28:プレイヤーに非ず
勿論6万タリングなんて大金の話が即座に決まる訳は無く、サウザンヒル連隊とはそれから即座に値引き交渉が始まった。しかしこちらの生産準備が全然出来ていないことが知れると、問題は切り替わってしまった。
生産設備を早く完成させるべくサウザンヒル銀行による資金貸し出しの話があっという間にまとまり、サウザンヒルで労働者の徴募がはじまった。同時に鼎立政府の調査団がやってくる手筈が整った。これには海軍工廠の者も含まれていると聞かされた。
恐らく背景には軍の強い問題意識があったのだろう。でなければいくら連隊の独立性が高いとはいっても、あれだけの金額が即決で動かせる訳がない。
これが一週間のうちに起きた。
そのうち王子の護衛二名はベッドから離れることが出来たが、王子はもはや見舞いの口実も無いのに頻繁に訪れるようになっていた。
「絵窓更新の速度はもっと上げられないものか」
エイダの後ろから王子が口を出す。
「更新速度は計算機械の速度で決まっています。でも最大秒30回まで上げられる筈ですので、工夫次第ですね。思ったのですが、絵窓のうちで変わらない部分まで書き換えているのをやめれば」
「なるほど無駄を無くせば良いのだな」
王子のその声よりも早く、エイダは操作盤を叩き始めた。
「そろそろ塗りなおさないと」
ジェイコブが手桶を持ってやってきた。
手桶の中にはアサギリツユクサの花を集めて潰し搾り取って得た染料が入っている。アサギリツユクサは墓場草の別名もある花で、呪いでその花の色を変える特徴を持っている。
「あっお願いします」
ジェイコブはエイダの前に窓のように掲げられた板状のものに染料を塗りはじめた。
その板こそジェイコブが作り出した表示装置だ。
ジェイコブは印字出力などさっさと作り上げてしまい、その天才で更にグラフィックディスプレイを生み出したのだ。
表示装置の実態は記憶装置だ。
縦横に走る銅線の交点に低温忘呪特性のある強呪性物質が一つづつ嵌め込まれている。その数実に合計4096個。この装置はその交点の物質ごとに呪われているかいないか、書き替えることが出来る。
さて、さっきの染料をかけてみよう。染料は普段無色に近い薄い青色をしているが、呪われると鮮やかな藍色に発色する。呪いを書いたり消したりすると、交点ごとに色が変わる。つまりモノクロのコンピュータディスプレイが出来たのだ。
絵窓というこのディスプレイ、染料が乾いて酸化すると発色が失われるので、30分ごとに塗り替えないといけないのが現在の問題点だが、
「アサギリツユクサの栽培を推奨すればいい。農家のいい副業になる」
とはユライア王子のお言葉だ。
王子はコンピュータに夢中になってしまわれた。具体的に言うとコンピュータゲームにだが。
「出来ました」
エイダは更に操作盤を叩く。エイダは既に絵窓を使うグラフィックテキストエディタを開発してしまっている。
凄い。いつの間にフォントを作ったのかとジェイコブに訊いたら、部屋の隅をちらりと見た。
忘れてた。あんまり静かだったから忘れていた。
エレクトラ姫様がそこで静かに座っていらした。聞くと王子が姫様に作らせたらしい。なんという事。
「あっお茶出して、いや私が出すわ」
ジェイコブにお茶を出させるくらいなら自分がやる。
テーブル用意しておいてとジェイコブに言うと、オルランドは立ち上がった。ジェイコブの出すお茶はかなりぞんざいなのだ。彼の考えているお茶の公差はかなり大きいに違いない。
「おう、完璧じゃないか」
その王子の声で振り返る。と、絵窓に青い点が左右に動く。絵窓端に描かれた棒が上下に動いて青い点の行方を遮ると、点はそこで向きを反転する。
「出来たぞ!計算機クリケット!」
要するにコンピュータ・テニス、遊べるゲーム第二段の完成だ。
第一弾はそもそもゲームではなく弾道計算プログラムだった筈が、エイダの背後に付いた王子の助言のままに作っていたところ、いつのまにかゲームとなっていたという代物である。
今回違うところは、二者の対戦ができるという点らしい。
「さぁちょっと来てみろエレクトラ、お前は右担当な」
王子の呼びかけにエレクトラ姫様は立ち上がり、いそいそと操作卓へと近寄る。
オルランドはこの隙にお茶を入れるべく立ち上がった。これは決して王子に呼ばれて変なゲームの操作をさせられるのが嫌なためではない。誤解無きよう申し上げるが違うのである。
お茶を入れてしばしテーブルのそばで王子が飽きるのを待る。
「結構発熱するわね」
ジェイコブに聞く。
「記憶装置の読み書きに熱を使いますので、どうしても熱が出てしまいます。
次の世代では強制的に冷やす仕組みが必要でしょう。あと、この機械だけで結構な電力を使っているので、他の部署から苦情が出ています」
「あーでも仕方ないわね。なにせ王子様お気に入りだし」
なかなか終わらないようだ。暑いのに。
電力のほうは別に発電所が要るかも知れない。遠くの好立地に水力発電所でも作って、交流送電でも試すべきなのかも。実はまだ交流送電は試していない。
ガラス瓶のお茶を冷やしていた氷がすっかり溶けてしまっていた。
ガラス瓶にびっしりと露が付く。ジェイコブが氷を取ってくるといって離れてから、オルランドは自分が取りに行けばよかったと思った。
王子が辺りを見回して、ジェイコブがいないのに気がついたようだ。何かと思えば、
「エレクトラ、アサギリツユクサの汁を塗り直してくれ」
よりにもよって姫様にそんな作業させるなんて!
オルランドは飛んでいって手桶を取り、絵窓に染料を塗ろうとしたが、気づくと、姫様の目が怖い。もしかして、怒っていらっしゃる?
エレクトラ姫様に手桶をお渡しすると、姫様はそれは嬉しそうに絵窓に染料を塗っていかれた。
「よし、ありがとうエレクトラ」
ああ、そのお顔で全てが判ってしまう。というか今や誰の目にも明らかだろう。
姫様は王子に恋しておられる。メアリ嬢などはとうの昔に察していたかも知れないが、オルランドのメンタリティ、こういう鈍さは女子の感覚より男子寄りなのだ。
ようやく飽きたのか、一同暑い暑いとテーブルにやってくる。王子はよく冷えたお茶をコップ一杯即座に飲み干した。
「そうだオルランド」
王子はオルランドに声をかけた。
「何でございましょう」
「船に積んで撃つための砲架を作っておいてくれ。図面はそのうち届くだろう」
「……何を」
聞けば五分の一足径砲を実際に軍艦に積んで評価する話が進んでいるとの事。こちらは何も聞いていないのですが。
「ああ、こちらが話は進めておいた。感謝しろよ、戦列艦が全部入れ替えたら50門だぞ。話がまとまれば最低でも戦隊ひとつ、200門の発注がくるぞ」
海戦のやりかたはがらりと変わるだろうな、相手の射程の外から一方的に攻撃でき、そして煙も少ないとなれば勝利は確実だと王子が言うのをぼんやりと聞き飛ばす。
そういう話は最初に相談していただきたかった。王子は鋼製砲がそこらの野菜のように採れるものだと思われているのではなかろうか。
しかし、戦争はそれほど近いのだろうか。
前世の知識だと、この時期は無理やり当てはめるとまだナポレオン戦争前の筈で、まだガレー船も使われているような頃合だ。
対してオルランドの五分の一足径砲はおよそ馬関戦争時の英軍のアームストロング砲とおよそ同じポジションにある。アームストロング砲より重いが暴発の危険はより低い。
大体100年ほど未来の砲に当たる。戦争は一方的なものとなるだろう。
歴史を変えることの重さを改めて思い知る。しかしもうオルランドは始めてしまった。
ゼーゼルで小さい頃オルランドは飢饉の歴史を調べて恐れおののいた。
飢餓の爪痕はゼーゼルの至る所に残されていた。ハーバー・ボッシュ法による肥料増産はこれを大きく変えるだろう。
重工業の発展が始まれば労働者不足も始まり、スラム化や農村の貧困などの問題は一気に解決できる。
戦争はまだこの時代は、飢餓や貧困ほど大きな問題ではない、とオルランドは考えることとした。そもそも戦争技術抜きで100年の進歩を達成出来る訳が無い。仕方ない。それは受け入れるしかない。そしてまだ世界大戦は遠い筈だ。
……だがしかし、どのくらい世界大戦を近づけてしまったのだろうか。
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およそひと月はこういう風に過ぎていった。エイダと王子は次に軍艦同士が戦うゲーム(風が吹いており操帆しないと動くことも出来ない)、次いで洞窟探検と称した短いアドベンチャーゲーム、そしてとうとうロールプレイングゲームを発明してしまった。
アルファベットの壁が連なる迷宮を、アルファベットの主人公がアルファベットの怪物を倒して迷宮の最奥を目指す。王子はこのゲームをラビュリントスと命名した。きっと迷宮の最奥にはミノタウロスがいるのだろう。
王子は万能計算機二号を買って帰るつもりでいるらしい。それに既に射撃管制計算機の発注を頂いてしまっている。ちゃんと射撃時の衝撃に耐える構造で、艦載型にはオリヴァー開発の安定用ジャイロスコープが付いていた。前世でのジャイロスコープの発明って何時だったっけ。
ファニィ先輩がすずめ寮を訪問されたのを出迎えた。
かもめ寮を退寮して以来だから、久しぶりに会った事になる。寮の様子には随分と呆れられたような気がする。寮の規則の重要性について、随分とお言葉を頂いた。
工場も見たいと仰られるので案内したが、王子とお姫様が常駐されているご様子にはまた呆れられてしまったかもしれない。しかし万能計算機にはずいぶんと感心していただいた。結構今でも需要が見込めるかもしれない。
ジェイコブはゼーゼルの工房に戻ってハーバ・ボッシュ法のプラントの仕上げをやっている。砲弾の生産はゼーゼルでおこなう。大砲の消費する綿火薬の需要はきわめて高くなった。そのためプラントの操業開始が急がれるのだ。
軍隊はもうすぐサウザンヒルに帰還する。しばらく前に魔獣撃滅完了の宣言が出たばかりだ。しばらくスチュワートの街路に立っていた歩哨の姿ともこれでお別れだ。
生徒会長ら前世組との関係は今のところ平和なものである。エイダと王子がコンピュータに夢中になっている限り、彼らはエイダが親密度を上げていると考える。これで8月まで特に問題は無い筈だった。




