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18:三人の秘密の会話

「お嬢様、表のあれは一体何なんですか?何をやっているんですか?」


 すずめ寮を訪れたジェイコブ・マーレイは、学生寮であるべき場所にバリケードが築かれていることに驚いていた。


バリケードに身を隠すように立っていたオリヴァーはしかも、あの凶悪な連発カービンを隠し持っていた。例によって多分世間から半世紀くらい進んでいる奴だ。ジェイコブの挨拶にオリヴァーは何の返事もしなかった。まるで戦争じゃないか。


「良く来てくれたわねジェイク、大丈夫だった?襲われたりしなかった?」


 何の話だ。ジェイコブはオルランドの制服姿に更に大げさな幅広の革ベルトが巻かれていることに眉をひそめた。


「海路の日和も良く、旅路は万事何も問題なく、そして荷物は皆既に工場埠頭に陸揚げ済みです。で、この様子は一体どうしたのですか?」


 オルランドは黙って革のベルトを差し出した。銃だ。


「戦争よ」





「つまり、人の姿をした五匹の魔獣に狙われている、と」


 滅茶苦茶な話だが、ここひと月の魔力測定の結果なる値を見ると、人の姿をした魔獣がそこにいたとしか言えない。20足をぴょんと跳ぶ奴と言う話も魔力測定もオルランド以外の証言者はいないが、ジェイコブに彼女を疑う気持ちは微塵も無い。


 ジェイコブの容貌は決して人並み以上のものではなかった。醜いと言ってもいい。あまり容貌の劣った人間のいないこの世界では、世界一醜い男と呼ばれても頷かれてしまうような容貌だった。

 だがオルランドは全く気にしなかった。オルランドにしてみれば、前世の自分の容貌とどっこいどっこいの、よくある顔である。むしろ親しみがわく顔ですらある。

 ジェイコブの学校での成績は教師に全く評価されておらず、精神障害の類だとすら決め付けられていたが、オルランドはここにジェイコブの才能を見抜いた。


 ジェイコブは決まった方法に対して違う方法を見つけ出してしまうという稀有な能力を持っていた。ジェイコブは特殊なタイプの激しい物忘れを煩っていて、何かを憶えようとすると人の数倍の努力が必要だった。

 彼は自分の容貌の醜さに絶望し、小さかった頃抜群の評価を得ていた勉強に固執し努力していたが、勉強に暗記するものが増えるにしたがって、物覚えの悪さゆえに過去の評価は遠くなっていた。

 数学の公式などは覚えるそばから忘れてしまい、そのうちジェイコブは必要なときに公式を"再発見"するようになった。公式なら、数少ない基礎的な公式さえ確実に覚えていれば、そこから順を追って導出することが出来る。

 ジェイコブはいわば、車輪が必要になるたびに再発明をしている訳だ。そんな風だから再発明を百回千回と繰り返せば、そのうち誰も考えたことの無いような変な方法の1つや2つ思いついてしまう。


 オルランドは理想の実験助手を手にいれた。ジェイコブは自分の記憶力を信用せず、膨大な実験ノートをつけた。彼は驚異的な精神的粘りで膨大な実験をこなすことができた。ジェイコブにとっては、繰り返される全ての実験が常に目新しいのだ。

 ジェイコブは新しい実験に関して、常に新しいアイディアを持っていた。彼は自分のアイディアに固執しなかった。常に無限のアイディアが沸いてくるからだ。オルランドとジェイコブは、実験が自分たちの貧しい設備で可能になるまで、実験のアイディアを練り続けた。


 ジェイコブは自らの才能を評価する人とはじめて出会った。自分の容貌を気にせず、自分自身を認めてくれる人とはじめて出会った。それはジェイコブの人生を変える電撃的な出会いであり、恋に落ちた瞬間でもあった。

 それからの二年はまるで夢の中の出来事のように過ぎていった。

 無数の実験をおこない。理想気体の状態方程式を導出し、絶対零度を定義した。これを熱力学の基礎として、オルランドは世界最高効率の蒸気機関を作ることが出来た。

 電磁気学の実験を繰り返し、そして物質の電気分解にのめり込んだ。水の電気分解に始まって、アルミニウムの精製まで辿りついたのだ。

 水酸化ナトリウムを工業規模で生産し、石鹸工場の立ち上げ、そしてパルプ工場の立ち上げを経ることで、オルランドはジェイコブに人と共同で作業するやりかた、そして指導するやり方を叩き込んだ。

 オルランドとジェイコブは、水酸化ナトリウムを使ってラーメンという食品が作れるか、こっそり試したこともある。変てこな麺を作って二人で食べたその記憶はジェイコブの宝物だった。

 ジェイコブは新元素発見に熱中した。ナトリウム、マグネシウム、塩素、カルシウムを発見し、オルランド発案の周期表を次々に埋めていった。オルランドがグロスターに居を移した後ではあるが、モリブデンとタングステンを初めて単離したのも彼だった。

 オルランドがいなくなった後、ジェイコブは鉄の研究にのめり込んだ。鉄の物性を調べ、様々な合金を作った。このときの副産物が強呪性体である。

 ジェイコブはオルランドがやがて作る製鉄所のための基礎研究を黙々と行い、やがて縮小版の高炉とミニチュア転炉を作り上げた。様々なパラメータが試され、そして僅かだが鋼が工房に供給された。この鋼が新型ボイラーと蒸気機関、新しいフライス盤と旋盤、中ぐり盤を作り上げたのだ。


 一度ディヴィッドに訊かれた事がある。お嬢様に好きな男が出来たらどうする、と。

 ジェイコブは、まぁ血の涙を流すくらいのことはするかな、と軽く答えただけだった。

 まぁ大体そんなものだろうと彼は思っていた。死ぬほど辛いだろうが死ぬ訳でない。


 オルランドは彼とは違い恵まれた容貌と、彼女を知るものを夢中にさせる強い魂を持っていた。彼女が良い伴侶を得ることが出来ないとは考えられない。だが一方、ジェイコブは自分の醜さを自覚しており、自分の恋には最初から諦めも付いていた。辛い考えだが死ぬ訳ではない。

 ただ、オルランドに好きな男が出来たら自分の魂は死ぬだろう。ジェイコブはそう自覚していた。だから今、オルランドと一緒に仕事ができる今、一分一秒が貴重だった。彼が生きているのは今このときだけだと覚悟していた。


 だが今、ジェイコブは信じられない状況にいた。彼の容貌を気にしない女性はこれまでオルランド以外にいなかった。しかし、


「えっと、もう一度説明していただけませんか、その、呪いを受けない鉄の合金が出来るってその理屈」


「原理は簡単なものです。要するに記憶しなければいいのです。


 鉄の中の粒状組織の成長段階で強い一様魔力場に置く事で、いわば魔力への感受性を飽和させてしまいます。そうすると呪性体の成長をぼぼ全く無くすことができるのです」


 但しこれを実現するには、オルランド温度、つまり金属が呪性を失う限界温度をかなり高くしないといけない。ただの鉄では絶対に無理だった、とジェイコブは言葉を継ぎ、そしてポケットから小さな箱を取り出して、開けて見せた。中には堅木の柄の付いた、小さな刃のナイフが入っている。刃渡りは五分の一足ほどしかない。


 オルランドはそのナイフを手に取ると、エイダに言った。


「つまりこれで人を刺しても、呪いを検出できないって訳よ。グロスター警察が大混乱しそうな代物じゃない?」


 エイダは息を吐き出して言った。


「凄い、凄いですね。この人、ジェイコブさん、間違いなく天才ですよ」


 オルランドは誇らしげに胸を張る。


「凄いでしょ。ジェイクは大天才よ」


 ジエィコブは思う。それ以前にこの女性は誰ですか。誰かもわからない相手に説明する自分も自分だが、理解してしまう相手がオルランド以外にいるというのが信じられない。しかもエイダと呼ばれた女性はジェイコブの容貌を気にしていないように見える。


「……話を最初の最初に戻しますが、この方はどなたですか?」


 もう一度ジェイコブはオルランドに訊く。名前はエイダ、わかったのはそれだけだ。


「そうですオルランド。言ってください。私は一体何なんですか?」


 そして、当のエイダ嬢までそんなことを言い出した。

 オルランドは暫くウンウン唸っていたが、やがてジェイコブに、あの黒いノートを憶えてるか、と聞いてきた。

 オルランドがあの黒いノートと言うなら、あれに決まっている。


 勿論憶えている。オルランドが小さい頃から書き続けてきた紙の束を綴じて黒い表紙を付けたもので、何十冊とあったそれらは一つの箱の中に厳重に仕舞い込まれていた。

 オルランドはそれを限られた人にしか見せたことが無いと言っていた。その黒いノートは、オルランドの中の、彼女以外の記憶をひたすら書き綴ったものだ。

 ジェイコブは、オルランドの記憶の断片から何か、何でもいいから何かを見つけ出して欲しいと頼まれてそれを読んだ。オルランドに出会って丸一年経った頃、ジェイコブはオルランドの信頼を勝ち得ていた。

 その信頼がどれほど深いものであるのか、領主館の敷地の中にある水車小屋で何日も過ごすうちに判ってきた。

 これは他人には見せられない。誰が読んでも狂気の産物としか思わないだろう。一つ一つは良く出来た御伽噺だが、その総量はあまりにも膨大で、そして一貫していた。


 ジェイコブはその中から膨大なアイディアを拾った。それこそノート一冊分だ。オルランドは気がついていなかったが、記憶を統合すると内燃機関の原理がうっすらとわかる。カルノーサイクルとは何だろうか。前世の記憶はガソリンエンジンよりロケットエンジンのほうが詳しかった。これぞ狂気としか言いようの無いエンジンだ。

 ジェイコブはこの時、核兵器という究極の狂気に触れたが、そこから逆算して原子の構造に、更にそこから逆算して元素周期表の空いている部分を埋めるアイディアを得た。オルランドの前世が第四周期の半分までしか周期表を憶えていなかったのに対して、ジェイコブは既知の元素全てを埋める表を完成させたのだ。

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