33:スター・ゲイト
もし、この世界がゲームだったとして、システム機能、無条件強制停止機能は使えるだろうか。
これまで、世界はゲームでないことを自明としてきたオルランドだったが、思い出してしまったらもう、この馬鹿らしいアイディアを試さずにはいられなかった。
勿論、本当に世界が停止するなんて思ってもいなかった。ただ混乱しすぎて、状況を変えたかっただけなのだ。
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前世のオルランドの専門は計算、シミュレーションだった。元々は空力計算屋として空飛ぶ自動車開発の事業に参加したのだ。
そうしているうちにプログラミング何でも屋みたいになったが、実は大学の専攻は機械工学だった。実習でやったので溶接もやすりがけも旋盤も一通り使える。鉄工所のバイトでマシニングセンタも扱った。
機械史は趣味だった。コンピュータ史に始まり、製鉄史、銃器史、工作機械史は一通りハマった。知り合いのつてで千葉の田舎で本物の蒸気機関車の手入れもした。
友人の手伝いは、最初はプログラマーのヘルプだったが、そのうち元請の設定考証みたいなものにも駆り出された。
最初に設定集とやらを見たときは馬鹿かと思った。何で"蒸気機関はあるが蒸気機関車は無い"なんて設定にしているのやら。
設定集のなかには、港のある街や聳える校舎、丘陵や海岸線も描かれていた。馬車をメインで使いたかったのらしいが、お陰で技術面の整合性の確保は難しくなった。
確かにそういう時代は存在する。しかしそれは産業革命初期で、まだほとんど中世みたいな時代なのだ。この時代設定で蒸気増し増しにしろというのはかなり無茶だ。
友人の作業場は西葛西の2DKのマンションで、そこに5人が押し込まれていた。
前世のオルランドは設定集に大量の付箋の但し書きをつけ、結構な数のイラストと説明を書き送ったが、役に立ったのかは結局わからなかった。製品の発売は渡米後だったからだ。
プログラマーとしてのヘルプのほうはちゃんとした手ごたえのある仕事だった。
前世のオルランドはゲーム登場人物の中途半端なオブジェクトカプセル化を書き換えて、登場人物全員にタスクを生成し、リアルタイムOSの手法で管理するようにした。
古い古いスクリプトエンジンをイベントスケジューラと統合して、スクリプターが登場人物の細部を描写しなくとも登場人物が勝手に自分らしく振舞うようにした。
この部分は別に前世のオルランドが凄かった訳でなく、もう既にオープンソース実装があるくらいの技術で、ただ彼はこの手のゲームに初めて技術をもたらしたに過ぎなかった。
彼はプログラムにデバッグ用の仕組みを色々と組み込んでいた。多くはテスト用であとはモニタとログ取得だが、条件付き強制停止も自由に定義できるようにしたし、無条件強制停止も組み込んだ。
無条件強制停止機能の一つはスクリプトエンジンとイベントスケジューラ両方にまたがって組み込まれていた。
つまりスクリプトに停止コードがあっても、登場人物の振る舞いが停止コードを生成しても、イベントスケジューラは停止する。
登場人物が停止コードを書いても、イベントスケジューラは停止する。
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世界は静止した。
オルランドは考える。考えることが出来る。考えていることは止まらない。
だが、身体は動かなかった。視野が真っ暗なのでなかなか感覚がわからないが、多分視線も動かない。
息をしている気もしない。視野が真っ暗なのは世界が目の働きを止めてしまったのか、それとも魔法の光球が光を放たなくなったのか。
音もしない。
いや、音がする。軽く、ゆっくりとした足音だ。
やがて視野にぼんやりとした光が滲んできた。床に書いた文字が、ほとんど判別できないが、そこにあることだけはわかる。
声がした。
「間に合わないかと思いましたよ」
聞き覚えのある声だ。かもめ寮の副寮長、ファニィ・ドリッド先輩の声だった。
ゆっくりと歩く足音がする。光源もゆっくりと動いている。
「皆さん、聞いてますね?
じゃあ、そのままじっとしていてください。私はこれからスター・ゲイトを破壊します」
じっとしていろも何も、全く動けないのだからそれはジョークのつもりだろうか。
やがて何か圧迫するものが消えたのを、何故か感じた。そこでオルランドは何となく判った。ようするに今私は魂だけが働いているのだ。魂は魔力を感じることができる。さっきまで感じていたのはそれだ。
手をはたくような音がする。
「さて、済んじゃった。厄介なモノはこれで消えて、まぁ200年もすれば同じものが作れるようになるのでしょうけど、その時は私たちも干渉の方法が増えてるでしょうから、とりあえず問題は解決、と」
足音。
「じゃあ、皆さんには説明しとくわね。しておかないとすごく混乱しそうだしね。
再現しようとかされると困るし。
……オルランド、あなたに言っているのよ」
いまのオルランドはまばたきもできない。身体の感覚が全く無いのに、この気持ち悪さの源は一体何なのだろう。
「まず言っとくわね。転生の記憶を持つ諸君、あなたたちの記憶は偽物です。
この世界に流れ着いた複数の記憶の切れ端からでっち上げられた、目的のために編集された記憶ね。
価値観に連動して自律して行動を決める主体、つまり自我は記憶の中から丁寧に潰した上で、あなたたちに一連の記憶は埋め込まれています。
貴方達の偽記憶を作った連中の正体は、オルランドは気づいたようだけど、太陽よ。
巨大な魂である太陽は、自分の目的のために人類をつくり、この国やこの街や学校を作ったのよ。他の星ぼしも、自分の惑星たちで同じような事をしているのかもね。
目的は、この世界からの脱出。
ここにあったのがそのための装置、スター・ゲイト。動き出すと重力魔法をとても小さな範囲に際限なく強く重ねがけしていく。自分自身が崩壊するまでね。
その結果できるものは、転生者の皆さんは多分知ってると思うけど、ブラックホールよ。正確にはカー・ブラックホール。
太陽はこの宇宙に穴を開けて、出て行こうとしていたのよ。目的地はあなたたちの前世の宇宙。そのための誘導装置としてあなたたちは使われたのよ」
太陽の世界からの脱出。世界からの出口。誘導装置。オルランドは困惑していた。話が変な風に大きくなっている。
「普通、世界は他の世界に干渉することはできないの。他の世界が放出する情報を拾うことはあっても、他の宇宙に行くことも、他の宇宙に何かを書くこともできない。
でも、そういう制限がいくらか緩くなる部分があるのよ。それが仮想世界。その世界の子世界である仮想世界へは、条件を満たせば道を繋ぐことができる。
条件は、似ていること。一致している部分が多いと、メモリ空間を書きかえることが出来る。
つまり太陽は、自分の魂を、異世界の乙女ゲーを動かしているコンピュータに転送しようとした訳よ。
前世の記憶を植えつけられた子は、望む仮想世界つまりゲームに条件を似せるためのフィードバック修正装置。条件を修正するよう勝手に動いてくれる便利な装置」
オルランドは聞いた言葉の解釈を放棄した。とりあえず聞いた言葉を覚えておこう。
「で、私は何かと言うと、太陽に出て行ってもらっては困る存在。
この世界が将来作る仮想世界の住人なの。
オルランドとエイダちゃんが作ってくれた万能計算機械の、貧弱な仮想世界をアンカーにして私はこの今にアクセスしています。
私が動ける分の計算リソースもあの計算機械から分けてもらっているのよ。だから世界のイベント実行が停止していても、私は動けるわけね。
さっきまでここにあった装置があった頃、ずううっと昔にも干渉していて、その時作ったのが虫除けのお守り。
あのお守りは虫の魂から記憶を消した上で、その上でエイダにちょっとした記憶を植えつけるのに使ったわ」
オルランドは気づかずにいられない。エイダが万能計算機の証明をしたのはそれから数日後のことだった。
「ここにあった装置にも色々仕掛けはあって、触れると装置を守る命令が記憶として魂に書き込まれるとか、ね。
壊れていたら直す、壊されそうなら邪魔する、何もする必要が無ければ自殺する。よくできた仕掛けね。
お姫様は大丈夫よ。魔族の血は最終的にはちゃんと呪いから守ってくれるわ。
オルランドには、その呪いで記憶が解除されるようしておいたの。そう、オルランドの前世の記憶は私たちが作ったものよ」
もう驚くものか。
「そもそも太陽は、一人だけ名前がおかしいことに気がついてないといけなかったのよ。
あなたたち前世持ちが全員、ある小説の登場人物の名前を持っているのに、彼女だけ違うことにね。
本物の悪役令嬢と偽者を入れ替えられているってことにね。
みんな、私から生徒手帳を受け取ったときに、記憶を書きかえられたのよ。
本物の悪役令嬢、テレーズちゃんは今頃楽しくアーレイ校に通っているわ。彼女の入学手続きは私が握りつぶしておいたの。
……これで大まかなタネ明かしは全部済んだかな。じゃあさよならね。もう皆さんとは会うこともないでしょう。
オルランド、貴方には謝らないといけないわね。
ごめんなさい。そしてさようなら」
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それからどのくらい時間が経ったのか、気がつくと視野に光が広がっていて、オルランドは再び身体を動かせるようになっていた。
「一体、どういう事だったんだ……」
ユライア王子の声だ。無理も無い。
気がつくと、床に指で書いたはずの停止コードがかき消されている。ファニィ副寮長がやったのだろうか。
オルランドは立ち上がるとエイダを探した。
一行は言葉もなくトンネルを出口へと歩いた。
やがてエイダがつぶやく。
「ねぇオルランド、これって、私たち、知らない誰かと誰かの道具に過ぎなかったって訳なのかな」
オルランドは違う、と答えた。違うと言わなければならない。認めるわけには絶対にいかない。意地でも違うと言わなければならない。
エイダの無力感はまだましな方だろう。生徒会長と書記はまるで歩く死体のようだ。体育会系のジョン・バーサッドは苛立たしげに時々トンネルの壁を殴ったり蹴ったりして、その度に苛立たしげなクランチャーに窘められている。
ユライア王子はエレクトラ姫の手を引いている。この二人は突然巻き込まれただけなので、他よりも症状は軽い。でも時々説明を求めるような視線を投げてくるのはやめてほしい。こっちとしても、一言ごめんと言われたくらいで納得できるような気分ではないのだ。
オルランドはエイダに話しかける。
「連中が私たちを劇の登場人物のように扱えたのは、その魂の巨大さ、桁外れの計算能力のせい。でも、連中の計算は完全に万能じゃない。私たちは決して、劇で役割を演じるだけの登場人物ではないわ」
オルランドは思う。連中は第一種超越者に過ぎない。
「多分私たちは、連中の準備どおりには全然動いていないと思うの。例えばゲームではエイダは初日から入学できる筈だった」
「校長は、私をそうしたかったのでは無かったの?」
エイダはようやく意味のある返事を返した。オルランドは考えていた事をエイダに説明した。
「ファニィ先輩が噛んでいたのだから、多分先輩が引き受けた入学手続きが誤魔化されていたのね。校長ではなく先輩がエイダの入学手続きを邪魔していたのよ」
「なぜ……」
「あなたを私に会わせる為ね。あなたに計算機械を作らせたかった誰かの企みよ」
「そんな……」
オルランドは振り返り、エイダの手を取る。
「お陰であなたとこんなに親しくなれたわ。誰かの企み様々ね」
オルランドは照れくさくなって前へと向き直るが、エイダの手は取ったまま、その手を引いて歩き始める。
「教会も石冠も前世のゲームとは全然違うという話だったし、多分色々と随分ずれていたのだと思うのよ。だから能動的な修正のために前世持ちが生み出された訳ね」
ファニィ先輩が背後で動いていたとすれば、いつぞやの教室の騒ぎ、リチャード・カーストンの言葉にあった先輩とはファニィ先輩だったとも推測できる。そうやって私を襲わせたのは、ジェリー・クランチャーに私を助けさせるためだったのだろうか。
ようやくトンネルを抜け、星空の元へと一行は辿りついた。
太陽の出ているうちじゃなくて良かった。オルランドはそんなことを思った。太陽が敵だなんて、なんて馬鹿げたお話なのだろう。
明かりをつけるな、ジェリー・クランチャーは一行にそう言って飛び出していった。
「誰も居ない。今なら大学の敷地内まで誰にも見られずに行ける」
戻ってきた彼はそう言って一行を先導した。
なぜそんなにコソコソするの?そういうエレクトラ姫にオルランドが説明する。校長先生がこのトンネルの中で自殺されたからです。私たちは校長の死をうまく説明できないでしょう。校長が古代の機械を動かすために自らの身を供物に捧げたなんて、誰が信じるとお思いですか?
一行が領主館の前の橋を渡り、大学の敷地の奥深くの迷路をうろうろする頃、足元から振動が伝わってきた。
多分、あのトンネルが崩れたのでしょう。ルーシー・マネットは言う。あの館の裏のトンネルの入り口もやがて見つかるでしょうから、校長が見つからないのは崩れたトンネルの中にいたせいだと思われる筈です。
「皆さん、帰る前に一度、これからについて軽く打ち合わせておきましょう」
ジェリー・クランチャーが言う。エイダは不機嫌な顔をしていたが、オルランドを見て少しだけ笑みを浮かべた。
「ねぇオルランド、私決めたわ。ラビュリントスの迷宮の一番奥に住む最後の魔獣、ミノタウルスじゃなくて、ドリッドって名前にするわ」
すずめ寮に帰ってみるとそこは要塞と化していた。どうも誰かサーチライトを発明したと見える。皆でスチュワート校へ蒸気クロウラーで突撃する直前だったと聞いてオルランドは震え上がった。真っ直ぐ帰ってきて良かった。




