万屋の神棚
今日も今日とてお客様の少ない万屋。
日も暮れて少し肌寒くなってきたこんな時に活躍するのは、外殻に刻まれた魔法式によって放熱・蓄熱効果が強化された湯たんぽだ。
日本では初夏に入り、今年の役目を果たし終えた湯たんぽは、押し入れの中で半年間の休養に入ったけれど、乾燥地帯で放射冷却が起こりやすいこのアヴァロン=エラではまだ少し頑張ってもらうことになるだろう。
僕はマリィさんの艶めかしいおみ足を目撃してしまわないように、こたつの中へ湯たんぽを投入。素早く顔をあげるのだが、危険な光景はこたつの外にも広がっていた。
湯たんぽが投入されたことによりリラックス度が高まったのだろう。マリィさんが大きな胸をこたつの天板に押し付けるという行儀の悪いスタイルで、殿様のキャラクターでお馴染みのカレースナックをつまみながら紅茶を嗜んでいた。
と、僕はそんなお姫様を性的な目で見ないように、『香りが強いもの同士で合うのだろうか』とか、『こんな姫君の格好を関係者が見たらどう思うんだろう』とか、余計な心配に意識を傾けることによってどうにか平静を保ち、定位置に戻ろうとするのだが、
ふと気になったのだろう。体を起こしたマリィさんが何気ない質問を飛ばしてくる。
「前々から気になっていたのですが、あの小さな祭壇のようなものはなんですの?」
白魚のような指先が示したのは、普段店番をしている上がり框の真上に祀られる小さな白木の社だった。
「ああ、それは俺も気になっていた。祭壇にしては小さすぎるし、なによりどうして食べ物が置いてあるのだ?」
マリィさんの声に追随する形で聞いてきたのは、遅れてやってきてエクスカリバーにチャレンジしていたフレアさんだ。
今日も動く気配の無い黄金の剣から放し、自分もそうだと会話に加わってくる。
確かに見慣れない和風の建造物は、西洋的な側面を持つ二人にとって馴染みのないものなのかもしれないな。
「神棚です。神様の祭壇って言えばいいのかな?これはちょっと違いますけど」
「こんなものが神の祭壇だというのか……、いや、そもそもどうしてこんな商店の中にあるのだ?」
どう答えたらいいものか。僕の曖昧な回答は、教会育ちと聞くフレアさんにとって衝撃的なものだったようだ。愕然と呟き固まってしまう。
一方、武器マニアであると同時に魔導師でもある多芸なお姫様としては、その詳細が気になったのだろう。
「宗教儀式のようなものですの?」
追加された質問に、僕は少し考える時間を挟み、今しがた聞かされたばかりの説明をそのまま繰り返すかのようにこう答えた。
「えっと――ですね。オーナー言うには、僕の宗教観を核に組み上げた精物交感魔法を発動させる為の儀式場とのことです」
その曖昧な枕詞からもわかるように、言った本人ですら、よく分かっていないのだから、魔術を嗜んでいるマリィさんとはいえど理解は難しいのだろう。
もう少し噛み砕いた説明が必要かな。そう考えた僕は自身の知る白木の社の効果を補足する。
「要するに、ここに供えられた物質はオーナーにも触ったり出来るってことですかね」
成程。と、一定の納得を得たような素振りを見せるマリィさんだったのだが、
その説明の中に、何か重大な違和感でも見つけたかのように、うろたえながらも詳しい説明を求めてくる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいまし、物質に触れるとか変換するとかどういうことですの?」
「そうだろうとは思っていましたけど、やっぱりお二人にもオーナーの姿は見えていないんですね」
字面からしてホラー的な印象を受けてしまう僕の台詞に、マリィさんは絶句。
しかし、そんな彼女よりも過剰な反応を見せたのはフレアさんだった。
彼は小刻みに震える掌を突き出し訊ねてくる。
「虎助よ。俺も問おう。それはどういう意味なのだ?」
聞かれたのなら説明するのは吝かではない。
とはいえ、オーナーの個人情報に関しては秘密にしなければならないものが多く、軽々に説明するのは難しい。
え――と、間延びした声で、どう言ったらいいものかと僕が考えをまとめていると、
「ゴースト?」
ポロリ。マリィさんの唇から零れ落ちたキーワードをきっかけに、恐怖と警戒が入り混じった二つの視線が、怪しげな光に照らされる店内に向けられる。
目に見えない存在への恐怖心。それは分からないでもないけれど……。
「あの……お二方、少しおちついてください。オーナーは幽霊じゃありませんから。大丈夫ですよぉ――って、すいません。オーナーも動かないでくれますか」
ともすれば、二人の言動はオーナーに対する失礼になってしまう。だから、まずはここにいる全員を落ち着かせた上で詳しい説明をと、オーナーにまで注意したのがいけなかった。
「こここここここ、虎助は、だだ、誰と話していますの?」
「あ、悪霊か? おのれ俺を誰だと思っている!?出てこい退治してくれる!!」
幽霊呼ばわりされて、憤懣やるかたないオーナーに向けた声を聞き、マリィさんから露骨に震えた声が飛び出し、強がりを全面に押し出したフレアさんの口から言ってはならない言葉が放たれる。
「あっ――、フレアさん。ダメです!!」
僕がフレアさんの発言をいち早く聞きつけて、慌てその暴言を止めようとするのだが、時既に遅し。
そう、とある理由から普通の人には視認できないオーナーは、悪霊扱いされることを一番に嫌うのだ。
万屋の片隅、魔剣が束になって突き刺さるポリバケツが、ガシャン!と大きな音を立てて横倒しになる。
そして、投げ出された魔剣の幾つかが、鞘からその刀身を覗かせて、黒い瘴気が立ち昇らせる。
ビクン。反応速度の限界を超えて音のする方向へと首を振った二人は、その光景を目に、石像のごとく固まってしまう。
だが、そんな二人を弄ぶように、もともと二人が向いていた店の出入り口付近からラップ音が鳴らされる。
畳み掛けるように魔素灯が不規則に明滅。棚がガタガタと震えだし、たぶん低レベルな幻術の類だろう。黒いネグリジェをしどけなく着る少女が店の中央に姿を現す。
決して短くない沈黙が流れ、ただ、点いたり消えたりを繰り返す魔素灯の起動音だけが静かに響く中、時間が止まってしまったかのような二人に「あの――」僕が声をかけようとしたその時だった。
「「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁああ!!!!」」
怖いもの知らずと思われた二人も、未知の恐怖には耐えられなかったか。
どこからか伸びてきた白い手が、二人の肩に触れるか触れないかまで近づいた瞬間、第六感でも働いたのか。仲良く悲鳴をあげた二人が我先にと万屋から逃げ出してしまう。
店内に残されたのは僕一人……いや、もう一人いるか。
「しかし、幽霊扱いされることが好きじゃない割には、やっていることはポルターガイストですよね」
気まずそうに目尻を下げた僕の視界には、店の片隅に立ち尽くすネグリジェ姿の少女がはっきりと見えていた。
「もう、数少ない常連さんなんですからあんまり脅かさないであげて下さいよ」
誰もいなくなった店内で、自ら生み出した幻影と同じくだらりと体を前に垂らすオーナーに、僕は優しくも呆れに満ちた声をかける。
余談になるが、逃げ出した二人はそれから暫く万屋に寄り付くことが無かった。
神棚……虎助の固定観念を軸に魔法的な作用を発生させる儀式場。形は同じでも本来の神棚とは全くの別物。




