4:入学式の夜
スチュワート校の学生は、高等学院の者も全て含めて全員、卒業まで寮で暮らすことになる。
これは王族も庶民もみな同じだ。寮は自主運営される事になっており、正確にはスチュワート校の管轄の外にある建前だったが、行事や制度などで様々にスチュワート校と結びついていた。
寮の多くはスチュワート校の北側に位置している。高等学院のある高台から寮の並ぶ斜面へと橋がかかっていた。
橋を渡ってすぐ、背丈の倍ほどの高さの煉瓦塀が道の左手に道なりに続く。これをしばらく進むと、飾り模様の入った鉄格子の扉が煉瓦の門に設えてあるのに出くわす。
スチュワート最大の女子寮、かもめ寮の裏門だ。
裏門をくぐると今度は細い石段を降りることになる。二人以上は絶対に並べない狭い石段だ。
下に降りてみると、煉瓦の塀のうえから階段の下の平地まで、20足の高さがあるように見える。もし男子生徒が情熱的な出会いを求めて女子寮に忍び込もうとしても、寮の裏手からではロープか何かを使わなければ無理だろう。
寮の建物は大きな木造で、二人部屋が一階に8室、二階に12室、つまり40人を住まわせることが出来た。
ただ実際には定員を埋めることはまず無いとの事。春先には少しだけ割合が大きくなるけど、埋まるのは7割から8割。空いた分は上級生が一人部屋として使うのだそうだ。だから実際には住人は今自分を含めて32人。高等学院は全校生徒250名だから全校生徒の一割ちょいという事になる。
一割という数字が大きいか小さいかで言えば、勿論大きい。女生徒の三割という数字は更に大きい。
この寮の寮長は一年生から三年生まで30名以上を束ねる大物として、決して小さくない影響力を持っている。副寮長もそれに準じる影響力を持つことは容易にご理解いただけると思う。
そしてこのかもめ寮の副寮長、ファニィ・ドリット嬢こそ、要するにオルランドの入学手続きと案内をお願いした在校生のかた、なのだ。
この点にオルランドは自画自賛を惜しまない。入学前に持つ新入生のコネとしてはほぼベストの相手だろう。
実際のところ今日まで、スチュワートでの生活の最大の問題はいじめだと考えていたのだ。
ここでの生活の大半を占める寮で暮らしに大きな後ろ盾を得て、しかも上級生まで顔のきくとなれば学校生活も有利になる。
寮の正面玄関に廻り、入寮者への注意を行っている食堂へ行く。勿論遅くなって申し訳ありませんと頭を下げるのを忘れない。
「一体どうしたの、ちょっと心配してたのよ」
ファニィ副寮長にそう言われ、
「すみません、生徒会役員の方たちに、プライベートな集まりに呼ばれまして……」
嘘は混じっているかもしれないが、真実は多めに混ぜてあるし、相手は否定できまい。更に口裏だって合わせてくれるのではなかろうか。
「生徒会の連中のせいなら怒れないわね」
寮長エステラ様の口調は柔らかい。そもそも怒っていたのかも怪しく、多分そういう人柄なのだ。
入寮者は自分含めて12名。全員が揃って食堂の席についている。遅れてすみませんと一声ふた声かけて席の一番後ろに着く。
神妙な顔をして説明を聞き流す。
一年生の寮生には様々な役割が交替で科せられる。食事や洗濯は雇われの方がやってくれるが、彼女らは決してあなたがたの使用人ではないことを覚えておかなくてはならない、廊下と玄関の掃除、洗濯物の収集と整理、共用品の手配、やるべきことはいくらでもある、云々。
門限は6時の鐘が鳴り終わるまで。学校で用があって遅れる時は前日までに届を出す。それ以外の用事では寮長の許可が必要。門限破りは木の板で尻叩き。
服装と持ち込み品の制限。部屋へのお菓子の持ち込み禁止には不満の顔もちらほらするが、流石にいいところのお嬢様ばかりなのでブーイングは無し。しかしお茶は良いらしい。
部屋で火を使うのは禁止。寒いときは窓際の暖房管のバルブを開けば温まるが、しかし一階で集合ストーブに火が入っていなければ温まることは無い。
集合ストーブの扱いも雇われさんたちの仕事で、寮生は手を触れること禁止。明かりは部屋にある精霊灯のみ使用可。光精召喚は各自で行うこと。
これらは廊下に張り出されると知って胸をなでおろすのが数名いた。
私の同室となったセアラも実はその一人だった。
「オルランド様はどちらのベッドを使われます?」
「様付けはお願いだからやめて。オルランドでお願い」
部屋の奥のカーテンを開いて眺望に感嘆したり、壁に作り付けの机を動かそうとひとしきり格闘してみたり、とにかくセアラは忙しい子だった。
私が南側を選ぶと、彼女は荷物を自分のものとなった机に下ろしてその中をかき分け、紙と万年筆を取り出した。
「ちょっと注意書きを写してきますっ!」
そう言って部屋を出ていく。
私は窓から街の北のはずれが見えることを確認すると荷物を広げ、箪笥と机に仕舞い込んだ。元々荷物は多くない。ほとんどの荷物は別の場所に置いているのだ。
リンネルのベッドシーツを二つ分受け取って戻ってくると、ちょうどセアラが戻ってきたところだった。彼女の分のベッドシーツを渡すと、部屋の精霊灯を手に取り調べてみる。ちょっと軸が出ていない。
「お願いセアラ、この傘持ってて」
彼女に精霊灯から取り外した光傘を押し付ける。
「えっ、オルランドって精霊灯の調整とか、できるの?」
「セアラもできるようになって頂戴ね」
時計細工師が使う小さな工具一式は、てのひらに収まる程の大きさにしかならない。一度机に仕舞い込んでおいたそれを机の上に並べて、細工ペンチを取る。
がたついた祈祷陣の円筒はすぐにまっすぐになった。呪化が進んだ真鍮棒をその分引き込んで、酸化で汚れた祈祷陣の文字をアルコールを湿らせた布片で拭いて綺麗にする。組み立て直すと、光精の祈りを呟く。
「わっ、新品みたい」
光量に問題はない。闇への感謝を呟くと光は消えた。
部屋の隅にあった小さな箒を使って床を掃く。慌てるセアラに、塵取りを持ってきてと頼む。
「でも何処に……」
「上級生にお聞きすれば、すぐに教えてくださるわ」
埃は少なく掃除はすぐに済んだ。
掃除を済ませるとベッドにシーツを敷く。セアラも自分の分のベッドメイクを見よう見まねでやっている。彼女も貴族の娘である筈だが、順応性は高いようだ。
部屋によっては以前の住人のティーセットがあったりすると聞いていたが、自分たちの部屋には無かった。
まぁ、口をつけるものである。普段使いする物は別に調達しよう。
オルランドは出かける準備をした。
「ちょっと出かけてきます。帰りは遅れます。夕食には出ません。セアラは先に寝ていてください」
部屋に鍵は無い。その代りに箪笥の下の段に鍵を付けられる引き出しが隠れている。あらかじめ付いていた錠前は新型錠と交換した。だが今のところ中に貴重品は無い。
びっくり眼のセアラに聞かれる。
「どちらへ……」
面白い表情もするのね。
「秘密です。けどちゃんと許可は得ていますのよ」
オルランドはひらりと許可証を広げてみる。
「えっ、それって前日に」
「ええ、ですから昨日、寮長に許可を頂いていたの」
制服姿のまま、寮の正門から港へおりる坂道を駆け下りる。
くねくねと路地を縫い、時に階段となる小道を走る。
既に春の陽は低く、まもなく海へ没するだろう。オルランドは一応道順は憶えているものの、暗闇の中では道順にどこまで自信が持てるものか。
オルランドはそう体力がある訳ではない。
人より色々なことをしていると自負していたが、腕力や脚力のほうは全くの人並みである。すでに息があがっていて、あごを突き出した変な姿勢になってきている。というか脇が痛い。最初ちょっと頑張り過ぎた。
帰りはあの坂道を登るのだが、それは考えまい。
ぺたぺたとだらしのない足音でオルランドは走り続けた。
既に陽は落ち、残光もすぐに消えるだろう。真っ暗になる前に目的地に着きたい。その一心で走るオルランドは、北の街外れのひと気の無い道で、行き先を労働者風の風体の男に遮られるまで何の警戒心も全く持っていなかった。
漁師たちの家と作業小屋と、続く石垣の間の狭い道だった。
その頃にはオルランドはもう疲れ果てていて、本人は走っているつもりらしい、という程度まで足運びは落ちていた。
もう歩きでいいや、そう思ったオルランドは歩みを止めてから、目の前の男に気が付いた。
略章を外した砲兵帽を目深にかぶり、手にはナイフらしきものを持っている。
たじろいて振り向くと、背後には別の男が迫っていた。
背後の男は鳥打帽を被り、きたない綿のシャツを着て手にはそこらで拾ったような木の棒を持っている。乱杭歯をむき出しにした笑みでそいつは近づいてくる。
どうもその棒を私に使うことを想像しているらしい。
砲兵帽の男も遠慮というもの無しにどんどん近づいてくる。警戒どころじゃない。危険だ。
男二人にオルランドはかなわない。逃げ場もない。
武器も無く、いや武器になるものは、探しても都合の良い何かがあるわけではなく、オルランドは足元の石を拾う。無いよりはましだが、これがなんの役に立つのか。
痛い目にあうのだろうか。痛い目だけなら良い。痛いだけなら耐えられる。汚されたら。それは耐えられない。
この石の重さは投げるより振り回したほうが良いかもしれない。オルランドは振り回し方を思案する。
もう思案どころじゃない。
頭の中では到底実行できそうにない計画が沸騰しかけた頭の中に組み立てられていく。まず片方を潰そう、乱杭歯のほうだ。あのいやらしい顔をまず潰そう。思い切り石をぶつけて木の棒を奪う。あれを奪ってしまえばこっちの勝ちだ……
と、そこで乱杭歯の男が倒れた。
ぎゃっと声を上げて蹲るのを、いつのまにか現れた小柄な男が蹴り、乱杭歯の男は更に身を縮める。
そこに砲兵帽が突っ込んできたが、小柄な男、黒っぽい格好のそいつは砲兵帽のナイフを持った手首をつかみ、逆にひねりあげていく。
体格差がある筈なのに、砲兵帽は腕を掴まれたまま膝をついて痛い痛いと泣き叫ぶ。すると小柄な男はその手首を離したが、距離を取ると、
「はっ」
どうやら砲兵帽の顎辺りを蹴ったらしい。蹴りそのものは見えなかった。
砲兵帽はそのまま後ろに棒のように倒れる。
呆けて見ていたオルランドだったが、そこで正気に戻った。
助かったのか。自分はもう痛い目を見たり汚されたりする覚悟をしなくても良いのか。助けられたのか。
いやそもそもあいつは誰だ。助かったというのは早計ではないか。オルランドは改めて石を掴む。
「全く、何でそんなに警戒薄いんだ」
目の前の小柄な男は、オルランドに言っているらしい。
「自分がどれだけ危ない状況にいるのか、判っていないのか」
男は口元をハンカチーフのような黒い布で覆っていた。髪はやはり黒かった。
「これからはもっとおとなしくしていろ。お前が隠しているものは、絶対に誰にも見せるな、判ったな」
そう言って、返事を聞かず、小柄な男は跳んで去った。
そう、本当に跳んだのだ。背後の石垣、これは高さは20足はあろう、これをひと飛びで上まで跳んでみせた。驚くべき跳躍力である。
のちにオルランドは正確に測ったがやはり21足の高さがあった。
助走も無かったし道具も使わなかった。
暗いとこでは見えないような黒いロープを使ったのではないかとも思ったが、何がどうやって20足も上に引っ張ったのか。