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10:製鉄所

 日曜日、ウキウキしながら北のはずれの我が拠点へとオルランドが足を運ぶと、先客がいた。知らないオッサンだ。


 この北のはずれの拠点は、改装が済んだら学生寮として学校側に申請するつもりである。寮であるから学生つまりオルランドが住める。

 規則では4部屋以上無いと寮とは認めないことになっているから、改装後は残った3部屋の住人も公募する。金持ちの子が数年に一度はそういう事をするそうだ。やはり先例があったか。

 とは言っても、オルランドは何も贅沢がしたくて寮を作る訳では無い。工房が欲しいから寮を作るのだ。これから7年住むのだから元は取れる。すずめ寮の名前で学校には申請するつもりだ。既に看板も立てている。


 そのすずめ寮の玄関入ってすぐのロビー、とは言っても荷物で8割がた埋っているその部屋の、小さめの木箱にコート姿で憤然と座っていたのがその知らないオッサンだ。

 自分から押しかけておいて何をそんな顔をしているのか。失礼ではないか。


「クラムルズ工房のヴィンセント・クラムルズ様です」


 怪訝な顔をするオルランドに、オリヴァーが耳打ちする。


「そのクラムルズ様が何で」


「お嬢様、スチュワートのガラス工房を調べろって仰っていたでしょ。で、ちょっとお話を聞きに行ったのですが、そしたら是非ともお嬢様にお会いしたいと」


 高等学院の教室や談話室のガラス窓は、スチュワートのガラス製造の技術に興味を持つきっかけになった。もしスチュワートに高い技術を持つ技術者がいるなら、是非ともお付き合いしたい。


「はじめまして、私がオルランド・ゼーゼルです。よくいらっしゃいました。ここでは何の歓待も出来ませんので、奥へどうぞ」


 奥にはあのテーブルとまともな椅子がある。テーブルはきっと直っている筈だ。おっさんは立ち上がると握手を求めてきた。


「どうも本日は押しかけてしまって申し訳ありません、ヴィンセント・クラムルズ、ここスチュワートでガラス工房をやっております」


 クラムルズ氏は握手もそこそこに、その手に白い塊を掴んで目の前に差し出す。


「オルランド様、無礼を承知でお伺いしたい。これは一体なんですか」


 見つかったか、というか、そこらへんに溢れているから見つからない筈がない。


「ヴィンセント様の想像通りのものです」


 去年の三角島旅行の嬉しいお土産、硅石5万ポンドが化けて出来た、耐火煉瓦だ。


「ガラスの溶融温度なら、これは一切破損消耗無く使えるでしょう。材料は分かりますか?」


 ヴィンセント・クラムルズ氏はのろのろと、信じられないという語調で言う。


「硅石、でしょうか……」


「そう、ガラスと同じ」


 ヴィンセント氏はその耐火煉瓦の軽さを手で試している。


「もし、わたくしにご協力いただけるのであれば、その製法、お教えいたしましょう」


 ヴィンセント氏の首がゆっくりと廻り、眼の据わった表情で私を眺める。手元に目を向けることなく、彼はその手で二三度、煉瓦の軽さを確かめる。


「……条件は何でしょうか」


「製鉄所を作りたいの」


 何を聞いたのか分からない、という表情だ。


「奥でゆっくり、腰を落ち着けて、説明いたしますわ。とにかくお茶にしましょう」




 スチュワートの更に北、崖崩れによって埋まった小さな湾がある。

 かつては小さい漁村があったのだが、崖崩れによって一夜にして集落は土砂に埋まり消えてしまった。

 生き残ったのは当夜集落を離れていた数名のみで、彼らの力では集落を掘り返すことも出来ず、死者を弔うことも出来ず、呪いはその集落跡を覆って誰も住めなくしてしまった。


 オルランドはその土地を二束三文で買い取った。

 聖別された蒸気ドーザーで一気に掘り返して集落跡の死んだ人々を弔い、呪いを解消して整地し、そこに製鉄所を作るという計画だ。

 水源は充分な流量があり、漁港は整備すれば石炭船がそのまま着けられるだろう。


 製鉄所ではまず貯炭場、コークス炉、そして蒸気機関で動く送風機の付いた高炉が建設される。続いて転炉設備と、そして大規模な自動聖別を昼夜関係なくおこなう機械化聖堂が建設されることになる。

 今から建設を始めて今年中に操業を開始し、その時には一日に石炭60万ポンド、褐炭鉱15万ポンドを呑み込んで、鋼5万ポンドを生産するようになる。毎日5万ポンドだ。


「5万ポンド」


 オルランドは念を押す。


「一日当たり5万ポンド。高炉は少なくとも半年は火を落としません。24時間三交代で働いて、180日で900万ポンド」


 ヴィンセント・クラムルズ氏は呆けた顔で繰り返す。


「5万ポンド」


 それが幾らで売れるか。

 硬いと同時に粘り気のある鋼は、その希少性から今の扱いは貴金属に近い。


 鉄の硬さは鉄の中の炭素の量で決まる。前世知識の受け売りだが、炭素の比率が2パーセントより多いと硬くて脆い鋳鉄、少ないと硬いが粘りのある鋼鉄になる。

 昔は鉄鉱石を溶かすには木を燃やすしかなかった訳だが、木や石炭から出る炭素が鉄に入って必ず鋳鉄になった。

 この国で鋼を得ようとすると、輸入するか、砂鉄を輸入して鋳鉄と混ぜて溶かして炭素含有量を減らすしかない。砂鉄の炭素含有量は少ないのだが、砂鉄はこの国ではほとんど採れないのだ。


 しばらく前まではそれすらも出来なかった。国産の鋼は反射炉の発明のおかげである。燃料からの熱を反射で鉄に与える反射炉で、ようやく燃料の炭素が鉄に入らなくなったのだ。

 しかし反射炉で出来た鉄は、あまりにも含まれる炭素の量が少なすぎた。

 炭素の量が少ないと鉄は柔らかい錬鉄になる。だから再び炭素を少し入れて鋼にする工程が必要になる。二度手間だがそうするしか無い。


 コークスが無いから反射炉の火力は弱く、錬鉄を得るためには炉に鉄の櫂のような棒を突っ込んで掻き廻さないといけない。その棒にへばりついてくるのが錬鉄なのだ。

 こう手間だとひと月かけて千ポンドの鋼が出来れば上出来である。


 剣の材料は鋼だ。鎧の材料も鋼だ。板金の材料も鋼だ。

 子供の頃ゼ-ゼルでオルランドが遊びに使っていた板金は戦死者の鎧を解体して解呪したもので、だから比較的安くついたのだが、それでもあれは高くつく子供の遊びだった。


 鋼は希少であると同時に必需品でもある。その需要は堅い。


 だが900万ポンド、前世の単位で五千トンはその需要を遥かに超える。鋼の価格は大きく崩れるだろう。鋳鉄と変わらないコストで鋼が作れるとしても、需要が見込めなければ話にならない。


 オルランドは考える。私にはある。私には需要がどっさりとある。とにかく鋼が大量に必要だった。蒸気機関の小型化には鋼の圧力容器が必要だった。


 化学産業の立ち上げにも鋼の圧力容器は絶対に要る。そして、小型化した高効率蒸気ボイラーの需要だけで元が取れるとオルランドは見込んでいた。都市で普及し始めていたスチーム暖房は、従来型の鋳鉄ボイラーの大きさが難点だったのだ。


 オルランドの蒸気ボイラーは工場の、そして船の動力を全く変えてしまうだろう。エネルギー効率が全然違う。

 石炭の消費量の違いはすぐに明らかになるだろう。その進歩は前世基準ではおよそ30年のジャンプになる。最近ようやく幾隻か現れるようになった蒸気船が、いきなり西方帝国へ大洋横断できる性能になるのだ。


 となると軍隊がほおっておかない。全鉄製船の話題もちらほら出ている頃だ。一足飛んで装甲船の話も出るだろう。確実に鋼製砲をという話が出る。


 この世界では鉄砲はそれほど普及した武器ではない。なにせ魔法のほうが便利だ。だが海の上での戦争で大砲は大活躍した。

 水上を走って渡れるのは大魔法使いだけだ。魔法の射程はどれも弓矢の飛距離を越えることは無い。

 結局のところ、魔法というのはカタチを変えた人力なのだ。そして火薬という動力を使う大砲は、弓の射程の外まで届く。


 陸上では高速移動や隠行などの撹乱魔法をつかう近代散兵戦術が、鉄砲にある多少の射程の有利を打ち消してしまう。

 しかし鋼製五分の一足径後装ライフル砲は、もしかすると海戦も陸戦も全く変えてしまうかもしれない。試作砲はライフリングを掘る中ぐり盤と共に既に存在していたが、これはちょっとインパクトが大きいので、当面は出し渋るつもりだ。


 それよりオルランドは鉄道を作りたい。

 五千トンでは線路を10里、15キロ引くのが精一杯の量でしかない。たっぷり鋼を作る必要がある。実のところ前世での初期の鉄の需要はほぼ半分が線路のために費やされていたのだ。


 首都グロスターとカムデン間20里に鉄道を引くことをオルランドは考えていた。

 グロスターは西南に流れるフルトン河の上流にあり、カムデン運河は東の大洋に繋がっている。カムデン運河をグロスターまで延長する計画は、途中にある幾つもの深い谷によって断念させられていた。

 この谷を巨大な鋼製橋で超えて二都市を連結する計画は、鋼が安く手に入るまでは夢想でしかなかった。

 オルランドの故郷ゼーゼルとサウザンヒルを鉄道で結ぶ計画には、長さ半里のトンネルが必要だった。だが今現在最も長いトンネルで二千足程度なのだ。


 こういった大計画がどれほどの鋼を必要とするか。100年の進歩を10年で飛び越えるオルランドの計画には、製鉄所が必要だったのだ。

 ちょうど開梱された小型のボイラーがあった。この寮に据え付ける暖房用のものだ。


「えらく小さいですな」


 クラムルズ氏は手の甲で叩いて材質を確かめる。水管20本というのはちょっと少ないかも知れないが、立派な水管ボイラーだ。

 材料をケチっているので燃焼室は付いていない。煉瓦などで燃焼室を作ってその上に被せることになる。横に出す排炎路は付いているし、オプションでサイクロン式のばい煙除去装置も付けることが出来る。

 ばい煙の半分も除去できないし、多分買った客は誰も付けない設備だと思うが、環境対策は最初からちゃんとやっておくのだ。


「小さいから、すぐに暖かくなりますよ」


 クラムルズ氏の手がボイラーの表面をなぞる。気がついたのだろうか。


「これは、どのようにして作ったのですか?板を

 曲げて、そしてどうやって繋いだのです?ろう付けですか?」


「ろう付けではありません。鉄で溶かし込んでいます」


 溶接を発明したのだ。

 ただ、前世の溶接そのものではない。鉄を溶かせるほどの電圧も電流も怖いから、魔法を試そうと思った訳だが、ちょうど良い事に、ゼーゼルの工房の冶金分野を任せていたジェイコブ・マーレイが呪性材料の分野で大躍進の進歩を成し遂げていて、それで強呪性粉末という便利アイテムを発明していたのだ。

 この粉末、魔力を与えると呪化の副作用としてかなり強く発熱する。これはすごく使える。


 溶接したい箇所にこの粉末と酸化鉄粉末と一緒にして油で練ったものを埋め、硅石の粉末を被せた上で魔力を掛ける。

 強呪性粉末の発熱が更に酸化鉄の還元反応を呼び、その熱が鉄粉を溶かして溶接する。硅石粉末はこの時空気による酸化反応が起きるのを防ぐ被膜を作る。


 このかなり便利な偽テルミット溶接手法の発明で、もうどんな鋼鉄製品も自由自在という気がしている。鉄骨建築も作れるだろうし、鉄筋を溶接で継いで鉄筋コンクリート建築もできる。

 クラムルズ氏はしばらくボイラーの表面を撫でていたが、やがて呟く。


「さて、私にできることがあるのでしょうか……」


 オルランドは、先週のうちに納入された木材を調べながら言う。


「スチュワートの主だった工房と商人の方々をご紹介頂きたいのです。製鉄所を作るにあたって、色々と買ったり注文できるものもあると思います」


 木材は屋内クレーンを支える柱と梁だった。問題ないことをチェックし、更に端材が用意されているの見て彼女は頷いた。


「それと、耐火煉瓦の作り方をお教えしますので、作ってください。私たちが買います。ゼーゼルから運ぶよりずっと安く済みます」


 そして、クラムルズ氏に向き直る。


「そしてそのうち、ここスチュワートに銀行を設立したいと思っております。その際にスチュワートの皆さんにご賛同いただきたいのです」


 クラムルズ氏は一歩後ずさって、


「なぜ、銀行を」


 オルランドは一歩前に歩み寄る。


「スチュワートはこれから大きく発展するでしょう。その時必要になるのは工場を建てたり機械を買ったりするとき、お金を貸してくれる存在です。

 いいですかミスタ・クラムルズ、銀行はもはや繁栄に必須の存在なのです」


 クラムルズ氏の表情は納得していない。だから本音で話す。


「まぁ本当は、お金がちょっと足りないんで、借りようと思いましてね」


「インチキだ」


 クラムルズ氏は首を振る。


「そんなものに手を貸すわけにはいかない」


「ちゃんと返す当てがあることはご理解いただけていると思います。

 それに、私一人が銀行を作って私が借りるのはインチキですが、皆さんが作った銀行から私が借りる分には、それはただ皆さんからお金を借りているだけの話です」


「素直に、皆に頭を下げて金を借りればいい」


「そりゃ勿論、銀行設立の際、お金を借りる際には深々と皆様に頭を下げるつもりです」


「そういう話じゃない」


「銀行をなめてはいけません。銀行の信用は凄いのですのよ。

 皆さんもお借りすればいいのです。全部私がお返ししてすぐに健全経営になります」


 クラムルズ氏は顔を伏せると、小声で、


「帰る」


 彼は直ぐに言い直す。


「申し訳ない、帰らせていただきます。本日は失礼いたしました」


 引き止めても無駄だろう。


「いつでもいらしてください」


 クラムルズ氏は帽子を被ると、とぼとぼと坂道を下っていった。本当にこの街には坂道が多い。

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