名も知らぬ遠き異世界より
詩人・島崎藤村は、友人である柳田國男が滞在先の海岸で見つけた椰子の実の話を聞いて、『名も知らぬ遠き島より――』で始まる有名な詩を思いついたのだという。
さて、どうして僕がいまそんな逸話を思い出しているかというと、
その日、僕が学校を終えて万屋に出勤しようとアヴァロン=エラに降り立ったところ、そこにはどこか異世界から次元の歪みを辿ってこの世界に流れ着いたのだろう、大量の椰子の実がそこかしこに転がっていたからだ。
最初は魔獣の仕業を疑ったりもしたのだが、ゲートの警備を担当するエレイン君と、その上空から監視任務を行っているカリアに確認してみたところ、どうやらこの椰子の実は、僕達が来る直前になって流れてきたただの漂流物とのことで、その安全性も〈金龍の眼〉によって確認されたということで僕達が持ち帰ることになったのだ。
さて、そんな経緯で収穫(?)した椰子の実だが、現在、その幾つかがカウンターの上に並べられていた。
何故そうなっているのかというと――、
「てか、俺、椰子の実ジュースなんて始めて飲むぜ。
でもよ、ヤシの実ジュースってあんまし美味くないって聞くけど、これはどうなんだ?」
安全確認の為に行った鑑定の結果、この椰子の実の果汁が飲用可ということが判明して、一緒に万屋にやってきた元春が飲んでみたいと言い出したからだ。
因みに、むかしセブ島に家族旅行に行ったという友人から、椰子の実のジュースは青臭いスポーツドリンクみたいな味だなんて話を聞いたことがあるが、〈金龍の眼〉によると、この椰子の実には普通に美味しいジュースが入っているとのことだった。
「ただ、ちょっと注意点があってだね」
「注意点?」
「うん。特にミカンとかにありがちなんだけど、果実でいいのかな? こういう木になる実って割とすっぱいのあるでしょ。どういう訳かこの椰子の実もそういう感じみたいでね。当たり外れがあるみたいなんだよ」
その名もシトラスパーム。
そう、この椰子の実は柑橘系の椰子の実なのだ。
椰子なのか柑橘類なのか、外見はまんま椰子の実にしか見えないのだが、さすがは異世界からの漂流物、僕達の常識は通じないみたいだと、そんなシトラスパームの特徴を話したところ元春が悪い顔をして、
「いや、それ、面白れーじゃねーか。
折角だからよ。マリィちゃん達が来るのを待ってロシアンルーレットゲームみたいなのをしねーか」
ということで万屋の仕事をしながら待つこと暫し、マリィさんと魔王様が万屋にやってきたところでネタバラシ。
「それで、私達が来るのを待っていたと――」
「ウチのおバカがすみません。どうしてもっていうものですから」
まあ、僕も後でこんな事があったとマリィさんに言った場合、また仲間外れにされたと拗ねてしまうかもしれないと思って元春の悪巧みに乗った訳だが、それはあくまでマリィさんの性格を考えてのことであって、元春のようにマリィさんにすっぱいジュースを飲ませようとなんてことは考えていない。
「で、マリィちゃんはどれを飲むっすか?」
「どれと言われてもあんな説明を聞いた後では迂闊に選べませんの」
「一応、鑑定して飲めるものだけ取り分けておきましたけど」
〈金龍の眼〉を使えば人やエルフ、その他諸々と条件によって食べられるものかそうでないものかを判別することが出来る。
しかし、各々の味覚の差による美味しさの程度までは測れないので、
いまカウンターの前にズラリ並べられている椰子の実は飲用可のものであるが、それが人間でありハーフエルフである僕達四人の口に合う美味しさかまでは判別できないのである。
因みに、今回より分けた椰子の実には別に毒があるとかそういうものではなく、単純に成熟して中のジュースではなくなってしまったものとか、まだ青臭く飲める段階に無いものなどという非常に都合のいい鑑定結果が出たからであって、そういうものでも加工をすればいろいろな加工品が作れるみたいだから、取り敢えず工房の片隅に保管しておいてある。
「それで誰から行くん?」
「いや、それはもちろん言い出した元春からじゃない」
「え、俺はトリだろ」
元春としては皆の反応を見てから飲みたいとか、そんな考えを持っていたのではなく、ただ単純に自分が最後というのが定番であってその意味はないのだが、しかし、今回の場合は元春が主導となっているから、トップは元春につとめてもらいたい。
ということで、ややも強引に選んでもらった椰子の実の頭を〈浄化〉をかけた解体用のナイフでスパッと切り裂く。
すると、元春は切り取られた穴を覗き込むようにして、たしかあの部分は胚乳だったかな? へばりつくようにくっついている白い部分が気になったみたいだ。
「あれ、この白い部分ってどうすんだ?」
「食べられなくはないみたいだけど、まだ成熟途中だと思うから食べてもおいしくないと思うよ」
こればっかりは実際に食べてみなければ分からないが、地球にもある椰子の実の場合は、ちゃんと実として育ちきったものでないとあまり美味しいものではないのだという。
「けどよ。ここってココナッツミルクとか、そういうのに使うとこだろ、実際食ったことはねーけどよ。料理とかにも使われてんだし、普通にうめーんじゃねーの?」
「ああ、あれはもっと――、ほら、さっき裏の土間に持っていったケバケバした方の中身だと思うよ」
「そうなん?」
「うん。後で切り開いてみればわかると思うけど、まずはジュースからじゃない」
ささやかな抵抗――というよりも、単に気になったから聞いてみただけ。
そんな元春の疑問を解消しながら、僕は穴を開けた椰子の実にV字の切れ込みを入れる。
因みに、椰子の実ジュースといえば、実にそのままストローを突っ込み飲むのが定番だそうだが、残念ながら万屋にはストローを常備していない。
だから、カウンター奥の簡易キッチンからガラスのコップを持ってきて、そこへ椰子の実ジュースを注ぎ込む。
すると、トプンと注がれたその液体は半透明のオレンジの液体で、
「ヤシの実ジュースっていうと普通に水みてーな色って思ってたんだけどよ。なんつーか、これって普通にオレンジジュースじゃね」
「シトラスパームっていうくらいだからね。別にオレンジ色でもおかしくは無いと思うけど」
元春は僕の曖昧な答えに「ふ~ん」と胡乱げな返事を返ししながらも、「匂いは、まあ、悪くないか」とコップに注がれたジュースに鼻を近づけてから、チビリと本当に少量、口に含んで、「なんてゆーか薄い?」と首を傾げたかと思いきや、今度は少し多めに飲んで「なんか、どっかで飲んだような味だな」と言いながらも、僕にも味見をするように言ってくる。
と、僕は自分用に用意したコップに元春が選んだ椰子の実から、そのジュースを注いでその味を確かめて、
「あれじゃない。ほら、駄菓子屋さんとかで売ってるチューブに入ったジュース」
「あれな、確かにそれっぽい」
正体が分かってしまえば躊躇うことはない。そう言わんばかりにコップに注がれたジュースを飲み干す元春。
いや、そもそも飲用可なんだから、味が問題なければちゃんと飲もうよ。
あと、もしも僕を毒見役にしたのなら、僕は〈状態異常耐性〉を持っているから意味がなかったよ――と、僕が心の中でそう思っていると、マリィさんが、
「つまり、不味くはないということですの?」
「ええ、とりあえず、元春のジュースはきちんとジュースと呼べる味にはなっていますけど……、どうします? なんならマリィさんは飲まなくても大丈夫だと思うんですけど」
これは元春の思いつきで始まった企画だ。だからマリィさんが嫌というなら無理して付き合う必要はないと、椰子の実ジュースがマズくないことを聞いてくるマリィさんに、こそっと言ってみるのだが、
「いいえ、元春が飲んだのです。私が逃げる訳にはいけませんの」
負けず嫌いなマリィさんとしては元春が飲んだというのに自分だけ逃げるのは面白くないらしい。
そういうことだったら仕方がないね。
僕はマリィさんがスパッと選んでくれた椰子の実を元春の時と同じく解体用ナイフで切り開き、その中身を新しいコップに注いいでいく。
だが、そのジュースは明らかに元春のジュースよりも色が濃くて……、
「元春のジュースと違って濃厚そうな感じですね」
「お、こりゃ、マリィちゃん。やっちまったか」
色が濃いということはそれだけ味が濃いのでは?
これはすっぱいジュースを引き当ててしまったんじゃないかと楽しそうにニヤつく元春。
しかし、マリィさんは、チロリと鋭い視線を飛ばしてはしゃぐ元春を威圧、『ここまでされて引いてしまっては女がすたる――』とばかりにコップを手にとって、
「飲みますの」
手を腰に、やおらオレンジ色の液体を勢いよく口の中へと流し込む。
だが、その動きはすぐにストップして――、
これは本当に元春の予想が当たってしまったか――、
僕がこれから起こる惨劇に念の為とポーションを取り出すのだが、
コトンと空になったコップをカウンターの上に置いたマリィさんは顔を蕩けさせ。
「な、なんて美味しい飲み物ですの」
「え――」
「マジっすか?」
マリィさんのリアクションに驚く僕と元春。
そして、魔王様が「……飲みたい」とマリィさんにねだるので、僕も興味がありますと手を上げたところ、マリィさんは「どうぞどうぞ」と自分の椰子の実を渡してくれて、
元春も飲んでみたいと思ったのだろう。『俺も俺も――』と僕達に続こうとするのだが、その機先を制してマリィさんが一言。
「ただし元春はダメですの」
「なんでっすか?」
ピシャリと言われてしまった元春が素っ頓狂な声を上げる。
「貴方、自分が何を言ってみたか思い出してくださいの」
うん。ささいなことではあるが飲む前に少なからず誂うようなことを言ったのに、いざ、飲んでみて美味しかったら、自分もと言い出すのはさすがに掌返しが過ぎるのだろう。
そして、マリィさんと元春がそんな言い合いをしている間にも、僕と魔王様は自分のコップにマリィさんの椰子の実からジュースを注いで。
「……おいしい」
「本当に美味しいジュースですね。なんていうか高級なフルーツパーラーで飲むミックスジュースって感じですか」
まあ、正直言うとフルーツパーラーなんて一度も行ったことはないんだけどね。
それくらい美味しいんじゃないかという意味である。
そして、マリィさんと元春の言い争いも元春の完全敗北で決着を迎えたみたいだ。
「チクショー。虎助――、次だ次、マオっちとお前のジュースの試してみよーぜ」
元春が悔しそうにそう叫ぶ。
元春としては、僕か魔王様の椰子の実ジュースが美味しかった場合、今度はマリィさんに飲まさないようにと立ち回ろうとかそんなことを考えているのだろう。
ということで、僕と魔王様が選んだシトラスパームのジュースも飲んでみようということになったのだが、前の二つと同じく解体用ナイフで頭の部分を切り落とし、飲み口を作って、その中に入っているジュースをコップについでみると。
「ハハッ、虎助のは完全に外れだな。水みてー」
これもまた自分だけマリィさんのジュースが飲めなかったことへの反撃だろう。僕が選んだ椰子の実のジュースが味気のない透明な液体だったことに元春からのツッコミが入る。
そして、視線を転じて魔王様の選んだ椰子の実ジュースを見た元春は、
「お、マオっちのは当たりっぽいな。マリィちゃんのジュースって程じゃないが、結構濃い色じゃんか」
そう言うと、ふと素晴らしい発見をしたとばかりに頭上に豆電球を光らせて――、
「つか、濃いマリィちゃんのジュースってなんかいやらしくね」
雉も鳴かずば撃たれまい。
ドガン。
不用意な発言をした元春は無事に焼却されました。
さて、オチもついたところで早速試飲といこうと思ったのだが。
「……おいしい」
魔王様、思い切りが良すぎです。
魔王様の試飲は既に終わっていたみたいだ。
マリィさんもおすそ分けしてもらったみたいで、
「本当に、私のものよりさっぱりしていますが、これはこれで美味しいですわね」
「で、虎助のはどうよ」
しかし、元春の生命力はすでに人外レベルに達しているのではないか、驚くべき速度で復活してきた元春の声掛けに、僕は「ハイハイ」と適当な返事をしながらも、コップを手にとって――ゴクリ。
「これは――――、好き嫌いが分かれる味みたいだけど。おいしいかも」
「なに?」
「味の濃いレモンスカッシュって感じかな。スッキリとしていてなんていうか――」
「マジかよ。ちょっと俺にもついでくれ」
マリィさんのジュースが飲めなかったのが結構悔しかったんだと思う。かぶりつくように迫ってくる元春に、僕は『仕方がないなあ――』と、いい笑顔で自分の椰子の実からその透明な液体を注いであげる。
すると元春が一口それを飲んだその瞬間――スプラッシュッ!!
その口から透明な飛沫が吹き上がる。
そして、ダンとカウンターに手を叩きつけ。
「つか、めちゃくちゃスッペーじゃねーかよ」
「ふふ、引っかかったね」
そう、僕が選んだ椰子の実ジュースはまるでレモン汁を濃縮したかのようなすっぱさだったのだ。
しかし、それを素直に言ってしまうと、確実に元春にねちっこく絡まれるだろうと、一芝居打ったという訳だ。
と、そんな僕と元春のやり取りを見て、マリィさんと魔王様はちょっと意外そうな顔をして、
「虎助の意外な一面を見た気がしましたわ」
「……ん」
はて、そうだろうか、このくらい、いつもやっていることだと思うけど、お二人の目には今のやり取りが珍しいものとして映ったみたいだ。
とまあ、それはそれとして、この異様にすっぱい椰子の実ジュースはどうしたものか。
捨ててしまうのも勿体無いしと、文句を言ってくる元春を前に僕はその両方に頭を悩ませるのだった。
◆虎助の意外な騙し討ちについて――、
虎助自身はあまり気付いていませんが、アヴァロン=エラにいる時と、地球にいる時で、けっこう性格が違っていたりします。
まあ、アヴァロン=エラでは、万屋の店長としてその場にいるのだから当たり前といえば当たり前ですが。
◆次話は水曜日に投稿予定です。