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14:蒸気ドーザー

 埠頭は既に人で一杯だった。

 土曜の昼のこと、高等学校の学生たちも、大学生や教授たちも鈴なりで、石炭船から降りてくるものを見つめている。

 安全弁が軽く吹き、内圧が十分である事が知れた。クラッチとギアを操作する音が聞こえる。あれは慣れないと操作が難しい。

 ディヴィットの操作で蒸気ドーザーが動き出す。石炭船からのタラップは、蒸気ドーザーの重さに耐えるはずだ。しかし、ミシ、ミシ、とタラップの鳴る音にはヒヤヒヤする。

 蒸気ドーザーは順調に埠頭を走り出した。何故かちょっと拍手が湧く。


「道を開けてください」


 オルランドが叫ぶが蒸気ドーザーの行く手は人だらけだ。黒い煙をあげる機械はのろのろと進む。大通りである二番街の手前でオルランドは蒸気ドーザーに飛び乗った。


「蒸気圧上げて。スピード出しましょう」


 制服のままの姿にディヴィットは目を剥く。


「お嬢流石にその恰好は汚れます、この煙を見てください!」


 オルランドは構わない。


「いいのよ。もう土曜じゃない。洗濯のタイミングよ」




 蒸気ドーザーは給炭車だけを引いたまま軽快に走り続ける。高圧に耐えるコンパクトな鋼製ボイラーとシンプルな復水器のおかげで、オルランドの蒸気ドーザーはライバルの蒸気自動車たちに大差をつけていた。

 とはいえ心配が無い訳では無い。ねずみ鋳鉄で作った履帯がいつ砕けてしまうか、オルランドは気が気でない。


 この蒸気ドーザーは史上初の無限軌道車、前世で言うところのいわゆるキャタピラー車だったのだ。サスペンションは鋼をケチったから、振動は突き上げるように激しい。あまり長く喋っていると顎が壊れてしまいそうだ。


 街を抜けて北のはずれ、オルランドのすずめ寮の真下まで来ると、エイダたちが待っていた。そこで給水を済ませて、エイダとオリヴァーも乗り込む。とは言っても給炭車の上だ。


「ほら邪魔だどけよ」


 シャベルを使うディヴィットがオリヴァーにあてつける。


「シャベルは私がするわ」


 オルランドがシャベルを取ろうとするが、ディヴィットは構わずオリヴァーにシャベルを押し付ける。


「あっ私がやります!」


 エイダが言いだすのを、


「いいから!」


 三人がハモった。


「いいですから、お嬢は着替えてきてください」


 ディヴィットがそう言うと、残り二人も大きく頷く。




「オルランドの着替えって、ものすごく早いですよねぇ」


 エイダが感心した風に言うのを、


「あれはマネしちゃいけないよ。お嬢のだらしなさあっての早着替えだからね」


 シャベルで石炭を燃焼室に放り込みながらディヴィットが答える。運転は今オリヴァーに代わっている。そろそろ購入した土地だろうか。


「まずそこの細い道を切り開くわよ。ドーザー用意」


 油圧ポンプはまだ実現できていないから、ドーザーを降ろすのは人力である。左右に分かれて四人全員でドーザーを降ろす。一応チェーンブロックを使うから骨を折ったりする心配はないが、やはりきつい。

 ドーザーのアームにピンを打って固定すると、再び前進だ。


 オルランドはドーザーを下りて、手に持った袋の中の粉末をドーザーの前に撒く。強呪性体の粉末だ。儀式不要の簡易解呪だがシンプルで効き目は高い。ドーザーは念入りに聖別されていてこの呪われた土地を掘り起こすのに何の問題も無い。


 ドーザーは自らの進む道を切り開きながら、やがて水が尽きるころ小川のほとりに辿り着いた。ここが給水所になる。水を汲んで補給すると、貯炭場にする場所を切り開く。


 今日はここで終わりだ。排土のための道も作りたかったけど、思っていたよりも蒸気ドーザーは石炭も水も消費する。

 しばらくは港と貯炭場を石炭運搬のために往復するだけになるだろう。それが済んだら、地面の下の村の掘り起こしだ。


 明るいうちに蒸気ドーザーですずめ寮に帰還する。寮の前には子供たちが待ち構えていた。


「ほら危ないから近づいちゃ駄目、どいてどいて」


 オルランドが言っても子供たちは聞きはしない。しかしエイダの言葉には大人しく従う。どうもエイダが餌付けしたらしい。後で聞くと、元々はオルランドのせいだった。


 空き巣対策にはご近所との普段の付き合いが大事だとマーティンが言うのを受けて、オルランドはご近所の慰撫を使用人たちに命令した。

 すずめ寮は工房なのか寮なのか、どう考えても怪しい訳だが、ちゃんと挨拶したり贈り物をしたり、そういうことを積み重ねれば信頼に繋がる。

 そういう訳で、好奇心旺盛な近所の子供たちが寮のまわりをうろうろしても、無碍に追い返すわけにはいかなくなった。そこで手の空いているエイダが子供たちの相手をするようになり……という按配らしい。


 蒸気ドーザーを室内に入れて蒸気を落とし、燃え残りの石炭を掻き出す。外観を点検した後、ある程度冷えた燃焼室から灰も掻き出しボイラーから水も抜く。チンチンと鋼管が冷えて立てる音に耳を傾ける。

 明日は石炭運搬だけなのでドーザーを外すことにする。クレーンを使ってドーザーを外す作業を、建物の外から子供たちは息を飲んで眺めていた。その外には数人の大人たちも混じっている。

 ドーザーを外してしまうと、これはもう蒸気ドーザーではない。じゃあなんと呼ぶべきか思案したが、オルランドは蒸気クロウラーと命名した。確かにこの無限軌道という代物の様子はクロウラー(這い這い坊や)に見えないことも無い。


 作業が終わると、そろそろ門限が気になる時刻だ。室内の壁には、こないだ作った三脚と、改造した魔力測定器の入った箱が並んでいる。

 国許の工房から届いた部品はエイダが既に組み立ててくれていて、あとは寮で微調整をすればいい。この荷物はディヴィットとオリヴァーに寮近くまで持ってきてもらうよう頼むしかない。

 子供たちが散った建物の外を眺めると、まだ一人誰かが立っている。

 ガラス工房のクラムルズ氏だ。



 帽子を脱いで礼を取るクラムルズ氏を屋内に案内する。


「今日はどうされたので?」


 クラムルズ氏はそれには答えず、


「オルランド様、そのお召し物は?」


 クラムルズ氏は人の質問を無視して、自分の知りたいことをとにかく訊く癖があるようだ。礼を逸しているのかもしれないが、オルランドは好ましいと思った。


「汚れ仕事をするための服です。うちの連中はみなこの格好で作業をしますのよ」


 クラムルズはそのまま黙ってしまった。オルランドは催促も何もせず、そのままクラムルズ氏の言葉を待つ。


「オルランド様、スチュワートの主だったものとお会いになる準備はございますか?」


「ええ、勿論」


 なぜ考えを変えたのか訊く。


「私は商売事は信頼が第一、信じられることが大切だと考えております。

 信じるためにはまず相手の正しさをを信じなければいけません。

 つまり、正しさこそが何よりも大切だと。

 これまで、そう考えておりました」


「これまで……」


「ですが、わたくし、気が付きますと、正しいか正しくないかに関わらず、あなたを信じたいと考えておりました。詐欺師でも悪党でも構わない、今はそういう気分なのです」


 素晴らしい口説き文句だ。氏が既婚者で無かったらちょっと惚れてたかもしれない。


「私は勿論詐欺師でも悪党でもありません。ですが、いざとなれば大悪人だと謗られる日が来ないとも限りません。それでも宜しいのですか?」


 クラムルズ氏が笑うのを初めて見た。


「私めを是非とも一味にお加えください。死なば諸共でございます」


「死ぬつもりも負けるつもりも無いわ、ミスタ・クラムルズ。ですが、覚悟しておいて下さい。

 これから疾風怒濤の日々が始まりますわよ」


            ・


 とは言ったものの、オルランド本人の生活は相変わらず学校と寮を往復するいたって代わり映えしないものだった。陽気は夏に近づき、クラブ活動に打ち込む同級生たちが眩しい。

 すずめ寮の開寮手続きは着々と進んでいたが、ちょっと高くし過ぎた煙突と、そこからモクモクと吐き出される黒煙からか、怪しいとの前評判を既に頂戴していた。


 製鉄所のほうは着実に建設が続いているようである。つい先ほどの寮への帰り道、見た顔があると思ったら、ひと月ぶりのマーティン・チャズルウィット、前世持ちたちの噂を探らせに生かせた使用人だった。

 既にすずめ寮には顔を出しているらしく、製鉄所予定地の廃村は既に遺体は全て掘り出されて埋葬され、教会の牧師を呼んで解呪まで済ましてしまったらしい、と聞いてきていた。

 土曜には地元の大物たちとオルランドとの会合があるから無理だが、日曜には製鉄所の建設予定地の測量が終わるから見て欲しいとの事。勝手に事態が進んでいくのは寂しい気もする。


 マーティンが探り出してきた調査結果は今オルランドの手元にある。これは比較的穏当な代物で、危険なものは土曜に口頭で報告すると言われた。


 手元の紙束には、前世持ちたち5家の財務状況、交友関係、姻戚関係、勢力範囲、そして近年の行動が時系列で列記されていた。これを読むと5家はそれぞれ特に関係を持っていないことが判る。対立関係も特に無い。

 どの家も5年から10年前の間に、ちょっと変わったことをやって、成功したり失敗したり、これらは恐らく前世持ちたちがやったのだろう。


 生徒会長のダウニー家は後装ライフル銃を開発しているが、薬莢に問題があったらしく軍に採用されなかった。

 恐らくは単なるコストの問題だろう。量産すればコストは下がるとダウニー家は主張したらしいが、そういう量産効果の存在が世間に知れるのは、前世と照らし合わせるとたっぷり半世紀は未来のことだ。ダウニー家は意味不明の主張をしたことになる。


 クランチャー家は極東との交易にかなり前のめりに傾倒していたが、今のところ得られたのは大豆くらいのようだ。


 マネット家はずっと上手く立ち回っていた。

 6年前にマネット卿はこの国に所得税を導入し、それを財源にして国債発行を圧縮して利子率を大きく引き下げることに成功していた。

 所得税は国家財政を大きく立て直したが、そのせいで割を食ったのが、新たに勃興しかけていた資本家階級だった。金持ちは嫌われるのが常なので、彼らが割を食うのは誰からも歓迎されたのだが、産業革命はこのときに一度破綻しかけている。

 これらが前世の記憶に基づくものだというのは考えすぎだろうか?



 もう一つの紙片が手元にある。前世持ちたちの魔力測定の結果だ。

 一般的な成長期男子及び女子の魔力保有量は、教会によって近年追跡調査されるようになっていたが、測定された値はその一般的な値を遥かに超えるものだった。彼らは確かにステータスを向上させていたのだ。


 測定された値は大きく3群に分類できた。大きな値を持つのが、生徒会書記のアンナ・サウスコット嬢と隣のクラスのジェリー・クランチャー、それより劣る一団が生徒会長チャールズ・ダウニーと体育会系のジョン・バーサッドだ。


 ルーシー・マネット嬢はと言うと、これが測定値ゼロ。一般的な値でもなく、ゼロである。これは彼女が魔力を有しない特殊な体質なのか、それとも魔力の放出制御できるのか、そのどちらかであろう。

 オルランドは、魂のある限り魔力は放出されるという旧来からの学説を支持しているので、可能性があるのは後者だと考えた。すると彼女は、転生者のなかで最も魔力の扱いが上手く、恐らく最もステータスが高いものと考えられる。

 毎週測定して、彼らの魔力の変化を測定していけば、レベルアップ毎のステータスの成長率を測定できるだろう。しかし魔力の高さは、成長率が1.2以上であることを示唆しているように思えた。



 最後の手紙は嬉しい知らせだった。


 "H.Bに成功せり"


 国許の工房、化学の天才ジェイコブ・マーレイからの手紙だった。実験室レベルだが、出来たのだ。前世の歴史比較で言うとたっぷり150年は早い筈だ。


 ハーバー・ボッシュ法の実現はオルランドの長期目標の1つだった。

 ゼーゼルの工房では既にセメントの原材料である酸化カルシウム、パルプや石鹸の生産に使う水酸化ナトリウムを工業生産していた。どれも生産は比較的簡単である。石灰岩を焼く大きなキルン、塩水を電気分解する電解槽が既に5年以上操業していた。

 特に水酸化ナトリウムの生産はオルランドの初期の大目標だった。

 苛性ソーダとして記憶していたそれが、柔らかい紙や固体の石鹸の生産に必要だと憶えていたのは幸いだった。

 今安価な紙が普及しているのはオルランドの努力の成果である。贅沢品の柔らかなトイレットペーパーもオルランドのお陰だ。というか、最初から柔らかいトイレットペーパーが欲しくて始めたのだ。


 石炭から回収した硫黄があったから、硝酸さえあれば硫酸が出来る。硫酸とアンモニアで肥料の硫安ができる。硝酸と硫酸で綿を処理すると綿火薬やセルロイドが得られる。だが硝酸の工業生産は難しかった。


 アンモニアを製造するハーバー・ボッシュ法の実現した今、次はオストワルト法によるアンモニアからの硝酸の製造が目標になる。あと、アンモニアが安価に手に入るとソルベー法が使える。ソーダ灰の生産はガラス工業を革新するだろう。


 ハーバー・ボッシュ法には200気圧に耐える容器が必要だった。そのためには高品位の鋼と溶接技術が必要で、オルランドは製鉄所の転炉技術確立のために作ったミニチュア転炉で得た最初の鋼を、実験用反応炉の試作に投入したのだ。


 オルランドの前世の記憶は、曖昧な断片でしかない。オルランドはそれを長い時間を掛けて現実的な知識へと繋ぎ合わせていったが、欠けている知識は膨大だった。それは実験と経験、研究で確立するしか無かったのだ。

 よくやったジェイク、オルランドは思う。この世界ではこの技術はハーバー・ボッシュ法ではなくマーレイ法と呼ばれるだろう。


 精霊灯を消し、いい気分で床につく。同室のセアラの静かな寝息が聞こえる中考える。技術革新は、果たしてステータスの成長率を上回ることが出来るだろうか、と。

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