ポーションとトレーニング
時刻は午後四時半、学校を終えて万屋にやって来た僕が業務連絡や商品の補充を終えてカウンターにつくと、そのタイミングを見計らってか、店内の物色をしていたティマさんがこう声をかけてくる。
「ねぇ、体力回復のポーションってこれしかないの?」
「一応、上位のレシピはありますけど、そこにある薬じゃダメなんですか」
万屋の体力回復薬――つまり元気薬は、基本お手軽に栄養ドリンクに魔力を込めたものか、このアヴァロン=エラへと紛れ込む魔獣の希少部位など、精のつく素材を使った高級品の二種類しかない。
それでダメなら、後はマールさんの生命の果実か龍の血などを使ったものを用意しなくてはならなくなるんですけど。そうティマさんに確認してみると。
「フレアがちょっと調子が悪いみたいなのよ。私、お金を取りに帰るじゃない。だから、その前になんとかしてあげないとって思って」
因みにティマさんが言っているお金を取りに行くというのは、オリハルコン製の〈スクナカード〉を二枚購入した分の穴埋めなのだという。ティマさんの話によると、手持ちのお金にはまだ余裕があるそうなのだが、この生活がいつまで続くのかわからないことから、もう少し生活資金を確保しておきたいのだそうだ。
しかし、ただ生活をするだけなら、このアヴァロン=エラは銀貨数枚で一日過ごせるようになっているのだが、ティマさんとしてはこの滞在をきっかけに自分達の戦力アップを考えているのだろう。基本無料なんてどこかで聞いたことのあるようなディストピアでの訓練の値段はともかくとして、それ以外の訓練では装備品のメンテナンスが必要ということで、それなりに手持ちがあった方が安心だと考えたのかもしれない。
「つってもよ。さっき勇者を見たんすけど、普通に元気だったと思うんすけど」
そう言って横から話に入ってくるのは元春だ。
マールさんのところから帰ってくる途中、工房側の訓練場で水の魔弾の特訓をするフレアさんを見かけたのだろう。靴を脱いで和室に上がりながら、文字通り、悩ましげにするティマさんにそう言うのだが、
「そうね。体調はいつもの調子に戻ってるみたいなんだけど、前よりも体が動かなくなってるって言ってるのよ」
「訓練は毎日やってこそですからね」
「ずっとあんなだったしな。なまってんだろ」
鍛え上げた肉体に魔法力の強さ、そして大量に確保する実績と装備品などアイテムによって得られる強さ、その他にも仲間との連携に使い魔などの存在と――、強さの質にも様々あるのだが、特にフレアさんに重要な強さが肉体的な強さだ。それは日々のトレーニングによって鍛えられ、少しでも怠けると徐々にその力は落ちていく。
「それで体力を回復させる元気薬をということですね」
「ええ」
「でも、元気薬っつーならいっぱい飲んでたよな」
頷くティマさんに元春が思い出すのは、フレアさんがボロボロになってやって来た数日前のこと、そして、その時にフレアさんが元気薬などの魔法薬を過剰摂取していたことだ。
その効果はあまりなかったようなのだが、効能そのものは発揮しているハズだと。
「つかよ。今更だけどあれって大丈夫だったん? 俺も前に試作品を作った時にいろいろ試したけど、ヤバかったぜ」
元春が言っている『ヤバかった』というのはたぶんシモの意味でのことだろう。
半分無意識とはいえ、元気薬を大量に摂取したフレアさんの体にもその変化が起こっていたのではないのか、元春としてはそう言いたいんだろうが、しかし、その質問に対して僕に言えることはない。
何故なら、ティマさん達が来るまでは、フレアさんはずっと元気薬を飲んでいるか、ただボーッとしているだけだったので、そのお世話は万屋に常駐するベル君に任せっきりで、僕がしたことといえば、毎日のように〈浄化〉の魔法を使ってフレアさんの体を身ぎれいにしていたくらいなのだ。
だから、実質フレアさんの体に起こっていた変化はベル君のみぞ知ることになっているのだ。
ということで、僕は元春の戯言を華麗にスルー。
うん。この話は深く追求したらダメなヤツなんだよ。
「元気薬は疲労回復。滋養強壮。生命力みたいなものを回復する薬ですから、筋力の衰えなどに対する効果は薄いでしょうね」
「ということは、この場合、肉体強化系のポーションを使えばいいってことになるの?」
「どうでしょう。あれはあくまで身体強化魔法の延長線上で一時的な効果ですからね。筋力などを戻すには、トレーニングと合わせて自己治癒力を高めるリジェネポーションを使った方が効果的と思われますが」
単純に元気薬の効果だけを説明して、元春が天然で仕掛けたセクハラに、ティマさんが気付かない内に話題を本来の方向へと持っていくのだが。
「自己治癒力って、ああ、超回復ってヤツか?」
「超回復?」
元春の言った『超回復』という言葉に首を傾げるティマさん。
まあ、僕の言ったことは超回復なんて大袈裟な話ではないのだが、お客様が疑問に思っているなら、それに答えるのが店員というものだ。
簡単にではあるが超回復の仕組みをティマさんに説明すると。
「って、なんでアンタ達はそんなことに詳しいのよ」
「俺等の世界じゃ一般常識っていうか、普通にマンガとか見てりゃ出てくる話っすからね」
この手の知識はスポーツ漫画を読んでいれば自然と身につくものである。
中にはとんでも理論が数多く散りばめられていることから、そのすべてを信じるのは危険なことであるのだが、中には実際に役に立つ情報もあったりする訳で、
「マンガって、そこの部屋に置いてある本よね。この前、フレアが真剣に読んでたけど、そういうことだったのね」
いえ、あれは単純にマンガを楽しんでいただけかと――、
と、フレアさんが最近マンガに嵌っているということはおいておいて、
「だから、単純に筋力を鍛えるという意味ではリジェネポーションが一番なんですよ」
宿泊施設に置いてある地球で買ってきたトレーニングマシンを使えば効率的に筋肉が鍛えられると教えてあげると、ティマさんは「ふぅん」と鼻を鳴らし。
「でも、それなら普通のポーションでもいいような気もするけど――」
回復するならポーションの方が早いのではないかと聞いてくるのだが。
「それが普通のポーションとリジェネポーションだと効能の違いがあるんですよ。
普通のポーションを使ってしまうと純粋に魔力を使って回復させることになってしまいますからね。自然回復みたいに筋肉を増強することには繋がらないんですよ」
ポーションの効果はあくまで魔素を介した魔法的処理によって起こる回復現象だ。
言い換えるのなら人間を修理するようなものだから、筋肉を自力で修復する時に起こる筋力アップが望めないのだ。
因みに、何故こうして二種類の回復薬があるかと言えば、純粋に錬金術の発展とその過程でこの二つの回復方法が開発されたからであり、世界によっては回復ポーションとリジェネポーションのどちらか一種類しか存在しないという世界もあるみたいなのだが、たぶんティマさん達の暮らす世界では通常のポーションが主流になっているのだろう。
「よくわからないけれど、要するに普通のポーションばっか使ってたらいつまで経っても筋肉はつかないってことなのね。じゃあ、これにするわ」
そう言って商品棚からリジェネポーションを持ってくるティマさん。
僕はそんなティマさんに「ありがとうございます」と営業スマイルを浮かべて、カウンターの上に置かれたポーションの精算に入ろうとするのだが、その前に一つ聞かなければならないことがある。
「あの、それはいいんですけど、ティマさん、お金の方は大丈夫なんですか?」
ティマさんといえば先日オリハルコンの〈スクナカード〉を二枚も購入して散財したばかりだ。
というか、これからその補填をする為にお金を取りに帰るという話を先ほど聞いたばかりなのだ。
余計な出費はお金を取りに行ってからの方がいいのではないか。僕はそう言ってティマさんを心配するのだが、これは余計なお世話だったみたいだ。
「大丈夫。メルにも協力してもらっているから」
ティマさんは、いまフレアさんの修行に付き合っているメルさんがお金を出してティマさんが買い出しに来たそうだ。だから、心配いらないと一ダース分のリジェネポーションをお買い上げ。
ティマさんが奥の訓練場に消えていくその背中を追いかけるように元春が言うのは――、
「なあ、これを使えば俺も簡単に細マッチョになれんのかな」
「そうだね。普通に筋トレとかをやるよりは効率がいいと思うよ」
プロテインなんかと併用すると更に倍率ドンだ。
「つか、そこは魔法でなんとかなんねーのかよ」
本当に君はどうしようもないな。
僕は自主的に筋トレをする気なんてサラサラないとばかりに言ってくる元春に、これは母さんに鍛え直してもらった方がいいのかもと、心の中でため息を吐きながらも、『でも、やってできないことはないかな――』そう思い直して、
「だったらちょっと考えてみるよ。
だから、もし完成したらモルモット役をよろしくね」
「いや、モルモット役とか酷くね」
元春はこう言って嫌がるが、『嫌よ嫌よも好きのうち』お笑いのツボがわかってる元春のことだ。作ったら作ったでちゃんと実験に付き合ってくれるだろう。
◆
「という訳で作ってみたんだけど」
「――って、マジで作ったんか。
つか、これって寝ているだけで腹筋が鍛えられるとかいうあれじゃね?」
「だね。魔力を使って微弱な電撃を発生させて筋肉を収縮させるってそのまんまの機能になってるよ」
どこかで見たようなパッドを手に取り、元春が疑わしげな視線をこちらに向けてくる。
そう、これはあの有名な腹筋マシンを魔法の力で再現した魔動機、名付けてマジックマッスルだ。名前は少しパクり臭いがそこのところは仮名ということでご容赦願いたい。
「ふ~ん。けどよ。魔法で電撃とかって大丈夫なん?」
「それは大丈夫だと思うよ。僕で試したからね」
モルモット役として元春を確保していたとはいえ、最低限の安全テストは自分の手でやらなければならない。
だから、ソニアに頼んでぱぱっと開発してもらった後、僕も自分で試してみたのだが、その時には特に異常は無かった。
しかし、元春はそれだけでは満足してくれないみたいだ。
「お前が試したって、逆に心配なんだけど……」
「逆に心配って、なに言ってるのさ。元春が嫌っていうから僕が実験台になったんじゃない」
まったく、失礼な友人である。
人がせっかく安全性を確かめたのに、それが信じられないなんて、
「いや、お前の場合、いろんな実績とかですでに人外状態だろ」
「人外ってのは言い過ぎだよ」
僕が多くの実績を取っているという事実は否定しないが、それで僕のことを人外だと言うのなら、例えば母さんとか、もっと人外認定されてもいい人がいっぱいいるハズである。
「いや、でもよ。普通にドラゴンが住む世界にテストだなんだって言って一人で潜るヤツがまともだと思うか」
「そう言われるとそうなのかもだけど」
まさか元春に論破される日が来るとは――、
僕が元春の正論にちょっとショックを受けていると、マリィさんがその大きなお胸を突き出して、
「ならば私が試してみましょうか」
「マ、マリィちゃんがっすか」
「これは他のことと並行して鍛えられるのでしょう。ならば興味がありますもの。私が執務の間、ずっと発動し続ければそれだけ鍛えられるということになるのでしょう」
「だめだめ。マリィちゃんはムチムチぷよんぷよんじゃないと、ガチムチになったらキャラが死んじゃうから」
「ム、ムチ――」
自ら実験台になると名乗り出たマリィさんを元春が慌てて止める。
ムチムチなんていう失礼な物言いはともかくとして、筋肉質なマリィさんはどうかと思うから、僕としては元春の意見もあながち間違いとは思えないのだが、女子であるマリィさんとしてはムチムチという言葉が納得いかないようだ。
顔を真っ赤にして反論しようとするのだが、それがきちんと言葉になる前に元春が割り込んで、
「と~に~か~く~、マリィちゃんは鍛えちゃダメなの。ダメ」
「ならばトワに試してもらうというのは――」
「そ、それこそダメじゃないですか。あのトワさんのムキムキになったら怖いじゃないっすか」
「しかし、トワは既に――」
おっと、マリィさんそれ以上は言ってはいけない。思わず言ってはいけないことを言ってしまいそうになるマリィさんを僕が止めようとするのだが、それよりも前に元春が手を上げて。
「わかりました。俺がやりますから、やればいいんでしょ」
「……結局、元春がやるんだね。だったら最初からそう言えばいいのに」
「うるせーよ。これはマリィちゃんとトワさんのナイスバディを守る戦いだ。
つか、マリィちゃんがまた変なことを言い出す前にさっさとやっちまおうぜ。
ちょっちつけるの手伝ってくれ」
心の声がつい口に出てしまっていたようだ。元春は僕の呟きに『五月蝿い』と文句を言いながらも、マジックマッスルを手にとって、装着を手伝ってくれと言い出す。
「はいはい――とは言っても、貼り付けるところはジェルシートみたいになってるから一人でも簡単にできるんだけどね」
「そりゃ見りゃー分かんよ。
んで、後はこのちっせー魔法窓で設定して、魔力を流せばいいんだな」
わかってるなら、わざわざ僕に手伝えと言う意味はあったんだろうか。
あまりに理不尽な元春にジト目を向ける僕。
しかし元春はそんな僕からの視線を無視するようにスイッチオン。
元春の体から漏れ出す微弱な魔力を動力にマジックマッスルが微電流を発生させる。
だがしかし、
「と、お、おおう。こりゃすげーな。
――って、痛っ、ちょっ待っで、イデデデデデデ――って、死ぬわ」
起動させてから十数秒、たったそれだけの時間でギブアップしてしまう元春。
元春は発動中のマジックマッスルを無理やり引っ剥がし、僕に投げ渡すようにしながら文句をぶつけてくる。
すると、そんな元春の体たらくにマリィさんが「大袈裟ですわね」と冷笑。
「じゃ、マリィちゃんもチョッチやってみてくださいっすよ。これ、超ヤベーから」
「先程はダメと言っておきながら簡単にやれといいますのね」
「それはそれこれはこれっす。
それにいくらマリィちゃんでもこれは使えないっすから」
「わかりましたの。その魔動機を寄越しなさい」
売り言葉に買い言葉。
元春の挑発的な言葉に乗ってしまったマリィさんがマジックマッスルを試すことになるのだが。
「オッケーっす」
「で、取り付けは元春と同じようにすればいいのですね」
「あ、はい、そうですね」
「……あの虎助――、見られていると恥ずかしいのですが」
現代機械に近い魔導器をマリィさんがちゃんとセットが出来るのか、心配する僕にマリィさんが、先ほどとは別種の赤い顔をしてこう言ってくる。
「あっと、すみません」
「虎助――、ナチュラルにセクハラをするなんて、なんて恐ろしい子」
慌てて後ろを向く僕を元春が無駄に器用に白目を剥いて茶化してくる。
「いや、そういうのじゃなくって――」
そして、僕が元春相手にくだらないじゃれ合いをしている間に、マリィさんがマジックマッスルを起動させたみたいだ。
「後はこれに魔力を流せば――、あ、あぁ――、アアアアアァ――」
マリィさんの艶めかしい声が背中越しに聞こえてくる。
「だ、大丈夫ですかマリィさん」
「へ、平気ですの。
ちゃんと止めましたから……、
し、しかし、これはダメですわね。刺激が強すぎます」
僕が振り返ると、そこには既にマシンを外しお腹を隠したマリィさんがいた。
と、何を期待していたのだろうか、無駄にしょんぼりとしている元春を無視して、
「そうですか――」
「ええ、もう少し電撃の威力を落とした方がいいのかと」
「つか、まだやるんすか?」
お腹を擦りながらも改善点を言ってくれるマリィさんに元春が呆れたような声を上げる。
「シェイプアップ効果があるのでしょう」
「俺はそのままでいいと思うんだけどな」
元春のその意見には僕も同意である。
しかし、女性の美に対する意識はどこの世界でも変わらないようで、その後、マリィさんからこのマシンのことを聞いたのだろう。トワさんにスノーリズさんが、他にも数名のメイドさんの要望を受けて、完成を急いでくださいと伝えに来たりして――、
結局、乙女一同の要請により、このマシンの研究が続けられることが決まりるのだが、その事実を、このマシンの量産に反対していた元春が知ることはなかった。
うん。これは使い続けてもムキムキになり過ぎないように調整が必要になるかもしれないな。
◆この手のトレーニング器具はたまに通販番組で見るのですが本当に効果があるのでしょうか。
友人宅でつけてみたことはあるのですが、アレをつけてるだけでシックスパックができるとはどうも思えません。
まあ、根気というのが必要なのかもしれませんが、友人の腹筋が割れることはありませんでしたので。