殺気というものは
◆今週の一話目です。次話はあさって投稿予定です。
長い長い議論の末にようやく作る料理も決まり、レッツクッキングと万屋の小さなキッチンを使って僕が簡単にではあるがそれを調理し、作った料理を堪能している間も、義姉さんと元春による金の卵の殻をめぐる醜い争いは続いていた。
しかし、僕達の食事が終わっても、まだ醜い奪い合いをやめない二人に業を煮やしたのか、早々に食事を終えてお茶を楽しんでいた母さんがついに動く。
「二人共いい加減にしなさい。たかだかそれくらいの金で、仲良く分けたらいいじゃないの」
「仲良く分けろって、これっぽっちしかないのよ。二人で分けたら、はした金にしかならないわ」
母さんの言葉に義姉さんは露骨に嫌そうな顔を顰めて、とりあえずカウンターの上に置かれていた金の殻を指差す。
コカトリスがこの世界にいる間に取れた卵の数は全部で三つ。その殻をぜんぶ鋳溶かしたとして、せいぜい小金貨一枚分くらい取れるのがいいといったところだろう。
とはいえ、たかだかニワトリを数日世話をして(主に僕が)、その報酬として金貨一枚というのは、二人で分けても十分過ぎるものだと僕なんかはそう思ってしまうのだが、元春は当然の如く、関係ない義姉さんからしても足りないみたいである。
しかし、そんな我儘が母さんに通じる筈もなく。
「なにか――、文句でもあるのかしら?」
文句を垂れ流す義姉さんと元春の態度に声を低めて威圧的な空気を醸し出す母さん。
そんな母さんから放たれる殺気に、量は少ないながらその味には満足と、口元をハンカチで拭いていたマリィさんが目を見開く。
「す、凄まじいですわね」
『そうだな。あの御仁、相当な手練だ』
「まあ、母さんですからね」
マリィさんの後に続いた声はエクスカリバーのものである。
急に知らない女性の声が聞こえてきて、元春がは気になっているようだが、母さんの殺気を前にしては何もできないみたいだ。
因みに元春がエクスカリバーの声を知らないのは、基本的にエクスカリバーは自分が喋れることを知っている人の前でしか話さないからだ。
なんていうか、喋れるとわかった途端、まるで友人のように馴れ馴れしく接してくるフレアさんの二の舞いになるまいと、エクスカリバーは自分が認めた人間の前でない限り、あまり喋ろうとはしないのだ。
いま会話に入ってきたのは、たぶん母さんから放たれる殺気に思わず反応してしまったとか、そんなところだろう。
「しかし、虎助のお母様は本当に規格外ですのね。魔素も薄く、魔獣の存在もほとんど無いという世界でこれほどまでの力を蓄えるなんて、信じられませんの」
「えと、その辺りの常識はよく分からないんですけど、殺気に関しては【忍者】の中に殺気や威圧なんかに関係する権能があってですね。それが効果を発揮しているんだと思うんです」
「たしかに一流の戦士ともなると覇気などといった特殊な威圧感をまとう方が多いですからね」
僕と母さんが持つ【忍者】や、マリィさんが持つ【爆炎の魔導師】など、職業系と呼ばれる実績には、俗にスキルやアビリティなどと呼ばれるような多種多様の権能が、持ち主の努力によって内包されるようになっていたりする。
そんな権能の中の一つに殺気の投射や気配の感知が可能となる〈感覚拡張〉なる権能が存在しているのだ。
僕達が職業系の実績とそれに関する権能の話で盛り上がっていたところ、恐怖に支配されて上手くしゃべれない義姉さんが震える声で言ってくる。
「――って、ゆうか、なんで、アンタ達は、平気なのよ」
「威圧系の力は同じ種類の力で相殺できるからね」
殺気やら覇気などによる威圧効果というものは、基本、気合のぶつかり合いみたいなものである。
だから、同等までとはいかないものの、ある程度の気迫を出せるナニカを持っているのなら、自然とその影響から逃れることができるのだ。
「ちょっ、待、つーこたー、俺と、志帆姉以外、みんな、イズナさんみたいなことができんのか?」
「そうだね。けど、そんなに珍しい力でもないよ。極論を言うと別に権能がなくても同じことはできなくもないし、魔王様は当然として、マリィさんも持ってますよね」
母さんへの恐怖から、途切れ途切れになりながらもどうにか言葉を紡ぐ元春に僕はそう答えつつも、文字通り魔王であらせられる魔王様は当然として、元王族であるマリィさんなら威圧系の権能を持っていても不思議ではないと訊ねると、
「ええ、幾つかの実績にいくつか威圧系の権能がありますの。
ですが、私の場合、魔法で再現した方が効果が高いですわね」
マリィさんがそう言った瞬間、母さんの殺気に重なるように威圧的な空気が拡大する。
マリィさんが使ったそれは、おそらく〈恐怖〉という魔法だろう。
精神感応の応用で、殺気や敵愾心といった感情を魔力に乗せて直接精神に働きかけることによって、相手を威圧する魔法である。
慣れない人が使うと、殆ど意味を成さない弱い精神魔法であるが、マリィさんの〈恐怖〉は高い実用性を持っているみたいだ。
――と、そんな分析をしている場合じゃなかったみたいだね。
僕がマリィさんが使った魔法の分析に耽っている間に、母さんからの殺気とマリィさんの〈恐怖〉の重ねがけを受けて義姉さんと元春がヤバイ感じになっていた。
もうここにいるのも嫌とばかりに目の焦点が狂い始め、ガクガクと生まれたばかりの仔馬のように震える下半身。
そして、このまま威圧され続けてしまうと、高校生として、社会人として、大変不名誉な黄金色のアレが決壊。二人の足元が大惨事なんてことにもなりかねないので、
「あの、マリィさん。そろそろ止めてあげてくれませんか、元春は当然として、義姉さんも限界みたいですので」
「――あら、少しやり過ぎたようですわね」
「す、少しじゃないわよ」
僕の声にマリィさんが〈恐怖〉を解除。義姉さんが珍しくも情けない声をもらす。
母さんはそんな義姉さんの様子に表面上は穏やかに見える笑顔を浮かべて止めを刺しにいく。
「あら、志帆ちゃん。もしかして、お漏らししちゃった?ちょっと臭うわよ」
「そそそ、そんな訳ないじゃない。ぶ、ぶっ殺すわよ」
「あら、義理とはいえ母親にぶっ殺すっていうのは酷いんじゃないかしら?」
思わず口に出してしまった義姉さんの暴言に、母さんがキロリと目を鋭く細める。
再び放たれる殺気に、もう一度、恐怖のどん底につき落とされる義姉さん。
すると、その余波を受けたのだろう。元春がガクガクと震えながらも「助けてくれ」と訴えてくる。
だけど、僕なんかに母さんをどうこうできる訳がない。
だから、
「地力で抜け出すしかないんじゃない?」
「む、無茶言うなよ」
素気無く断る僕に泣きそうな顔をする元春。
その様子があまりに哀れに見えたもので、なにか助けになる言葉をかけられないものかと少し考えた僕は、
「そういえば、元春の【G】に備わってる〈嫌悪対象〉、あれも精神に影響を及ぼす類の権能だと思うけど、上手くコントロールできれば母さんの殺気に対抗できないかな」
威圧と不快感。影響を及ぼすベクトルは違えども、精神に直接働きかけるという効果は重なるところがある。それを上手く利用できれば、僕達と同じように母さんの殺気に対抗できるようになるのではないか、そんなアイデアを口にしたところ。
「ま、マジかよ。で、どうすりゃいいんだ」
「待ちなさい。アンタだけ狡いわよ」
元春が縋り付くように聞いてきて、義姉さんが元春だけ助かろうだなんてズルイと妨害にはしろうとするのだが、
「使い方なんて知らないよ」
「オイ~」
僕に〈嫌悪対象〉という権能はない。魔法を使うのとおんなじで、自分が全く使えない技能をどうやったら使えるようになるのかを教える事はなかなかに難しいのだ。
それに、こういう技術は魔法修行がそうであるように、習うより慣れろが基本だったりする。
とはいえ、このまま無視するのはちょっと可哀想過ぎるかもしれない。
あんまりにも必死な元春のお願いにそう思った僕は、
「でもさ。このコントロールが上手くいけば、第一印象で女子に嫌われることもなくなると思うんだよね」
アプローチを方向を少し変えてみようと、元春のやる気を出させるべく目の前に特上の餌をぶら下げてみる。
すると、元春にとってその言葉はまさに天啓だったみたいだ。愕然とするようにしながらも、すぐにその人目に黒く淀んだ炎を灯し、
「マジで」
さっきまでたどたどしかった態度がすっかり消えて、いつも通りの元春が戻ってくる。
まあ、それ自体は権能をコントロールしたというより、降って湧いたような希望に母さんからのプレッシャーを忘れているだけなんだろうけど、これをきっかけにして自分の力をコントロールできるようになれば、この状態を継続することができるんじゃないかな。
そして、母さんも僕が元春に施した魔法に気付いたみたいだ。
「あら、元君には出来たみたいだけど、志帆ちゃんはそのままなの?」
義姉さんを煽るには弟分である僕達の事を出すのが手っ取り早い。
あからさまな挑発に「なんですってぇ~」と軽い恐慌状態から持ち直す義姉さん。
そんな二人の様子を満足そうに眺めた母さんはといえば、
「これならもう少し強めにしてもいいかしら」
二人の成長を促すように更なる負荷をかけにいくみたいだ。
本当にスパルタなんだから。
どうも母さんはこれを機に二人にも恐怖に打ち勝つ力をつけてもらいたいと考えているようだ。
そんなこんなで徐々に威圧感を高めていくこと五分程、
「う~ん。元気だったのは最初だけだったみたいね。
やっぱり志帆ちゃんも元君も鍛え直した方がいいのかしら。
タイちゃんやあの人に聞いたけど、二人共、最近あんまりいい噂は聞かないみたいだから」
どうやら元春が学校でいろいろやらかしている話はきっちりおばさんに伝わっていたらしい。
ひそかに母さんに鍛え直してくれないかと、そんな話が来ていたみたいだ。
「虎助、ちょっとディストピアを借りるわね」
「待ちなさいよ」
そして、ここからが本番だとばかりにディストピアの使用許可を求めてくる母さん。
そんな母さんに義姉さんが突っかかっていく。
どうやら義姉さんにとってディストピアという場所は二度と生きたくない場所になっていたようだ。後がない状況に追い込まれてようやく母さんの殺気から完全に脱することができたみたいだ。
だが、襟首まで掴んだのは完全にやり過ぎだった。
「こ~ら、志帆ちゃん。調子に乗らないの」
コッ!
多分それはショートアッパーによる一撃だろう。母さんの手先が霞んだかと思いきや、母さんに掴みかかっていた義姉さんがペタリとその場に崩れ落ちる。
そして、前のめりに倒れようとする義姉さんの体を優しく受け止めた母さんは、そのまま元春に向けて濃密な殺気を投射。
有無を言わさず失神させると、気絶した二人を軽々と担いで立ち上がり、
「それじゃあ、この二人は連れて行くわね。たぶん夜ご飯までには帰ってくるから用意しておいてくれるかしら。
そうね……、前に食べたドラゴンのお肉。元気が出るからあれがいいわね」
夕飯のリクエストを残して、万屋を出て行く。
僕はドナドナされていく幼馴染二人を合掌で見送ると、せめてご飯くらいは美味しいものを食べさせてあげようと、ベル君に頼んで牛肉でいうところのテンダーロイン、ヴリトラの腰肉を夕食前に出してもらえるように頼んでおく。
まあ、たった半日の修行だし酷いことにはならないよね。
適当にもそんなことを思いながら。