19:襲撃
ジェイコブが頷いたのを確認して、オルランドは話し始めた。
「私には、私以外の人間の記憶が生まれた時からあります。前世の記憶よ。そしてそれはあの五人にもあるの」
魔獣の五人か。お嬢様以外にも前世持ちがいる可能性は本人と論じたことがある。しかし敵に廻っているとは。
「ただ、私は持っていないけどあの5人皆が持っている記憶があるのよ。ここから先は推測。どうもあの五人は、エイダあなたがとあるお話の、演劇の主人公で、この世界はその演劇を再現したものだと考えているらしいの」
エイダ嬢が眉をしかめている。聞いた話をどう消化しようか考えている顔だ。ジェイコブはというと、
「ばかばかしい、奇天烈な話ですな」
思ったそのままを言ってみる。
「まぁね。普通はそう思うわね。でも真実の話らしいと考える証拠が幾つか有るわ」
ジェイコブはちょっと考えた。
「そのへんの話は置いときましょう。そもそも今この場でのお話と言うのは、これからどうするかって事じゃ無いんですか?」
「エイダはどう思う?」
オルランドは水を向けたが、
「ばかばかしい話ですけど、あの5人の方たちはみなそれを信じていらっしゃるのですよね?
でしたら、それをまず前提にしないと」
「そうね、確かにそうね」
オルランドはここで初めて紅茶に口をつけた。カップを置くと、
「あの5人の方たちの目的は、演劇を最後まで演じきることです。
その演劇の最後には望ましい結末があり、それは演じること以外には辿りつけないと考えています。
その演劇の主人公はエイダ、あなたです。彼らは巧みに背後から機会や助言などを与えて、知らずしてあなたが演劇の一幕を演じることを期待していました。
ところがあの人たちの目論見は最初から外れてしまいます。まずあなたが入学してきませんでした。私も役からずいぶんと外れていましたが、とにかく主人公がいないのでは文字通りお話になりません。
そしてあの人たちは、入学式から二ヶ月経った今日、あなたを発見した訳です」
そう話すオルランドにエイダは訊く。
「私が主人公という事になっているそのお話、どういう筋書きかご存知ですか?」
そりゃ心配だろう。悲劇だったら目も当てられない。
「大丈夫、その点は心配ないわ。
多分あなたは王子様や魅力的な男性と楽しく友達付き合いをすることになるわ。エイダは恋や冒険を通して人間的に成長して、そして推測だけど世界を救うことになるわね」
エイダは冷めてしまった紅茶を飲み干すと、
「前半は個人的にとても魅力的に聞こえますけど、最後がどうも気に入りません」
「最後はただの推測よ。でも5人が結託して必死になっているんだから、その試みが失敗したら、まず少なくとも5人はひどい目に会うと予想できるわね。
そしてそれは魔獣並みの能力を得ても避けたいと思うものなのよ。かなり酷いことが起こると予想できるわ。
多分あの人たちは全くの善意と正義の心から、そして世界を救うために頑張っていて、そしてまぁ少なくとも私は世界の敵なのよ」
そこでジェイコブには、自分のこの場での役割について大体見当が付いた。二人が言い出せずにいる言葉を口にする。
「つまり、その5人の方々の思惑に乗るほうが安全側ですな」
ジェイコブは畳み掛ける。
「エイダ嬢が野蛮な儀式の犠牲になるとかそういう話なら問題ですが、そうでないことだけ確認できれば、特に問題が無いのではないでしょうか。
もし彼らのいう事が本当なら大事ですし、協力できることもあるでしょう。
そういう点を交渉材料にするのはアリでしょう」
「まぁ、交渉は必要でしょうね」
オルランドも認めた。
「エイダは、これから起きること、演じなければいけない役割、そして考えられるリスクについて知る権利があるわ。なにせ主人公はこの子で、私もあいつらも脇役に過ぎないのよ」
そこでエイダがパン、とテーブルを叩いた。
「オルランド様、いいですか、私はあなたしか信じる気はありません。私を慮ってくださるのは重々承知していますが、まず原則としてここで念を押しておきたいと思います。
そしてもう一つ、あの方々にはオルランド様らの安全も確約して頂かねばなりません。
最後に、私は怒っています。
私を何か道具にして使おうという魂胆がどうにも腹立たしいのです」
エイダはジェイコブの提案を真っ向から否定した。しかし完全に否定している訳ではないらしい。
「さて、あの方たちと交渉をするという事で話はまとまったかと思いますが、考えないといけないことがもう一つあると思います。あの方たちと私たちの魔力の差についてです」
エイダ嬢は思ってもみない方向へと話をずらした。協力ではなく交渉という趣旨はわかる。が、残りはいったい何の話だ。
「あの方たちも出身は貴族、人間であり魔族では無い筈です。おそらくそういう血族でもないでしょう。ならばかような魔力を得た原因は、その前世の記憶に由来するものと見て間違いないでしょう。
しかし何故同じ前世の記憶持ちのオルランド様に魔力が備わらなかったのでしょうか?」
ジェイコブは、エイダがオルランドに前世の記憶があることを前提として話していることに気づいた。そして、エイダの話の中にヒントも見出した。
「もし、前世の記憶の中のある知識が魔力の鍵である場合、それを知れば誰もが魔力を伸ばすことができる、そんな可能性もある訳ですな」
「どういう鍵かしら」
オルランドは立ち上がって、ぶつぶつとつぶやき始めた。
「魔法と云う可能性は……あるけど魔力を伸ばす魔法って自己循環的よね。魔法具の可能性は、だけど特殊過ぎる、大体今も値は成長している訳で、そんな道具は……
まずゲームシステムに一番親和的なのは経験値の筈、でも私は経験値を獲得せず、あの5人は獲得した。その違いは」
そんなオルランドに構わずジェイコブも考える。
魔力の源は魂、それも記憶の変化だ。それはオルランドの唱える魔呪力学の理論的基礎をなす仮定だ。だがかの5人の魂が大きく変化したとは考えにくい。
実のところオルランドの魔呪力学には大きな穴がある。魔獣だ。
なぜ魔獣がそれほど大きな魔力を持っているのか、現在の魔呪力学は説明できない。ゼーゼルの工房では大々的に魔呪力学を応用し成果を出していながら、これを説明できないがために魔呪力学という学問分野は世には出せない代物だった。
だがジェイコブは魔呪力学は間違っていないと思っている。魔獣に聖句や呪いの言葉がどれだけ通用する筈か考えてみればいい。記憶する能力の存在すら怪しい微小魔力生物についても考えてみればいい。
このあまりにも小さな魔獣は地面深く、嫌気環境にいくらでも住み着いているが、こいつらにも聖句は効く。これらの魔力の源とは一体何なのか。
今ジェイコブは大きな発想の飛躍をする。魔獣は呪いとはちょっと違うものを使っている、と仮定しよう。そのXはある方法で獲得可能で、それは魔力を生むのに呪いの変化を要しない。何故ならそれ自体が変化するから……つまりそれは魂だからだ!
魔獣が摂食行動をしないことはよく知られている。かつて魔獣は魔力を食らうと考えられていた。魔力源に寄って来る性質から言われた説だが、今では観察と研究で否定された考えだ。
魔獣が魂を食うという説も存在していたが、その証明の方法は無かった。何故なら誰も魂を見たものはいないしそれが食われるところも見ていないからだ。
ジェイコブは自分が昔からある魔獣食魂説に彷徨い込んでいることを悟ったが、そこでジェイコブの思考の堂々巡りは断ち切られた。
「魔物になった人のお話というのは昔から聞きますよね、お話ではみんな狂っちゃっている訳ですけど、狂わない方法を見つけたって訳なんですよねきっと」
エイダ嬢もこれは殆ど独り言だ。しかしジェイコブとオルランドは聞き耳を立てる。
「狂うってのはあれ呪いですよね。人を超える力を得た場合、呪われやすいのは……」
「殺してるからよ」
オルランドが答える。
「大抵血なまぐさい話のオチだよね、魔物になるっていうのは」
「でも、全然殺していない、たしか研究者の方も魔物になったって話が」
オルランドは背を向け近くの本棚に向かう。というか周り中が本棚だ。この部屋はオルランドの蔵書を押し込んだだけの図書室で、ここに三人、前世絡みの秘密の話をするために閉じこもっているのだ。
「あれでしょ、微小魔力生物の研究者の話。地味に顕微鏡でしか見えない生物を研究してたら狂っちゃって、やはり小さくても魔獣は魔獣だってオチがついた奴」
「でも、殺していない」
エイダが呟く。
「いや、殺してる。それも大量に」
ジェイコブは言う。
「殺菌とか消毒とかしてますよね、多分実験で」
そこで気づいたことを更に言ってみる。
「もしかして条件、魔獣を殺したら、じゃないですか」
「条件って……」
「魔獣の力を得る条件」
オルランドが、腑に落ちたという表情をする。
「あぁ、だから魔獣狩りなの、そういう事!」
一人合点するオルランドに残り二人は怪訝な顔をする。
「いや、あの五人のうち三人が魔獣狩りに熱心らしいのよ。のこり二人はその辺隠しているけど多分一緒ね」
「多分魔獣を殺すと、その魔獣の魂が殺した相手に吸収され、魔力を生む能力を増強します。魂が丸ごと手に入るのなら、魔呪力学的に矛盾はありません」
魔獣が死ぬと、魔獣の魂は殺した相手に吸収される。これが魔獣の捕食システムなのかも知れない。これが魔獣が強い魔力を持つ原因なのだろうか。魔獣は魔獣だけで閉じた捕食サイクルを作っている訳だ。
「でも、魔獣退治で人が強くなったなんて話は聞いた事がありません」
「おとぎ話の中ならあるでしょ。あと、最近はみんな聖別された武器を使っているから」
古い英雄物語にある英雄の強さはこれが原因かもしれない。
「確かに呪いを防ぐなら魂も防ぐのでしょう。
じゃあ、聖別していない武器で殺したとします。で、呪いは」
エイダが言う。
「殺した後に祝福を受ける」
ジェイコブは言うが、
「でも魂そのものが呪いの元だとどうしようもないわよ」
「そもそも呪いと同じものかもわからない……」
だんだん混乱してきた。
「ああもう、訊けば一発でわかるんだから訊いてくるわよ」
オルランドはやけになった。
「もう終わり!これで決着!今日はもう……」
そこでエイダに手で制される。静かに、のジェスチャ。耳を澄ます。
パン、と大きな乾いた音がした。銃声だ。何が起こった。
次いで破壊音。木の裂ける音、派手に金属が立てる音。ジェイコブは悟った。彼らが来たのだ。
オルランドは少し考えると腰の革ベルトを銃ごと外してジェイコブに渡し、隅にでも隠れるように言う。この部屋は逃げ場が無い。ジェイコブの持ってきた不呪鋼のナイフをオルランドに渡す。
「そいつは折り畳めます」
ジェイコブはジェスチャも加えて説明する。オルランドはすぐにナイフの刃を折り畳んで、エイダに渡す。
「調べられれば直ぐに見つかります」
エイダが固辞しようとするのを、オルランドは自分の髪を結っていた飾り紐を解いて、ナイフのヒンジの真鍮のハトメにそれを通して即席の首飾りにしてしまう。それをエイダの首にかけながら、
「堂々としていれば気づかれないわ」
そこでノックの音が部屋に響いた。ジェイコブは本棚の奥、床に積まれた本の山の向こうに身を隠し、息を潜める。
「どうぞ」
オルランドの声。
「おやおや二人ともここにいたのか」
若い男の声。
「お宅の使用人は乱暴ですな。お陰でシャツに穴が開いた」
別の男の声だ。
「わたくし、皆様をお招きした覚えが無いのですが。無闇に押しかけられたのなら、うちの家内のものもそれなりの対応を致します」
オルランドの声に対して、
「ふん、こんな夜分押しかけたのには謝罪するよ。使用人の粗相も大目に見よう。君たちはただ私たちに付いて来てくれるだけでいい。
意味はわかるよね。強制はしたくない」
暫くして、足音と、ドアを閉める音がした。
ジェイコブは300数えてから本の山の中から這い出し、ドアをゆっくりと開け、耳をすます。どこからか、ごく小さな呻き声が聞こえた。