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●名もなき影

◆今回はモブキャラ視点の長めのお話です。(一万字超え)

 モブキャラ視点のお話の方が筆のノリがいいのは何故でしょう。

 俺は名も無き影。

 現在、王の勅命であるうらぶれた古城に潜入している。

 どうして俺がそんな場所に潜入しているかと言えば、ここに軟禁されている元王族の動きを調べる為である。

 どうも最近、この古城に軟禁されている今は亡き王弟の娘が怪しい商売に手を出しているらしいのだ。

 そして、その商売というのが妖精銀とも呼ばれる魔法金属ミスリルを扱ったものだということで、現王派としては放っておけないのだろう。

 しかし、相手が軟禁状態の元姫ならば、騎士団なりなんなりが強制的に調べてしまえばいいような気もするのだが、そこには貴族の勢力関係やら、現王が王に至った経緯が関係しているのだろう。

 王位が移ってからまだ一年と少し、王の権力もまだまだ盤石ではないということだ。


 と、そんな事情から俺たち国の暗部が動くことになったのだが、最初の関門、城へ通じる関所の通過は問題なく終わる。

 なにしろ場所は、辺境とはいえ自国の領地なのだ。王の勅命さえあれば入れないなんてことはありえない。

 勿論、その際には素性を隠す為、きちんと変装をしなければならないが……。


 しかし、そんなお手軽な手が使えるのも城へ通じる一本道まで、そこから先は調査対象の勢力圏内、そこでなにがあっても外の人間は関知できないのだから。


 この城に閉じ込められているのは、問題の元姫と数名のメイドだという。

 だとしたらなにを警戒する必要があるだろうか。これが潜入の素人がなら、そう思ってしまうのかもしれないが、俺は警戒を緩めない。なぜならこの城の中には、武闘派として有名なカイロス伯爵の庶子であり、伯爵から直接戦闘訓練を受けたというメイドがいるというのだ。

 そのことを考えると、その潜入難度も知れるというものだ。

 正直、そんなバケモノとやり合うなんてまっぴら御免、こっちは潜入が本職の影なのだ。勝てないとは言わないまでも、相当の被害を覚悟しなければならなくなってしまう。

 それでなくともこの城には、獣人とのハーフやら、武功で成り上がった貴族の末子、女だてらに冒険者として名を馳せた戦士なんてのがいるというのだから洒落にならない。

 もしも戦いが長引けば、たとえ俺でも捕らえられてしまうのは確実だ。

 そして、そうなってしまった場合、相手側に格好の反撃材料を与えることになってしまう。

 万が一の場合は自分自身で証拠の隠滅を図らなくてはならないのだ。

 これはそういう仕事なのだ。

 だからこそ慎重に動くことが重要なのである。


 しかし、こんな条件など幼き頃より影として活動せざるを得なかった俺には毎度のこと。

 一つ一つの仕事が命懸けなんて条件など当然だとばかりに、俺は影に伝わる特有の魔法を使い、存在を限り無く薄めると、魔法薬で匂いを消し去り、城の内部への潜入にかかる。


 そして、元姫が暮らす城の調査をはじめて、まず俺が抱いた感想は『この城はどうなっているのだ?』という呆れ混じりのものだった。

 事前の情報によると、ここは数年前までは打ち捨てられていた古城だったハズだ。

 しかし今は――、内装に限ってではあるが、王城すらも凌ぐほどの豪華な設備にすげ替えられていたのだ。

 いったいどうやってここまで内装を作り変えることができたのか、城への物資は厳しく管理されているというのに。

 そんな中でここまでの改装を行うことは無理と言わざるを得ない。


 これは表向きのルートの他にどこからか物資を運び込むルートがあるな。


 だが、城に通じる唯一の関所の警備はかなりの厳しさとなっている。

 しかも、城の周囲は見晴らしがよく、堀に囲まれているともなればそう簡単に出入りは出来ないハズだ。

 となると、この城に閉じ込められたお姫様はどうやってそれを成しているかだが……、


 これは本腰を入れて調査すべき案件だろうな。


 とりあえず、ここは情報収集といこうかと、まず俺が向かったのはメイド達の休憩室。

 なぜ真っ先にそんな場所の調査を行うのかというと、その城の情報を効率的に集めるには、城の雑事を取り仕切る彼女達がする噂話を集めるのが手っ取り早いからだ。

 まあ、その噂話の真贋を見極めるのが難しいという欠点もあるのだが、調査のとっかかりとしては有用な手段なのである。


 俺は一人の間抜けそうな獣人メイドに狙いを定めると、その後をつけ、メイド達が集まる部屋を探し出す。


 すると、そこは奇妙な部屋だった。

 石造りの部屋の中に木材で作られた小さな部屋が二つ備え付けられているという珍しい内装の部屋だ。


 ふむ、元々は古い作りの城だ。内装を変更するにしてもこうした方が効率的なのか。


 俺は他に類を見ないこの城の内装に感心しながらも、〈一点強化(ポイントブースト)〉を使って聴力を強化、メイド達の話に耳を澄ます。


「今日のお昼は何にします?」


「冷凍パスタはどうでしょう」


「ええ!? カレーがいいよ。20倍のヤツ」


「アンタ、あんな辛いものよく普通に食べれるわね。私はパスタでいいわ」


「わ、私も甘口じゃないと無理ですぅ」


 会話の内容から察するに、メイド達は今から昼食を取ろうとしているところらしい。

 空間系の魔法が付与された保管庫だろうか、白い箱の中から何やら派手な袋に包まれた物を取り出すメイド、棚に置いてある箱の中から銀の袋を取り出してそれを湯で温めるメイドに別れるようだ。

 そして、片方のグループが使うあの箱型の魔導器は入れるだけで料理が完成する代物か。


 見たこともない魔導器だな。

 どちらかといえば魔動機の方になるのか。

 やはりこれは外部から物品を仕入れる何らかのルートがあるようだな。

 そして、それが俺が見たこともない魔動機であることを考えると、他国と繋がっている可能性が高いのではないか。


 これは報告すべき案件だろうな。


 しかしそれはそれとして、この暴力的な香りはなんだ?

 香りの元はあの湯に突っ込んだ銀色の中身。

 なにやら白い魔導器の中から取り出した穀物の上にかけているようだが、なんだあの料理は!?

 いや、香りからするに、おそらくは香辛料をふんだんにつかった料理なのだろう。

 王侯貴族が食すシチューのような食べ物である。

 それをメイドごときが食すとは、この城はどうなっているのだ!?

 これはメイド達がどのようなものを食しているのかを知る為にも、あれらの料理を確保しておかねばなるまい。


 …………………………………………。


 しかし、先ずは自分の腹ごしらえをしなければならないだろう。

 肝心な時に腹がなってしまっては目も当てられないからな。

 いくら影に生きるものとして訓練を積んでいるとはいえ、不意の生理現象までは完全にコントロールできないのだから、不用意なリスクは避けるべきだ。


 俺はメイド達が食すその料理に興味の色を残しながらも、()となる魔導器をメイド達の近くに転がし、一旦その場を離脱。人目につかない高い屋根の影に逃れたところで腰を据え、保存性を高める為に焼き固めたビスケットを齧る。

 ガリゴリとレンガのように硬いビスケットを齧る度、虚しさが心の中を通り抜けるが、これが俺の仕事である。

 我慢が大事と自分に言い聞かせ、簡素な食事を済ませたところで、誰も居なくなった休憩所に潜入する。もちろん例の食べ物を確保する為である。


 室内に残るなんとも言えない香りに食欲を刺激されながらも、首尾よく例の銀袋を手に入れた俺は次に潜入すべき場所の吟味に入る。

 因みにメイド達の話は食事を取りながらも遠耳の魔導器を使い聞いていた。

 それによると、この城にある物品の殆どは、姫とつながりがあるコスケなる商人から手に入れているというが……、


 しかし、コスケとはまた聞き慣れない名の商人だな。


 俺は影というその仕事柄、国内外の有名な商人の名前をほぼ網羅している。

 しかし、その俺が知らない名前ともなると、これは一筋縄ではいかない相手なのかもしれないな。

 可能性としては魑魅魍魎が跋扈するという闇の商人の一人であるということか。

 彼等が姫の取引相手なら、俺が知らない名前があっても不思議ではない。

 何故なら、彼等の本当の(・・・)名前が表に出る時は死んだ時に限られるからだ。

 だが、姫の取引相手が闇の商人となると、かなりきな臭い話になるな。

 どうしてそう思うのかといえば、それは、闇の商人が取り扱う商品の中で主力となるのは人を殺す為の武器だからだ。

 まあ、姫には武具の収集癖があるという。そのことを考えると趣味の一環という風にも考えられなくはないが、姫が買い求める武器の種類によっては、また面倒なことになりかねない。

 こうなると、次に向かうべきなのは武器庫、もしくは宝物庫だな。


 次の調査対象を定めた俺は脳裏にこの古城の地図を思い浮かべる。

 どうして俺がこの城の地図を知っているのか? それは、ここは古くから存在する城であり、その内部図は国の方できちんと管理されているからだ。

 俺ほどの実力者となれば地図無しの潜入もこなせるが、入手が可能な情報をわざわざ手に入れないなんてのは愚の骨頂、俺はこの任務に入る前にしっかりと頭に入れてきた古城の図面を頼りに、この城唯一の宝物庫に向かう。

 もちろん、メイド達――特に武闘派とおぼしきメイドと鉢合わせないようにと慎重を心掛けてだ。

 しかし、場所が宝物庫ともなるとその警備も厳しいものとなるだろう。

 これは最悪、戦闘の覚悟もしておかなければならないか。


 気を張ってかなりの警戒をしてみたりした俺だったが、宝物庫への潜入は意外にもすんなりと成功してしまった。

 どうしたことか、この城の宝物庫はあけっぴろげにされていたのだ。

 考えられるとすれば罠という可能性だが……、

 いや、軟禁されている者がその城の宝物庫を警備するというのが前提として間違っているのか?

 逆に、宝物庫のような堅牢な施設にすぐに避難できるようにと開けておくというのも、一つの選択肢になるのか?

 しかし、そんな軟禁される側の心情はまた後で考えるとして問題は宝物庫の内部。


 改めて宝物庫の中を見回した俺は、そこに広がる光景に絶句する。

 何故なら、そこにはミスリル製の武具は当然のように、アダマンタイトにオリハルコンと、国宝や伝説に語られる金属で作られている武具がズラリ並んでいたからだ。

 しかも、中には密偵として鑑定眼を鍛えている俺ですら、判別不可能な素材が使われているものまであるのだから信じられない。

 いや、それだけではない。そこに刻まれている魔法式がまた圧巻なのだ。

 部分的に読み取っただけでも恐るべき力を秘めた魔法剣がその殆どを占めていたのだ。


 …………これは、もう蒐集家という域などとっくに超えているのではないだろうか。

 元姫はこれ程の剣を大量に集めて何をしようとしている。

 単純に考えるのなら戦闘準備だが、何の為に戦闘準備だ?

 城を守る為?

 いや、この古城を守るだけなら、こんな装備は必要ないハズだ。

 なにしろ、現この城の主は【ウルデガルダの五指】であり【爆炎の魔導師】として名を馳せるマリィ=ガルダシア――、いや、今はマリィ=ランカークを名乗っているのだったか……。

 ともあれ、この城の主はマリィ元姫その人なのだ。

 彼女にとっては刀剣の類など、単に趣味として集める美術品以外のなにものでもなく――、いや、たとえ趣味が高じたのだったとしても、普通、これ程の刀剣を集められるのだろうか。

 さすがに趣味でこれ程の武具を集めるというのは不自然すぎる。

 そうなると、彼女には別の目的があることになるのだが……、


 それはなんだ?


 考えられるとすれば、自らの父を祖父を殺した王への復讐――、

 だが、それもマリィ元姫が本気になりさえすれば単独で、もしくは少数精鋭でも事足りるのではないか。

 どちらにしても、これほどの上質な武器を大量に用意する必要は無いハズだ。

 ならば、どうして彼女はこれほどの武器を集めている。

 それは勿論、彼女自身が使う為ではないだろう。

 そして、規格外の武器だけでこれだけの量となると少なくない戦力が動くのは確実だ。


 そうなると、考えられるのは――、

 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………クーデターか?


 もしや、マリィ元姫は王位簒奪を狙っているのか!?

 大量の武器を背景に、父親を殺し、祖父を殺し、現在の地位を簒奪した現王に対する意趣返し。

 成程、有り得そうな話である。

 そして、彼女がそれをするとしたら協力を惜しまないという人物は多いだろう。

 なにせ、かの元姫は特に前王の側近に人気だったと聞くからな。

 そして、それら人物には実直な武人、官吏が多いと聞く。

 そのことを考えると、現王よりも元姫がこの国を治めた方が平定に繋がると俺個人はそう思う。

 しかし、俺たち影は私的な感情で動いてはならないのだ。

 たとえ現体制への不満が大きかろうとも、組織が王の為に存在している以上、俺達は王が望む成果を出さなければならないのだ。

 それこそが俺達の存在意義であり、ひいては組織の存続につながるからだ。


 ふぅ……、少し熱くなってしまったな。

 俺は息を一つ吐き、ブレた思考ををアジャストする。


 とりあえず途中報告になってしまうのだが、このことは早急に知らせておいた方がいいだろうな。

 ただし、あくまで私見は添えないようにしなければならない。

 最悪、俺の報告一つで内紛にまで発展してしまったら目も当てられないからな。

 それでなくとも、現在、我が国では幾つかの内紛は起きているのだ。余計な仕事を増やさないようにも、ここは正確かつ客観的な報告しておかねばなるまい。


 俺は最近開発されたばかりの小さな鳥型のウッドゴーレムに簡易的な報告書を結わえ、空に放つ。

 そして向かったのはこの城の執務室。

 もしも彼女がクーデターを狙っているとしたら、何らかの資料がそこに存在すると思ったからだ。

 何にせよ、確証に至る証拠は多い方がいいだろう。


 しかし、向かった先の執務室には最悪の人間がいた。

 王国最強の戦士であるカイロス伯爵の秘蔵っ子トワだ。

 彼女がいるとなると近付くのは危険だな。

 そう、このトワというメイドは、一目見ただけでも危険だと理解できる想像以上のバケモノだったのだ。

 何よりも、現王が起こした王位簒奪の際の大立ち回りという実績がある。


 だが、密偵としては、このままおめおめと逃げ帰るという訳にもいかないのもまた然り。

 あんな途中報告を入れた以上、王側が何らかの動きを見せることは確実なのだ。

 その時に、ことを穏便に済ますべく多くの情報はあった方がいいハズだ。

 とはいえ、あの最強メイドがいる以上、これ以上の接近は危険である。


 そうなると、ここからどうするか。


 目的達成を前に足踏みを余儀なくされた俺は思考にふける。

 しかし、一度立ち止まったのが吉と出たようだ。

 トワに気付かれないようにと、屋根に登った俺の視界に特徴的なそれが飛び込んできたのだ。

 それは、はち切れんとばかりにたわわに実った二つの果実。

 あの胸は間違いなくマリィ元姫その人のものだろう。

 噂には聞いていたが、実物は聞きしに勝る大きさだ。

 何を食ったらあんな胸になるんだ?


 しかし、マリィ元姫のあの格好、どこかに出かけるみたいだな。

 いや、出かけるみたいではなく、実際にどこかに出かけるのではないか。


 城の様子、軟禁中の人物が集められるとは思えない武具の数々、ここに至るまでに集めた情報を頭の中で繋がったような気がする。

 俺は渡り廊下を歩いてゆくマリィ元姫の後を慎重につけていくことにする。


 すると、元姫の姿が、古城の中央にそびえ立つ尖塔を登る階段の途中、不自然に空いた壁の隙間の中に消えたのだ。


 何だ? 隠し部屋か?


 だが、俺はこんなところに部屋があるなんて話は聞いてはいない。

 俺が知っている情報にない部屋ということは、元姫がここに来て新しく備え付けられた部屋であるといううことか。

 いいや、この自然さからみるに元々そこにあったものとして見るべきだろう。

 しかし、いまは堂々と開放されている――と、

 いったい何に使われていた部屋なのか。

 いや、そんな考察など今はどうでもいい。

 いま重要なのは、元姫がこの部屋に入って何を行っているのかということだ。

 そして、それがこの城にあふれる規格外の品物に繋がるかということだ。


 ただ、問題はここからどうするかだ。


 どうするというのは勿論、姫を追いかけてこの部屋の中に入るか入らないかである。

 尖塔の規模を考えると、この隠し通路から繋がる部屋はそう広くはないと思われる。

 だとするなら、魔法によって存在を薄めたところで発見される可能性は高くなってしまうだろう。

 しかし、密偵として何も情報を得ること無く引き返すなんて選択肢はありえない。

 幸いにも、カイロス伯爵の娘トワは、いま元王女の部屋の片付けの真っ最中。

 まだ他にこの強者が隠し部屋の中で待ち構えているなんていう可能性もあるが――、

 龍の巣に入らなければ黄金の秘宝は手に入らない、か。

 ここは、気取られた時に備えて、すぐに脱出できる幾つかの手を施した上で潜入するしかないようだな。


 俺は覚悟を決めて秘蔵の魔導器をその部屋の前に設置すると、存在を薄める魔法を重ね掛け、『この先に待つのは龍か神か』運を天に任せて隠し部屋への潜入を決行する。


 湾曲した短い通路を抜けたそこは何の変哲もない小部屋だった。

 (あか)り取りの小窓が一つあるだけで、質素との一言で片付けてしまっても問題ないだろう。半月の形をした石造りの小部屋である。

 しかし、部屋の中には誰の姿もない。

 マリィ元姫は確かにこの部屋の中に入ったハズだ――なのに誰もいないのだ。

 つまりこの部屋には、さらなる隠し通路か、もしくは、貴重な転移系のマジックアイテムがあるということだ。


 これは後者が正解か。


 どうしてそう思ったのかといえば、この小部屋に入ってすぐの正面にいかにも怪しげな姿見があったからだ。

 おそらくそれは魔法金属で作られているのだろう。異様な魔力を放っていた。

 そのことから考えて、この鏡の魔導器は、場合によっては伝説に語られる魔鏡の類になるのではないだろうか。


 と、あまりにも貴重だと思われる魔導器に思考が脇道へと逸れてしまったが、さて、どうしよう。

 気になるのは鏡の上部に取り付けられている天球儀のようなものだが、見たことがない魔導器を下手に弄ることは危険以外のなにものでもない。

 興味を引く形の魔導器が、触れた瞬間、警報に変わるなんてのはよくあるトラップだからだ。


 そうなると。


 改めて気を引き締め直した俺はそっと魔鏡に触れてみる。

 すると、鏡の表面に波紋のような揺らぎが発生する。


 これは間違いないな。


 触れてみて、確信を得た俺は思い切って鏡の中に手を入れていく。

 すると、その予想通りズブズブと俺の右手が鏡の中に埋まっていく。

 そして、腕の半分が鏡の中に沈み込んだところで吸い込まれるような感覚あって――、

 気がつけば俺は鏡の中に飲み込まれてしまったようだ。

 眩いばかりの光の乱舞と共に浮遊感が俺の体を包み込み、次の瞬間、俺が立っていたのは赤茶けた荒野だった。

 やはり、あの姿見は世にも珍しい転送の魔法装置で間違いなかったようだ。

 俺の足元には一枚岩で作られているだろう巨大な魔法陣があって、


 と、ぼーっと確認している場合じゃないな。


 影として見晴らしのいい場所に立ち尽くすなんてことは、本来あってはならないことである。

 俺は最寄りの石柱の影に隠れると改めて周囲を伺う。

 まず目につくのは巨大過ぎる像だ。転移陣を守るように荒野の真ん中に佇むその背中は、四頭引きの馬車よりも遥かに大きい。

 そして、いま俺が隠れる石柱群、おそらくこれは転移の魔法に関わる魔法的装置のひとつなのだろう。伝承によると転移の魔導器はダンジョンから生まれるなんて話を聞くが、ここまで大掛かりなものとなると、ここはどこかのダンジョンなのだろうか。


 さて、ここで問題になるのが巨大なゴーレム像の向こうに見える建物だが……、


 見たこともない建築物がチラホラと見えるのだが、右の方に固まるあれはテントだな。

 あの数から見るに、相当数の戦力がここに集結していることは間違いないようだ。

 ただ、人の気配が感じられない。

 多くのテントを観た時には、『元姫が近くクーデターを起こすべく、ひっそりと戦力を集めているのでは?』などとも想像したものだが、それならそれでこの魔法陣の周囲に兵を配置していないのはどう考えてもおかしいだろう。

 ならば、あのテントは一体どういうものなのか。

 そんな考えを巡らせていた時だった。背後からポンと軽快な音が俺の耳に届く。

 音に振り返ると、そこには腰ほどの背丈の赤銅色のゴーレムがいた。そして、その頭上には魔法によるものか『いらっしゃいませ』という文字が浮かんでいた。


 発見された!?


 俺は素早く手甲に隠していたナイフを腕の振りだけで抜き出すと、そのままゴーレムの腹に突きを放つ。定石通り、通常ならそこにあるだろう(ゴーレムコア)の破壊を狙った攻撃だ。

 対するゴーレムが取った行動はゆっくりと腕を突き出すという行為だった。

 だが、大きさ、形状から見ても、そのゴーレムは戦闘用として作られていないというのがよく分かる。その攻撃に鋭さがないのだ。


 もらった――、


 俺の攻撃がゴーレムの腹部に綺麗に入る。

 しかし、接触と同時にその一撃はカシュッと軽い音を立てて逸らされてしまう。


 馬鹿な!?

 このナイフは西の名工と呼ばれるツミショが制作したものだぞ、戦闘用でないゴーレムが防げるハズがない。


 しかし、そのゴーレムは俺の攻撃をまるでなかったかのように平然と以下の文章を頭上に浮かべるのだ。


『こちらに敵対の意思はありません。攻撃を止めて下さい』


 どうやら俺は勘違いしていたみたいだ。

 おそらくこのゴーレムは防御に特化したゴーレム。

 自分を囮に侵入者の気を引いている間に仲間を呼ぶ。たぶん、そんな役割を持ったゴーレムだろう。

 その証拠に、先程からどこかに念波のようなものを飛ばしている気配を感じる。


『こちらに敵対の意思はありません。攻撃を止めて下さい』


 面倒な。

 俺は心の中で毒づきながらも俺は攻撃の手を緩めない。

 しかし、続けて放った斬撃もゴーレムを傷付けることは出来なかった。


『こちらに敵対の意思はありません。攻撃を止めて下さい』


 ならばと一時い撤退に移ろうとする俺。

 だが、その目論見は外されることになる。

 三度目の攻撃を囮にこの場からの脱出を計った俺だが、気がつけば地面に倒されていたのだ。

 何が起きたのかと考える暇もなく天地が反転して、小柄なゴーレムが俺を見下ろしていた。

 そして、


『三度の警告の無視を確認しました。拘束させていただきます』


 赤銅色のゴーレムはそう頭の上に文字を浮かべると、見たこともない鉄の拘束具を俺の両手に嵌めたのだ。

 俺は拘束具を外すべく腕に魔力を集める。〈一点強化(ポイントブースト)〉を発動させる為だ。

 しかし、どうもこの拘束具はただの鉄で出来ている訳ではないらしい。魔力が上手く集められない。


 クソッ、だったら魔導器を使って――、


 ゴーレムに蹴りを入れ、隙を作ろうとする俺。

 だが、その瞬間、体を駆け抜ける強烈な痺れが俺を襲う。


 これは雷系の魔法によるものか?

 それとも麻痺毒?

 どちらにしてもこれでは動くこともままならない。

 魔法による脱出は魔力を制限されている状態では不可能だ。

 そして、実力行使による逃走が難しいことはいましがた思い知らされたばかりだ。


 となると、後はアイテムによる反撃、もしくは解毒からの再度撤退になるのだが――、


 駄目だ。この状態ではそれを使うことすらできない。


 他に期待するなら、他人による助けということになるのだろうが、今回のような潜入任務の場合、その助けは期待できない。


 これはもう逃げられないか。


 …………仕方がない。このまま粘ったところでおそらく結果は変わらないだろう。


 それならいっそ自分の手で……。


 俺は覚悟を決めて最後の呪文(・・・・・)を唱えることにする。

 これは、俺たち影がどうしても逃げられない状況に追い込まれたその時、自分ごと証拠を隠滅するべく発動する魔法。俺たち影が首に装備する魔導器の内部に仕掛けられた毒を飛散させ、内から外から証拠を隠滅させる最終手段だ。

 そもそも、この魔法は俺の意識にリンクしていて、何か余計なことを喋ろうものなら強制的に発動してしまうという代物なのだ。

 そう、俺は既に拘束されて脱出できない状態にある。

 とするなら、俺が何事かを強制的に喋らされるのも時間の問題なのだ。

 だったら、そうなるよりも前に自分の手で……。

 と、唱えられた呪文の効果はその瞬間発揮される。

 首輪から飛散した毒が俺とゴーレムに浴びせかけられる。

 毒は俺の肌を焼き、その傷口から血管へと侵入、血の流れに乗って全身に行き渡っていく。


 熱い。


 蜂が持つ毒針で刺されたような痛みが俺の全身に広がっていく。

 何百、何千という蜂が俺を刺し殺そうと俺の体に毒針を突き刺していく――そんな感覚だ。

 しかし、そんな苦しみも長くは続かない。

 すぐに体が軽くなって、俺の短い生の幕が閉じることになるハズだ。


 徐々に弱まる痛みに毒の所為で強張ってしまった体を弛緩させながら、俺はこれまでの人生を思い返す。

 薄汚れた任務に厳しい訓練、そして、幼い頃、同じ境遇の子供達と身を寄せ合った路地裏。


 ふっ、碌な思い出がないな。


 しかし、最後に思い出すのがあの路地裏というのはなんて皮肉だろうか。


 ハァ、なんでこんな終わり方になっちまったんだろうな。

 生きる為とはいえ、こんな世界に入らなければもっと違う人生だってあっただろうに――、


 いや、俺に違う人生を歩む選択肢は存在しなかったか……。


 そこまで考えて、ふと俺は自分の身に起こっている違和感に気付く。


 なんで俺は死んでいないんだ?


 首輪に仕込まれた毒は致死性の高い毒だったと聞いている。

 一滴、ただ一滴の雫が皮膚に付着しただけで人を死に至らしめることができるという猛毒だ。

 ならば、死に瀕して感覚が研ぎ澄まされていたとしても、これほど長い時間思考するような余裕は無いのではないか。

 そう思って現実に目を向けると、先ほどまで戦っていた小さなゴーレムが、変わらず俺を見下ろしていた。


 そして俺の疑問に答えるようにゴーレムの頭上に文字が浮かぶ。


『緊急事態の為、解毒と回復の魔法薬を処置しました。ご了承を願います』


 どうやら俺はこのゴーレムに命を救われたみたいだ。

 しかし、はたしてそんなことが可能なのだろうか。

 俺が受けた毒は【ウルデガルドの五指】に数えられる頭のトチ狂った錬金術士が調合した毒だという。

 そんな毒を癒やす魔法薬などそうはないだろう。

 それをこんな場所にいるゴーレムが持ち歩くか?


 しかし、俺が混乱している間にも事態は動く。

 俺の背後に存在する転移陣から巨大な光の柱が立ち上がったのだ。

 そして、その光の柱より現れたのは意外な相手だった。


「巨獣……」


 光の柱から現れたのは巨獣と呼ばれる力を持った魔獣。魔境と呼ばれる土地に住まう怪魚型の化物だった。


「どうして転移陣からあんなバケモノが……」


 俺はいったいどんな場所にやってきてしまったんだ。

 そんな俺の混乱を覆い隠さんとばかりに空からは雪が舞い散り始める。

 おそらくはあの巨獣の能力なのだろう。

 俺は次々と巻き起こる規格外の事態に、もう、何が起こっているのかと、ただ降りしきる雪を呆然と見上げることしかできなくなっていた。

◆本作では語られないかもしれない設定。


 因みにマリィの暮らす城で一番索敵能力が高いのは男装の麗人ウルとなります。

 しかし、今回のモブキャラは特殊技能+魔法+魔法薬のコンボを使い、存在感を限り無く薄めていた為に発見に至りませんでした。

 そもそも、ウルの警戒はマリィの周囲十数メートルに特化して行われているので、マリィがアヴァロン=エラに赴いていた今話中は魔力回復に当てられていたが為に侵入を許してしまったという事情もあったりします。

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