突入、第一ルート
比良坂舞華は回想する。
その日は両親は揃って出張、家に居るのは一人だけ。
家の受話器が鳴った。
出てから凍った。
それは彼女の知る始まりの合図だ。
怖くなって家から逃げ出した。
そこに居るだけで耐え難い苦痛を感じてしまう。
宛もなく外へ駆け出し受話器は鳴り続けた。
シナリオ開始を理解したその日からの彼女はいつも通りとはいかなくなった。
既に決まったルートのシナリオに導入している。
その予兆は明確なカタチで告げられた。
精神的な不安から取った逃避という行動は彼女の予期せぬ事態を引き起こす。
なるべく家を避けていたある日のこと。
彼女の監視する麻生堂弘に気付かれてしまう。
彼は独自に動き出す。
比良坂舞華を崇拝し慕う彼は彼女の悩みを放置したりしない。
結果、麻生堂弘は彼女を連れて行こうとした。
何処へとまで知らない。
しかしその結末は知っていた。
最悪のバッドエンドの結末を。
だから彼女は出来るだけの抵抗をして拒絶した。
言ってしまえばそれだけのこと。
その時何かが起きた。
原作知識を持ってしても理解し得ない何かが。
それだけは言える。わかるのはそれだけ。
彼女は意識を失い倒れて、彼もまた意識を失い倒れた。
気が付けば地面に横たわっていた。
気が付けば麻生堂弘は別人のようになっていた。
そして気が付けばその麻生堂弘は本当に別人だった。
一つの脅威が取り除かれ、一つ希望が現れる。
そこに始めて自身の未来に明るい兆しを見た。
麻生堂弘の意識に乗り移った存在。
“麻生”を騙る憑依した男は前触れなく狂った舞台の上に登場したのであった。
「何人いるんだその危険人物」
声量のわりによく通る涼しげな声が言った。
細く透き通った髪に、色白の肌と目鼻立ちの整った優男。精巧に整っているがゆえに作り物染みた相貌は今人間味のある表情にしている。
その顔はやさぐれて妙に疲れ果てていた。
「攻略対象のことですか?」
「攻略対象って、恋愛ゲームじゃないんだろ?」
「はい。恋愛攻略じゃなくて生存攻略の方です」
「あ、そっち」
納得した麻生に憐憫の眼差しで見られる。甚だ不本意だが致し方ない。むしろあの麻生堂弘にそんな顔されることが奇妙に感じた。
「お前、真面目に不憫なんだな」
「......死亡フラグと戦ってますから」
「悪い。そんな落ち込むなよ」
自分で言っておいて元気を無くす。
薄幸の美少女なんて肩書き、当人には百害あって一利なしだ。
落ち込んだ舞華の様子を見て麻生は慌てて話題を戻した。
「あーそうだ攻略対象の話だ。結局何人いるんだ?」
「おそらく五人です。隠しシナリオがあるとわかりませんが」
「何だプレイしたんじゃなかったのか?」
「実はそれほどゲームの内容を覚えていません。大体この世界がゲームだと気が付いたのも四年前くらいです。十年以上もの期間の空いたゲームの内容なんて朧気にしかありません」
「それもそうか。最初はそもそも前世の記憶すら曖昧だったんだよな」
舞華の説明に麻生は納得する。
人生をリセットした上で前世にプレイした乙女ゲームに転生してたなんて夢にも思わなかった。
近未来や中世の年代物、魔法のある異世界といった突拍子ない世界観でもない限り、多少の類似点だけでは気付けないものである。
舞台となる私立雛咲桜学園の存在を知るまで全く予期しておらず知った時には暫く現実逃避だった。
「じゃあ、今後の対策も厳しいんじゃないか?」
「いえ、最低限の原作知識はあります。選択肢の一つ一つを覚えている訳ではありませんが、メインシナリオの流れくらいはわかります。要するにその攻略対象のルートに入らないようにフラグを折りつつ、関わるのを回避すればいいんです」
「なるほど」
舞華の方針としては攻略法の要はシナリオそのものを回避することにある。
ゲームの舞台は学園だ。学生生活さえ切り抜ければ晴れて安全で自由な身になる。唯一の例外は学園に捉われない麻生堂弘だったがその心配は取り除かれた。
「だったら別に問題ないんじゃないか?前もって気を付けて行動していればその危険人物に関わったりしないんだろ?」
「すでに誘拐されそうになっていたんですが、それは」
「それな。......そういえばどうしてそんなことに?」
「麻生堂弘については一目惚れですので初期段階からの回避はしようがないんです。それでも彼については実害はないと信じたかったんですがこの度暴走して誘拐未遂に遇いました」
「すげえまとめだな」
麻生堂弘の考えは常人には予測不可能なので舞華自身語れない。
行動の原動力こそ比良坂舞華に限れているので暴走したというのが正解に近いだろう。
「崇拝してるとかナントカ言ってたよな。麻生堂弘も攻略対象の一人ってわけだ。こいつのプロフィールは?」
「私のストーカーで信奉者」
「意味がわからん」
「わからなくていいです。理解できてもなんか嫌ですし」
端的に伝えてみたが理解できないだろう。
舞華とて麻生堂弘を理解できないので説明しても無駄だと思う。
「ま、いいや。謀らずとも俺が憑依したことで麻生堂弘については生存攻略成功したようなものだ。で、他の危険人物に対しては回避してればいいんだろ」
麻生は楽観的な意見を述べた。
確かに麻生堂弘が憑依されたことで一つ問題が解決したようなものだ。
しかし残念ながら舞華の問題は一つだけじゃない。
「それがそうもいかないんです。もう一人だけ手遅れなのがいて」
既に始まっているシナリオは麻生堂弘とは別のルートに進んでいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「四組に転校生が来てるんだって。ねえ見に行こうよ」
「男?女?」
「男子しかもイケメンらしいよ」
「嗚呼、それで男共はテンション低いんだ。どんなイケメンなんだろ」
「行こ」
転校生というのは閉鎖的な学園を一際騒がれやすい話題だ。
クラスの分け隔てなく興味関心を引き伝播しやすい。
そしてその転校生が同世代から持て囃される程容姿が目立つとなれば殊更だろう。
「ちょっ、ヤバくない」
「すげーイケメン」
前情報があると人は過剰に期待しがちだ。
期待度が高まると実物とのギャップに評価が下がることがある。面白いと言われた映画が得てして期待外れに終わるのはそうした前情報に躍らされてたからだろう。
しかしその期待を上回るものに出会ったら本物だ。
どうやら転校生は周囲の女子の反応の黄色さから本物のようだ。
そして放課後。日直を終えた教室。
「久し振りだねマイちゃん」
「......ケイ君」
目の前に同じ学校の制服を着た男子生徒がいた。
癖のある茶髪をヘアピンで整えたイマドキの若者らしい格好の男子生徒。髪型も服装もだらしなさのないさっぱりとした雰囲気でチャラついた印象はない。
唐突に教室に現れ、舞華に会いに来た人物。
舞華は緊張していた。
またマイと呼ばれたそのことに。
「ずっと逢いたかったよ」
狂人の一人、生存攻略対象の秋月慧。
六年ぶりに再会する幼馴染みの姿であった。