房中術?
◆お待たせしました。今週の二話目です。
放課後、僕に元春にマリィさんと、いつものメンバーがいつものようにのんべんだらりんとしていた万屋の中、元春が何気なくこんな事を聞いてくる。
「なあ、虎助って忍者なんだよな」
「そうらしいね」
未だに信じられない話だが、どうやら僕は本物の忍者の末裔だったみたいだ。
まあ、ステイタスに見る実績とか、母さんの毒料理とか、母さん主催のキャンプとか、前々からそれとしかいえない状況はあったのだが、まさか本当に本物の忍者だったとはね。
前に母さんがアヴァロン=エラに訪れた時に教えられた上月流うんぬんの話には僕もビックリしたものだが、
「それで僕が忍者だったらなんなのさ」
元春が意味もなくこんな話題を口にするとは思えない、なにを企んでいるのか聞いてみると、
「忍者ってのは忍術ってのを使うだろ」
「使うね」
「その中に房中術ってのがあんだろ。もしかしてお前も使えないかなって思ってな」
どうも元春は房中術に興味があるらしい。
しかし、房中術なんてよく知っていたな。
いや、元春なら当然なのか。
因みに房中術というのは、いわゆる色仕掛けやら夜のマット運動といった性に関するアレコレを集めた技術体系で、相手を快楽によって幻惑して情報を引き出す場合になどに使われる酷く俗世的な忍術だったりする。
そして、元春が言う通り、僕が母さんに仕込まれた技術の中にはそれとしか思えない技術もあったりするのだが、それを正直に答えるのはどうなんだろう。
僕がどう答えていいものやらと考えていると、さすがは長年の付き合いか、元春は僕の心の中を読んだかのようにガタリと身を乗り出すようにして、
「ちょっと待て、その反応、使えるんだな。習ったのか。まさか実践で使ったとか――」
「それはないよ。ただ口伝っていうのかな。こういう訓練をしなさいとか言われたり、古い巻物みたいなのを見させられたり、母さんが厳選したっていう本や動画で勉強したりしただけだよ」
曰く、房中術というのは現代社会という環境を生き抜く上で大変有用な技能だとのことだ。
だから、優先的に憶えておくようにと母さんから言いつけられていたりもした。
因みに房中術を習う際、母さんが厳選した資料の中には、実の息子にこんなものを見せていいのだろうかと目を疑うような肌色で埋め尽くされたものもあったのだが、「いいから見ておきなさい」と母さんに脅されてしまっては僕に拒否権などあり得ない。素直に勉強せざるを得なかったのだ。
そう、決して喜々として修行に取り組んでいたのではないということを、ここに言明しておかなければならないだろう。
そんなこんなも含めて、僕の食い気味の否定に元春が安心したように胸を撫で下ろす。
だが、安心するも束の間、元春は神妙な顔をして、
「なあ虎助、それって俺に憶えられるもんなのかな?」
まあ、そんなことだろうと思ってたけどね。
「元春はあの夏のキャンプとかにも参加してくれてるしね。秘伝っていうのかな。そういうものじゃなければ、別に教えても構わないと思うんだけど、でも、基本はマッサージみたいなものだよ」
「マッサージって、俺が知りたいのは本格的なヤツなんだけどな」
本格的って――それを憶えてどうするんだよって疑問もあるんだけど、
「でも、基礎は大事だよ。それになんていうか、たぶん元春が憶えたいような技術って基本的なマッサージの延長線上にあるようなものだと思うんだよね」
「成程な。確かにアレ系のお店のことを性感マッサージなんて言ったりもするもんな」
いや、それは関係ない――とは一概に言えなくもないのかな。
僕が元春の感想を聞いて埒もないことを考えていたところ、元春がとんでもないことを言い出す。
「よし、ちょっと試してみてくれ、マリィちゃんに――」
これに慌てたのは和室でスイーツタイムを楽しんでいたマリィさんだ。
ぶびぃと口の中の物を吹き出すと、金髪ドリルを振り乱して振り返り、栗大福を刺した菓子楊枝を突き出して言ってくる。
「ど、どうして、私がそんなことに協力しなければならないのです」
「いや、興味津々で聞いてたじゃないっすか。それにこういうのは女の子に実践しれもらわないと効果が確認できないじゃないと思うんすよ。
それとも何すか、虎助にマッサージを受けるなんて意識しちゃうとかとかそういうのっすか」
マリィさんが僕達の話に聞き耳を立てていたのには僕も気付いていた。
しかし、僕があえてスルーしたそれを元春がいやらしい聞き方でつっこんでいく。
正直、その問い詰め方はセクハラ以外のなにものでもないのだが、攻められると反撃したくなるのがマリィさんという御人である。
「そ、そんなことありませんの」
「本当ですかぁ」
「決まってるではありませんの」
「だったら別に虎助のマッサージを受けても平気ですよね」
「い、いいでしょう。そこまで言われて引き下がっては、私が、その、元春がいうような不名誉なことを考えていたと言っていたようなものです。その挑発、受けて立ちましょう」
あからさまな挑発に威風堂々立ち上がるマリィさん。
正直、異性にマッサージを受けるだなんて、それだけでも緊張しそうなものなのだが、マリィさんの性格上、こうなってしまってはてこでも動かない。
本当に乗せられやすい性格をしているなあ。
僕は、元春とマリィさん。乗せる方と乗せられる方、両方に気の毒な視線を向けながらも、上がり框のところに腰掛け、好きにしなさいとばかりに目を瞑るマリィさんに、これはやらないと終わらないなと覚悟を決めて、「じゃあ、簡単なところで肩もみからいきますよ」と、背後に回り込もうするのだが、そこで元春から不満げな声があがる。
「ええっ!? 肩もみってなんだよ。んなの普通にマッサージじゃんかよ」
いや、最初からマッサージって言ってるよね。
それに今の元春だと女の子の肩を揉むのすらハードルが高いんじゃないかな。
僕は心の中で元春の文句に抉るようなツッコミを入れながらも、さり気なくマッサージを受けるマリィさんの表情やそのお姿を堪能できる正面に陣取る元春にジト目を向けて、問答無用とマッサージを始めようとマリィさんの肩に手を載せるのだが、
硬っ!!
一見、柔らかそうに見えるマリィさんの肩はまるで石のようにカチカチだった。
胸が大きい人は肩こりが酷いって聞いたことがあるけど、これは一筋縄ではいかないぞ。
僕はあまりに凝っているマリィさんの両肩に気合を入れ直すと、房中術とはまた別の、体術にも応用可能な気の流れやツボといった知識を総動員して、肩や首を中心とした筋肉を起点に全身の調子を整えていくことにする。
先ずは手の平に薄っすらと魔力を纏わせ、うどんの生地でもこねるように強めの力で肩の筋肉をほぐしていく。
ある程度肩の張りが取れてきたところで、マジックバックの中から取り出した特性ポーションを塗布する。
これは強く筋肉を揉みほぐしたことによる筋繊維へのダメージを回復させると共に、肩や首周りの筋肉に蓄積していた疲労を洗い流す効果を狙っての処置である。
そうして下準備を整えた後で、ようやく本格的なマッサージに取り掛かる。
僕は肩にあるツボや首周りのリンパの流れを意識しながら、最初とは違い、すでにある程度の柔らかさを取り戻したマリィさんの肩を傷めないようにと、適度な力加減で指圧し、揉み解し、肩を叩き、そして魔力による気の調節と、様々なテクニックでもってマリィさんの体を癒やしていく。
そんな風に僕が夢中になってマリィさんのマッサージを続けていたところ、不意にこの男が声をかけてくる。
「なあ、虎助――、なあってば」
「なに? 今ちょっといいところなんだけど」
「ん、まあ、いいトコってのはそうなんだろうけどよ。これ以上やるとマリィちゃんがヤベーと思ってな」
ちょいちょいと元春が指した指の先にはポーッと赤い顔で蕩けるマリィさんがいた。
僕が「どうしたんですか?」と肩を叩いて訊ねると、マリィさんはビクンと体を仰け反らせて、
「ふわっ!?私どうしていましたの?」
ジュルリ。だらしなく開いた口元から垂れたよだれをハンカチで拭い取る。
そんなマリィさんの様子を見て僕は、
「ああ、血行が良くなって眠くなっちゃったんですね」
「血行?」
「血の巡りのことですよ。耳の後ろのところに完骨ってツボがありましてね。これが全身の血流を良くする効果があるんですけど、それと同時に安眠の効果もあるんですよ。魔力も一緒に流して、体内の気の流れを整えるようにしましたから、その効果が大きく出ちゃったんですね。のぼせはしないでしょうけど、ちょっと風に当たってきた方がいいかもしれませんね」
「な、成程――、血流ですか、たしかに体の芯からポカポカとしてきていますわね。このままでは汗をかき過ぎてしまいそうですの。ここは虎助の言う通り、少し外で涼んできた方がいいのでしょうね」
そう言って立ち上がったマリィさんはふらつきながらも店の外へと歩き出す。
僕はスライドドアを開けて出ていったマリィさんを見送ったところで、改めてのその効果を実感するようにこう呟くのだ。
「はぁ、初めて使ったけどさすがは秘伝のマッサージだね。初めて人に試したけど凄い効果だよ」
「――って、白々しいな」
「何が?」
白々しいのは自分でも分かっている。
だけど、あえてそれをツッコむほど僕は悪趣味じゃない。
何が?という切り返しに元春もその辺の機微を察してくれたのだろう。
「いや、つか、恐るべし房中術だな。これなら期待が持てそうだぜ。ってことで、さっそく教えてくれるか」
わざわざ確認するまでもないかとばかりに話題を変えて、さっそく実技講習に入ろうと言い出す元春。
その後、お客様がそう仰るのならと張り切ってマッサージを実演してあげたところ、何故か元春までもがマリィさんと同じような状態になってしまい、腰砕けのままハイハイで店の外へと出ていってしまったのだが、どうしたんだろうか。
うん。さっぱり分からない。たぶん元春も血の巡りが良くなり過ぎてしまったのだろう。
その辺の細かな事情もあえてツッコんで聞かないであげようと、優しい眼差しで元春を見送る僕であった。