元皇太子妃ユリスの復活
「どうにかなりましたね」
「私としては、戦いの前に悩んでいたのはなんだったのかと、そう感じてしまう程の呆気なさでしたの」
誰も居なくなった雪壁に囲まれた大地に響く銀騎士の声掛けに、マリィさんが肩を竦めて答えてくれる。
ルデロック王が率いる魔導兵団が攻め込んできて一時間足らず、彼等は全てディストピア送りとなった。
マリィさんはあっさりと片付いてしまった問題にちょっとばかし文句を言いたいようなのだが、
「そこは『作戦通り』ということで良かったということで――、それに誰の犠牲もなくこの場を乗り切るとなると、あの方法が一番だったかと思いますよ」
閉じ込められた彼等の精神状態までは保証できないが、相手までもを無事なままで制圧するという意味では、ディストピアという魔導器は最強の武器となりえるのだ。
「ですわね。お母様さえ助けられたらそれでいいと言っていた戦いが平穏無事に終わったのですから、文句を言ってはいけませんわね」
そう言ったマリィさんは近く地面に突き刺した黒い片手剣の柄を軽く撫で、
「虎助、確保したお母様と合わせてくれますか」
「はい。大丈夫ですよ――って言いたいんですけど、その前にあれをなんとかした方がいいのでは?」
でないとメイドさん達が干からびてしまいますと、銀騎士はマリィさん達が暮らす城を取り囲むように燃え盛る炎の防御壁を指差してみる。
「そういえば、防御壁を出しっぱなしでしたわね。
中のメイド達に影響がないようにしているのですが、いつまでも出しておくものでもありませんわね」
指摘を受けてようやく思い出したとマリィさんは、城を覆う巨大な炎の壁に手を突き出して、握るような仕草で炎の壁を消し去ると、ちらちらと舞い落ち始めた雪の中、銀騎士の方へと向き直り、
「それでは、改めてお母様と会わせていただけますの」
「かしこまりました」
改めてそうお願いをしてくる。
銀騎士がそんなマリィさんからの要請に取り出したのはダンボールサイズの銀色の箱。
これは、以前アヴァロン=エラにやってきた宇宙人であるアカボーさんが残していってくれた宇宙のゲームマシン。この箱状の物体の内部に亜空間を発生させて、その内部でテニスのようなスポーツを体験できるという玩具である。
僕は、マリィさんがルデロック王と会話を交わし注目を集めている間に、銀騎士に備わった光学迷彩と認識阻害のコンボを使い、敵の陣営へと紛れ込み、マリィさんのお母さんであるユリス様をこのゲームマシンの中へとご招待したのだ。
因みに、いきなり目の前で人が消えてしまっては周囲が騒ぎ出してしまうと、ユリス様をゲームハードの中にご案内する際には、銀騎士に備わる光学迷彩の機能を利用してユリス様の立体映像を投射しておいた。
その上で立体映像に触られても気づかれないように、周囲の兵士達も同様に立体映像を作り出し、随時ディストピアの中にご案内となっている。
たぶん今頃、元春の穴という穴を蹂躙した触手生物との戦闘を楽しんでくれていることだろう。
と、そんなこんなで、僕はマリィさんのお母様が隔離されているVR的な空間へと、マリィさんを連れて移動することにする。
だが、いざ銀色の箱を発動して、ウィンドウ操作を行い、VR空間に入ろうとしたところで、そういえば、いま僕はゴーレムの体を操っている状態だけど、この状態でゲーム的な亜空間に入れるんだろうか? と、そんな心配が脳裏を掠める。
しかし、アカボーさん達の世界にはアンドロイドとかそういう存在が普通にいるのだろう。ほぼ同じ存在とも言える銀騎士も何の問題なくゲーム空間に入ることができたみたいだ。
そして、場所は代わってサイバーな空間の中、そこにはマリィさんに負けず劣らずのグラマラスボディを持つ金髪の美女が無感情で佇んでいた。
しかし、これでマリィさんのお母さんなんだよね。
改めて見るユリス様はどうみても一児の母には見えなかった。
やっぱり元王族というだけあって、アンチエイジング的な魔法薬とかそういうものを使っているのかな。
僕の背中越しにモニターを覗く元春も大興奮である。
と、僕達が十六歳の娘を持つ母親にしては異常なほど若いユリス様に見とれている間にも、その娘であるマリィさんはユリス様に近付いて、ポーチから取り出した薬を飲ませようとするのだが、
「あ、マリィさん。そっちじゃなくてこっちの薬を飲ませてくれませんか」
「あら、どうしてですの?」
銀騎士に備え付けられるアイテムボックスから万屋印の万能薬を取り出す僕にマリィさんが聞いてくる。
「ユリス様を助ける時にちょっと調べてみたんですけど、どうもそっちの薬だとユリス様の症状を完全に治すことができないかもしれませんので――」
そう言った瞬間、マリィさんの目が鋭く尖る。
「叔父様は最初からお母様を元に戻すつもりはなかったと?」
「どうなんでしょう。ただ、彼等はこれで完璧に治せると思っていたのかもしれませんし」
そう、マリィさんが言うように最初から慈悲を掛けるつもりがなかったのかもしれないし、ただの自信過剰だったという可能性だってある。
しかし、そのどちらにしても万屋印の万能薬を使えば余計な心配をしなくていい。
僕はマリィさんの質問に答えながらも、万屋印の万能薬を渡して、ユリス様にそれを飲ませてもらう。
すると、万能薬を飲まされたユリス様はぼんやりと白い魔力光が覆われて、光が収まった後、少しボーッとしたかと思いきや「あら?」と小さく声を出し、
「マリィちゃんじゃない。ええと、ここはどこかしら? 私はどうしてここにいるのかしら?」
このリアクション。ユリス様はいわゆる天然系と呼ばれる人種なのだろうか。
のんびりとオロオロしだすユリス様に僕が意外感を覚える一方で、マリィさんからしてみたら、これこそが普段のユリス様なのだろう。
「お母様」
一言。状態異常から回復したユリス様の豊満な胸へとダイブする。
マリィさんらしからぬ(?)行動に驚く僕と元春。
しかし、さすがは母親、ユリス様は慌てない。
「あらあら、マリィちゃんは大きくなっても甘えん坊さんね」
よしよしと小さな子供をあやすようにマリィさんを受け止める。
そんな母性あふれるやり取りの傍らで、僕が『うんうん。正しい母子関係というのはこういうものだよね』と、この美しい光景に生暖かい視線を送っていると、銀騎士越しのその視線を読み取ったのか、マリィさんハッと気付いたようにユリス様から離れて「コホン」と咳払い。
「と、とにかくお母様がご無事で良かったですの。ですの――」
「無事もなにも、私はなにがどうなってここにいるのかわからないのだけれど」
照れ隠しの咳払いで平静を装うマリィさん。
そんなマリィさんの一方でユリス様はここに来るまでの記憶がないようだ。イマイチ要領を得ない反応なので、
「お母様は叔父様に変な薬を飲まされてここに連れてこられたのです」
簡単にマリィさんがここに至った原因を説明するのだが、「そうなの大変ね」とユリス様。
泰然自若というか、本当に動じないなこの人は――、
そして、ユリス様はキョロキョロと辺りを見回して、
「それで、そのルデロックはどうなったのかしら?」
おっと、急に鋭い目つきになったぞ。
もともとマリィさんと違ってややタレ目気味なユリス様の場合、少しキリッとした目をしただけでも、かなり印象が違って見える。
「叔父様は、いま、別の空間に隔離してお仕置き中ですの」
「別の空間――、というのは、まあ、いいでしょう。それで、お仕置きというとどういうことなのかしら?」
うん。少なくとも細かいことは特に気にしない性格のようだ。
ユリス様はディストピアの関する説明よりも、ルデロック王がどうなったかの方が知りたいらしい。
「死ぬことの出来ない空間で強大な黒龍と戦っていますわ」
「ふふ、それはいい気味ね。で、それはずっと閉じ込めておくことができる場所なの?」
「倒すか開放の呪文を唱えない限りはずっとそのままですの」
「それなら、ずっと閉じ込めても問題ないのかしら?」
うわぁ。容赦がないな。ユリス様の殺意が高すぎる。
あんまりにもあんまりなユリス様のリアクションに僕が軽く引き気味にしていると、
おっと、目が(正確にはカメラだが)合ってしまった。
「それで、その後ろにいる彼は何方なのかしら。マリィちゃんさえよければ紹介してくれると嬉しいのだけれど」
笑顔を取り戻したユリス様が訊ねてくる。
そんなユリス様の問い掛けに、マリィさんは少し慌てながらも、
「ええと、彼は――、私の友人である間宮虎助ですの。
今回のこともそうですが、随分とお世話になっていますのよ」
まあ実際には、マリィさんに紹介されているのは銀騎士であって、僕は全く別の場所にいたりして、更に僕の後ろには元春がいるわけで、僕一人が友人という訳ではないのだが、
実際に動いていたのは僕だけということで、マリィさんの説明は間違っていないだろう。
「あらあら、それはお礼を言わなければなりませんね」
「こちらこそゴーレムの体ですみません」
「ゴーレムの体?」
元王族だというのに腰が低い人だな。
優雅にしながらも心から頭を下げているようなユリス様に礼に、『恐縮です』とばかりに銀騎士が頭を下げると、切り返したその言葉にユリス様が小首を傾げる。
そんなユリス様のリアクションに『さすが親子、マリィさんとそっくりだな』と、心の中で呟く一方で、
「実は虎助はこことは違う世界に暮らしていまして、生身ではこちらに来ることが出来ませんの。だから、その代用にこの銀騎士の体を使って今回のことに協力してくれましたの」
「成程――、別の世界ですか」
マリィさんからの簡単な説明に、ユリス様が適当な相槌を打つ。
はてさて、これは理解しているのかいないのか、今までの流れからすると十中八九理解していなさそうだ。
とはいえ、アヴァロン=エラに関しては、ルデロック王が攻めてきた件にも関わることなので説明しない訳にもいかないだろう。
取り敢えず、腰を落ち着かせた上で詳しい説明をした方がいいのかなと、僕達はそこで会話を切り上げてこの宇宙的なVR空間を抜け出す。
すると、そこではトワさん達が魔鉄鋼製の檻を設置してくれているところで、錬金系の魔具を使って、ちょっとした町工場くらいある檻を組み立てていたトワさんが、宇宙的なゲームマシンから出てきた僕達を見つけて近づいてくる。
「ユリス様。よくぞご無事で」
自然とほころぶトワさんの笑顔に銀騎士を操る僕の肩越しに、元春が切るシャッター音がとても煩い。
「相変わらず堅苦しいですね。トワは、いつも通りユリス姉様と呼んでくれればいいのだけれど」
「いえ、そんなこの場ではさすがに――」
二人のやり取りを見るにトワさんとユリス様は旧知の仲といったところかな。
喜びの声を上げながらも、主の母親の帰りに折り目正しく頭を下げるトワさんに、ユリス様が気安く声をかけている。
と、ユリス様とトワさんの人間関係を感じさせる一幕がありながらも、僕達は未だ組み立てが続く檻に魔法式の監視カメラをセット。檻の中心にロデリック王を始めとした魔法兵団を閉じ込めた五つのディストピアを安置した上で、マリィさんの城へ戻ることにする。
そして、城からアヴァロン=エラへと移動しようとする道すがら――、
「あらあら、これは何かしら?」
通りかかったメイドさん達の休憩室を見てユリス様のテンションが急上昇。
「それは虎助に作ってもらった和室ですの」
「こんなものまで作ってもらって、マリィは幸せものね」
小上がりの和室をどういう経緯で手に入れたのかを説明するマリィさんに、その縁に腰を落ち着かせたユリス様がニコニコと恨めしそうな声を出す。
軟禁状態にありながら、こんなリラックス空間を手に入れられたマリィさんが羨ましいのだろう。
理不尽に、笑顔のままでプレッシャーをかけてくるユリス様に、僕が『こういったところはどこの母親も変わらないんだろうな』と、ことあるごとに訓練に誘ってくる母さんを思い浮かべていると、その横でマリィさんが話を逸らすようにして、
「そ、そういえば、お母様はどこでどのような施設で暮らしをしていましたの?」
当然のことではあるが、マリィさんはユリス様がどこで暮らしているのか知らなかったみたいだ。
ユリス様がここに連れてこられるまで、どんな暮らしをしていたのかを訊ねるマリィさんにユリス様は答えようとして、
「私はベルダード砦でスノーリズ達と一緒に――と、そうだわ、私がここにいるということはスノーリズ達はどうなったのかしら」
ハッと思い出したように慌て出す。
どうやらユリス様にも、マリィさんでいうところのトワさん達のような、一緒に囚われていた人がいたみたいだ。
自分がここに連れてこられた後、取り残された人達がどうなってしまったのかと心配するユリス様。
そんなユリス様の慌てようにマリィさんの行動は迅速だった。
「トワ、いま無人機は飛ばせますの?」
「すぐにでも」
マリィさんからの確認によどみなく動き出すトワさん。どうやら万屋から提供した無人偵察機を使ってユリス様が居たらしいベルダード砦を調べるみたいだ。
「あっ、トワさん。カリア改のデータはこちらにもお願いできますか。
もしもの時、こちらからすぐに対応しやすくなりますから」
だが、もしかすると、ベルダード砦では無人機だけでは対応できない状況があるのかもしれない。そう考えた僕の声を掛けると、トワさんは「ありがとうございます」とご丁寧にもお辞儀をくれて、改めて無人偵察機のもとへと走り出す。
と、そんなトワさんの後ろ姿を心配そうな瞳で見つめるユリス様。
「スノーリズ達は大丈夫かしら?」
「おそらくは大丈夫かと、もしもスノーリズに何かあったとしたら辺境伯が動くでしょうし、彼女が自分の仲間を見捨てるとは思えません。なにより叔父様はこちらで確保していますから」
「そうね。そうよね。スノーリズなら大丈夫よね」
僕達は城の中央につくられた無骨なバルコニーから飛び立っていく無人機を見送ると、新たに発生した問題に万全の体制で望むべく、アヴァロン=エラへと足を向けるのであった。
◆銀騎士が戦いを前にしてわざわざ光学迷彩を解いたのはマリィから視線を外させ為という理由もありますが、基本的に銀騎士に搭載されている光学迷彩が完全に透明になれるものではないからです。だから認識阻害の魔法を重ねがけしているのです。