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11:エイダ

「お嬢の悪い癖だ」


「なんで銀行なんて話までしちゃいますかねぇ」


 デイヴィッドとオリヴァーの掛ける言葉には容赦がない。


「この辺の田舎者はみんな、金貸しは悪党だと新聞小説に刷り込まれてんですよ」


「マーティンの奴を行かせるんじゃなかった。こういうのがアイツの仕事なんだよ。お嬢にはちょっと、まぁ向き不向きって奴だな」


「しかしお嬢はもっと、男心を掴む会話だとか仕草だとか、そういう極意とか研鑽が必要ですね」


「でも嫌ですよ、お嬢様のお相手には、ちょっとお年を召されてるじゃないですか」


 エスターが会話に加わる。何の話になっているのやら。


「着替えてくるわ。私の部屋はどこ」


「二階北の端です。断熱材入れましたから少し狭いですよ」


 断熱材と言うのは薫蒸した麦藁を南方麻の袋に詰めた物に過ぎない。これを外壁と内装壁の間に押し込んでいた。

 たぶんあっというまに黴が生えてしまうだろうが、ものは試しだとオルランドは割り切っている。

 作業できる服に着替える。


「エイダはどうしたの?」


 見るとエイダは建物の前、麦藁をかけて養生しているコンクリートの上に水を掛けている。服も作業服だ。


「エイダあなた何やっているの」


「おはようオルランド。今日はここに柱を立てるのよね」


 作業服がよく似合っているが、昨日は給仕服がよく似合っていたのを思い出す。

 多分制服もよく似合うはずだ。エイダには何か特別な魅力がある。単なる愛嬌ではなく、ちょっと目を留めてしまう何かがある。


「だから、何でそんな事してるのよ」


 エイダはヘンリーヴィル伯からお預かりしてる大事なお客さんだ。こないだは使用人の格好をさせてしまったが洗濯の為だし、よりにもよって作業服は無いでしょう。


 作業服はオルランド考案の、工房で働く男たちに支給するために作った、いわば制服である。難燃性のある綿のパンタロンと、シャツの上に着るこれも綿の、ジャケット風の上着の組み合わせだった。

 上着の前のボタンを全部留めることをオルランドは要求したから、男たちの評判は良くなかったがこれも安全のためである。

 それをエイダは着ているのだが、これは女子が着てもそれなりに似合うものなのか。オルランドは自分用に、女子向きにアレンジしたものを作るつもりだったが、男子用そのままで良いのではないかという気がしてきた。


「この服いいね。信じられないほど動き易い」


 作業服は前世の記憶に基づいて作った、今世換算で100年後の服である。しかし縫製が適当なので、そんなに動き易い筈が無い。試作したミシンの実験台の意味合いが強かった服だ。

 とにかく至る所ほつれていて、当分はまだ売り物にはなるまいと絶望した代物だった。ミシンはまだ作業服の自給自足くらいにしか使えない。


「ねぇオルランド、お代は払うからこの服一着頂けないかしら。凄いわこれは未来の服よ!」


 いやまぁその通りなのだが、そういう話ではない。決して若い婦人の着る服ではない。そう言ったのだが、


「でもオルランド、あなたのその服もとても素敵だわ」


 当のオルランド自身が同じ物を着ていたのでは説得できる筈も無い。



 人手が増えたお陰で、柱と梁を立てて組み上げるのはあっという間に終わった。最後にはディヴィットがエイダに作業の手順を教わっていた。決してディヴィットは無能ではない。エイダの把握力が高すぎるのだ。


 梁に固定した鋳鉄のレールの上に、可動する梁を渡し掛ける。更にこの梁の上のレールに、モノレールのように動滑車のブロックがぶら下がる。但し滑車の溝の中にあるのはロープではなく鉄のチェーンだ。

 恐らく世界初のチェーンブロックだろう。そして多分100年早く門型クレーンを設置したことになるのだろう。木製だけど。


 一連の重労働が終わると、今日の仕事はこれで終わりと宣言した。そもそもが今日は日曜、安息日だ。

 昼食はコノミャックだった。


「うっ」


 思わず声が出てしまう。コノミャックはオルランドの明らかな失敗だった。




 オルランドの前世の生活では、食生活にたいした関心を払っていなかった。腹が膨れたならばそれでいい、そんな記憶しかない。

 しかし前世の記憶にある食事は、今世のオルランドからすればとても美味しそうで、是非とも食べてみたいものばかりだった。


 しかしオルランドは早々にラーメンを諦めた。

 まずカップラーメンが無理だ。インスタントラーメンも当然無理だ。そして前世の記憶が作ったと言い張るのは、インスタントラーメンがせいぜいだったのだ。

 ビザ焼き釜とやらを作るくらいなら、もう一基キューポラかコークス炉を作ったほうが良さそうだ。でもピザについては、この世界でもきっと何処かで作られていると思いたい。そうすればいつか出会える筈だ。


 ではお好み焼きはどうだろうか。マヨネーズの作り方は前世の記憶には無かった。とんかつソースどころかウスターソースも手に入らない。

 入手したケチャップは前世の記憶にあるものとは別物だった。トマトが無いのだから当然だ。とりあえず作ったお好み焼きにはグレイビーを塗るしか無かった。別物である。

 だがこれがゼーゼルの領内に製法ごと広がってしまった。ゼーゼル名物コノミャックの誕生である。


 オルランドの前世料理の再現で一番いい線を行ったのは、そばの再現をしたときだろう。

 ソバの栽培は行なわれていたから、敷居は低かった。そば粉を挽いて小麦粉と混ぜ、麺を打って茹でるところまで成功したのだ。だがめんつゆが無い。


 今ゼーゼルには荒救食物ソバを使う料理として、その名もずばりソバという名の料理がある。勿論前世のソレとは別物である。ブラウンソースに絡めて食べるのだ。


 オルランドは是非ともカレーライスの再現をしたいと考えていたが、しかしどんな失敗をしでかしてしまうだろうか。二の足を踏む充分な理由が彼女にはあった。


 そんなオルランドの内心も知らず、


「へぇーっ、これがゼーゼル名物。うんすっごく美味しい」


 エイダは気に入ってしまったようだ。


 お茶の後は魔力計測器の分解だ。一台で家一軒買える値段の装置だが、自分の会社で作っているのだからそれで怯むことは無い。

 計測値の読み出しは、電気的に外へ取り出すことで解決した。そのために魔力計測器は中にホィートストンブリッジ式の検針装置とでも呼ぶべきものを内蔵することになった。


 寸法を確かめて、授業中に書いておいた図面を微修正すると、ゼーゼルの工房に図面のものを作るよう依頼の手紙を認めた。

 あとは金工ハサミとヤスリでもって手元の部品を切り刻む。不要な部分を取り去ると随分と不恰好になってしまった。

 次は三脚の作成だ。これは実際には画家が使うイーゼルに近い。既に部材の長さは指示通りに切り揃えられていたので、あとは釘で組み立てるだけだ。


 とりあえず多少畳めるといった体裁の木の台が出来上がる。先ほどの不要部品を取り去った計測器を据え付けると、ガタつきが無いか確かめる。


 あっというまに時間が過ぎていった。ちょっと暇ならホイストでもしようかと声を掛けようとして、オルランドはマーティンを調べに出したことを思い出した。

 探すとエイダは本を読んでいた。オルランドの本をどれでも読んでいいとは言っていたが、「運動力学論」を読んでいるとは思わなかった。


「この本難しいね。こんな本もオルランドは読んでいるの?」


「その本の著者は?」


 オルランドはページをはじめに戻ると、著者名を見つけた。


「えっ、えええっ、ちょっと」


「私が書いたのよ」


 スキムポール氏との連名で書いた論文はどれも、王立学会ではオルランドの名前はあっさり無視され、女性を認めない決まりだとかでその刊行物から名前を削られていた。

 腹を立てたオルランドが一人で書いてまとめて出版したのが「運動力学論」だった。

 この世界にもニュートンと同様の人物は居たが、彼は名声に恵まれぬまま、古典語で書かれた難解な大著を残して死んでいった。


 オルランドは彼の著作の数学表現をオイラー風に書きなおした上で色々付け加えて、判り易い本に仕立てた。この世界に微分の記法や積分記号を持ち込んだのはオルランドである。


 この本は売れたし評判になったが、出版後、イザク・ダルンカークの業績にただ乗りしたものだという批判があちこちから立った。

 しかしそもそもダルンカークについては序文に書いているし、ダルンカーク再評価こそがオルランドの願いだったし、そもそもダルンカークを認めなかったのは王立学会だし、お前ら序文しか読んでないだろと嫌味も言いたくなったが、ともかく大人げない所業だったと今では反省している。

 確かに王立学会をぺしゃんこにしてやったが、結局連中は反省した訳では決して無かったのだ。


 エイダは意を決したように向き直ると、オルランドに、


「私っ、オルランドの弟子になりたいっ。弟子にして!」


 唐突な申し出に呆けていると、


「いや、働かせて。使用人で良い。勉強する時間は自分でつくるから」


 オルランドは頭を振りながら、


「駄目よ。絶対に駄目。基礎はちゃんとしっかりした先生に学びなさい。そして学歴っていう箔はがっちり貰っておきなさい。世の中学歴で見る目が変わる阿呆ばかりだからね」


 と言いながらちょっと顔がにやけてしまう。やはり嬉しい。こうはっきり言われるとやはり嬉しい。オルランドはガチな向学心を持つ人間が大好きだ。


「私、オルランドに認めてもらえるなら他はどうでもいい」


 にやけ過ぎて涙が出てきそうだ。後ろを向いて、


「私、西方語は教えられないし学校には数学のいい先生もいるわ。そもそも私も学校に通っているのよ。

 ……だからね、そうね、私のこの寮の住人になってくださらないかしら?

 そうしたら、私の本は読み放題よ」


 振り返ると、エイダはうんうん唸っているようだった。


「……そうだよね、学校でも一緒なら最高じゃない。生き帰りも一緒よ」


 この子私のストーカーにでもなるつもりかしら。見ているとエイダは意を決して、


「では、お願いします。この寮への入寮許可をください」


 笑顔で応じる他あるまい。



 夕食は魚料理らしかった。だがオルランドには門限がある。

 オリヴァーがかもめ寮手前まで送ってくれた。今日の寮の夕食は何だろうか。

 ああダシが欲しい。この世界のどこかにはコンブがあるのだろうか。それともその辺の海岸で拾ったケルプでどうにかできるのだろうか。


 オルランドは更に考える。エイダには間違いなく才能がある。そしてその才能を好きなだけ伸ばせる機会をオルランドは掴んだと思っていた。

 見てみたい。オルランドはエイダの才能、将来を見てみたいと熱望していた。

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