21:パワーレベリング#2
ジェイコブが作業場に踏み込むと、そこには猛獣が暴れた後のような破壊の光景があった。
静かに揺れる精霊灯の弱い明かりの中に、壁に大穴が一つ、裂け目が一つ、粉砕された木箱が一つ、天井クレーンの木のビームが折れて落ちているのが確認できた。
呻き声は木箱の陰から聞こえていた。急いでガラクタをどかすと、脂汗を流すマーティンがそこにいた。下半身をがっちり木箱に挟まれている。
ジェイコブは木箱をどかそうと力を篭めたがびくともしない。そのうち使用人のエスターがどうやら近所の人間を連れてきたらしい。
「一体これは何が暴れたんでさぁ」
口々にそんな事を言う男たちに手を貸してくれと頼む。大の男4人がかりで木箱の下からマーティンは助け出された。
大穴の向こう建物の外に叩き出されて気絶していたディヴィッド、庭先にのびていたオリヴァーも連れて来られ、ジェイコブは気付けのアンモニアをそれぞれの鼻先に見舞う。
起きたディヴィッドとオリヴァーはそのままにして、ジェイコブは庭先を探した。
あった。オリヴァーの連発カービンの銃身はくにゃりと折り曲げられており、もう使い物にはならない。弾倉を開いて、一発使われているのを確認した。
「一体どうなった」
オリヴァーが言う。
「お嬢様はどうされた」
マーティンの言葉はしわがれている。エスターが様子を見ているが、
「右足のすね、骨が折れてます」
マーティンのパンタロンを鋏で切り開いて、指で触ると、
「うっ……ぐっ」
マーティンがたまらず呻き声を上げる。ジェイコブは当て木になりそうなものを探すが、オリヴァーが一足早かった。
エスターは当て木を使い手早く確実に骨折の処置を行っていく。元々エスターは医療の才能の芽を認められてここスチュワートに同行していた。料理の腕は趣味だと本人は言う。
ジェイコブはマーティンの傍にディヴィッドとオリヴァーを集める。自然エスターの耳にも入る位置だ。
「お嬢様は、例の五人組に攫われた。エイダ嬢もだ。二人とも怪我などはされていないが、行先はわからない」
ディヴィッドはそれを聞くと立ち上がり、近所から来た男たちに呼びかける。
「本日はこんな夜中にご心配をおかけして、誠に申し訳ありませんでした。皆様のお気持ち、お手伝い、本当に有難うございました。
このお礼は後日、お嬢様が帰還されましたら是非とも皆様をお呼びしたいと思います」
一呼吸区切って、
「これより我々は、お嬢様をかどわかした悪漢どもを追撃するために行動いたします。
本日は皆様、まことにありがとうございました」
そういうと振り返り、
「オリヴァー、ジェイク、工場に行くぞ」
「待ってくれディヴィッド」
ジェイコブは付近の木箱を漁りはじめた。オリヴァーは壊れた連発カービンを手に取って、薬莢を抜き取り始めた。
「三日はベッドから動いてもダメ」
エスターはマーティンに言う。
「おいそれじゃ話にならない。松葉杖ならいいだろ」
「松葉杖を使っていいのは三日後から」
そんなエスターの言葉に、
「おいディヴィッド、オリヴァー、俺を連れて行ってくれ」
だがディヴィッドは、
「お前はおとなしくここで寝ていろ。誰か来たらよろしく話をつけといてくれ」
「おい行くぞ」
明かりを掲げてオリヴァーは先に歩き出した。ジェイコブはなにやら小さな木箱を持っている。
「そりゃなんだ」
歩き出しながらディヴィッドが訊く。
「魔力計だよ。多分あると便利だと思う」
三人は北に向かって暗い道を歩き出した。
「ちくしょう、全く歯が立たなかった」
ディヴィッドが吐き出すように言う。
「俺は確実に一発食らわせた筈だ」
オリヴァーの連発カービンか。
「連中何ともなかったようだぞ。シャツに穴が開いたとか何とかほざいてやがった」
このジェイコブの言葉に、
「30分の1足径で歯が立たないって何だよ」
ディヴィッドが唸る。
「本当に魔獣並みの化け物だったんだな。見た目は本当にただの貴族の坊ちゃん嬢ちゃんだったぞ」
「どうすりゃいいんだ。いっそ五分の一足径食らわせてやろうか」
オリヴァーの言葉にジェイコブは、
「それなら持って来たぞ」
試作したライフリング入りの鋼製五分の一足径後装砲が一門、石炭波止場に荷揚げしたままだ。
「本当か!」
「偉いぞジェイク、お前本当にやるときはやる奴だな!」
「で、どうする」
「どうするって」
「蒸気クロウラーに載せられないか」
ジェイコブの提案に、
「ジェイクお前は天才だ!」
「勿論載せられるさ、ドーザー取っ払って溶接で架台作ってやればいい。着いたらすぐ図面を書くよ」
オリヴァーは熟考に入った。もう頭の中で図面を描いているのだ。
「だが、蒸気クロウラーでどうする?どこに探しに行く?」
ジェイコブは疑問を口に出した。
「なに、数日もたてばわかるさ。明日には学生寮を襲った悪漢どもの噂でスチュワート中がもちきりになる。狭い田舎の事だ。すぐに怪しい場所ってのがわかる筈さ」
そこまで考えて悪漢がどうのと演説をぶったのか。ジェイコブはディヴィッドを見直した。流石こういう機転が効くのがディヴィッドだ。
「数日か」
「仕方ない。あれだけの連中を相手にするんだ。事は慎重さを要する。考えても見ろ、おれたちは五匹の魔獣と戦うんだぞ」
確かにその通りだ。
「で、お前のその箱は何だ」
ディヴィッドの問いにジェイコブは答える。
「お嬢様が工房に発注した部品の予備が一揃いあるから、同じものを組み立てる。
遠距離の魔力を計測できるという話だった。精度はどうでもいいんだ。遠くの魔力が分かるってことは連中の居場所がわかるって事だろ」
「おっ、それじゃそれでお嬢の」
「居場所までは探せないよ多分、有効距離は半里くらいだ」
失望したディヴィッドに、
「でも夜中でも森の中でも、相手がこちらを見ることが出来ない状況で、こっちは狙い撃ちができるぞ。角度分解能が結構高かったから、かなり正確に狙える筈だ」
ディヴィッドの目に生気が急速に戻る。
「何かそれ勝ち目見えてきたぞ!」
製鉄所に付属する工場にはまだ工作機械は設置されておらず、その広い木の床に、ゼーゼルの工房からやってきた20人ほどの男たちが、毛布にくるまって思い思いの場所で寝ていた。
そこにディヴィッドたちは精霊灯を全部点灯し、ドア横の手洗い金盥を乱打する。うるさい音に起こされてぶつくさいう男たちに言い放った。
「お嬢様が悪漢どもに攫われた!」
物騒なせりふに一同はざわめく。寝ていた奴もたたき起こされる。寝ぼけなまこの男たちが囁きあう。
「お嬢様を悪漢どもから取り返す!戦争の準備だ!今から超過労働で行くぞ!手当は倍弾む!」
倍という言葉に更にざわめきが大きくなる。そこにオリヴァーが数人名前を挙げて付いて来いという。ジェイコブは波止場に行くから何人か来いと言う。数人が手を挙げる。そしてディヴィッドが手を叩いて男たちを呼び集める。
「よしじゃあ残りは俺のとこに集まれ。材料と機材を確認する。まずは……」
・
エイダは最悪の気分のまま目覚めた。悪夢から目覚めた後も悪夢の中にいる感じがする。
昨日は二匹の獣の生命を奪ったところで吐いた。
ナイフに添えられたアンナの手が有無を言わせぬ力で獣にナイフを突き立てていく。それも念入りに何度も。
気分が悪くなったのは呪いのせいもある筈だ。だが一同は全く気にしなかった。エイダの主張を一笑のもとに捨て、明日になれば生まれ変わったような気分になれるわよ、と言った。
勿論そんな事は無かった。最低の気分のままだ。
悪夢のような感覚は例のレベルアップのせいだろう。たしかに身体が今までより軽く、行動が素早くなった気がする。感覚が狂ったせいで、身体がふわふわする。
魔獣を殺した後、一度寝るとレベルアップという現象が起こるのか。そこでアンナが隣のベッドから起き出してきた。
「顔を洗いなさい」
もう手首をつかんで引き回さないようだ。
朝食はパンと牛乳、だったが、パンの中に何か入っていた。黒いペーストで少し甘い。
「あんパンはお口に合わなかったか」
「これは何なの」
「アンコだよ。アズキという豆から作る」
年長の男がそう説明する。
「ちゃんと食べなさいよね。収量が少ないから本当に希少品なのよ」
アンナが難癖をつけてくるが、年長の男は、
「口に合わないなら仕方がないさ」
「オルランドは、オルランドの朝食はちゃんとあるのでしょうね」
エイダは言うが、
「うーん、あそこはトイレが無いからあまり食べさせたくは無いのだが」
「じゃあこのあんパンの食べ残しをあげましょう」
嬉しそうにアンナが手を叩いて言う。込み上げた怒りに、エイダは目の前のあんパンを残らずがつがつと食べてしまう。変な味だ。変な味だ。
「オルランドにはちゃんとした朝食を出しなさい。彼女にはその権利があるわ」
だが、目の前の男は笑いながら言う、
「いや、彼女には、あのあばずれにはそんな権利など無いのだよ」
そして立ち上がると、
「さて、午前のカリキュラムを始めよう。スケジュールはタイトだから、頑張らないとね」
エイダの手首が掴まれ、立つよう促される。
庭に出たエイダに、一番美人な、確か名前はルーシーに首から何かを掛けられる。そこで首からかけたナイフに気づかれた。
「あらコレは何」
幸い折りたたまれているのでナイフには見えない。
「お守りです」
奪い返すように身をよじる。
「あらごめんなさい」
再び手首を掴まれたまま歩くよう促される。
「さっき貰った虫よけの御守りは大切にしろよ。無くすと流石にこのレベルでは死にかねない」
体格のいい男がそう言う。それを聞いたアンナが笑い出す。
「なに、アレなの、え、あー、そういう訳ね。ふっ、ふふっ……ちょっといいアイディアじゃない」
柵を出たところで年長の男が解説でもするかのように話す。
「虫よけの御守りはその名前とは全く逆に、昆虫型の魔獣を引き付ける。ただ、御守りを持った相手に魔獣が数秒触れると、その魔獣は死んでしまう。
終盤のアイテムだが、昆虫型魔獣の攻撃力が弱いおかげで、回復役が適切に働けば効率的に経験値を稼げるのだよ」
まったくわからない話だ。
「ここらはもううじゃうじゃいる筈だ。昨日の晩から誘獣器を10時間は動かしていたからな」
その言葉も終わらないうちに、黒い影がエイダの肩に降りた。羽根の端から端まで一足はある巨大な黒い蛾で、短い毛がびっしりと生え、腹には黄色と黒の縞模様があった。
「もう来た」
なんだ、そんな怖いこともないじゃない、そう思った矢先、頭の上に同じ大きさの影が留まった。
ぎゃっ!
叫ぼうにも声が出ない。あまりの状況に神経が切れそうだ。
「大丈夫、ほら」
その声と共に肩の蛾が落ちる。
「ほら死んだ」
よかったと思ったところに、今度は二匹同時に来た。一匹は胸の前に、もう一匹は背後、背中か。いや、
首筋に何かが触れたのを感じた時、エイダの正気は限界に達した。気絶しその場に崩れ落ちる。その上に更に数匹の蛾が舞い降りる。
「まぁ意識無くても良いんだから、寝てるうちに放り出しておいても良かったかも知れんな」
一同の誰かがそんなことを言う。
「もうそろそろ回復かけたほうが良いかな」
そう言うと年長の男は何やら唱えた。エイダの身体から失われた熱が戻ったが、エイダはそれを意識しなかった。




