26:日曜の教会
オルランドは実は結構信心深いほうである。
日曜には教会へ行くというと前世持ちの他の五人には随分と驚かれた。
前世が完璧な無神論者だったし、日本人というものについてそれなりの知識があったから理解は出来るが、敬虔な信仰者を理解することができないと言うのはちょっとどうかと思う。
オルランドも昔は神を信じてはいなかった。それどころか大得意で神学論争をふっかけにゼーゼルの教会へと押しかけたものだ。迎え撃ったのは三人の牧師たち。オルランドは即座に返り討ちにあった。あったのだが、同時に仲良しになった。
8歳のオルランドが持ち出したのはいつぞやの仮想現実の延長線上の話だった。
この世界が神によって創造されたものだとする。対して私たちが何らかの世界を創造し得たとして、その世界がどのような性格を持つなら、我々は神と同等と言えるのか。
例えばある遊星に降り立って、箱庭を作ったとする。ついでに人間もどきも作る。機械仕掛けで動く代物で良い。チェスができる機械が作れるのなら、将来は人のように考える機械も作れるだろう。さて我々は神であろうか。
教会で知ったのは、それが昔から良く知られた神学論争の亜種に過ぎないという事実だった。
教会は神学論争を恐れていなかった。前世の教会とはかなり違う。オルランドは牧師たちによって様々な神学のエピソードや仮説、知識を授けられていった。
牧師たちは人間を遠く超越した万能者を2種類に分類していた。無限にも種類があるように、万能者にも種類がある。
例えば箱庭を創造し、干渉できる万能者がいたとする。どんな大きな干渉も、どんな細かい干渉も思いのままだ。干渉の結果も予想できるだろう。
だが、干渉の小さな影響がもたらす遠い結果、予測できない大きな影響がどうしても生まれてしまうだろうと牧師たちは言う。
どんな干渉ができたとしても、完璧な結果を得ることは出来ない。遠い未来を見通すことはできない。この種の万能者を第一種万能者という。
牧師たちが信じる神は、完璧な結果を得ることが出来る存在だ。
この存在は時間の流れを意に介することがない。無限の予測能力を持ち、完璧な結果を得ることが出来るが、逆に殆ど干渉を必要としなくなるだろうという。世界の裏側でそよ風を起こすだけで、神の怒りのような嵐を起こすことができるだろう。
この種の、いわゆる第二種万能者は、世界を創造するときに全ての干渉を終えている筈なので、神の奇跡と言うのは基本的に存在しない。
オルランドが信じる神は第二種万能である。だが同時にオルランドは、この世界に第一種万能者がいることを予測していた。
ちなみに先日の問い、"もし星が神だったらどうする"に返ってきた答えは、そんなものどうしようもないでしょ、の大合唱で終わりだった。
日曜礼拝を清々しい気分で終えたオルランドは、席を立つ人たちの中にエイダ、生徒会長と書記、ユライア王子、そしてルーシー・マネットの姿を認めた。
今日は予定通りならオルランドの出番は無い。そもそも魔獣がこっちの予定などに頓着するものかとも思うのだが、真の目的は魔獣並みの厄介者である生徒会長たちを黙らせる事にある。
今日この日をゲームのシナリオ通りに進めることだけが彼らの望みであり、自分たちに強制させられた約束でもある。
エイダはとうとうレベル10に到達できなかった。
今朝日付が変わってしばらくして判明した結果は、208回の殺菌工程をもってしてもレベルが一つしか上がらなかったという、かなりがっくり来るものだった。
エイダも作業員たちももう限界だと判断したオルランドは、全員に作業の打ち切りと休息を指示した。エイダもちゃんと寝ておいたほうが絶対に良い筈だ。
だが生徒会長には、エイダはレベル10になっていると言ってある。大丈夫わかるものか。判るのならその事実のほうが重要である。どんな風に知れるのか是非とも知りたい。
元々エイダは運動神経が良いほうである。簡単なデモンストレーションを披露すると幸い生徒会長は信じてくれた。
生徒会長は事前にエイダに何とかと言う名の短剣を渡している。レベル10以上でないと使えないという話だったが、エイダは全く何の制約なく剣を鞘から抜いて振り回すことが出来た。
レベルで使えない剣なんてどうやって実現するのかオルランドはちょっと興味もあった訳だが、実際は予想通りである。だが生徒会長はそれでエイダがレベル10だと完全に信じたようだ。
オルランドは何かをすることは禁じられてはいたが、しかし近くにいないといけないという変な条件がつけられていた。常に目の届くところに居ろという話らしいのだが、そこまで警戒せずとも良いだろうに。
さて席を立とうとすると、腕を軽く掴まれてそちらを向けば、久しぶりのセアラ嬢だ。
「あら……」
「先週は本当に、本当に心配でしたのよ、オルランド様」
後ろにはローズ嬢、マデリン嬢も見える。
「おはようございます、オルランド様。」
まずい。今日王子様やエイダに危険が及ぶとすれば、彼女たちにもまた危険は及ぶのだ。
「先週は一体、どうされていたのです?
お噂によると生徒会長様も学校をお休みだったとか。先週はもう魔獣が出たとか大砲の音がしたとか、本当に大変でしたの」
オルランドは覚悟を決めた。
「皆さん、良く聞いてください。大変な事態は未だに終わっていません。
私は生徒会と協力の上で、今日この場で起こるかもしれない事件を防ぐためにここにいるのです。
ですから皆さんは、私のいう事にこの場は是非とも従って頂きたいのです。
……いいですね?ではまずここを少し離れましょう」
多少の嘘は仕方ないだろう。生徒会だって口裏を合わせてくれる筈でしょう。オルランドは中央の身廊を避け、壁沿いの側廊に一同を案内する。但し窓際には立たせない。背を低くさせて出口へと向かう。
教会の扉口からは、街へと真っ直ぐに伸びる幅広の坂道がよく見えた。
教会は小高い斜面の上にあり、街と港とその向こうの海が坂道の向こうに横たわっている。坂道の左右には街路樹が植えてある。この街で街路樹があるのはこの道くらいだ。
ユライア王子のイケメンぶりは遠くからでもよく判別できた。周囲の人間が見蕩れるからだ。今日は横に警護の人間が付いているらしい。
と、王子から少し離れたところで何やら騒ぎが起こったようだ。男の手にあるのは鞘に収まった短剣。今朝方見たものだ。そしてその傍にはエイダがいる。
「なに?」
駆け寄ろうとして、何時の間にか傍にいたジョン・バーサッドに制された。
「これ以上状況をややこしくしないように。ほら、チャールズが対応する」
確かに生徒会長が駆け寄るのが見えた。
「どうやら、群集の中にいた王子の警護が、短剣を持って王子の傍をうろうろする少女を見つけたという訳、らしいな」
教会のポーチを降りて目を眇める。どうも王子の警護は思ったより多かったらしい。エイダは放免されそうだが、どうも短剣は帰ってこないらしい。
そこに素早い影が差した。鳥が、いや、大きい。
黒い翼を持つ魔獣が、坂道の真ん中に舞い降りる。
坂道には騒ぎに留まる人もいれば街へと去る人もいた。その大勢の真ん中、王子のすぐ傍、正確には、
「短剣っ!」
短剣は恐らく魔剣、その放つ魔力が魔獣を呼び寄せたのだ。
「お嬢さん方をどうにかしろ」
そう放たれた声はオルランドの傍をすっ飛んでいった。
ジェリー・クランチャーは巧みに街路樹を縫って近づいていく。人々は逆に転げるように逃げ去っていく。王子はその場を動けない。王子と護衛は、魔獣とにらみ合う。
オルランドはセアラ嬢らを教会へと押し戻す。
「教会の中へ、いいですね!」
更に、教会の周辺にいた人たちを片っ端から教会の中へ押し込んでいく。
「扉を閉めて!」
エイダは!
いた、が、王子の護衛に腕をとられ、逃げるよう促されていた。もう一人の護衛が短剣を抜いて魔獣と対峙する。街路樹の影にディヴィッドとオリヴァーがいる。連発カービンを構えているが、あの射線では王子たちを巻き込む。
とりあえずエイダを引き離そう。そこで護衛の一人が消え去る。
跳ね飛ばされたのだ。弾丸のように飛ばされたその身体の行く先へと走る。
オルランドの向上した身体能力は護衛の方を受け止めることに間に合わせた。だが、石畳で跳ねたその半身は血だらけだ。
クランチャーは王子の後ろにいた。これはいざとなったら飛び出していけるポジションだ。
血飛沫が飛ぶ。
魔獣と王子の護衛の戦いは明らかに護衛が劣勢で、その影でディヴィッドが街路樹の陰から飛び出すのが見えた。王子の傍に付くつもりだ。だがその時護衛の方が倒れるのが見えた。腕ごと短剣が魔獣の足に抑えつけられる。
今王子の前にいるのはエイダだけだった。エイダは、小さなナイフを構えていた。首から提げていたあの折り畳みナイフだ。
魔獣とエイダの影がもつれあい、見分けがつかなくなる。
だが苦痛の叫びを上げたのは魔獣だった。痛みに怒りを忘れて距離を取る魔獣に、二つの銃声が響く。ディヴィッドとオリヴァーは二人とも連発カービンの銃弾を命中させたようだ。
苦痛にけたたましい叫び声を上げる魔獣は羽ばたき乱れ、やがて奇妙な格好で飛び去っていった。
「エイダ!」
オルランドは王子の護衛を抱えて王子たちのところへ駆け寄ったが、途中で見栄えに問題を感じて護衛を路上に下ろした。大の男を楽々と抱えているのを見られたら変に思われてしまう。
オルランドは人を捕まえて馬車の手配をした。教会からシーツを持ってこさせる。もう一人の護衛の怪我を見る。こちらも酷い。腕は変な方向に曲がっていた。
オルランドは王子に護衛の怪我の様子を説明した。問題は病院だ。スチュワートには病院が無い。いや有るがそれは高等学院の付属医療院で、学生でなく庶民に過ぎない護衛は利用できない。
「私の工場に運びましょう」
「工場へ?」
「医療室を設けています。この街でまともに治療できるとしたらそこしかありません」
ディヴィッドとオリヴァーの二人が王子の傍に護衛のように立つ。オルランドは王子に駆け寄って、二人が自分の使用人で、護衛の任に当たることを説明したが、王子はそれよりもエイダに興味があるようだ。
「彼女ですか?彼女とは王子は既にお会いしていると思いますよ」
「思い出せんな」
「月曜の朝、教室がちょっと騒がしかったのは覚えておられますか?」
「なに、あの女生徒か」
馬車が来た。オルランドは御者に心づけを与え、護衛たちを工場へと運ぶよう頼んだ。
「しかしどういう事情で彼女はここに居たのだ?彼女は短剣を持っていた。
まるで……全てを予見していたようじゃないか?」
面倒くさい部分に気づかれてしまった。
「先週一週間、私どもが授業を休んでいたのはご存知でしたか?」
そりゃ目立つからな、いろいろ煩かったという王子の言葉を遮って、
「今日この場の出来事は、先週の魔獣騒ぎからの一連の出来事の一部でした。その仔細は」
そこで向こうを見る。生徒会長はまだ混乱から抜けていないようだ。
「我らが生徒会長が説明されると思います」
イベントはおかしな具合に消化された。王子がエイダを助けるのではなく、エイダが王子を助けた。短剣は何の役にも立たず、面倒事を引き起こした元凶だった。生徒会長はどうやって現実と脳内のゲームイベントの整合を取るのだろうか。
「私はエイダの怪我を見たいと思います。それでは失礼いたします」
面倒事を全て生徒会長に押し付けてオルランドはエイダに駆け寄る。手を引っ張って教会へと向かう。
「もう終わりよ。今日はもう遊んでごろ寝するだけよ」
「オルランド待って」
エイダの声はか細い。
「お昼は美味しいもの食べましょ」
「オルランドっ」
強く手を引かれる。
「私っ」
オルランドはエイダの手を強く引き、抱き寄せる。
「頑張ったね、すごく頑張ったね」
魔獣と、あの小さなナイフ一本で向き合ったのだ。
あの殺意の塊と。すぐ目の前で大人二人をボロボロの血だらけの姿に変えた怪物に立ち向かったのだ。
抱き締めるエイダから震えが伝わってくる。
多分、今頃膝に来たのだ。緊張が解け、今まで彼女を支えていたものが解けかかっている。
ほどけて良い。オルランドはエイダを軽々と支えることが出来る。それはエイダも同じ筈だったが、今のエイダはしかし見た目通りの少女のか弱さしかない。
「オルランド様、エイダ様のお加減はいかがですか」
セアラ嬢らが集まってきた。
「大丈夫よ、まだ気分が優れないだけよ」
「でも本当に大事にならなくて良かったですわ」
「本当ね」
それはエイダのお陰なのだ。エイダの背中を軽く叩く。その背に小さく囁く。
「泣き顔、見せてもいいのよ。みんなお友達なのですから」
しばらくして、小さく頷く気配がした。
「お昼にはまだ早いかしら」
まぁ、オルランド様ったら。笑いがはじける。
「皆様、お茶にいたしましょう。良いお店がありますのよ」




