7:オルランドによる幼い頃の回想#3
--オルランドによる回想です--
研究の基礎は記録であり測定である、これはどのような世界でも変わらないでしょう。
私たちは、魔法の測定をまず行なわなければいけないと決めたのです。
呪いの有無は勿論そのうち悪いことがあれば判るのですが、その他にも、聖句を書いた紙が呪いによってわずかに揺れることで、呪いがあることを知る方法がありました。その紙の動く大きさで呪いの大きさがわかる筈です。
ガラス瓶のコルク栓の下側に切り込みを入れて聖句を書いた紙を挟み、紙をコルク栓に吊るしてガラス瓶の中に入れました。
これで風の影響無しに呪いで紙が動くところがはっきりわかる筈です。壊れたコイルにガラス瓶を近づけると、確かに紙が動きました。
次にガラス瓶の底に小さく切った定規を入れて、紙の動いた大きさを測れるようにしました。
そうして色々な呪いを測って廻ったのですが、そのうち紙が黄色く、やがて茶色に変色していったのです。それにつれて紙の動きは鈍くなっていきました。
これは聖句が読み取り難くなったからではないでしょうか。そこで私たちは、紙の聖句をわざと汚してみました。確かに更に動きが鈍くなりました。
今度は聖句を上から強くなぞってはっきり書き直しました。するとやはり紙の動きは復活しました。
聖句の書き付けが呪いで劣化することは昔から言われてきたことですが、やはり自分で確認すると理解が違ってきます。
今度は紙ではなく、薄い銅版にきっちりたっぷり聖句を刻んだものを用意しました。
結構なお金がかかりましたが、教会には幸いにもこちらの研究に興味を持っていただけたので、準備はスムーズに済みました。
銅版は呪いによる劣化に強く抵抗する筈でした。劣化は事実上無視できるはずで、しかし代わりに呪いによる変位は目に見えないほど小さくなりました。ならば見えるようにするだけです。
銅版は今度は逆に底に固定して立てて、その頂点で、細い針の先を僅かに押します。針の逆の先は梃子の原理で変位を拡大して、変位を刻み目の前で読めるようにします。
銅版の横と後ろは、別の聖句を刻んだ銅版でカバーして、測定対象以外の呪いが測定に影響を与えないようにします。カバーは針と刻みの部分だけ穴が空けられていて、測定値が読めるようにしました。そして全体をガラス容器に収めたのです。
この装置は間違いなく、これまでに製作された中で最高の呪い測定器でした。
私たちはこの装置を教会に貸すことで直ぐに制作費の元を取ることができました。同じ仕様の装置を私たちは計7台製作しました。
こうして私の研究は次の段階、つまり回転と呪いの関係について調べる段階に入りました。
発電-着磁コイルを復元し、呪いの大きさを測りました。
ほとんど呪いはかかっていません。コイルをしばらく手で廻しましたが、それくらいでは何も変わりません。
私はコイルを風車の軸に結合しました。
風車は前世でサボニウス型と呼ばれていた種類のもので、壊れた桶を使って比較的簡単に作ることが出来ましたが、図を見た職人たちは一体何だと思ったことでしょう。でもこのタイプは始動トルクが小さくて済み、風見が不要で設置も容易なのです。
館の屋根無し塔の上で回りだした風車はすぐに評判になりました。私の故郷での悪名の始まりです。
実験に熱中している間は知りませんでしたが、その後この風車は"リトルレディのヘンテコ風車"と呼ばれて、ひとときゼ-ゼル中に大流行しました。
縦軸の風車は目新しかったのですね。すぐに流行は去りましたが、今でもゼーゼルでは、家畜小屋の換気などにこの風車が使われることがあります。
翌日、コイルを測りましたが、呪いはほとんど大きくなっていないようでした。いくら回しても変化はありませんでした。
何日回しても、風車を測っても変わりませんでした。
しかしあるとき、風車を測ろうとして、測定器の針が僅かに震えたのを見ました。
ごく僅かな動きですが、風車の回転速度と相関がある気がしました。そして風車が止まると、針の動きはぴたりと止まったのです。
回転そのものが呪いなのか、それとも測っているこれは呪いではないのか。
判らなくなった私はコイルの鉄芯の余り数枚を教会に持っていって、聖句を刻んでもらいました。
まずは聖句の刻まれていない鉄芯の測定からです。折からの強い風で、風車は勢い良く回転しました。
私は測定器を近づけました。針はぴくりとも動きません。
次に、苦労しながら風車を止めます。皮ベルトを使ったブレーキが手のひらを真っ赤にしました。鉄芯を、聖句を刻んだものに交換し、風を待ちます。
吹いてきた風はさっきより弱めでしたが、測定器の針ははっきりと揺れていました。
私は回転そのものは呪いに中立で、そして回転物の性質が呪いを作り出すと結論しました。そこから更にスキムポール氏は、回転は呪いをより大きくするが、呪いが全く無いものはその効果は起きないと結論しました。
その結論が正しいか、確かめる方法がありましたが、私はスキムポール氏にそれを言う事が出来ませんでした。その代わりに、私は一人で実験したのです。
夜、就寝時間を過ぎてから、私は精霊灯に覆いを掛けて点し、そのわずかな明かりの中で、聖句を刻まなかった鉄芯に、冒涜的な言葉を鉄の針で書きこんでいったのです。
その言葉は有名な呪いの言葉でしたが、決して口に出さない類の言葉でした。ましてや書くなんてとんでもないことです。
私は聖章典の中から覚えている聖句を片っ端から唱えながら、呪いの言葉を掘り込んでいきました。
その鉄芯を測定器に近づけると、確かに反応があります。
朝早く、私は風車の軸にその呪われた鉄芯を固定しました。そして、軽快に回転する鉄芯の呪いを測定したのです。
測定値は、特に大きな値を示しませんでした。スキムポール氏の結論に反した現象でした。ですが、私の仮説には合っていたのです。
次いで私は鉄芯を解体して、聖句を刻んだ鉄心と呪いを刻んだ鉄芯を、互い違いに重ねて縛りました。
風車がこれを廻した途端、測定器の針が跳ねました。
風が強くなるにつれ、針は暴れるように跳ね、かすかに異音すら立て始めました。こんな反応は初めてでした。
これまでに測定した最も強い呪いでも、ただ一度針を大きく揺らすだけでした。
ぞわり、とガウンの下に鳥肌が立ちます。違和感は塔の上の風景をなにか違う場所のように見せました。何かが満ちていく感覚がします。
測定器が測っているのは呪いではなく、別のものだというのが私の仮説でした。
測定器は聖なるものと呪われたものの相互作用に反応しており、回転はそれを効率よく取り出すことが出来るに違いない、そう考えたのです。
相互作用だと考えると、測定器が聖なるものの聖別の大きさを測定できないのも判ります。
聖句を刻まれていないコイルや風車に測定器が反応したのは、それがごく小さな呪いや聖なるものの混合物で、回転がそれら弱い呪いや聖別の相互作用を生み出したと考えることができます。
ではこれは何でしょうか。相互作用が生み出しているものは、この場に満ちているものは。
頭上に暗雲めいたものを感じて見上げましたが、きれいな晴れた青空が広がるばかりでした。ですが頭上に見慣れない鳥が弧を描くのをみて、なぜか悪寒が背筋を走りました。
黒い鳥でした。
衝動に駆られて私は風車のブレーキを引きましたが、風が強くて回転が止まりません。
革のベルトが加熱されて匂いを放ちます。8歳の力では今風車を止められないことを悟った私は、ブレーキに使っていた棒を抜いて、風車をめった打ちにしました。
私の大切な風車は壊れて足元に無残な姿を晒しましたが、そのとき私は得体の知れない恐怖から逃れた安心感で一杯でした。
私はこれまで漠然と魔力と呼ばれていたものを、魔力と呪力とに分けました。
回転が作り出したのは魔力でした。呪力には聖呪二つの極性があり、この変化が魔力を生み出します。
呪力はモノに刻むことの出来るあまり変化しない力ですが、魔力源である魂が近づいたりして関係に変化が生じると、呪力の作用で魔力があらわれます。
そして回転は呪力に容易に永続的な変化を与えるのです。
私は過去の自分の記録を調べて、魔力と呪力の関係を数値の上で確かめていきました。そして私は、全く新しい理論、魔呪力学を生み出したと確信したのです。
スキムポール氏も私の試験を追試してようやく、この理論を認められました。
私は前世の記憶に無い、全く新しいものを生み出したのです。
8歳の誕生日におねだりしたのは、共和国で出版されたばかりの大著、かの偉大な万物百科全巻でした。子供に買い与えるものでは決してありません。
私は、館の書庫にこれがあることがどれだけ素晴らしいか、子供っぽく訴えました。その言葉の端々には実利があることを連想させるよう誘導しながら、でしたが。
その甲斐あって館に万物百科が届いたときには、私は小躍りして喜んだものでした。
そんな私を見るのは初めてだったと、後に使用人の一人が話してくれました。
万物百科は読むだけでも素晴らしい体験でしたが、前世の記憶と照らし合わせるとき、その価値は何にも増して素晴らしいものとなりました。
前世の私がうろ覚えだった記憶の断片が、まるで細工物のようにぴたりとあるべき位置に嵌っていく感覚は素晴らしいものがありました。
この時期に私は、これからやるべきことの計画を立てたのでした。
今や様々なことが出来るように思えました。私とスキムポール氏は様々な機械を作る事について話し合いました。
私は子供ですから出来ないことは山のようにありましたが、そういう時はスキムポール氏の名義を使うことが出来ました。私たちがフライヤーと自動撚りの付いた最初の紡績機を作ったのがこの頃でした。
そうして、私とスキムポール氏は、連名で論文を発表したり、特許を取ったりするようになりました。
私はずっと彼のことを信頼できるパートナーで、私を導く導師だと思って接していました。
その信頼が崩れたのは、前世の記憶を彼に明かしたときでした。
「……これは誰にも見せないほうがいい」
私の黒い表紙のノートをひととおり読んだ後、彼が言ったのはそういうセリフでした。
その真意を聞こうとしたとき、私は彼の目にある独占欲に気がついたのです。
人を信頼して裏切られるのは、私自身は初めてでしたが、前世の記憶をあわせると違いました。またしても裏切られた、その理不尽な記憶が私の心を抉りました。
立ち直るのには、それから随分かかったような記憶があります。