●勇者フレアと決戦前夜
◆今回のお話は三人称視点で展開されています。
月明かりに照らされた平原にズラリと並ぶテントがある。
ここはルベリオン王国の宿営地。
フレアがルベリオン王国に戻って一ヶ月、ヴリトラの牙から削り出した剣が完成したのを機に、ルベリオン王国は国を挙げて魔王討伐軍を結成。今まさに魔王城を眼の前にとらえる場所まで進軍していた。
彼等がここに至るまでには様々な妨害があった。
魔獣の襲撃に魔王からの刺客、他国からの干渉に盗賊がちょっかいをかけてくるなんてこともあった。
しかし、そんなアクシデントに見舞われながらも彼等はここまで辿り着いた。
そして、明日はいよいよ魔王が住まう城への挑戦となっていた。
そんな魔王討伐軍の中、勇者を自称するフレアは宿営地を抜け出し、明日立ち入ることになる城を見上げて、最大の敵の姿を思い浮かべていた。
魔王――、
それは、魔力の暴走や突然変異によって人間が魔獣化してしまった事で生まれる魔人。その中でも上位の力を持つ者に与えられる呼び名である。
いや、単純に力と智慧を備えた魔獣や魔法生物をそう呼ぶこともあるにはあるが、この場合、魔王と呼ばれているのは強大な力を持った魔人に間違いない。
少なくとも、幼い頃、フレアが聞かされた魔王とはそういうものだった。
そして、ルベリオン王国の姫をさらった魔王――、
彼はもともとルベリオン王国出身の召喚師で、とある遺跡の調査中の事故によって魔人化。
現在は千の使い魔を従えるという稀有の魔人になったと言われている。
彼は人間として持っていたその技術と知識を魔人になることで得た膨大な魔力にて強化、並の冒険者なら立ち入ることすら不可能な魔素の濃い森に立ち入り、次々と強力な魔獣を配下に加えていったという。
その実力は個ではなく群の力。
場合によっては小国を一夜で滅ぼすことができる力が魔王の下には集まっているのだという。
しかし、それも少し前までのこと。
そう、フレア達がここに至るまでの奮戦で魔王の手勢はかなりの数が失われていたのだ。
その戦力は今や魔王の城を守る戦力しかないと考えられている。
今こそが魔王を倒すチャンスなのだ。
だが、それもで相手は魔王。
油断はできないと、フレアはそう考えていた。
なにしろ魔王にはまだ四従魔と呼ばれる最強の手駒が残っているのだ。
四従魔というのは、魔王が人間を辞めるよりも以前から魔王に付き従っていた召喚獣で、その力はまさに一騎当千――、いや、戦闘力そのものは魔王すらも超える力を持つという噂があるのだ。
明日の戦いは壮絶なものになりそうだ。
月明かりに照らされた白亜の城にフレアが決意を新たにする。
そんなフレアの背後から近づく影が一つ。
彼のパーティで魔法使いを務める赤髪の少女ティマだ。
彼女はテントの群れから少し離れた草原に立つフレアに歩み寄ると、いつもとは違い、しっとりとした雰囲気をまとい話しかける。
「眠れないの?」
「明日の事を考えていてな」
「私達なら大丈夫よ」
「そうだな」
「でも、アギラステアがフレアの手にあればもっと大丈夫なのにね」
皮肉げにティマが言うアギラステアとは、彼女等が身を寄せるルベリオン王国の古い言葉で『紫の煙』という意味の言葉で、ヴリトラの牙を磨き上げ作り上げた龍牙剣のことである。ヴリトラの牙が持つ『魔力を流した時に毒の紫煙を発生させる』という素材特性の一つから、そう名付けられたのだ。
「ラキア将軍なんかは俺に持たせてくれようとしてくれようとしたのだがな。近衛の長であるヒース殿が王に万が一のことがあってはと、自分が持つにふさわしいと言い出したそうなんだ」
ルベリオン王国で勇者として活動するフレアも裏を返せば一介の冒険者に過ぎない。
ご機嫌伺いの為とはいえ、一度ヴリトラの牙そのものを王へと献上された後では、その使い手を誰に指名するのかは国の判断となるのだ。
「けど、あんな後ろでふんぞり返ってるだけのヤツが持つなんて宝の持ち腐れじゃない?」
「……ヒース殿は自分の手で魔王を討ち取りたいのだろう」
忌々しげに口にするティマの台詞にフレアは少し間を置いてそう答える。
「それって四従魔は私達に任せて自分は――ってこと?」
魔王に辿り着くには四従魔を倒す必要がある。
つまり自分達は露払いに使われるだけなのではないか?
続くティマの文句にフレアは平然と続く言葉を口にする。
「ラキア将軍によると、彼は、ヒース殿は今の近衛の長という立場に満足していないのだそうだ」
「ハァ、魔王退治も出世の道具って訳? 面白くないわね」
これから命懸けとなる戦いの場に政治を持ち込む。いかにも高慢貴族が考えそうな話を聞かされたティマが不機嫌を加速させる。
しかし、フレアはそのことを気にしていないようだ。
「ヒース殿が何を考えていても関係ないさ。俺達が四従魔を全部倒して魔王も倒せばいいんだ」
「フレア」
自信過剰とも取れるフレアの発言に、ティマが呆れるような、だが『それでこそ――』と言わんばかりの表情を浮かべる。
「ヴリトラとの戦いから二ヶ月――、俺は更に強くなった。
情けなくも何も出来なかったあの時とは違うんだ。
それに俺には虎助から借りてるこれもあるからな」
そう言ってフレアが掲げるのは、贔屓にしている万屋の少年店主から受け取った解体用ナイフ。
呪いの如き効果が付与されるそのナイフには、解体用ナイフという制限を代替に龍種であるヴリトラの鱗すらも難なく貫通するほどの鋭さが付与されていた。
正直その制限はフレアが得意とする速さを求める剣技とは相性が悪いのだが、
このナイフさえあれば魔王にもその刃が届くだろう。
そういう保証がフレアにとってはありがたかった。
「なにより俺には頼れる仲間がいるからな」
「フレア――」
仲間を信じるフレアの言葉にティマが瞳を潤ませる。
そして、流れる微妙な沈黙。
だが、次の瞬間、意を決したように顔を上げたティマが何か言おうと口を開こうとして、しかし、ティマは、いざ何かを口にする直前になって言いよどんだかと思えば、頭を左右に振って深呼吸、改めて真剣な顔を作り直したて言ったのは、
「姫様を助けたら結婚を申し込むのよね」
「ああ、それが俺の夢だからな」
どこか躊躇いがちなティマの問いかけにきっぱりと答えるフレア。
フレアが魔王を倒そうとしているのは、ひとえに姫の心を惹く為である。
聞く人が聞いたのなら『なにをそんな軽薄な――』と罵られてしまうかもしれない動機ではあるが、フレアはまったくもって真剣だった。
フレアは一目見て恋に落ちた姫と結ばれるべく、魔王を倒そうと命を懸けているのだ。
何故なら、それこそが彼の存在理由であり夢だからである。
「だけど、もしも――、もしもだけど、断られちゃったら、フレアはどうするの?」
国の事情に姫の心情――、
常識的に考えてフレアの望みが叶う確率は限りなく低いだろう。
そんな常識を前提としてティマが繰り出したこの質問。
少し前までのフレアなら、魔王を倒しさえすれば姫が自分を見てくれると盲目的に信じていただろう。
しかし、アヴァロン=エラという世界で、マリィに虎助にそれ以外の人にも、いろいろと矯正されたおかげもあり、フレアはどうにかその可能性に至る思考力を獲得していた。
だから、フレアはティマの質問に対して少し躊躇うようにして、
「その時は――、
その時になってみないと分からない、かな。
……旅に出るとか、そうだな――、すまない。やっぱりわからないな」
フレアが複雑な心境を覗かせる一方、ティマにとって一番重要なのはフレアが幸せになることだった。
フレアがもしもお姫様と結ばれるのならティマはそれでいいと考えていた。
だが、もしもフレアの願いが叶わなかったら、その時は――、
「も、もしも、もしもだけど、そうなっちゃって、フレアが旅に出るのなら、私もついて行って、いい?」
「そうだな……、それはその時にならないとどうなるのかは分からないけど、ティマがよければ仲間でいてくれるかな」
まだ結果もわかっていない話に答えを出すというのは、フレアとしては葛藤があるのだろう。
ややあいまいにしながらも、しかし、その言葉はティマにとって大切な約束であった。
本当は喜び叫びたい。だけど、それをしてしまうとフレアを傷付ける結果になってしまう。ティマがブルブルと心の中から湧き上がる喜びに耐えているその時、奈落の底から聞こえてくるような恨みがましい声が二人に届く。
「ディ~マ~ぢゃ~ん~」
そのおどろおどろしい声を発したのは青髪の聖女ポーリ。
ポーリは同じパーティであり元奴隷少女のメルを引き連れて、ぬらり、ぬらりとティマの下まで歩み寄ると、影で聖女なのにいかがわしいと噂されているダイナマイトボディを擦りつけるように抱きついて、耳元でこう囁く。
「なにを抜け駆けしているのかしら?」
それに慌てたのがティマである。
「べ、別に抜け駆けとか、何を言ってるのポーリは――、私はたまたまフレアを見つけたからちょっと話していただけよ」
首筋がゾクリとするようなポーリの声音にティマがぎこちなくもそっぽを向く。
しかし、ポーリの追求からは逃れられない。
「魔力感知まで使ってフレア様を探しておいて何を言っているのかしら?」
ポーリの指摘にビクリと体を硬直させるティマ。
そう、自然を装ってフレアと接触したティマだが、ティマがここでフレアと出会ったのは、ティマが魔法でフレアの動きを感知、把握していたからだ。二人きりになれるタイミングを見計らっていたからなのである。
ここはなんとか誤魔化さなくては――、ティマは脂汗を額に浮かべながら脳細胞をフル回転、どうにか説得力がありそうな発言を絞り出す。
「ま、魔力感知は敵の襲来に備えてよ。 ほら、ここは敵陣の真っ只中なのよ。警戒するのは当然じゃない」
言い訳としては完璧に近いティマの主張。
しかし、状況を合わせて鑑みるとちょっと苦しいだろう。
だが、ポーリはそこにつっこんでいくことはしなかった。
その代わりに、
「いいでしょう。ただし、先程の話は私も混ぜてもらいますからね」
ポーリが先程の話と言うのはつい今しがたフレアとティマとの間で交わされた約束だ。
つまり、余計なことを言わない代わりに自分も混ぜろとポーリはそう言っているのだ。
ニコニコとほほ笑みを浮かべるポーリにティマが忌々しげな顔を作る。
だが、ここで意外な咆哮からの横槍が入る。ポーリの背後に控えていたメルが口を開いたのだ。
「でも、ポーリは国から出られるの?」
ポーリは聖女としてルベリ音国内でかなりの地位を持つ少女である。旅に出るといってもそう簡単にはいかないだろう。
かたや、それを指摘したメルはというと、元々は奴隷の身分であり、現在は出身国やこの国に来ることになった経緯からフレアに保護されている。
だから、常にフレアと一緒にいる必要があって、
「私は行くところがないから、姫様と上手く行ったとしても私はフレアと一緒にいないといけないから」
姫がフレアを受け入れるにしても、そうでないにしても、メルはフレアと一緒にいなければならないのだ。
全く抜け目のない女である。
改めて気付かされたメルの強かさに呆気にとられるティマとポーリ。
しかし、それも短い時間、すぐにギャースカと騒ぎ出すのはいつものパターンだ。
そんな仲間達の姿を見て、さっきまでのシリアスな雰囲気はどこへやら、思わず笑顔を浮かべるフレア。
そして、そんなフレアの様子を横目に見たティマが不機嫌そうな声を出す。
「どうしたのよ」
「いや、俺はいい仲間に恵まれたと思ってな」
来る決戦は明日。フレアは頭上に疑問符を浮かべながらも楽しそうに喧嘩をする、ティマ・ポーリ・メルの三人の様子に『この仲間さえいれば魔王だっておそるるに足らず』と思い、いつも一緒にいれくれる三人に感謝すると共に爽やかな笑みを浮かべるのだった。
◆アギラステア……ルベリオン王国随一の鍛冶師と錬金術師が協力してヴリトラの牙を磨き上げ作った大剣。魔法剣ではなく、その素材そのものの効果から、魔力を流し剣を振ると紫の煙がたなびく魔剣に近い仕様になっている。煙には金属を腐食させるという特徴があり、名前の由来は現地の言葉で『アギ(煙)ラステア(スミレに似た花の名前)』から取られている。
◆次話は水曜日の予定となります。