ドラゴン来襲
その日の万屋には珍しくマリィさんの姿が無く、その代わりにといっては失礼かもしれないが、魔王様と賢者様という異色の二人が顔を揃えていた。
しかし、珍しい顔合わせだな。
かたや、真面目にというべきか己の欲望を果さんと錬金素材を吟味する賢者様。
かたや、黙々と己の技術を高めるべくコースレコードを更新し続ける魔王様。
因みにその魔王様に以前頼まれた、異世界でのゲームライフを満喫できる準備は既に整えられているのだが、黙っていてもおやつが補充され、各種書籍がテイクアウトできるこの空間がいたく気に入ってしまったようで、ある意味で、ここが魔王の間ともいえなくもない程に入り浸っているのが現状だったりする。
と、そんな魔王様のお膝下にポジショニングされるお菓子に手を伸ばす賢者様がふとこんな事を口にする。
「おら地味っ子、菓子ばっか食ってねえで、ちゃんと飯食わなきゃ大きくなれねえぞ」
それはまるで親戚のおじさんおばさん連中が言うような注意だった。
どうやら賢者様は魔王様が名乗る魔王という肩書を冗談の類として捉えているらしい。
実際、僕も当初は賢者様と同じ認識だったのだから仕方がないのかもしれないが、もしも、魔王という肩書を理解しての発言ならば、賢者様も相当な大物と言わざるを得ないだろう。
まあ、東方の大賢者という肩書も、僕からしてみたらかなり大袈裟のものなんだけど。
「食べてるから平気。それよりも勝負」
ともあれ、魔王様はマリィさんと違って賢者様の不遜な態度を気にすること無いようだ。
それどころかフランクにも、ん。とコントローラーを突き出して勝負を挑む。
と、そんな魔王様がどうして対戦相手を賢者様に選んだかといえば、そこに色っぽい話や重大な秘密がある訳ではなく、単純に調度いい対戦相手が欲しかっただけである。
実は数日前までこの役目は、大抵、僕が引き受けていたものだった。
しかし、いくら魔王様が隔絶した力を持っているとしても、ことゲームに関していえば僕に一日の長がある。要するに僕と魔王様ではまるで勝負にならなかったのだ。
意外と負けず嫌いな魔王様は、僕に勝たんと日々練習を繰り返しているのだが、やはり自分のゴーストを追いかけるだけの単調な練習はいささか刺激に欠けるのだろう。
そこで、今日はいないマリィさんの代わりに、賢者様に白羽の矢が立ったという訳だ。
賢者様としても、いくら自分が地味っ子などと揶揄する女の子とはいえ、女性からのお誘いを断るのは主義に反すると思ったのかもしれない。
たまには付き合ってやりますか。と、突きつけられたコントローラーを手に魔王様の横に腰を下ろしてゲームスタート。
僕は『ちょい悪なおじさんと無口な姪』そんな風に見える二人の後ろ姿を微笑ましく思いながらも、たまに訪れるお客様の相手にしたりて過ごす。
と、どのくらい経った頃だろう。
店の外に巨大な光の柱が立ち上がり、大地を揺らすような咆哮が聞こえてくる。
ビリビリと空気そのものを震わせるその声にまず慌てたのは賢者様だった。
白熱のレース展開の最中、コントローラーを投げ出すと、靴を履くのも面倒だと、万屋の入口である大きなガラス戸に張り付いて、百メートル以上先にあるストーンサークルに視線を飛ばす。
そして、彼の口から動揺しきった声が零れ落ちる。
「おいおいドラゴンじゃねえかよ。しかもブラックドラゴンだと!?ヤバ過ぎるだろ。つか、肝心な時に青年がいねえって、折角のチャンスだってのにどうなのよ」
そう、賢者様が遠く飛ばした視界の先に捉えたのは、夕刻の時間かつこの距離にもかかわらず、はっきりと巨大な輪郭を浮かび上がらせる黒い西洋竜だった。
焦っているのか、支離滅裂に聞こえる台詞を口にする賢者様が揺れながらもギラギラとした目線をドラゴンに送る。
そのアンバランスとも思えるリアクションを見た僕の「チャンス?」と疑問符に、賢者様が答えるには、
「ドラゴンってのは高級素材の塊でな、鱗や骨なんかはそのまま武器や防具に転用できるし、その下にある革をなめすと各種耐性のある衣料品が作れたりする。涙や血は錬金術のベースなっていて、部位によっては硬いところがあるがその肉は絶品の味らしい。食いたくねえなら物質転化で全部魔素に変換しちまえば恐ろしい数のドロップがつくれるだろうよ。つまりは捨てるところがないってのがドラゴンって生物なのさ」
「はぁ、それなら知ってますけど。さすがにお客様に手を出されるのは」
「お客様?なに呑気な事を言ってんだ少年。古来よりドラゴンはヒエラルキーの最上位に位置される最強の生物って知られてるだろ。殺るか殺られるかだぞ。気まぐれに蹂躙されるこっちとしちゃあ、それくらいのご褒美がないとやってられねえだろ」
のんびりとした僕の口調に緊迫感が見られないと思ったのか、賢者様はそう断じると、懐から銃の形をした魔具を取り出して、そこへ白色のドロップをセットする。
「俺が行くしかねえのか。つってもあんなのを相手にできるほどの魔法は使えねえし、そもそも、ドラゴンには魔法ってやつがあんまし効かねえんだよな。チッ、こんな事なら対巨獣戦用物理弾とか持っとくんだったぜ」
確かに賢者様の言う通り、ドラゴンという生物はファンタジー世界において魔王と並ぶ危険な存在として知られていて――なんて事は、僕もこの万屋の店長を務める事になった時に最低限の知識として叩きこまれている。
だから、ドラゴンという生物がスーパーでお猿さん的な宇宙人並に戦闘民族であるとは知っているのだが、今回のドラゴンに限っては少し特殊な部類なのだ。
「いいえ、あのドラゴンさんはそういうのじゃないって意味で、あれ、賢者様には聞こえていませんか?」
「だから、なに言ってんだ?ドラゴンはドラゴンだろ。ここにある武器を使っても文句はねえよな」
「い、いや、それはちょっとマズいですよ」
「こんな状況だってのに売り物とか言ってる場合じゃねえだろ。恐怖のあまりボケちまったのか?」
もしかして賢者様は魔剣の危険性を認識していないのか。
このままでは銃一丁で飛び出していくと言いかねない賢者様の勢いに、僕は取り敢えず、この事態の原因であろう奥の座敷にいるはずの魔王様に声をかけてみる。
「その、魔王様?」
「そうか、地味っ子がいるじゃねえか。自称魔王ってんならお前が――」
だが、僕に続いて、調子のいい事を言いながら上がり框に足を掛けた賢者様の台詞が途中で止まる。
その原因は座敷を見れば一目瞭然。そう、そこには既に黒いローブをジャージのように羽織りゲームに熱中していた女の子の姿が消えていたのだ。
「いませんね」
「地味っ子め。逃げやがったな。やっぱ魔王だなんて嘘だったんじゃねえかよ」
賢者様が文句する通り、魔王様が逃げたということは間違いない。しかし、事実には少し乖離があるというかなんというか。
「ともかく、居ないものは仕方ありませんね。代わり僕が行って事情を説明してきますよ」
「おい少年。事情を説明するって相手はドラゴンだぞ。そりゃ竜種の頭をもってすりゃ人語はできるかもしんねえが危ねえだろ」
「大丈夫ですよ。話せば分かる人ですから」
こうなっては仕方がない。自らが出る覚悟を決めた僕は、ドラゴンの強襲という異常事態に軽いパニック状態に陥りながらも心配をしてくれる賢者様に感謝しながらも店を出て、
「本当におかしくなっちまったってのか?」
呆然と呟かれた賢者様の独り言を背中に、行儀よくもゲートから続く幅広な道路を重厚な足音を響かせやってきた真っ黒なドラゴンの前に立ちはだかり、折り目正しく一礼。声をかける。
「すいません。魔王様は今しがた店から抜け出しまして、多分――ああ、いまゲートを通りましたね」
僕は黒竜の大きな体越しに立ち昇る光の柱を指し示し、唸るように返事をするドラゴンと幾つか会話を交わした上で「ええ。本当にすいません」と、もう一度深々と頭を下げて、帰っていく黒竜を見送る。
そして、その巨体が光の柱に飲み込まれるのを確認した後、賢者様の待つ万屋へと舞い戻るのだが、
「どうなってんだよ。高位のドラゴンは人間の言葉も理解できるって聞くが、ヤツがそうだったのか?」
「それもありますが、これですよ」
そこには狐につままれたような顔の賢者様が居て、僕は種明かしにと胸元から紫色の水晶が括りつけられたペンダントを取り出す。
「それって翻訳魔具だったよな?つか、人間じゃなくても話が通じんのかよ」
「ええ。会話が可能な生物ならどんな言語も一定範囲内にいる者同士が翻訳される筈なんですけど。賢者様には彼の声が届かなかったみたいですね。どうしてかな?やっぱり所有者とそれ以外だと効果範囲が違うのかな?」
僕がそんな疑問を虚空に投げかけていると、参ったと言わんばかりに賢者様が吐き捨てる。
「もう、何でもありだな。にしたって、あんなのに襲われたら一発だろ。話が通じるとかいっても無茶すぎんだろ」
だるんといつものリラックススタイルを取り戻した賢者様に、僕は「ああ。大丈夫ですよ」と手を横に振って応える。
そう、本当になんでもないことだったのだ。なにしろ――、
「要件も分かっていましたし、毎度の事ですから」
毎度の事?繰り返した言葉の語尾を跳ね上げる賢者様に僕が言う。
「実はあの黒竜、リドラさんって言うんですけど、魔王様の部下なんですよ。雑務が残っているのに城を抜け出す魔王様を時たま迎えに来たりするんです」
でも、魔王様は大丈夫かな。怒られてないといいんだけど。
言われている事が理解できないのか、ポカンとする賢者様への説明を続けながらも、僕は一足先に城へ帰った魔王様への心配に意識を傾ける。
そして、説明の最後に「ああ。そうだ」付け加えたのは、
「それでなんですが、魔王様が迷惑をかけたお詫びにって鱗もらっちゃいましたけど。賢者様もいります、よね?」
最強種と呼ばれるドラゴンへの対応もさることながら、あまつさえその鱗を数枚ポケットから取り出して微笑む僕に、もう何から文句を言ったものかと、口をあんぐりと開く賢者様だった。
みんな大好きドラゴンのお話でした。
因みにロベルトの知識はあくまで文献を読んで得たもので、必ずしも正しいとは限りません。
あと、翻訳魔具というのはロベルトの勘違いです。(本当は上位の魔導器です)




