魔王をダメにする玉座
それはなんでもない平日の午後、
たぶん無理やり任された領主の仕事でもこなしていたのだろう。いつもより少し遅れて万屋へとやってきたマリィさんが、午前中からやってきて、和室でゲームをしていた魔王様を見て言う。
「あら、そのクッション。新しいものですわね」
「……ん、虎助に買ってもらった」
マリィさんが目ざとく見つけたのは、下手をすると魔王様の体よりも大きいかも知れないまんじゅう型のクッションだった。
因みに魔王様が言った僕に買ってもらったというのは、正確には魔王様がお金を出して僕がネット通販で買い求めたものなのだが、細かいことは言いっこなしだ。
「ちょっと触らせてもらってもいいかしら――」と、マリィさんのお願いに魔王様がゲームをポーズ。コクリと頷くと腰を浮かせてクッションを横に避ける。
マリィさんは空いたクッションに手を伸ばして、
「不思議な感触ですわね」
「ビーズクッションは独特の感触ですからね。特にそれは人を堕落させるクッションとして人気の商品ですから」
「なんですの。その禍々しい名前は?」
「たしかに大袈裟な異名なんですけど、あくまで比喩表現ですから」
そう、この『人を堕落させる』という冠言葉は、あくまでその柔らかさを表現したものであり、魔具や魔導器のように、実際にそんな効果がある訳ではないのだ。
「成程――、しかし、そう言いたくなるのも分からなくはありませんわね。私も、この感触は人を堕落させるものだと思いますから」
どうもマリィさんもビーズクッションの滑らかかつ柔らかい不思議な感触が気に入ったみたいだ。
まだ魔王様のぬくもりが残っているだろうクッションに顔を近づける。
と、そんなマリィさんの様子を僕と魔王様が微笑ましげに(?)眺めていたところ、自分が見られていることに気が付いたのか、マリィさんはクッションに埋めていた顔を上げて、
「あ、すみませんの。ゲーム中でしたのね」
「……大丈夫」
マリィさんに場所を譲られて、問題ないと言いながらも、クッションに腰を下ろしてゲームを再開する魔王様。
そんな魔王様の後ろ姿を羨ましそうに眺めるマリィさん。
僕はそんなマリィさんを見て、「インターネットで注文すればすぐに届きますけど」と言ってみる
のだが、
「それは魅力的な提案ですわね。ですが、あの城にこのクッションを持って帰っても置き場所に困ってしまいますから」
そう言って断れてしまう。
しかし、城という単語を出しておきながら、たかがクッション一つの置き場もないというのは、非常に不思議な気もするが、ある意味でマリィさんの言い分は間違っているとはいえないのである。
僕も実際にマリィさんの暮らす城を見た訳じゃないんだけど、中世とかそういう古い城の床は、基本的に大理石などで敷き詰められた博物館のような空間というイメージだ。
そんな城の床でクッションを置いてまったり過ごすというシチュエーションがどうもしっくりこないのは、誰もが想像できることだろう。
まあ、さすがに城の全室がそんな部屋ばかりではないとは思うけど、マリィさんが軟禁されている城は、マリィさん達が閉じ込められるまでずっと放置されていた城なのだという。
そんな古城に快適な空間を求めるのは難しいのではないのか。
「あの城も職人を入れて改装できれば暮らしやすくなるのでしょうが、出入りする人間が制限されていますの。だから改装するにもできなくて」
繰り返しになるが、こう見えてマリィさんは国王の座を簒奪した王弟によって幽閉されている身である。
そうした関係から、外の品を仕入れられるチャンスは半月に一度の食料や日用品の搬入のみ、お金を握らせればそれ相応に珍しい物品も仕入れられるとのことだが、さすがに部屋の改装をするような資材の搬入は難しいそうだ。
「でも、資材だけが問題なら、万屋から持っていってもらってかまわないんですけど」
「それはありがたい申し出なのですが、資材の搬入がどうにかなったとしても、私に城の改装をするような技術を持った人間がいませんから」
たしかに、ただ資材を渡すだけではどうにもならない。
マリィさんの側付きであるトワさん達が戦闘までもこなせる万能メイドだとしても、さすがに部屋を改装するような建築技術は持ち合わせていないだろうから。
僕やベル君達がゲートを通じてマリィさんの世界へ行けたのなら、そんな問題も解決できるのだが、現状でそれをするとなるとなかなかに難しい。
マリィさんが一からエレイン君を起動させられたのなら、また話は別なのだが、さすがにソニア謹製のゴーレムに精霊を宿らせる作業ともなると、本職の錬金術師でもなければ無理だろう。
そうなると――、
「トレーラーハウスのようなものを作ってそれをマジックバッグで持ち込むというのはどうでしょうか」
話に聞くに、マリィさんの閉じ込められている城は決して狭くない城だと思われる。
ならば、トレーラーハウスのように出来合いの施設をそのまま運び込むとか――、
それでなくとも、飲食店にあるような小上がりの座敷のようなものを作って、無駄に広い部屋の片隅に設置すればいいのではないか。
いや、完成品をもちこまなくても、プレハブみたいに、こっちで各パーツを作っておいて向こうで組み上げてしまえば、簡単に小さなくつろぎスペースが確保できるのではないか。
思いつくままにアイデアを出していると、マリィさんが慌てたように言ってくる。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さいの。トレーラーハウスというものは見た事がありますのでいいのですが、その、プレハブ――ですか?それはどういうものなのです?」
おっと、つい先走ってしまったらしい。
僕は先に「すみません」と謝って、インターネットの百科事典サイトやら動画サイトやらからプレハブなどの情報を引っ張ってきて、素人なりにではあるがその仕組を簡単に教えげ上げる。
すると――、
「なるほど、プレハブがどういうものなのかは理解しました。
ですが、プレハブというものは私たち程度が作れるものなのです?」
「それならたぶん問題ないかと、僕の世界ならまだしも、マリィさんの世界には普通に魔法がありますから、身体強化の魔法が使えるメイドさんが三人くらい揃えばなんとか組み立てられると思います」
運搬に関してはさすがにマジックバッグ等の魔法の道具に頼らなくてはならないかもしれないけど、ただ組み立てるだけというのならば、そんなに本格的な大工仕事になる訳でもない。
だから、身体強化を操れる人間が数人いれば済むと思う。
そもそもその身体強化の魔法だって〈一点強化〉のような簡単な魔法で対応できるだろうから、万屋で魔具を用意してやればそれでいいのだ。
そう説明したところ、マリィさんは「そうなんですの?」と驚いて、ゲームをしていた魔王様もプレイをしながら話を聞いていたのか、ゲームをストップして振り返る。
「全部が全部そうというわけではありませんが、殆どの加工は工房で済ますことができますから、後はただ組み立てるだけ、大きなプラモデルと代わりませんから」
そんな僕の声にプラモデル?と首を傾げるマリィさん。
そういえば、マリィさんはプラモデルことなんかしらないんだっけ?
「まあ、とにかく、マリィさんのお城の見取り図とかがないことには、大きさや設置場所なんかも決められませんし、まずはそこからでしょうね」
「そうですわね。今すぐ持ってまいりますわ」
何気に口にした地球人しか分からないだろう例えを誤魔化すように言った僕の声に、善は急げと万屋を飛び出すマリィさん。
そんな後ろ姿を『全く本当にアグレッシブルなお姫様だなあ』と僕が見送っていると、袖を引っ張るような感触があって、
「……私もそれ欲しい」
どうも魔王様もくつろぎ空間をご所望のようだ。
しかし、魔王様が住んでいる場所といえば深い森の奥にある洞窟を拡張した地下空間だった筈だ。
「ええと、魔王様の住んでる場所に空きスペースとかありますか?」
「……大丈夫。掘れば広げられるから」
魔王様曰く、なんでも黒龍のリドラさんにかかれば、ほんの数分でこの万屋くらいのスペースは簡単に用意できるのだという。
そういうことならこのまま進めちゃっても大丈夫かな。
ということで、マリィさんに先んじて本格的な打ち合わせに入る僕と魔王様。
その結果、後日、異世界にある深い森の奥、魔王の住処と知られる大洞窟の奥に木造の魔王城が作られることになるのだが、その時の僕はそこまでのものとなることを想像していなかった。