3:オルランドによる幼い頃の回想#1
--オルランドによる回想です--
最初は、前世の記憶だなんて思っていませんでした。
空想の遠い世界のお話。お人形遊びに付き物の奇妙な夢物語。絵本を閉じて、ソファに身を横たえて妄想する、とてもとても奇妙な世界のお話。
巨大なガラスの都市と華やかな光の文字。平らでピカピカ光る馬無し馬車が走り回り、遠い空を飛行機械が飛んでいく、そんな世界の中で私は男の人で、それなりに楽しく生きていました。
変な話でしょう?
私の御伽噺を聞かされた大人たちは、私に男性のように振舞いたい願望があるのだと思っていたようです。しばらく、お行儀や習い事で事あるごとに女の子らしく、令嬢らしく、貴婦人らしく振舞わなくてはならない、と皆しつこく口うるさかったものです。
ですが、私はあくまでもゼーゼル伯の娘オルランド、男として振舞うつもりなどありませんでした。
もうちょっと私の夢のなかの人物が格好良く、もっとときめく筋立てで、どきどきするような恋愛と冒険で一杯だったら違ったのかも知れませんが、そうでは無かったのです。
私は13歳まで、アンノリドの北、ゼーゼルの伯爵領から出たことがありませんでした。
伯爵領は大山塊の中の盆地、その全体とその背後の山々にまで及んでいました。古い古い北方戦争の頃から変わらない封領です。ゼーゼルの街は田舎にしては結構な大きさだったと思います。学びも遊びもゼーゼルの山野で、要するに田舎者だったのです。
私は4歳にして、普通の女の子の面白いと思うものをことごとく軽蔑するような駄目な子に出来上がっていました。代わりに夢中になったのは、男の子のようにガラクタを集めて弄り回すことでした。
家中のぜんまい時計を壊して分解したのがこの頃です。
ぜんまい時計一つで家が買えた頃のこと、家中では必死になって時計を直していましたが、街の細工師でもどうしても直らないものが1つあったと後から聞きました。
荷車を坂道に突き落として壊してしまったのも確かこの頃です。
当時の私は前世の記憶を自分の思いつきと混同してましたから、どうやっても馬無し馬車を実現してやろうと息巻いていたのです。
飛行機械を今の私では作れない、作るためには学ばなければならないし、色々準備や計画や秘密の工場や、そしてお金が要るのだと悟ったのが5歳の頃になります。人より随分とませた考え方をしていたものです。
私はお小遣いで使用人を懐柔しました。いや、笑わないでください。当時は懐柔したつもりだったのです。
庭師から馬丁、そして馬丁見習いのウィルキンズへと私はたらい回しにあいましたが、ウィルキンズは私のために小さな車輪付きの車を作ってくれました。
でも私としては、もっと凄いものを期待していました。直ぐにデファレンシャルギヤ付きの操舵機構を作り付けることをウィルキンズに要求したものです。
ウィルキンズは家の馬車の修理を受け持っていましたから、多少の機械の知識がありました。しかし彼はデファレンシャルギヤなんて聞いたことも無い、と言います。
機構を説明するとえらく感心されましたが、やはり見たことも聞いたことも無く、そんな複雑なものは絶対に作れない、と彼は自分の誇り全てをこめて断言したのです。
そこで私は、自分の中の知識が異常である事に、うすうす気づいていた事実に直面したのです。
私はむきになってデファレンシャルギヤが作れることを説明しようとしましたが、ホブ切り盤やボールベアリング、モジュール数や表面精度といった言葉はどれも目の前の愚鈍な男に通じませんでした。
そんなウィルキンズの愚かさに私はすっかり腹を立ててしまいましたが、やがて館の蔵書をすべてチェックした後、さらに街の図書館で調べた結果、愚かなのは実は私のほうであり、デファレンシャルギヤもホブ切り盤も、そんなモノはこの世の何処にも無いのだと知ったのです。
もしかすると首都グロスターにはあるのかも知れませんでしたが、そもそも私がこんな複雑な仕組みを全部まとめて思いつける訳が無いのです。
私の中の記憶は、異常でした。それは明らかに私の見聞した記憶ではなく、私の奇妙な夢物語の中の男の人の記憶だったのです。
前世の記憶。転生と前世と云う概念は異国のおとぎ話の中にはありましたから、私のこの奇妙な記憶をそれだと決めてしまうことが出来ました。
そうして私は、自分の前世を、体系的に調べ始めたのです。
その頃には私に家庭教師がつくようになりました。
最初の家庭教師のミルズ夫人は、残念ですがご辞退していただきました。
彼女の鼻につく杓子定規さは到底我慢できるものでは無かったのです。昔は私、結構癇癪持ちだったのですよ。
7歳の誕生日に私は山荘の水車小屋を頂きました。
勿論ちゃんと本当の誕生祝いは別に頂きました。美しいビスクドールだった、と記憶しています。ですが私にとっては陶器の肌のお人形より水車小屋のほうがはるかに大事でした。お父様に確かに、水車小屋を自由にしていいと言っていただいたのです。
私は遂に、秘密の砦と、そして動力源を手に入れたのです!
山荘は野趣あふれる風景の中でお客人を歓待できるようにと昔造営されたもので、館から近道をすれば二千足ほどの距離でしかありません。
1足という長さは昔の兵隊のブーツの大きさが基準になってるそうなのですが、前世の基準でいうと1足は30センチ、後にこの世界の子午線弧長から計算した値と、自分の計りうるかぎりぴったりと一致しています。
ちなみに五千足で一里、1.5キロメートルに当たります。
子供の頃は大体館から三里四方が私の行動範囲でした。
山のほうから引いてきた小川は冬でも枯れることなく、山荘の池に小さな滝をつくって流れ落ちていました。その水を更に水車小屋が受けて、その水車の廻るさまがまた趣を添えていました。
要するに水車小屋は外観だけちゃんとしていればよいという建物だったので、中は自由にできたのです。
しかも、水車とその軸受けは本物の水車小屋と全く構造が同じでした。
当時私は、電気を作り出すことに夢中になっていました。
前世の記憶と私の暮らす当世の最大の違いは、電気の有無でした。
前世の私は、電気で動くものに囲まれて暮らしていました。ほとんどあらゆることが魔法のように電気で行なわれていたのです。しかし電気は魔法ではありませんでした。電気を作り出す方法の記憶を、私は引き出すことができました。
まずは針金を曲げてコイルを作ろうとしました。
針金は硬く太過ぎました。静電気を帯び易い生地を見つけて放電を確かめましたが、雷気の精霊の仕業といわれるとそれまででした。
銅の針金を取り寄せ、それを亜麻繰りのローラーにかけて更に細くしようとしましたが、綿繰りを壊してしまいました。所詮木製です。
金属棒で作った自作のローラーは、使用人に見つかったときはちょっとした騒ぎになりましたが、ようやく私は満足いくコイルを作ることができたのです。
当時手に入る磁石と言えば、おもちゃのコンパスに使うものだけでした。町中探してもそうでした。磁力は弱く、しかし選択肢はありませんでした。
最初の発電機は、鉄製の磁石を馬蹄のかたちに曲げて、二つの磁極の間に置いたコイルを木のハンドルで回転させるだけのものでした。コイルの両端は、ただ僅かな隙間をおいてくっつけていました。
回転子なんてとても作れないし、これで隙間に火花が散れば大成功だと思っていましたが、これが全然駄目でした。いくらいっしょうけんめいハンドルを廻しても火花は飛びません。
これは私の力が弱いせいだと考えた私は、水車の動力を使うことを思いついた訳です。
結果は大成功でした。
水車の軸に取り付けた滑車と皮ベルトを使った変速装置で、コイルは恐るべき勢いで回転し、そして火花が飛ぶところがはっきりと見えたのでした。
これは歴史書に書かれるべき偉大な瞬間でした。
電磁気学の基本法則が当世でも通用するというのは世紀の大発見でした。
ウィルキンズや園丁のジャービスは、雷精を呼ぶ凝った仕掛けの祈祷器だと思っていたようですが、前世の知識の基本的な正しさを実証した私はそのとき、世界を変えてみせるという誓いを立てたのです。
世界を全て知り尽くしたような全能の妄想に取り付かれていた7歳の子供は、しかしそこで躓きました。お小遣いを使い果たしていたのです。コイルに鉄心を入れるのも先送りです。
ですが躓いていたのは冬の間だけでした。
館の自分の部屋に篭っているうちに巻き直したコイルを持って、私は三ヶ月ぶりに水車小屋を訪れました。雪解けはゼーセルではまだひと月も先の頃です。
何をしたかと言うと、発電機を磁石製造装置に作り変えたのです。
回転子は相変わらず作れそうに無かったので、着磁コイルは発電コイルの回転にあわせていっしょに回転します。発電コイルの巻き数を減らして、その分で着磁コイルを作ったのです。
それまで磁石は、ごくまれに自然に存在する磁力を持った石を使って、鉄の棒を撫ぜるように動かし続けて磁力を与えていたのだそうです。ですから作ることの出来る磁力はとても小さなものでした。
磁石にするのに使った鉄片は、板金細工師から貰ってきた余りの切れ端でした。それを回転する着磁コイルの中に暫く置いておくだけだしたが、出来た第一号磁石は明らかに強力で、即座にこれまでの発電機のものと交換しました。
第二号磁石は更に強力でした。釘が磁石に吸い付くのです。
作った最初の磁石10本を、私は街の時計工房に持っていきました。
工房は時計だけでなく天秤や金属ペン先や、ガラスのコップやレンズ、望遠鏡なども一緒に売っていました。ここなら多分興味を持ってくれると思ったのです。大当たりでした。
工房の男たちの、驚きと好奇心と欲でごちゃごちゃの表情を眺めながら、別に首都の別の工房に持っていっても良いのだが、できれば領内に売りたい、領主の娘として領内のものに便宜を働きたいと云う気持ちはあるのだと説明しました。
工房長は、手に持った磁石に磁石が吸い付く様を見て、それが10個全て同様であることを見て動揺していました。
その磁石を彼らに売って手に入れたのは、私のお小遣い一年分に等しい額でした。それは領内の百姓の一年の稼ぎとほぼ等しい額だと私は知っていました。
明らかに大金で、後から考えると工房長は、私に投資していた、少なくとも期待していたのでしょう。彼は本式の羅針盤の針の仕様を教えてくれたのです。
知っていましたか?
わたくしの会社、今では海軍に納入する羅針盤の製造を一手に請け負っていますの。お陰で私の磁石は海外への輸出を禁止されてしまいました。