言い訳、正気にもどった
「私の知る麻生堂弘はあんなことを言ったりしない。あなたは誰なんですか?」
女子高生はおとなしそうな外見に似合わない強い語気で男に問い詰めた。
その声に堅い緊張が含まれていたがそれを気にしている余裕はない。
核心に触れれたことで動揺していた。
表情にこそ出さないが驚きは伝わっただろう。
別れ際の一言がややこしい事態を引き起こしている。
殊勝な謝罪の言葉が余計だったらしい。
今の麻生堂弘は中身が別人の男だ。
説明しようにも特殊な事情過ぎて打ち明けられない。
信じて貰えなければ頭オカシイ人物だし、信じて貰えたとしても好転するとは限らない。
ここは本人の振りをしてシラを切ることにした。
「なに言ってるんだ?俺は俺だが?」
「......その口調からして麻生堂弘からかけ離れています」
「......」
「押し黙る、と言うことは図星、ですよね?」
すぐに二の句を繋げられなかった。
男は麻生堂弘について何も知らない。
だから本人の挙動を意識しようにもそれができない。
それでも当たり障りない言動なら不審に思われることないと考えていたのだが、現実は甘くはなく女子高生は誤魔化されなかった。
麻生堂弘のイメージにそぐわない事をしてしまったことで余計に容疑を深めてしまっている。
柳眉を崩して訝しむ女子高生は手強そうだ。
下手な発言はあやしまれてしまうので反応しづらい。
今もじっと男の様子を伺う様はこちらを観察するものがある。
何かに気付いて、それを確かめているのかもしれない。
おそらく麻生堂弘が別人だと勘づかれている。
もしそうだとしても憶測の域を越えない話だし、まだ挽回のチャンスがある。
男はふっと息を吐き口を開いた。
「いや、こんな風に話すことなかったかもしれないが、これが俺の素だ。これから二度と関わらないつもりでいるからな。だから取り繕わないことにした。気にしないでくれ」
多少強引な開き直りに女子高生も面食らう。
白々しくも理にかなったその発言はそれなりの説得力がある。
人は常識を身に付ける程、現実にそぐわないことは信じられない生き物だ。人格が変わったから何者かに憑依されてるなんて普通思い付かない。少し冷静になればなにかの間違いだと考え直し、適当な理屈に沿った自己解釈し直すだろう。
ここはそれらしい理由を使いやり過ごしてこの場を去るのが一番手だ。
「そう、なのですか。......ではいつから俺なんて一人称を使うようになったんですか。それと私に執着していた時に比べて随分かけ離れた印象を感じるのはどうしてですか?」
もはや面倒な突っ込み所は全部放棄する。
麻生堂弘は女子高生に執着するガチの危険人物と知れた所で解決の糸口にはならない。
一人称レベルの間違いをしていたことを言い逃れするのはかなり厳しい。
男はよく考えもせず普段通りに俺と呼んでいたが麻生堂弘は自分を呼ぶ時に別の呼称を使っていたようだ。
相手を納得させるだけの説得力ある内容を提示しなければならない。
「俺は正気にもどった」
「......」
いきなり過ぎた主張に女子高生はすごく胡散臭いものを見る目で男を見てきた。
ちょっと失敗した。
軽く咳払いして空気を入れ替える。
「今更だが自分のしでかしたことに気が付いた。やり過ぎたと思ってる。身勝手ながら反省しているし、心を入れ換えたつもりだから印象が変わったかもしれん。そして一人称はこれが本来のものだ」
柔軟に応対しつつも新たに対応を考えないといけない。
このままだといずれ足元を掬われてしまうそうだ。
そうなる前に切り抜けたい。
「なあ、こう言ってはなんだが俺が怖くないのか?危害を加えようとしたんだぞ。そんな男にどうして構おうとする」
男はそう切り出した。
一方的な受け身の流れを打ち切りたくての質問であるが率直な疑問でもある。多少ぎこちないものの何故こうも平然とした態度で接してくるのか。
名前を知る人物とは言え、自身を気絶させ誘拐未遂をやらかした相手の態度としては違和感がある。
最初は悲鳴をあげるくらい怯えていた筈だ。
今の落ち着きようは腑に落ちない。
「そこまで怖くは、ないです。身の心配は殆どないですから」
「ん?そうか。神に誓って疚しいことはしていないけどその辺の心配していないのか?」
面識はあるようだし、ひょっとしたら最低限信用されてる人物なのかもしれない。あるいはやり過ぎた行為を見逃せる仲とか。
しかしそのような相手に危害を受けて平気でいられるものだろうか。
前者であれば親密な関係であるほど信頼を裏切るその行為に拗れてしまいそうなものだ。
ならば後者で慣れている場合か。
常習犯、この手のことを何度も経験し冷静な対処法を身に付けているパターン。
だとしたらとんでもない事情だが、憶測の範囲内でこの疑問は解消できない。
「はい。私の知る麻生堂弘は、私を崇拝しているのであって危害を加えようとはしません。あくまで本人の主観では、との注釈になりますが」
いきなり予想外の返答。親密とは程遠い簡素な物言いだった。
崇拝とは一体どんな意味を持つのだろうか。
少なくとも真っ当な人間関係では使われない単語だ。
少しずつ浮き彫りになる麻生堂弘の素性を知れば知るほど男はげんなりした。
「気絶させて拐おうとしたんだぞ?」
「おそらく保護、のつもりだったんだと思います。私が困ってる様子をみて彼なりの手段で解決を試みたのかと」
平坦な口調で彼女は推論を述べた。
嫌な分析があったものだ。
しかしそれがどんないきさつなのかは知らないが正鵠射てる気がしてならない。
想像でしか知り得ない麻生堂弘という人物だが、彼ならやりかねないという突拍子のなさを感じていた。
「それにしても妙に冷静だな」
「そんなことないです。特にこんなイレギュラー想定してません。彼が予測不可能な行動に出たことも、あなたのことも」
男は気付いた。
女子高生は本人を前にして彼と呼んでいることに。
会話もどこか説明口調だ。
男と麻生堂弘を完全に別人だと切り分けて考えている。
前提として男を別人として扱っていたのだ。
それは疑惑ですらなく確信した情報に乗っ取った会話のやり取りだ。
そして明らかにおかしなことである。
彼女に懐いていた違和感が徐々に表面化する。
「あなたは麻生堂弘とは別人です」
断定された。
やはり女子高生への不審が募る。
確かに下手を打つ場面が男にあった。
しかし致命的な証拠となるミスを犯していないはずだ。
直感で答えが導かれるケースもあるが、それは自信を持って回答できるものではない。
断定したからには何か確証となるような判断材料があるはずだ。
情報の断片から行き着いたとして果たして見破られるような証拠があるのだろうか。
「証拠は?」
「自分のことを知らないのでしょう?それで証明は十分です」
「たいした名推理だな」
女子高生が何かを確信しているように男もまた確信を得る。
彼女は間違いなく何か隠している。
彼女にとって証拠は二の次で男の正体こそが重要なのだろう。男を追い詰めるやり方が雑だ。
出揃いきれてない証拠で決め付けにかかっており、それを重要視していない。
何かもっと別の思惑があるように感じる。
「実は記憶喪失なんだ」
「......」
「気が付いたら気絶した君の前に立っていた。それ以前のことは忘れたよ」
信憑性をお構い無しに追及をはぐらかした。
もっとマシな嘘の付き方があるかもしれないが、今は誤魔化すことよりも相手の出方が知りたかった。
それに記憶喪失なんて定番の言い訳が妙にしっくりしている。
未だ男は逃げ道を失っていない。
「そんな言い訳、誰も信じませんよ」
「だが理屈は通るんじゃないか。麻生堂弘は記憶がないせいで自分のことが解らず普段通りを装い、そして嘘をついた」
「理屈だけならですね。......どうして素直に別人だと認めないんですか?」
「それは......」
言われて気付く。どうして男は頑なに嘘を付き続けているのだろう?
そもそも予想外の指摘で混乱したが、最初こそ麻生堂弘のやらかした誘拐未遂について糾弾されることを畏れていたのではないのか。
犯罪を追及され逮捕されてしまうのは不味い。
実際謝罪を捨て台詞に逃げ出そうとしていた。
しかしどういう訳か麻生堂弘と別人だとバレてしまった。
咄嗟に嘘ではぐらかしていたが今思えば必ずしもそうする理由はない。
バレた所ですぐにどうこうなる話ではないのだ。
いっそのこと打ち明けてしまっても良かった筈だ。
何故そうしなかったのだろうか。
答えにすぐ思い至る。
多分、罪悪感によるものだ。
誘拐未遂は知らない身体が勝手に犯した事件。
そこに感傷はない。
男と関係ない所で起きた事件に責任を負う理由がない。
しかし自分が取り憑いた麻生堂弘については違う。
死んだ筈の自分があろうことか生者である麻生堂弘の身体を乗っ取っていた。
いくら男に責任がなくとも無関係とはいえないだろう。
それを認めたくない後ろめたさがあった。
「.....理由......」
何故自分が頑なになって嘘をついていたかを理解して、男は口を開いた。
「俺に構う理由を訊いてない。普通、被害者は加害者に関わりたがらないだろう。何か理由があるはずだ。お前の方こそ目的はなんだ?」
嘘を重ねる動機こそ失ったものの、新たに湧いた少女への不信感。
はっきり言ってこの女子高生は異常だ。
的確に男を麻生堂弘とは別人であると言い当て、被害者であるのに加害者に物怖じけしない態度。
言動の端から滲み出る違和感。
それらが男を警戒させ、信用できなかった。
「私は比良坂舞華といいます」
「比良坂、舞華」
女子高生、比良坂舞華は名前を明かした。
「あなたの名前は?」
「じゃあ、“麻生堂弘”で」
「......では、仮に“麻生”さんで」
名を訊ねられ男は“麻生堂弘”を名乗った。
「“麻生”さん」
「何だ、比良坂」
向かい合い視線を交えた。
こうして並ぶと身長差がはっきりする。普通の、見た目は可愛らしい年下の女子高生。
最初に恐怖に怯えていた少女。
それが今は強い意思のある力強い目線だ。
こちらも負けじと見つめ返す。
「助けてください。......じゃないと通報しますよ?」
脅されてあっさりと主導権を取られた。こちらの弱味を握ったまさに脅迫である。
もはや証拠とか証明なんて関係ない。
立場の上下関係があるだけである。
今更ながら男は最初から詰んでいたのだ。
そしてようやく物語の導入に至る。
奇天烈で数奇な出逢いを果たした二人。
比良坂舞華。
彼女もまた普通の存在ではなく、転生者と呼ばれる特殊な事情を持つ者なのだ。