●幕間・とある特殊部隊のキャンプご飯
◆今週の二話目です。
その日、奥三河の山中では未だ名前が決まっていない特殊部隊が訓練を行っていた。
まだ、夜も明けやらぬ時間から始まったクロスカントリー。食材確保の為のハンティング。朝食の時間を挟んでの基礎戦闘訓練。そして、最後の仕上げに実践さながらのゲリラ訓練と、まさにデスマーチと呼ぶにふわさしい過酷な訓練内容だ。
それが一週間も続くのだからたまらないと、その日の訓練をすべてやりきった隊員達がキャンプ地に戻り、その場に倒れ込む。
「あ゛~腹減った。つか、いつも通りだと夕飯は自分たちで狩ってくるパターンだよな」
「いいえ、それが今日は教官が直々になにかごちそうしてくれるみたいですよ」
狩ってくると買ってくる、発音は同じでもその労力は桁違いだ。
だらしなく地面の上に寝転がる八尾の声に応えたのは若手隊員の一人だった。彼によると訓練終わりに教官に呼び止められ、そう伝言を伝えるようにと頼まれたらしい。
しかし、そんな言葉に慌てたのが八尾だ。
八尾は、今までのだらけた態度が嘘だったかのような素早い動きで起き上がると、そのチンピラフェイスをズイと近付けて若い隊員に聞き返す。
「ちょっと待て、おま、教官が作るって本当か?」
「は、はい……」
普段の訓練内容からして優しいとも思える教官の態度が信じられないだろう。
いや、八尾の顔が怖いのか、歯切れも悪くそう答える若手隊員に、八尾はその強面の顔に似合わない絶望しきった顔を浮かべる。
そんな八尾の豹変ぶりに、同期で親しい梅田が「どうしたんだよ」と軽い感じで訊ねると、八尾は躊躇いがちにもこう言うのだ。
「いやな。これは向こうに行ってる時に虎助に聞いた話なんだけどよ。教官が作る料理には調味料代わりに毒が入ってるらしい」
「ハァ!? 調味料代わりに毒って、どういう料理だよソレ。訳わかんねー」
八尾の発言に梅田が必要以上にガッシリとした肩を竦めて軽口を叩く。
本音を言うと、八尾もこれには同意したい。同意したいのだが、虎助は確かにそう言ったのだ。
そして、後輩である女性隊員の春日井が、特別製のゴーグルを外しながらこんな事を呟くものだからシャレにならない。
「あの、そういえば教官って忍者だから毒が効かないとか言ってませんでしたっけ!?」
「そういや、前にそんなことを言ってたな。わざと毒を飲んだりして免疫をつけるとかなんとか、でもよ、あれって冗談だろ」
「いえ、実は忍者には、毒に耐性をつける為に毒を混ぜた食べ物を食べるなんて修行法があるそうですが、もしかすると、虎助君が言っていたという毒料理というのはそういうアレなんじゃないでしょうか――、なんていうのはどうでしょう?」
どうでしょう? なんて聞かれても……。
春日井のひけらかしたトリビアに隊員たち全員が静まり返る。
教官がというのならそんなことをやっていてもおかしくはないのだが、それを自分達に強制するだろうか。いや、自らの息子にすらそれをする強化ならばもしやも……。
と、そんな恐怖にとらわれる一同の中、隊員の一人、ムードメーカーの新野が「そりゃ流石に冗談なんじゃあ――」と冗談めかして嫌な空気を振り払おうとするのだが、ここでまた春日井の言葉が牙を剥く。
「虎助君が冗談を言うタイプに思えます?」
果たしてこんなに説得力のある言葉はあるだろうか、彼ら隊員と虎助との付き合いはたった数週間という期間のものであったが、彼等が教官として恐怖と共に敬う間宮イズナの息子である虎助には、アヴァロン=エラという異世界で訓練を行っていた際に随分と世話になったのだ。短いながらも密度の濃い時間を共に過ごした彼がそういう冗談を言うタイプではないというのは、何となく説得力のある言葉だった。
「ゼッテーとは言えないが、無意味な冗談は言わねぇタイプだよな」
だから、八尾が漏らした真実らしき言葉に、また沈黙が流れようとしていたその時だった。
「みんな――、ご飯ができたから集まって――」
悪魔は天使のフリをしてやってくる。
イズナの笑顔と共にイズナの手によって運ばれてきたのは自衛隊御用達の調理装備である野外炊具。
別名炊具トレーラーなどとも呼ばれる、百人分のご飯を四十五分ほどで用意できる灯油式炊飯具を六基積んだ、ごつい台車のようなものである。
これは五十人規模の特殊部隊に対しては大袈裟な装備であるが、イズナは自動車で牽引するようなその装備を、まるでキャスター付きのスーツケースでも引くように持ってきたのだ。
女性としても小柄な方であるイズナが、ちょっとした小型車くらいある台車を引っ張るその人外の力にも引き気味の隊員達ではあるが、それよりも引いているという点では、さっき判明した事実の方が被害という点では大きいと言えよう。
そして、野外炊具が隊員達が毎日のように食事を取る大型の天幕の傍に置かれて、その天板が取り外される。
漂ってくるのは暴力的なまでのスパイシーな香り。
今日のメニューはカレーらしい。
美味しそうな香りが漂う中、イズナに呼ばれて春日井がご飯の盛り付けを手伝うことになる。
そして、隊員達が配膳を待って並ぶ列の中、先ほど来の話から、「お前が聞けよ」「いや、お前が聞けよ」と、それぞれが例の毒料理の件の質問者をなすりつけ合うという微妙な雰囲気になって――、
だが、結局、誰も実際に行動に起こすことができずに、業を煮やした川西隊長が代表して質問をすることになる。
ふだんから質実剛健という言葉がピッタリの川西隊長が更に厳しい顔をしてイズナに訊ねる。
「あの、教官、失礼ですが、それは我々が食べられるものなのですか?」
ハッキリ言って、ご飯を作ってくれた相手にそんな事を言おうものなら、殴られても仕方がないともいえる。
その相手が間宮イズナという女性だったのならそれは尚の事だ。
しかし、これだけは聞いておかなければならないと顔を青くしながらも訊ねる川西隊長に、イズナは意外にもそのベビーフェイスに柔らかな笑顔を浮かべてこう答えるのだ。
「何を心配そうな顔をしてるのかと思ったら、虎助から私の料理の腕を聞いたのね。
でも、そこは安心して、ご飯はともかくとして、ここにある料理はぜんぶ虎助が作ったものだから、私は温めただけよ。
さすがに一般人に私達の料理を食べさせたらどうなるのかは身を持って知ってるから下手な真似しないわよ。
……ホント、元君が死にかけた時は焦ったわ」
何気なく最後に付け足された台詞にはぜんぜん安心できないのだが、
とにかく、虎助が作ったものならば食べられるものにはなっているハズである。
隊員達はそう心の中で何度も呟きつつもカレーを受け取り、森の中の開けた土地に設営された天幕の下、並べられた長机の前に全員が揃ったところで『いただきます』と手を合わせる。
さっきまでの話も合わせて恐る恐るとではあるが、スプーンを口に運んだ次の瞬間、そこかしこから歓声があがる。
「何だこれ。上手ぇ!!」
「うぅ、私、虎助君よりも料理が下手かもしれません」
「教官、これは本当に虎助君が作ったものなのですか? 本職の人が作ったと言っても疑問に思いませんよ」
「大袈裟よ。市販のルーで作ったカレーだから。でも、やっぱりお肉がいいかしらね」
「いい肉ですか?」
そう、そのカレーは高校生の少年が作ったにしては絶品すぎるカレーだったのだ。
そして、話の最後、ふとイズナがつぶやいた言葉に川西隊長が『もしかして和牛とか?』そんな想像を脳裏によぎらせて何気なく訊ね返してみると、それに対するイズナの答えがまた予想外のものだった。
「ドラゴンのお肉よ」
イズナがその言葉を口にした瞬間、全員のスプーンがピタリと止まる。
ドラゴンの肉だなんて普通なら冗談で済まされるその食材だが、あの世界から帰ってきた彼等にとって冗談では済まされない話だったのだ。
「えっと教官、それは大丈夫のことなのですか?」
動揺を抑えながらも質問を重ねる川西隊長。
「ああ、腐ってないかとかなら、それは大丈夫よ。虎助が言うには最近おっきなドラゴンと戦うチャンスがあったらしくてね。大量に肉が余ったからぜひ持ってってって話だから」
いや、そういう問題ではないんですが……、
隊員達はそう心の中でツッコミを入れながらも、また追加された情報に意識が飛びかける。
戦ったスカルドラゴンの全長がだいたい十メートル強、虎助はそんなスカルドラゴンを初心者用と言った。イズナもそれは知っているだろう。知っている上でなお彼女は『おっきなドラゴン』と言ったのだ。
それがどれほど大きなドラゴンだったのか、川西隊長は迂遠な表現で聞き返す。
「ええと、それは――、虎助君は大丈夫だったんでしょうか?」
そんな川西隊長からの質問に、イズナは口に運んだカレーを飲み込んで、記憶を探るように視線を上に向けると「う~ん」と悩むような声を漏らして、
「どうかしらね。予想外の不意打ちで背中をバッサリやられちゃって、なんか凄い毒をもらったっていってたけど、正面きって戦えばなんとかなるような相手だったみたいよ。【龍殺し】なんて実績をもらった上に知らない毒の抗体ももらったみたいだし、羨ましい限りだわ」
自分の息子がドラゴンと戦った事をあっけらかんと話すイズナ。
だが、川西隊長を初めとした特殊部隊員にとって、【龍殺し】とか、そんな実績の話なんてどうでもよかった。
「あの、背中をバッサリとか、虎助の野郎は無事だったんすか?」
八尾は――、彼等は――、スカルドラゴンという、まかりなりにも龍である存在と戦ったことがあったのだ。龍が持つその規格外の攻撃力を身を持って知っていたのだ。イズナの話っぷりから虎助が無事なのは間違いない。だが、確実にダメージを、しかも毒を受けてしまったと聞けば心配するのは当然なのだ。
「実際にその傷を見たわけじゃないからその辺はわからないけど、魔法薬を使ったらすぐに治ったみたいよ。便利よね魔法薬。訓練に使えないかしら」
改めて八尾がした問いかけに物騒な事を言い出すイズナ。
そして、そんなことになったらたまらない。大半の隊員はイズナの発言にそう思うのだが、隊員の中には奇特な考え方の人間もいて、
「やっぱ、そんくらいやんねーと強くなんねぇんだよな」
「ああ、強くなるといえばいま食べてるドラゴンのお肉ね。肉体活性っていう効果があるらしいから、午後の特訓は少し厳し目にいくからね」
こうなってしまっては最早なにも言うまい。
諦めの感情を胸に抱きながらも、大半の隊員にできることは、これから行われる訓練に耐え抜く為に、とにかく、この世界で暮らしていたのなら決して口にできない肉をガツガツと口に運ぶことだけであった。
◆個人的には『バー○ントの甘口』と『こく○ろの中辛』を一対一で混ぜたカレーがベストだと思っています。