●とある元姫君の一コマ
「姫様。姫様」
カツカツカツカツ――と甲高い靴音を響かせて、ルデロック王国の辺境ウォータールーにある名も忘れられた古城の廊下を足早に歩くマリィ。そんな彼女に声をかけてきたのは清潔感あふれる黒髪のメイド。この城の管理を切り盛りするメイド達の長であるトワだ。
マリィはトワからの呼び止めに少し不満げな顔をして振り返って、
「なんです。これから万屋に行くところですのに――」
「間宮様は夕方にならねばお見えにならないと聞いていますが――」
最後まで言い切ることなくトワに指摘されて、そういえばと思い出すマリィ。だが、どうしてトワがその事を知っているんだろう。その理由を聞いてみると、
「先日、食材を仕入れにお邪魔した時に教えていただきました」
さすがというか、抜け目が無いというか、マリィは自分を支えてくれているメイド達にアヴァロン=エラへと通じる魔法の鏡の仕様を許可している。トワはその魔導器の使用許可を利用して赴いた万屋で、虎助の夏休みが終わったという情報を仕入れてきたらしい。
「そうですか。しかし、呼び止めたのはそれだけではないのでしょう」
虎助がいなくても万屋にはエクスカリバーがある。エクスカリバーを眺めて半日を潰すくらいマリィには造作も無いことだ。それをわざわざ呼び止めるからには何か理由があるのだろう。訊ねるマリィにトワは申し訳無さそうな顔を浮かべて、
「はい。実はミスリル製品の出処を探る者がいるようでして」
マリィは現金収入が少ない自身の領地経営の為にアヴァロン=エラからミスリルを格安で購入、古城から少し離れた村にその加工工房を作り、そこで完成した商品を他の領地で販売している。
トワによるとそんなミスリルの出処を探る何者かが領内に現れたのだというが、
「もしや、盗賊の類?いえ、どこか強欲な商人の仕業ですかね」
ミスリルと言えば妖精銀とも呼ばれ、その作り手がエルフのみであると一般的には知られている。もしも、その製造法が人間の手で確立されたのだとしたら、強行な手段に打って出る金の亡者もいるのではないか。マリィはそう懸念したのだが、続くトワからもたらされた情報はその斜め上を行くものだった。
「いえ、どうも、探りを入れてきているのはルデロック殿の手の者のようでして」
「伯父様が――? たしかにそれは厄介なことになりそうですわね」
ルデロックとは実の弟であるマリィの父親を殺害し、その王位を簒奪したマリィの伯父である。
つまりマリィにとっては父親殺しの仇敵とも呼べる存在である。
どうやらそんな伯父が最近順調に資金を集めるマリィの領地に目を付け、そこにミスリル事業が含まれているという情報を得たというのだ。
「さすがに強引な手段に打って出るとは思えませんが、査察のようなものはしてくるだろうと予想ができます。もしもの為に準備をしておいた方がいいかと――」
「ハァ、気は進みませんが、万屋から購入したものは全て私のポーチに入れておいた方がよさそうですね」
先王が下した決断が受け入れられないと自らの弟を殺すような男のやることだ。どうせ碌でもないちょっかいを掛けてくるハズ。
真剣な顔で言うトワの忠告にマリィはひどく残念だと言わんばかりにため息を吐く。
そんなマリィの態度にトワは苦笑いを浮かべつつも、マリィの発言の内容にふとした疑問を感じ、何気なく聞いてみる。
「あの姫様――、虎助様からいただいた、その可愛らしいポーチ。そのマジックバッグはそこまでの容量があるのですか?」
通常、マジックバッグという魔導器は、その見た目から数倍以下の容量というが殆どである。対してマリィがこの数ヶ月で万屋から買い取った装備品は、既にこの古城にあった狭い宝物庫を満杯にするくらいの量になっている。さすがにそんな量の武具をその小さなポーチに収めるなど出来ないのでは?そんなトワの疑問に対するマリィの返答は以下の様なものだった。
「限界まで試したことがありませんけど、虎助が言うには、前の万屋くらいは収納力があると言うことでしたから、充分に収められるのではなくて」
「待ってください姫様。その小さなポーチで店一つ分の容量もあるのですか。それはもう国宝級の魔導器になるのでは?」
さっきトワが思い浮かべた通常のマジックバッグとて貴族や富豪くらいしか持てないような魔導器だ。それが規格外の容量になってしまうと個人で手に入れられるものではないのではないか。
しかし、マリィは平然とこう言うのだ。
「アヴァロン=エラならば、素材さえなんとかなれば、その改造は難しくないと虎助が言っていましたわ」
たしかにマジックバッグのその価値は、空間系の能力を持つ魔獣の素材の獲得とその素材に宿る魔素の保存の難しさによるもので、それ以外は多少高価な魔導器と対して変わらないものであるとトワも聞いたことがあった。
「とすると、もしや、私達に下さったあのバッグも高級なものなのでは?」
実はトワ達メイド組にも買い物などの際に便利だろうと、マジックバッグ製作で出た端材を縫い合わせて作り上げたという買い物バッグが下賜されていた。あの氷を入れることによって『冷蔵庫』と同じように保存が効くようになるという便利なバッグも、マリィが使っているポーチと同じように恐るべきマジックアイテムなのではないのか、そう訊ねるトワにマリィが答えたのは、
「いえ、あれは虎助が練習に使ったマジックバッグですから、私のポーチより容量は劣るようですよ。そうですね、氷を入れるスペースを考えますと通常のマジックバッグよりも少し収納力が劣ってしまうという風な話だったと思いますよ」
「あ、あのバッグはそんなに高級なものだったのですか」
氷のサイズを考えると、とても素人が作ったとは思えない。そんなマジックバッグに、開いた口が塞がらないという様子のトワ。
しかし、マリィは実に当然と言わんばかりに、
「虎助としては、自分にどれくらいのマジックアイテムが作れるか、どれだけ素材を組み込めばどの程度の空間拡張効果を発揮するのか、それを調べる実験も兼ねているから、気にしなくてもいいと言っていましたわ」
前々から万屋の異常性には気付いていたトワだが、改めて自分が扱うアイテムが持つ規格外な性能を知って愕然とする。
しかし、マリィとしては万屋がアレコレ貴重なアイテムを簡単に作り出すなんてことはいつものことで、それよりも目の前の問題の方が遥かに重要であると、驚きの表情で固まるトワを特に気にもとめずにポツリこんな愚痴のようなことを呟くのだ。
「ですが、せっかく綺麗に並べた武具たちを片付けないといけないのですか。気が重いですわね」
「姫様――」
内心の驚愕をぶち壊すようなうんざりとしたマリィの呟きに再起動するトワ。そして、咎めるような視線をマリィに向けるのだが、勘違いしてはいけない。別にマリィは片付けるのが面倒だとかそんな常人が抱くような理由から片付けを躊躇っているのではないのだ。
「だってそうでしょう。愛でる為に並べた芸術品を真っ暗なマジックバッグの中に押し込めるなんて許されることではありませんの」
そう、マリィが魔法剣を始めとしたコレクションの片付けを渋っている理由は、あくまで綺麗に飾られた武器防具を思ってのこと。
いろいろと工夫を凝らし、時間をかけて作り上げた魔法剣達が、自分の目すらにも触れることのない亜空間の中にしまわれるのがマリィにとって残念でならなかったのだ。
そんな、いかにもマリィらしい片付けを嫌がる理由に、トワは『また病気が始まった』とばかりに眉を八の字に歪めて、
「姫様の道楽にも困ったものです。そもそもこんなに集めて、姫様はどこと事を構えるつもりですか?」
「別に私はただ好きなものを好きなように集めているだけですの。ただ今回の件もそうですけど、伯父様が暴走しては困るでしょ。これらはそのもしもの為にあるのですのよ」
トワの物騒な問い掛けに、マリィは自分なりの正義を唱え反論する。
だが、トワにとってマリィがする言い訳はいつものことである。
「でしたら、剣ばかりではなく槍も作ってもらいたいものですね。槍は私の得意武器ですから」
別に私利私欲の為だけに魔法剣をコレクションしている訳ではない。そんなマリィの言い分に、トワはせめて自分にも使えるような武器を作れと言って、その迫力ある切れ長の目を細める。
因みにメイドであるトワがなぜ槍を扱えるのかというと、メイドという存在は高貴な人物の身の回りの世話役と同時に、有事の際は最終的な防衛ラインの役割も担うことから、万が一の場合、身の回りに存在する箒などを武器に戦えるようにと槍術や杖術を収めている場合が多いのだ。
同じような理由から、料理などに使うということでナイフ術の鍛錬に傾倒するというメイドも少なくは無いのだが、どちらにしてもマリィが作る魔法剣はメイドに不向きな装備といえるだろう。
そんなトワの言い分にマリィはこう反論する。
「槍というなら虎助から貰ったサスマタがあったでしょう」
だが、トワはそんなマリィの話題のすり替えに引っかからない。
「そういうことではなく。使える者がいなくては宝の持ち腐れだという話です」
トワの言うことは全くその通りである。
しかし、マリィは諦めない。
「ならば、メイド達の一部に剣術を学ばせるべきかしら。おそらく虎助に頼めばその辺はやってくれるでしょう」
そんな事を呟きながらも、取り敢えずは目の前のうるさ型を懐柔するのが先だろう。内心で槍の一本でも頼んでおくべきか。そんなことを考え始めるマリィであった。
◆以前から言及のあったメイドさんが登場です。
これからもちょくちょく出してみようかななんて予定なのでよろしくお願いします。