愚かな王の勘違い
それはそろそろ冬休みも終わりというある日の午前中、疲れた顔で来店したマリィさんがため息混じりにこう言う。
「虎助、そろそろ叔父様をディストピアの外に出そうと思うのですが、つきあっていただけますせんか」
「ええと、それは思ったよりも早かったですね」
マリィさんの伯父であるルデロック王を、お仕置きと称してヴリトラのディストピアの中に閉じ込めたのはつい十日ほど前のことである。
ユリス様の怒りようを見た感じだと、少なくとも一ヶ月、それ以上はディストピアに閉じ込めておくものだと思っていたのだが、もう開放とは……。
意外と早いこのタイミングに、僕はスタミナ回復の魔法薬を手渡しながら聞いてみる。
すると、マリィさんは一息に魔法薬を飲み干して、口元をハンカチで拭い。
「伯父様の一派がお母様が元いたベルダード砦に陣取っているのはご存知ですわよね」
勿論知っている。なにしろ、ユリス様を助け出した後、すぐに飛ばしたプテラノドン型の無人機でその砦の様子を確認しているのだ。知らない訳がない。
しかし、あの砦はただ取り囲まれているだけで、今のところ実害は無いと聞いていたんだけど、もしかして、取り囲んでいた連中が実力行使に出たのか。
そう思って話の続きを進めてもらうのだが、どうもそれは違うらしい。
「実はあれから、伯父様が私に囚えられていると知って、伯父様に恩を売ろうとする一派が自領地の兵を率いてベルダード砦に集まってきていますの。なので、面倒な事になる前に叔父様には復帰をしていて、この騒ぎを収めてもらおうと思いまして」
成程、きちんと司令系統がある一派だけならまだいいが、それ以外にもちょっとした名誉や利権なんかを期待して集まってきた小悪党が増えてしまうと、暴発の恐れがあるのかもしれないのか。
まったく金や権力を持っている人の周りにこういうおバカが湧いてくるのはどこの世界でも同じだな。
しかし、それなら、マリィさんが暮らす古城もかなりの敵に囲まれているのでは?
ベルダード砦がそういう状況なら、マリィさんの城も危ういのではないのかと僕が聞くと、そこはルデロック王の醜態を記録させたクリスタルが関係しているらしい。
当初、送られてきた映像を見た連中は、こんな映像などハッタリだと息巻き、なんと情けない王かと、ルデロック王を囚えたとされるマリィさんを巡って様々な動きを見せていたそうなのだが、一部の錬金術師がそのクリスタルを詳しく調べた結果、どうもあの映像は紛れもなく本物だということがわかり、マリィさんが軟禁される古城を攻めた場合、『同じような目にあわされるのでは?』と考え、それならば与しやすいベルダード砦に閉じ込められているマリィさんの縁者を盾に取るのがいいのではと、ベルダード砦の周囲に小悪党が集まってしまったという。
はぁ、それはまた安直と言うか、考えなしと言うか。
まあ、そんな訳で、一部のお馬鹿な貴族に振り回される形でやってきましたマリィさんの世界。
久々に動かす銀騎士の体を駆り、マリィさんが軟禁されていた古城を抜け出すと、降り積もる雪の真ん中にぽつんと置かれた檻までの移動を開始する。
因みに、今までマリィさん達を警護するという名目で、城から少し離れた関所に駐在し、古城を監視していた部隊は、既に王都への帰還の途についてしまったそうな。
ルデロック王が率いる魔導兵団が、ほぼ何も出来ずにこの世から消え去るのを見ていたのだから逃げ出してしまうのも当然だろう。
別に死んではないんだけどね。
しかし、真の敵は人間に非ず。
僕達の行く手をこの数日の間で降り積もった雪が立ち塞がる。
さすがは小さな寒村しかない豪雪地帯というべきか、二メートルを超える積雪が巨壁となって僕達の行く手を遮ったのだ。
だが、そこは【爆炎の魔術師】であるマリィさん。
マリィさんが作り出した小さな炎の壁で積り固まった雪は蒸発。
そして、移動すること数百メートル。
ようやく剣にナイフに槍に棍棒に鞭と、五種の武器が中央に並べて置かれる檻へと辿り着く。
因みに、このまさに豪雪地帯とばかりの周囲の風景とはうらはらに、檻とその周囲には雪が積もっていない。これは檻そのものに刻まれている〈温暖化〉の魔法式の効果によるものだ。
なぜ人もいないのにそんな仕掛けを施されているというと、野ざらしにされているディストピアが埋もれてしまわないようにする為と、万が一にもディストピアを抜け出してきた人が雪に埋もれないようにという配慮からである。
後者に至っては抜け出した者がいなかったということで無駄な配慮に終わってしまったが、もしもディストピアをクリアした人がいた場合、そのまま雪の中に埋もれてしまい窒息死なんてことになっていただろうから、この処置は当然の処置と言えるだろう。
因みに誰もいないのに魔法が発動状態を続けているのは、檻そのものにドロップがセットしてあるからである。
と、そんな理由から周囲とは別世界とまでは言わないものの、ちゃんと剥き出しの地面になっている檻の前に立ったマリィさんが、銀騎士に付与されているマジックバッグ機能を展開させる僕に聞いてくる。
「それが開放の魔導器ですの?」
「ええ、一つ一つディストピアの中に入って開放していくのは面倒ですからね」
マリィさんが『それ』と言って見るのは、銀騎士が虚空に現れた黒い穴の中から取り出した鍵型の魔導器のことだ。
実はこれ、天空の城でも使った鍵型の魔導器そのものなのだが、これが思っていたよりもチートなアイテムだったらしい。
なんでも、某有名ゲームの最強の鍵よろしく、全て魔法的なロックを解除できるという無茶苦茶なマジックアイテムだったらしい。
今回はそんな魔導器の条件を利用してディストピアの機能を一時的に解除しようというのだ。
ということで、僕は銀騎士の体を動かし、ひとり檻の内部へと侵入、ディストピアに向けて〈解錠〉の魔法を発動させる。
すると、五つのディストピアから小さな魔法窓が浮かび上がり『キーワードを入力して下さい』という文字が表示されるので、僕はその魔法窓一つ一つを手元に寄せて、ソニアから教えられていたキーワードを入力していく。
と、すぐにディストピアから光の粒が溢れ出し、僕は素早くディストピア本体を回収。
その内の四本をマリィさん達に渡して、認識阻害の魔法を発動、現れる五百名を超える軍勢の中に紛れ込む。
しかし、かなり広めに檻を作ったと思っていたんだけど、やっぱり五百人が相手では少し手狭だったみたいだ。ディストピアから一斉に開放された兵士で檻の中がいっぱいになってしまった。かなり混雑している状況だが、これもまた自業自得。ご容赦願いたい。
「お久しぶりですわ。伯父様」
檻を一周するまでもない。一人だけ豪華な鎧姿を装備した人物を見つけたマリィさんが、その人物――ルデロック王に声を掛ける。
しかし、ルデロック王は無言のままで――、
『これは一体どういうことですの?』
認識阻害を使っているということで、迂闊に声を出せない僕の為、マリィさんが念話通信を使って聞いてくる。
『単純に今の状況を理解できていないだけないのでは?』
マリィさんの質問に答えた僕は、マリィさんにトワさん達と分担して檻の中にいるルデロック王とその近衛である魔導兵団の面々に〈浄化〉の魔法をかけていく。
『これで正気に戻ったと思いますけど――』
改めてマリィさんがルデロック王に声を掛けたところ。
うん。ちゃんと正気に戻ってくれたみたいだ。
ルデロック王は挙動不審に空を見上げ、キョロキョロと周囲を見渡したかと思いきや、キンキラキンに完全武装したマリィさんを見つけたのだろう。憎々しげにこう叫ぶ。
「貴様――、よくも、よくも俺にあんな仕打ちをしてくれたものだな」
おっと、伯父様ことルデロック王はビックバンが大爆発で万物の悟りを開くくらいにお怒りのご様子だ。
動物園のチンパンジーばりに檻にしがみつき、マリィさんにつばを吐きかけんばかりの勢いで文句を言っている。
いや、どっちかというと泣きそうと言った方が正しいのかもしれないな。
たぶんディストピアの中で相当ひどい目にあってしまったんだろう。
例のクリスタルに転写する映像を撮影するために、僕がディストピアに潜った時だけでも三回は殺されてたからね。
しかし、そんなルデロック王の勢いも、マリィさんにこっそり渡した逆鱗剣を突きつけられてしまえば一気に消沈。
煩いおっさんが静かになったところでマリィさんが口を開く。
「そんなことを私に文句を言われても困ってしまいますの。
私は一領主としてきちんと職務を全うしただけですのよ」
マリィさんの正論にギリッと奥歯を噛み締めるルデロック王。
しかし、マリィさんはそんな叔父の態度に呆れ気味だ。
「あら、なにか文句がおありですの。先に仕掛けてきたのは伯父様の方ですのよ。あれは当然の報いではありませんか。
ああ、もしかしてお仕置きが足りませんでしたか。もうしばらくの反省が必要なのでしょうか」
「ま、待ってくれ――」
言う事聞かない悪い子にはお仕置きが必要ですね。そう言わんばかりのマリィさんの言葉を聞くやいなやころりと態度を変えるルデロック王。
しかし、マリィさんとしてはここで甘い顔を見せるのはよくないと考えたのだろう。
「これは見せしめです。お願いしますの」
マリィさんの無慈悲な宣告を受けて、僕は回収した内の一振り〈邪獣の腕鞭〉を使い、ぼーっと佇んでいるだけだったゾシモスという錬金術師を軽く叩く。
因みに彼はまだ――なんとかという人の意識を奪うような魔法薬の効果が切れていなかった様子だったので、ディストピアに送り出す前にサービスとして万能薬を口に突っ込んでおいた。
これで思う存分、向こうでの戦闘を楽しむことができるだろう。
仕置完了。今の一幕ですっかり認識阻害が消えてしまった僕がシュタっと軽業師のような動きで銀騎士をマリィさんとルデロック王が退治する檻の境目に移動させ。
「さて、改めて聞きますの。伯父様はまだ私に文句がおありですの?」
暗に謝罪を求めるマリィさん。
しかし、ルデロック王は自分の負けを認めることが出来ないのだろう。「くぅ」と悔しそうな声を上げるばかりで特に何をするつもりもないらしい。
マリィさんはそんな伯父の態度にまた一つため息を零し。
「自分の過ちに気付けないというのはそれだけで罪ということに気付けませんの?」
チラリ、アイコンタクト。
僕はそんなマリィさんからの視線を受けて、またまたニ名様を〈邪獣の腕鞭〉の中へとご案内。
今度は粋がってマリィさんに剣を向けようとした魔導兵と魔導兵団のリーダー的存在らしき金杖を持つ兵士だ。
ヒッと短い悲鳴を残してこの世界からかき消える。
そして、僕が操る銀騎士の動きに合わせるようにマリィさんが、他の魔導兵達に黒の逆鱗剣を突き出し、剣呑な目線を一薙ぎするだけで、特にヴリトラのディストピアに飛ばされた者達だろう。恐怖に慄き、その内にルデロック王の周囲にいる魔導兵がポツリポツリとこんなセリフを口にする。
「何やってんだよ」
「さっさと謝れよ」
すると、さすがにその態度は無礼だったのだろう。
「貴様等、俺を誰だと思っている!?」
口々に文句を言い出す魔導兵たちの声にルデロック王が大きな身振りで叫ぶのだが、そんな態度も被害にあった魔導兵達には癪に障るものだったようである。ルデロックに付き従ってついてきた自分達にも責任があるにも関わらず、檻の中の混雑に紛れた何人かが煮え切らないルデロック王の態度に「謝れ、責任を取れ」と騒ぎ出す。
これはもう、どっちが上司でどっちが部下なのかわからないな。
しかし、必要以上の混乱はマリィさんの望む展開ではないみたいだ。「騒ぎすぎですよ」との一言で騒ぐ魔導兵達の口を塞いで、
「俺にこのような仕打ちをしていいと思っているのか」
しかし、マリィさんの一言をきっかけに生まれた静寂の隙を縫うように、ルデロック王が僕の操る銀騎士に脅すような言葉を突き付けてくる。
この場で実質的な罰を執行しているのは銀騎士だと狙いを定めて言ってきているのだろう。
「いいも悪いも何かしようとしたところで僕にはあまり関係ありませんから」
いや、銀騎士姿の僕を脅しても……。
そもそも、マリィさんの城を通らなければ僕のところまで届かないし、たとえ僕の元に辿り着いたとしても、その時はその時で蹴散らすだけだ。
そんな僕に関する事情などルデロック王には知る由もないのだが、一国の王を恐れないその態度の意味だけは理解できたようだ。
軽口にも聞こえるセリフを吐く僕の方を向いて、ルデロック王は驚愕に目を見開く。
そして、マリィさんが手元に炎を呼び出し、過分な魔力を注入すると、その炎を檻の中に浮かべて、
「喧嘩を売ってきたのは貴方がたなのに、どうして許されると勘違いしてしまいましたの。
あまりに往生際が悪いと味方だと思っていた人間に殺されるかもしれませんわよ……お父様のように」
これはマリィさんなりの最後通牒なのだろう。いま自分がこうあるのはどういった事が原因だったのか、ルデロック王の思い出させるような言葉を告げる。
そして、ここまでされては、さすがのルデロック王も自分の身に迫る危険に気付かざるをえなかったのだろう。
周囲から向けられる視線から逃れるようにマリィさんだけを見て、
「な、何が望みだ」
「別に、ただ私としては平穏な暮らしを保証してくださればそれでいいのです」
動揺しながらも訊ねるルデロック王にマリィさんが肩をすくめてそう答える。
しかし、ルデロック王はマリィさんの言っている事が理解できなかったみたいだ。
「何を言っている?」
「そもそも私は伯父様がなにもしてこなければ動くことはありませんでしたのよ」
王族としてのアイデンティティに囚われる伯父に言葉を重ねるマリィさん。
一方のルデロック王は困惑を深めるばかり。
マリィさんはそんな伯父の様子にただただ残念そうな視線を向けて、
「私は王位に興味はありませんの」
「な、ならば何故、俺達と敵対したのだ?」
はっきりと自分に野心が無いことを告げるマリィさんに対し、ルデロック王が的外れな疑念を返す。
「それは伯父様が攻めてきたからでしょうに」
「お前は王位簒奪を狙っていたのではないのか?」
そう、そこがすでにボタンの掛け違いなのだ。
「伯父様ではないのですからそんなくだらないことをする訳がありませんの」
「ならばどうしてお前は武器を集めていた?」
核心に迫るルデロック王。
「あれらは趣味で集めていたものですの。
伯父様も私の趣味は知っておられるでしょう」
「あれだけの武器を集めて、それを趣味と申すか?」
「あれだけの武器だからこそ集める価値がありますのよ」
蒐集家の意識ここに極まれり。
あまりにも平然と言ってのけるマリィさんの態度にルデロック王が黙り込んでしまう。
そう、全てはこの認識のズレから始まっていのだ。
マリィさんからしてみると、オリハルコンやアダマンタイトと伝説に語られる金属もすでに見慣れた素材の一種に過ぎない。
しかし、アヴァロン=エラを知らない人達からしてみたら、それは異常なラインナップであって、それを一人の密偵が勘違いをし、そのまま他の貴族の――、特にルデロック王の誤認に繋がっているのだ。
改めて知らしめられた姪の異常性に開いた口が塞がらないルデロック王。
そんな伯父を前にしてマリィさんが言うのはまぎれもない本音だった。
「私は伯父様を恨んでおります。それこそ殺したいくらいにですの。
しかし、王を討てば国が荒れる。それは伯父様が一番知っておられるでしょう。
そして、それをお父様がそんなことを望むでしょうか」
現在、国内に燻る内乱の火種はルデロックが引き起こした王位簒奪によって生まれた負の遺産。
もし、マリィさんがそれをやり返したとしたら、その火種はより大きなものになってしまうだろう。
だからこそ、マリィさんはその私憤を自分の心の中だけに留めているのだ。
「さて、伯父様――、貴方はどうして自分が次王に選ばれなかったのかを理解しましたかしら。
伯父様、私は馬鹿な貴族がのさばらないことを切に願うだけですの。
何故ならば、もしそうなってしまった場合、そんな馬鹿共にこの宝玉と同じものを送りつけないといけなくなってしまいますから」
マリィさんがどこからか取り出した宝玉が収まった小箱を風の魔法でルデロックに渡す。
そして、
「これをお父様が愛したローズガーデンに持っていってくださいまし」
「こ、これは?」
「伯父様達に使われたこの剣と同じものと言えばわかりますの?
文句が出るようならそれを打ち倒してから言えと――、
条件を満たしてその中に存在する化物を倒すことが出来たのなら、相応の力が手に入るものですので、身の丈を超えた力を持とうとしている叔父様達にはちょうどいいものなのかもしれませんわね」
ただし、その力を求める者は、深き世界に住まう邪神の眷属による恐怖を味わうことになるだろう。
言外にそんな言葉を潜ませるマリィさんの言葉を受けて、ゴクリ。周囲の兵士の喉が鳴らす。
それは、恐怖によるものだろうか、それとも力が手に入るというマリィさんの発言に英雄願望を抱いたからなのか。
「因みにこちらは、いま私達が使っているものと違って、触れた者は問答無用で中に取り込まれてしまいますから気をつけてくださいの。
そして、伯父様が持っているその小箱、それは特別な呪文を唱えるまで手から離れないようになっていますからあしからず」
と、一息でそこまで言い切ったところでマリィさんは一呼吸。
「納得してもらえたところで一つお願いを聞いてもらえますの」
マリィさんのお願いというのはユリス様がこの城に暮らすことの許可を与えることと、ベルダード砦にいるユリス様のお付きのメイドをこちらの城に輸送することだ。
その願いは、数週間後、ルデロックが安全にディストピアを入れる小箱から手を離す方法を教えられると同時に果たされる。
権力を求め、父を弟を殺した愚王も龍と対峙するという恐怖を味わった後では迂闊な夢も見られない。
つまりはそういうことなのだろう。
◆〈断罪の眼〉……邪神の眷属〈ダゴン〉の心臓の一つを核石として作られたディストピア。
このディストピアによって得られる権能は〈恐怖耐性〉〈深き誘い〉そして〈勇者〉のいずれかとなっている。
後者になるほど取得条件が厳しくなっていると思われ、
〈深き誘い〉の特性を得たものはユニーク魔法を一つ獲得。
そして、〈勇者〉の実績は別の意味での〈勇者〉となるものとされているが、検証が不十分な為、その詳細は定かではない。