謎の魔法薬
アヴァロン=エラには日々さまざまな世界からの漂流物が迷い込んでくる。
その漂流物は主にゲートを警備するエレイン君の手によって工房にある集積場に集められ、その後、バックヤードに送られるもの、そのまま加工されるもの、後は浄化によって魔素へと還元されるものに分別されるだが、中には選別がなされること無く放置されるアイテムが存在する。
いかにロボットのようなゴーレムと言えど、その中身が少なからず意思を持っている精霊ともなると人間と同じようにミスは確実に存在するのだ。
その日、工房に用事があった僕はその帰り際、何気なく集積場の前を通り、たまたまそれを見つけた。
なんでこんなものが集積場に残されているんだ?
気になった僕はそれを万屋に持ち帰り、〈金龍の眼〉で鑑定してみようとするのだが、いざ、鑑定を始めようとしたところ、店内にいたマリィさんと元春が集まってきて、
「魔法薬ですの?」
「集積所にポツンと取り残されていたので、ちょっと気になりまして」
「つか、集積場ってアレだろ、ゲートに流れ込んできたゴミやらなんやらを集めるトコだろ。んなトコに取り残されてた魔法薬って、それ普通に賞味期限とか完全にぶっちぎってんじゃねーのか?」
場所が場所だけに元春の言わんとすることも分からないではない、分からないでもないのだけれども――、
「鑑定結果だと飲用可って出てるから飲めることには飲めるみたいなんだよね」
「いや、それでもよ――」
「まあ、元春が心配するのは当然だと思うけど、これお酒なんだよね」
お酒というのは容器さえきちんとしていれば滅多に腐ることがないものである。現に僕達の世界でも、百年以上前に沈んだ沈没船やずっと使われていなかった古い倉庫からワインなどが発見されて、実際に取り引きがなされ、それを飲んだ人がいるというのだから、鑑定の魔法で大丈夫と出ている限り、たぶんこれも普通に飲めるものなのだろう。
「ただ問題なのが、この瓶の中に入ってるのが〈精霊の涙〉が幻酒って分類になってることだね」
「それは厄介ですわね」
幻酒と聞いて、その大きなお胸を支えるように腕組みをするマリィさん。
そんなマリィさんのリアクションに元春は、チロリ、いやらしい視線をはちきれんばかりのその胸元に落としながらも「どゆこと?」と坊主頭を傾ける。
「秘酒や幻酒とかいうような、魔法を利用して作られたお酒には、特殊効果が付随しているものが多くてね。魔法で鑑定しただけじゃその効果がはっきりしないんだよ」
鑑定によって飲用可と出ている以上マイナス効果は無いだろうが、地域・作り手・熟成期間などによってその効果が代わったりする特殊アイテムは、メルさんの毒薬がそうであったように細かな分析を魔法で行うのは難しかったりするのだ。
「ってことは飲むのも危ねーし、売りに出せないってことになんのか?」
「いや、さすがにこれを売りに出すつもりはないんだけど、このままこのまま使わないで寝かせておくのも勿体無いしね。使えるなら使ってみようとは思ってるんだけど、ある程度、効果がわからないと危なっかしくて使えないんだよね」
鎧や盾に魔導器と、装備品の類ならまだしも、さすがに拾い物の飲食物を店で売る訳にはいかないだろう。しかし、使えると分かっているレアアイテムをただ倉庫の肥やしにしてしまうには実に勿体無い。
「じゃあ、ソニアちゃんだっけ? いつもみたく、万屋のオーナーに分析を丸投げしちまえばいいんじゃねーの?」
「まあね。そうするのが手っ取り早いといえばそうなんだけど。さすがにこの量を分析にかけてもらうのはね……」
〈精霊の涙〉は、その名が示すように、ウィスキーボンボンサイズのお酒である。
そんなお酒を分析なんかに回したら、それだけでぜんぶ使ってしまうなんてことにもなりかねない。
「だったらどうすんだよ」
「うん。最悪、各種耐性を持ってる僕が飲むことになるんだけど……、その前にちょっと試してみようか」
訊ねてくる元春に僕はそう言うと、「ちょっと待って」と店を出て、ゲートから自宅へ一旦帰宅、少しして、小さなケージに入った一匹のハツカネズミを連れて帰ってくると、元春はその小さな白いネズミを見て驚いたように、
「おおう。マウス実験ってヤツかよ。でも、こういうのってすぐに用意できるもんじゃねーだろ」
「実験用のマウスはポーションなんかの実験にも使えるからね。実家の方で『そにあ』が管理してるのが何匹かいるんだよ」
たしかに実験マウスを一般家庭で用意するのは難しい。
だが、僕の家では、ソニアが新開発した魔法や魔法薬の効果を確かめる為にと一定数のマウスを育てているのだ。
因みにマウス実験という概念はソニアが暮らしていた魔法世界にはなかったらしく、初めて知った時はたいそう感心していた。
とまあ、そんなこんなで僕の家ではハツカネズミを飼育していたりするのだ。
僕は連れてきたマウスをそのゲージごとカウンターの上に置く。
そして「本当はこっちの世界じゃなくて向こうの世界で実験できればそれにこしたことはないんだけど――」なんて呟きながらも、一緒に持ってきたスポイトで〈精霊の涙〉を一滴ぶん吸い取って、ケージの中のマウスに与えていく。
すると、脇からその様子を眺めていた元春がふとこんな不吉なことを言い出すのだ。
「つか、実験ネズミに怪しげな薬って、映画とかだと怪物になっちまうとかそういうパターンだよな。なんか前に動物を魔獣化なんて話もあったし、ドキドキだな」
「いや、実際、強化系の魔法薬を作ってた時に暴走したことがあってね」
「あの時は大変でした」
ちょうどその場にいたマリィさんが僕の呟きに同意を示すと、元春は後退りしながらも呻くように言う。
「マジかよ。冗談のつもりだったんだけどよ。じゃあ、ちょっと離れた方がいいか?」
「いや、このケージは特別製だから、このハツカネズミがちょっとやそっとパワーアップしたくらいじゃあ壊れないよ」
一度した失敗への対策はきちんと考えてある。
具体的には今マウスを閉じ込めているこのケージ。
実はこのケージはムーングロウで作られていて、もしもこのケージが入れられている動物の魔素なりなんなりの影響を受けて変化、破壊されようものなら、ケージ内部の生物――もしくは周囲の魔素なりなんなりを吸い取って拘束具に形状変化するような魔法式が刻まれているのだ。
そして、アヴァロン=エラにマウスを連れてきた時点で、エレイン君達には実験を行う旨を伝えてある。
だから、もしもの時には店内にいるベル君から連絡が飛び、このケージの効果で時間を稼いでいる間に駆けつけてくれる体制が整っているのだ。
「しかし、特段変化はありませんわね。〈調査〉を使ってみても?」
僕が万が一の時の対策を元春に説明している間も、一向に変化の見られないケージ内のマウスに、マリィさんが魔力の流れを見てもいいかと確認してくる。
僕はそんなマリィさんの声に「ええ」答えながらも、自分もと同じ魔法を発動させる。
すると、魔力の流れを見抜く視力から見たマウスには、脳を起点にして二つの目に伸びる魔力のラインが走っているのが確認できた。
「この魔力の流れは視覚系の強化ですね」
「ええ、ですが、ただ単純な強化では無いみたいですわね」
〈精霊の涙〉の効果が単純な視覚強化だったとしたら、もっと目の周りに濃く魔力がまとわりついているハズだ。
だが、このマウスに見られる魔力の流れは視神経の部分で止まっているように見える。
とするなら、これは目の機能を強化するものではなく、目で捉えた映像を魔力によって変質させるものなのではないか?そんな僕の指摘にマリィさんは組んだ上に乗せられる胸の座りが悪いのか、ムニムニと位置を代えるようにしながらも思案して、
「視覚を純粋に強化するものではないとなりますと、鑑定眼とか――」
「ちょっと待ってくださいっす。もしかすると透視ってこともあるんじゃねーんすか」
そう言いかけたところで欲望まみれな言葉を割り込ませたのは、もちろん元春である。
僕は期待に目を爛々と輝かせる元春に苦笑しながらも、
「どうだろうね。元春が言うように透視って線もなくはないんだろうけど、視覚系の強化って幅広いから、僕とマリィさんがいま使っている魔力の流れを見る魔法だって視覚の強化だし、場合によってはまったく別の世界が見えちゃったりしてる可能性もあるかもだから、試してみないとハッキリとしたことは言えないね」
「てか、別の世界ってヤバくね。それ完全にトリップしてんじゃんかよ」
まあ、薬を飲んで別の世界が見えるようになっちゃっただなんて、字面からしてあんまりいい印象を受けないのも当然なのかもしれないけど……、
「別に悪いことでもないと思うよ。ほら、僕達の世界でもあるでしょ。臨死体験をした人が霊能力に目覚めるとかそういう話が――、たぶんあれも視覚系の魔法強化の一種だと思うんだよね」
嘘か真か、有名人を中心にそういう話を耳にすることはままあったりする。
あくまで可能性の話になるのだが、なんらかの要因があって別の世界を垣間見ることで、なんらかの実績を得る条件を手にできる――なんてことは有る得ることだ。
もしかすると、この〈精霊の涙〉はそれを促す魔法薬なのかもしれない。
テレビなんかで聞く与太話を例えに、僕が〈精霊の涙〉の効果を推理してみたところ、元春は少し嫌そうな顔をして、
「逆に霊能力なんていらねーよ」
たしかに霊能力をゲットしてラッキーなんてことはあんまり無い。だけれど、
「霊能力っていうのはもののたとえだから。たとえばこれが幽霊じゃなくて、お酒の名前に習って精霊が見えるようになったとしたらどう思う?」
「な~る。蜜を求めて花に近付いた精霊が触手に絡め取られるシチュエーションとか胸熱だな」
いや、なんなのさ、そのシチュエーション。
いくら精霊が見えるようになったとしても、地球でそんな場面に出会すなんてこと、まずあり得ない思うんだけど――、
あんまりにも元春な想像に、僕は『出した例えが悪かったのかなあ』なんて心の中で呟きながらも、改めて、
「とにかく、見たところマウスにも異常が無いみたいだし、飲んでも大丈夫なものみたいだから、誰かが試してみるってことになるんだけど――」
「もちろん俺が飲ませてもらうぜ。 つか、虎助なら「高校生が酒を飲むなんて――」とか生真面目に止めるかと思ったんだけどよ。そこんとこどうなんだ」
「ああ、それね、まあ、これがちゃんとしたお酒だったら、僕も成人まで保留ってことも考えたかもしれないんだけど。このくらいの量ならウィスキーボンボンを食べるのと変わらないでしょ」
僕が〈精霊の涙〉が入れられている容器をつまみ上げながら言うと、元春は「それもそっか」と腰に手を当てる。
そして、「んじゃま、俺が試してやんよ」と〈精霊の涙〉を手に取ろうとするのだが、その手が届く前に〈精霊の涙〉が入った小瓶は横から伸びてきた手に奪い取られてしまう。
「ちょっとお待ちなさい。なにを勝手に飲もうとしていますの」
「ええと、その、マリィさんも飲みたいんですか?」
〈精霊の涙〉を強奪したのはマリィさんだった。
僕がマリィさんが飲みたいのかと聞いてみると、マリィさんは摘み盗った小瓶をギュッと握りしめ。
「当然ですの。もしも精霊が見えるようになる効果が本当だったとしたら、聖剣を作るのに役に立つでしょうから」
ああ、そういう理由ですか。
僕はいつも通りなマリィさんの言い分に納得しながらも、一応注意をと、
「でもですねマリィさん。精霊が見えるかも――というのは、あくまで名前からみた可能性であって、確率としては低いと思いますよ」
「それはもちろん承知しておりますの。 ですが、少なからず可能性があるのなら、賭けてみる価値はあるのではなくて」
精霊を見るなんて力は生まれ持った才能が大きく関係する力である。
もし、〈精霊の涙〉が僕のいうような魔法薬だったとしたら、それはマリィさんにとってかなり有用な魔法薬となる。
「ってことみたいだけど、元春はどうする?」
飲みたいと言うお客様が二人いて、その現品は一つ。もしも、どちらも引かないようなら、後はジャンケン勝負とかその世界になるんだけど……。
そう訊ねる僕に、「そういうことならマリィさんに譲りますよ」と意外にもあっさりと引き下がる元春。
僕がそんな元春の態度が気になって「それで本音は?」と聞いてみると、元春はフッと爽やかな笑みを浮かべて、
「いやさ。ラブコメとかでさウィスキーボンボンみたいなのがでてくると、女の子が酔っ払って大暴走ってのが定番じゃねーか。それによ。たとえじゃんけんで俺が勝ったとしても、ああなったマリィちゃんが引き下がるとは思えねーしな。なら、焼かれる前に引いた方が安全ってなもんよ」
さすがの元春も三ヶ月ともなるとマリィさんの性格を把握できてきたみたいだ。
とはいっても、ウィスキーボンボン一個くらいでベロベロになるなんて甘い予想なんて、たぶんフィクションの世界にしかないんじゃないかな。
それがスピリタスのようなとんでもないアルコール度数なら可能性はあるのかもしれないけれど。
幸いにもこの〈精霊の涙〉というお酒は、およそ二十度と果実酒なんかと変わらない度数ということが鑑定によって判明している。
さすがにこの量、その程度のアルコール度数で泥酔するなんてことは、相当お酒が弱い人でもあり得ないと思うんだけど。
しかし、それを聞いてしまったからには念には念を――と、マリィさんとしてはそう考えたのだろう。
「虎助、その男を眠らせておいてくれますか」
「ええっ!? なんでっすか」
万が一に備えてマリィさんが下した決定に慌てふためく元春。
いや、「なんでっすか」なんて言われてもさ。こっちの方がなんでなんだよって感じなんだけど……。
僕は本気で分かってない様子の元春に『自分の発言をよく思い出してみなよ』心の中で思いながらもマリィさんに「了解です」と軽く敬礼、マジックバッグから魔法銃を取り出して元春を狙う。
すると、元春は情に訴える作戦に出たようだ。
「撃つ気なのか。親友のこの俺を――」
腕を大きく広げて必死に訴える元春。
しかし、今まで何度そのくさい演技を見せられてきたことか。
僕は何かあるとすぐに『一生のお願い』だのなんだのと、元春が繰り出してくる人の情を盾にした作戦をさっぱり無視してスタン弾を浴びせかける。
そして、ガクッと崩れ落ちる元春の体を床に倒れる前に受け止めて、お姫様だっこで和室に移動。畳の上に寝かせたところでマリィさんに向き直り、もう一度、軽く敬礼して、
「準備完了です」
「では、検証を始めましょうか」
とは言ったものの、『もしも元春の言う通りになったらどうしよう』と、そんな不安が表情になって出てしまっていたのかもしれない。
「心配ありませんの。私の国では十二でお酒を飲めるようになっていますの。私も王族であった頃にパーティで二度ほどいただいたことはありましたが、特に酔うことなかったのでたぶん大丈夫だと思いますの」
曰く、マリィさんはお父さんを殺される前に出席したパーティで既にお酒を経験していたみたいだ。
この程度の量なら全く問題ないと胸を張り、コクリとその透明な液体を胃の中へと流し込む。
そして、「大丈夫ですか」という僕の声に、マリィさんはしっかりとした口調で「ええ」と答えて、サファイアの瞳を周囲に巡らせるのだが、
「特に変化はないようですね」
効果が出ていないのか?
いや、〈調査〉で見る限りでは、マウスと同じように目への魔力の流れがちゃんと確認できる。
となると――、
「視力がクリアになったとか、不思議なものが見えるとかはないんですか?」
「そういう訳でもなさそうですわね」
と、そこまで言ったところでマリィさんは「あっ」と和室に横たわる元春に目を止める。
「なんでしょう。元春に紐状の黒い靄がまとわりついているのが見えますわ」
「紐状の黒い靄ですか――」
それを聞いて真っ先に思いつくとしたら、当初話題に登っていた――、
「悪霊とか呪いとかが見える様になるとか、その類の視力ですかね?」
「かもしれませんわね。ちょっと嫌な感じがしますもの」
そんなことを言っている間にも、少量しか口にできなかったお酒の効果は切れてしまったのだろう。
「あら、見えなくなってしまいましたわ。結局なんだったのでしょう。 一応、黒い靄を見る時の感覚はなんとなく掴めたような気がしますが、謎ですわね」
とりあえず、視力強化の感覚が掴めたのだとしたら、練習次第では〈精霊の涙〉の補助なしにその黒い靄が見えるようになるのかもしれない。
だが、その検証は後回しにして、
「念の為、元春のお祓いだけでもしておきましょうか」
「ですわね」
その靄がなんなのか分からないが、もしも危険なものだった場合、元春の命にかかわるかもしれない。
これは元春に言わない方がいいかな。僕はそう思いながらも店の商品棚から状態回復薬と聖水を取り出して元春の上に振りかけるのだった。
◆ウィスキーボンボンの美味しさがイマイチ分からない作者です。