勤務開始から数十分、ようやくの来客を受け、目釘を打ち終えた僕の言う「いらっしゃいませ」の挨拶の一方、彼女が目聡くソレを見逃さないのは分かっていた。
「虎助。それは日本刀ではありませんの?」
僕はニコリと微笑み、手に持った黒漆拵えに収めた刀を突き出しながら言う。
「ええ日本刀ですよ。オーナーと一緒にエレイン君達が見つけてきてくれたんです」
すると、喜びも束の間、オーナーという言葉に、一瞬、瞳のハイライトを失わせるマリィさんだったが、待ち焦がれていた武器を前になかったことにしたのだろう。すぐに瞳の輝きを取り直し、もともと渡すつもりで差し出していた刀を奪い取る。
と、そんなマリィさんがまず注目したのは黒拵えの鞘だった。
掴み取った触感が初めてのものだったのだろう。
「虎助、この鞘は何で作られていますの?」
「漆って分かります?樹液を発酵させたもので、なんて説明したらいいでしょう?……ニスに近いものですかね」
艶を帯びた黒に独特のしっとりとした手触りは、その軽さも相まって不思議な高級感を醸し出す。
中世西洋文化に近い世界に暮らすマリィさんからしてみたら珍しい質感だったのかもしれない。
そして、一頻りその青い双眸で漆塗りの鞘が放つ光沢を眺めてから「成程」と囁き、いざ刀を抜こうとするのだが、
「店内だと危ないので――」
「分かっています。奥の稽古場で――ですわね」
言葉尻を奪い取ったマリィさんが足を向けたのは万屋の裏口。
正確に言うと稽古場ではなく、万屋で制作した防具などの性能実験場なのだが、
と、そんな、うきうきという擬音が聞こえそうな小さな背中を追いかけて、僕がカウンターから立ち上がり、横から伸びる細い通路を進んでゆくと、振り返ったマリィさんが言ってくる。
「虎助はお店があるでしょう。別についてこなくてもいいですのに」
前を見て歩かないと危ないと思うのだが、それは僕が気をつけていればいい事か。
僕は言いかけた注意に差し替えて、投げかけられた質問に素直に答える。
「今日はもう誰も来そうにありませんからね。来客があったとしても、稽古場ならすぐに分かりますから。なにより刃物を使うのに、女性を一人にするのはいかがなものかと思いまして」
「そ、そういう事なら仕方ありませんわね」
子供扱いされているとでも思ったのだろうか、プイッと顔を前に戻したマリィさんはやや早足で裏口まで進み、小さな開き戸を開ける。
そこにあるのは大きな四阿だった。押し固められた土の床だけが広がる薄暗い空間だ。
日が沈むにはまだ少し早い時間だが、さまざまな武器や防具の耐久試験などという使用目的から、この稽古場の周囲は高い石垣によって囲われているので、どうしても暗くなってしまうのだ。
人の存在を感知した魔素灯から明かりが落とされる。
こういったところは、やっぱり魔法技術の方が優れているのかもしれないな。埒もなくそんなことを思い浮かべていると、稽古場の中央まで歩み出たマリィさんがすっと無駄のない動きで刀を抜く。
そして――、
「美しいですの」
日本刀の多くに見られる木目調の刃文を瞳に映したマリィさんは、ほうっと艶っぽい表情を見せ、ため息混じりにそう呟いた。
「現代ではその殆どが美術品として取引されていますからね。
でも気をつけて下さいよ。日本刀は芸術品であると同時に純粋な人を斬る為に作られた道具ですから」
「わ、分かっていますの」
注意しなければ頬ずりしかねない蕩け具合に冗談交じりの忠言を入れると、本気でやろうとしていたのか、マリィさんは気まずそうに口を尖らせ、意識を集中。改めて正眼に近い構えを取り直して、日本刀を手に持った感想を口にする。
「しかし、思いの外、軽いものですね。魔法剣かと思いましたの。それに、私が想像していたものよりも若干短く感じますの」
魔法剣に限らず魔法効果が付与された装備品というものは、主に扱う魔道士が使い易いようにと軽量に作られる場合が多いという。
結界技術やその他付与効果を発揮させる魔法式を刀身に刻み込むことによって、実物以上の強度を生み出していたりするものが多いらしいのだが、この日本刀は魔法剣ではない。
ならば何故、マリィさんがそんな感想を抱くのかといえば、
「すぐにマリィさんが使いたがると思いまして、脇差っていうのかな。小太刀?とにかく、短くて扱いやすい方を持ってきましたから、あと、因みにになりますが、大太刀と呼ばれるものの中には、マリィさんの背よりも大きい物もあるらしいですよ。武器として使うのなら、いまマリィさんが使っているような短めの刀。小太刀が一番有用らしいです」
少しばかり説明臭くなってしまった長話を聞き「意外と詳しいのですね」感心をくれるマリィさんに、僕は「いえいえ」と謙遜しながらも、言い訳がましい言葉をトッピングする。
「日本刀は漫画や小説なんかでよく取り上げられる題材ですからね。あくまでその知識ですよ。斬撃においては世界最高なんて言われてますけど、実際に使ったらどうなるかのは僕のよくは知らないんです。ネットなんかだとバイキングソードやレイピアの方が強い。なんて話もあったりなかったりするそうですよ」
「それらの武器も詳しく知りたいところですが、取り敢えず試し切りですわね」
最後、過分となってしまった情報に興味を示しながらも、マリィさんが一旦刀を鞘を収めたのは、以前より漫画で読んでいた居合い斬りのイメージが強いからだろう。
それを察し、僕は試し切りの準備を始める。
オーナー曰く、異世界の鍛冶師は、武器の性能を試す為、ダンジョンに潜り、魔獣を狩るとのことらしいが、日本に暮らす僕にとって試し切りといえば巻藁である。
そんな経緯から稽古場の片隅には、竹とゴザとそれを縛るための荒縄が用意されているのだが、今回に限ってそれは必要ない。
僕はポケットから人型に繰り抜かれた紙を取り出すと、なけなしの魔力を充填。その紙片を宙にばら撒く。
と、長身痩躯の真っ白いゴーレムを召喚されて、
「召喚魔法!?虎助が!?」
「ああ、違います。これは召喚魔法じゃありません。これは、オーナーが僕の読んでいた漫画とディロックをヒントに造り出した使い捨てのゴーレムですね。命令などを書き込んで魔力を込めると、それを引金に周囲から魔素を吸収、大気中の塵を巻き込んで質量を補完。動き出すという代物らしいです」
所謂、式神とか呼ばれる符術の応用である。
「な、成程。そんな高等技術を再現するなんて、す、すごい方ですのね」
突如として現れた数体のペーパーゴーレムに瞠目するマリィさんに、その仕組を説明すると、驚嘆しながらもその表情が引きつらせる。未だオーナーという存在に恐怖心を抱いているのだろう。
「と、ともかく、試し切りしてもいいのですのね」
詰まり気味の確認に僕が首を縦に振ると「分かりましたの」飛び出したマリィさんは、近く立ち尽くしていたペーパーゴーレムに袈裟斬りを入れる。
だが、ゴーレムは微動だにしない。
そして、切り裂かれる真っ白な肉体がマリィさんが振るう日本刀の剣速を若干鈍らせた後、ゴーレムの体は二つに裂かれて爆散。紙片が舞い落ちる。
あっけないと思ったのか、戸惑いを目元に振り返るマリィさんに僕が言う。
「僕の魔力ではこんなものですよ。特に何をしろとも命令していませんしね。まあ、材料もただのコピー紙ですし、じゃんじゃん斬っちゃてかまいませんよ」
コピー紙の部分で『?』を浮かべたマリィさんだったが、高価なものでない事は理解できたのだろう。
その後、減っては追加されるペーパーゴーレムに、思う存分試し切りを繰り返し、床の一角が紙切れで埋め尽くされた頃になってようやく、チン。と刀を鞘に収める。
テレビなどの影響から勘違いしている人も多いと思うが、本来、鍔鳴りを出してしまうのはあまり良くない行為とは言う。だが、それは後で教えてあげればいいだろう。
「お疲れ様でした」
「いいえ、こちらこそ。お粗末さまでしたの。しかし、この日本刀は本当に凄い切れ味ですのね。これで魔法剣ではないのでしょう」
労いの言葉にタオルを添える僕に、これも翻訳魔法の威力だろうか。すこぶる日本的に聞こえる台詞が返ってくる。
「斬るという事象に特化させた武器ですからね。でも、前も言いましたが魔法剣の技術を応用したのなら、聖剣にも並ぶ業物が作れるかもしれないとかオーナーが言っていましたよ」
何気ない切り返しにマリィさんの動きがピタリと止まる。
もしかして、また余計なことを言っちゃった?オーナーの名前を聞いた途端、ビクッ動きを止めたマリィさんにそう思う僕だったが、どうもその考えは違ったらしい。
僅かに間を置いて静から動へ、マリィさんは弾けんばかりの勢いで飛びついてきたかと思いきや、期待感が溢れ出しそうな顔でこう問い詰めてきた。
「あの、あの、今の話を聞く限りでは、この万屋には魔法剣を作成できる技術あるという風に聞こえるのですが」
「え、ええ。前に言ったと思いますけど、ポーションは勿論、冒険者の方に好評の解体用ナイフや汎用性が高いナタなんかも裏の工房で作っていますからね。何本かの魔法剣も同じで、例の三次元ディバイダーもここで造ったものなんですよ」
「――○×△□!!!!」
形容しがたい迫力を受けてした説明に、マリィさんが声にならない悲鳴をあげる。
そして、そんなマリィさんのリアクションに苦笑いするしかない僕は、ふと、頭の中に舞い降りた提案を伝えてみる。
「あの。もしよかったらマリィさんも一本造ってみますか?」
それを聞いて、落ち着かなければと思ったのだろう。一旦、僕の肩を掴んでいた手を離したマリィさんは、深呼吸を二度三度挟んだ上で、可愛らしくももじもじと改めて言葉を作る。
「よ、よろしいんですの?」
「ええ、オーナーもマリィさんならと言っていますし」
最早、この頃になると幽霊の如きオーナーに対する恐怖心など忘却の彼方、
おそらく僕がする普段の行動を見て真似たのだろう。
「お願い致しますの」
折り目正しく腰を九十度に頭を下げるその姿には、【亡国の姫君】としてのプライドなど微塵も存在していなかった。
ペーパーゴーレムはディロックなどと同じく使い捨てのマジックアイテム(魔道具)です。




