●姫の行方とアギラステア5
空を駆けるのは鷲の上半身に獅子の下肢を持つグリフォンのキング。
その背に跨るのは真紅の鎧がトレードマークの冒険者フレア。
「まだか」
「近くまでは来ていると思うんだけどね」
フレアが焦っているのは、つい今しがた、仲間がピンチであるとの報告を受けたからだ。
しかし、さすがのグリフォンでも岩陰が多い鉱山に隠れ潜む人物の探索は数分で終わるものではない。
少しの戸惑いが見えるキングの返事に焦りを募らせるフレア。
けれど、それをキングに言っても理不尽というものだ。
だから、フレアはその矛先を少し変えて、
「虎助、ティマ達はどうなったんだ」
『今のところ、無事のようですね』
「無事というのはどういうことだ。ティマ達はヒース殿に見つかってしまったのではなかったのか?」
焦っているからだろう。ついつい声が大きくなってしまうフレアに、虎助は通信越しの声に若干気圧されるような雰囲気を滲ませながらも、努めて冷静な声でこう返す。
『確かに見つかったのはそうなんですけど、あわやというタイミングでレニさんが三人を発見してくれたようで、今は四人でヒースとその部下と戦っているみたいです』
「そうか――、それはよかった。
しかし、危機であることには違いないのだろう?」
『そうですね。いまのところ消耗品を大盤振る舞いして敵の攻撃を抑えているようですが……』
助っ人が辿り着いたという報告にいったん胸を撫で下ろすフレア。
だが、それも何時まで続くかわからない。
虎助の同意にフレアが更に詳しい情報をと口を開こうとしたその時、バフンとなにか破裂したような音が耳に届く。
「見えたよ。たぶんあれじゃないかな」
キングの声にフレアが視線を前に向けると、鉱山の麓近く、岩が林のように乱立している場所から赤い煙が吹き上がっているのが視界に飛び込んでくる。
「どうするの?」
「あの煙の手前で落としてくれればいい。
後は予定通り、リーヒル殿の助けに回ってくれ」
キングの問いかけにフレアは羽毛で覆われた背中の上の立ち上がる。
「ただ、できることなら兵を殺さないでやって欲しい。
君にとっては彼等は敵なのかもしれないが、俺や姫が暮らした国の兵士だ。あまり遺恨をのこしたくないからな」
「そこのところは大丈夫だよ。僕達の行動で主や姫が恨まれても困るからね。
たぶんそれはリーヒルもわかってるんじゃないかな」
戦場では少しの躊躇いが命取りになる。
しかし、それ以上に戦場での恨みというものは後々まで引き摺る厄介な毒となる。ロゼッタ姫の安全な出産と子育てを考えるのなら、ここで無用な恨みは買いたくない。
フレアはキングの判断に「ありがとう」と小さく感謝の言葉を呟いて、
「でも、このまま降りるって大丈夫なの? 人間にこの高さは危ないと思うけど」
いまキングが飛んでいるのは上空百メートル以上はある空の上、いくらフレアの肉体が、修行や魔力、その他、実績の獲得などで強化されているとはいえ、ここから飛び降りたのならタダでは済まないのではないか。
そんなキングの問いかけに対してフレアは自信があるように。
「それならば問題ない。 なあ、虎助」
『五点着地ですか? まあ、ディストピア内であれだけ練習したんですから、大丈夫でしょうけど……』
虎助が呆れるように言った『五点着地』とは、高所から飛び降りる際に、足先、脛の外側、お尻、背中、肩と、転がるように接地することで全身にかかる衝撃を受け流す着地技術である。
本来これは、上空百メートルという高さから落ちたというシチュエーションを考えているような技術ではないが、先に述べた通り、魔力に実績と、さまざまな力によって強化されたフレアがその技術を使えば、その何倍もの高さから落ちた場合でも死ぬことはないだろう。
そして、そんな技術があることを、アヴァロン=エラでの訓練中、虎助との何気ない会話の中で聞かされたフレアは、これはいろいろな場面で使える技術ではないかと、死という概念が存在しないディストピアで実地訓練を繰り返し、ついには完全に体得することに成功したのだ。
「よく分からなけど、君が大丈夫っていうなら行くよ。〈雷の雨〉」
ティマ達が戦闘を行っているだろう上空にまでやってきたキングが、空から近付く自分達に気付き剣を振り上げる眼下の敵目掛けて雷を落とす。
その威力は相手を殺さないように手加減したものだ。
雷撃の余波を受け、キングを見つけ集まってきていた魔法使いたちが墜落していく。
ゆっくりと墜落してゆく魔法使い達を追い抜くように急降下するキング。
雷撃が収まるのが早いか、キングの背中からジャンプ。空中に身を躍らせるフレア。
真っ逆さまに地上に向けて降下。
そして、転がるような着地から――、
「良し、ティマ達はどこにいる」
『フレアさん。いきなり飛び出さないでください。先ずは回復を優先に』
飛び出そうとするフレアを虎助が引き止める。
思ったよりもキングが低空にまで降下してくれたとはいえ、あれだけの高さから飛び降りたのだ。戦いの前に怪我などがないかチェックしておくべきだ。
そんな虎助の注意に、フレアはつい数時間前に習得したばかりの陽だまりの剣の回復能力を使って対応、改めて赤色の煙が薄っすらと残る方向を見据えると。
「それで、ティマ達はどこにいるのだ。周辺には気配を感じないのだが」
『戦いながら移動しているみたいですね。鉱山の魔法金属の影響か、細かな位置まではなかなか掴めませんね。戦闘音から割り出しましょうか』
虎助からのアドバイスにフレアが耳を澄ます。
「あっちか」
剣戟の音を聞きつけ、すぐさま駆け出すフレア。
その途中、キングの雷撃から逃れたのか、幾人かの兵士と遭遇したりもしたが、その殆どはキングの雷撃を受けて動けないようだ。
中にはフレアの顔に見覚えがある者がいたのだろう。数人の兵士は戸惑うような素振りも見せるも、殆どはある意味で勤勉な兵士だったみたいだ。問答無用とフレアに襲いかかる。
だが、フレアの勢いは止まらない。
兵士を殴り倒しながらも速度を緩めることなく、目的の剣戟の音が聞こえるその場所に向かって木々の間を駆け抜けて、
――と、そんなフレアの目前をふいに風の狼が横切る。
「フレア」
声に振り向くと、そこには土に汚れたとんがり帽子を頭の上に乗せ、服のあちこちを引き裂かれながらも数体のロックゴーレムに守られ兵士と戦うティマがいた。
「ティマ。無事か?」
「いまのところ大丈夫、でも、あっちの方は――」
襲いかかる兵士を鞘に収められた陽だまりの剣で気絶させ、ティマの無事を確認するフレア。
ティマはそんなフレアの心配に華が咲くような笑顔を浮かべるも、それも束の間、すぐに真剣な表情を取り戻し、近衛兵長ヒースに吸血姫レニが激しくぶつかり合う現場に視線を向ける。
そして、そんな二人から少し離れた位置では、レニが魔法による牽制を飛ばしており、そこから更に後方、ポーリがその綺麗な長い青髪を振り乱しながら、防御魔法や補助魔法、回復魔法をせわしなく唱えていた。
どうやら、レニを戦いの主軸に、メルがそのサポートに回ることでヒースを抑え、召喚によって集団戦闘が可能なティマが周りの兵士に対処、ポーリが全体の回復と補助をこなすという役回りになっているらしい。
「諦めて剣のサビと散るがいい」
「そう言っている割には攻めきれてないようですが」
「舐めるな」
レニが腕にまとわりつく赤い刃を黒靄をたなびかせたヒースの大剣が斬り裂く。
しかし、追撃を加えようとしたそこにフレアが割り込みをかけて、
「勇者フレア――、
貴様も我らの邪魔をするのか?」
「邪魔ではない。
俺は、俺達はアナタ達が間違いを起こさないようにしているだけだ」
「間違いだと。
魔王に攫われた姫を救い出す――、これのどこに間違いがあるというのだ。
それを邪魔する貴様は反逆者なのか」
その言葉だけを切り取ると、ヒースの行いはとても正しいことのように聞こえる。
だが、アヴァロン=エラという異世界で優しい魔王と出逢い、今まで敵だと信じていた魔王パキート本人と話してきたフレアからすると、それは何も知らない子供が我儘を言っているような薄っぺらな言葉にしか聞こえなかった。
「姫がそれを望んでいるのなら、反逆者と呼ばれようとも俺はその言葉に従うまで」
一方、フレアの一番はロゼッタ姫だ。
おそらくそれは惚れた弱みというヤツだろう。
姫の望みは叶えてあげたい。
どんなことがあろうともここで引くつもりはないと宣言するフレア。
だが、ヒースは聞く耳を持たない。
「姫は騙されているのだ。
いや、魔法で操られているに違いない」
つばを飛ばし、レニが危険を犯してまで届けたロゼッタ姫からのメッセージはすべて作り物だったと否定するヒース。
かたや、そんなヒースの言動を目の当たりに、フレアは、恥じ入るような、哀れむような、そんな表情をヒースに向けて、
「貴方は少し前の俺に似ている。
これ以上、話しても無駄だろう」
それは少し前の妄信的な自分――、フレアはヒースの中にかつての自分を見たような気がしたのだろう。フレアは自らを恥じ入るようにそう言うが、しかし、フレアのその言葉はすぐに否定されることになる。
「違うわ。この馬鹿とフレアはぜんぜん違う」
「そう、この人は自分が偉くなりたいだけ」
「彼は自分がのし上がる為だけに姫を欲しているだけです」
ティマが、メルが、ポーリが、ヒースが自分と同じだと言うフレアの言葉を否定し、それに余りある非難をヒースにぶつける。
そして、立場的にはフレアと真逆であるハズのレニまでもが――、
「事情は分かりかねますが、たしかにこの男とアナタ様は似ても似つかないと思いますよ。
彼の言葉からは我欲だけしか感じませんので」
しかし、それでもヒースは動じない。
そもそもヒースは自分が間違っているとは思っていないのだ。
いや、ある一方の側から見るとヒースの行動は決して間違っていないものになるのかもしれない。
なにが正しくてなにが正しくなんてことは、その人がいる立ち位置、その思想によって全く変わってくるのだから。
「救いようがない者共だ。
もういい、全員まとめて捕らえてやる。
かかれ、皆の者――」
これ以上の会話は意味がない。
そう言わんばかりにアギラステアを横に振り、声を張り上げるヒース。
しかし、その声に応える者は誰もいなかった。
「皆の者? それは誰のことでしょうか」
冷淡なレニの声に周囲を見回すヒース。
すると、そこには死屍累々と倒れ伏す兵士や魔法使いの姿があって、
「貴様、俺の部下達になにをした――っ!!」
「アナタ様方の話があまりに長いものでしたから、余計なことかと思いましたが片付けさせてもらいました。
しかし、ご安心下さい。彼等にはただ眠ってもらっているだけですので」
ヒースの怒りをそよ風のように受け流すレニ。
「そもそも、こいつ等ってアンタの部下じゃないでしょ」
そして、そんなレニの声にティマが続いて、
「そうですね。近衛が王から離れることなどありませんもの」
ポーリがとどめを刺す。
そう、近衛の長が家を代表してやってきている言っている時点で、彼等がヒースの直接の部下でないことは明白だった。
だが、ヒースからしてみると、そんな二人の指摘が自分を馬鹿にする屁理屈にしか聞こえなかったようだ。
「貴様ら、許さんぞ」
怒りのままに斬りかかるヒース。
しかし、その相手は幾多の苦難を乗り越えてきたフレア達と魔王パキートの懐刀であるレニだ。怒りに身を任せた攻撃は逆効果にしかならなかった。
イノシシのようにただ猛然と突っ込んでゆくだけのヒースに対し、レニはその場でヒラリと一回転するように攻撃を躱しながらも足払い。
倒れたところにフレアがその手に持つ陽だまりの剣を突きつけて、
「終わりです。
ヒース殿、降参して下さい」
「ふざけるな、我はハイパ家の次期当主にしてルベリオン王家を守る最上級騎士なるぞ。たかが冒険者なとどいう下賤の者共に降るなどありえない」
あっけない幕切れに喚くヒース。
しかし、この結末は、戦いの中で思わず我を失ってしまったヒースが全面的に悪かった。
そもそも、フレアが登場する直前のヒースは、レニとメル、この二人を相手にしても互角以上に立ち回っていたのだ。
ここにアギラステアに対抗できる陽だまりの剣を所有するフレアが加わったとしても、冷静に戦えば、ここまで一方的にやられはしなかっただろう。
しかし、ヒースは思わぬ形で挑発になってしまったフレア達からの言葉に、レニの言葉に、冷静さを失って突っかかってしまった。
その結果がこれだ。
今度は自分が剣を突きつけられ、敗北を宣言するように詰め寄られる。
ヒースはそんな理不尽にただただ喚くしかない。
だが、いつまでもそんな我儘が許されるハズがない。
フレア達の敵はヒース一人ではないのだ。
鉱山に展開する兵士達、上空を哨戒をしている魔法使い、その他にも鉱山に寄り添うように作られた街を中心として多くの兵士がこの周囲に展開している。
フレア達もそのすべてを相手取るつもりはないのだが、いつまでもヒース一人にかまけている余裕などないのだ。
自ら降参してくれないのなら、そこはもう強硬手段しかないだろう。
「メル、やってくれないか」
フレアの声にメルが指先に魔力を込める。
弱毒の魔弾をヒースに浴びせかけ、静かにしてもらおうというのだ。
「貴様、いま何をしようとしているのか理解しているのか、俺はルベリオン王国の近衛の長だぞ。俺にこんな仕打ちをしてただで済むと思っているのか」
メルに対して権力を傘に、自分への攻撃を止めさせようとするヒース。
けれど、メルは動じない。
そもそも、メルはルベリオンの人間ではないのだ。
そして、メルはフレアさえいれば他になにもいらなかった。
そんなメルの事情などヒースには知る由もないのだが、メルが自分の言うことを聞かないことだけは理解できたのだろう。
だから――、
「おい、聖女、貴様なら理解しているだろう。俺をどうにかしたら近衛が――、いや、それだけじゃない。ハイパ家も黙っていないのだぞ。だから、さっさとその女を止めろ――」
もはや絶叫とも言える叫びをあげてポーリに命令するヒース。
しかし、ポーリはただ瞑目するばかりでヒースの声には応えるつもりはないようだ。
少なくともヒースはそう感じたのだろう。
「誰か、誰かいないか。俺を助けろ――」
こうなったらもう誰でもいい。とにかく自分を助けろと情けない声を撒き散らすヒース。
だが、キングの雷撃にティマのロックゴーレムとの戦いでヒースに付き従っていた兵士の殆どは戦闘不能。そして、頼みの綱のヒースがこんな状態だ。既にここに残っている兵など誰一人としていない。
よって、ヒースに残されたのは、ただ相手を口汚く罵って延命措置を図ることだけ。
「くそっ、貴様等はなんの権利があって俺を追い詰めている。
死ね……、死ね、死ね、死ね、死ね――っ!!」
もう、それは錯乱状態の一歩手前、そんな意味不明で理不尽なヒースの絶叫が名もなき森にこだまする。
しかし、そんなドロドロとしたヒースの感情が発露となったのか、
溢れ出したヒースの本音に呼応するようにアギラステアから黒い靄を滲み出し――、
次の瞬間、膨大な量の黒靄が周囲に撒き散らされる。
「みんな、逃げろ――」
剣を引くフレアの声に、レニを含めてヒースの周りを取り囲んでいた全員が走り出す。
そして、ポーリが溢れ出した黒靄を留めるように魔法障壁をヒースの周りに展開。
一方、ヒースは自分を守るように漏れ出した黒靄を見て、
「ふ、ふはは、そうだ。俺には陛下より賜ったこの剣、アギラステアがついているではないか」
哄笑――、おもむろに立ち上がると、アギラステアを天にかざし。
「アギラステアよ。我に力を――」
その声に応えるようにアギラステアから黒靄が溢れ出す。
しかし、彼の喜びももそこまでだった。
溢れ出した黒靄がアギラステアの所有者であるヒースにまで牙を向いたのだ。
ポーリの魔法障壁に閉じ込められ行き場を失った黒靄がヒースの鎧に絡みつき、鋼のような筋肉を覆う黄金を溶かし始めたのだ。
「む、なんだこれは、我に――、クッ、やむを得まい」
自らに纏わりつかんと迫る黒靄に注ぐ魔力を止めようとするヒース。
しかし、アギラステアの暴走は止まらない。
「おい、なぜ止まらぬ」
ヒースが魔力を止めようにも、アギラステアそのものに主導権があるようにヒースから魔力を吸い上げて、その魔力を糧に黒靄をどんどんどんどん量産してゆく。
「止まらぬか。離れろ、この――、まとわりつくな。離れろ」
そして、ただの靄だったそれが徐々に形を作り始め。
「なんだコレは――、蛇?」
現れたのは無数の黒蛇。
次の瞬間、その声を最後にヒースは黒靄から発生した無数の蛇に飲み込まれてしまった。