お探ししまっせ!
この作品は一時期このサイトで公開していましたが、某出版社に応募するため
削除していました。しかし、結果が出て賞にひっかからなかったので再度Up
しました。
○プロローグ
それは幼い頃の話。だいたい幼稚園に通ってた頃だから、4・5・6歳のどれかの時の話。僕がこの(・・)仕事を(・)始めるきっかけと言ってもいい話。
これはある意味、淡い初恋の話とも取られるかもしれないけど、僕の昔話をするね。
その女の子のことを、僕は好きだった。友達だって思えたし、それ以上の思いも、当時のおませな僕は抱いていた。しかし、その女の子は、友達はおろか、それ以上の思いすら抱いていなかったかもしれない。片思いと言えば響きがいいけど、幼い僕らにはそれがなんなのかさえ理解できないだろう。
その子のお気に入りのヘアピンがなくなったというのがことの始まり。いつどこで失くしたのかさえ覚えていない女の子は、部屋の隅で泣いていた。その女の子を助けるため、僕はヘアピンを探してあげることにした。とても大切なヘアピンなのか、女の子はひたすら泣いていた。僕が探してあげるとなだめながら、ちらかっているおもちゃをどけて探し歩いた。この時ほどおもちゃが迷惑だと思ったことはなかった。そうしてあれやこれやと物を動かし続けていた時だった、物体が入れないだろうという隙間からヘアピンが出てきた。
それを見つけ出した僕は、拾い上げると泣きじゃくっている女の子の手の平に乗せる。得意気にこれでしょと言うと、女の子は確認するや否や、ピタリと泣き止み瞬時に笑顔になる。
自分の髪に付けると、女の子は予想を超えた行動に出た。
『ありがと、ケンタ君』
お礼の言葉だけなら誰にだってできる。しかし、次の行動だけは思いがなければできないことだった。
『……えっ』
生まれて初めてのキッス。
女の子は僕の顔を両手で包み込むと、顔を引き寄せ頬にキスをしてくれたのだった。それは甘く、心地いいものだった。
1話:モノ探しは紙一重?
ここはニホンであって日本ではない国。そう言っておかないと、日本語で話を書けないからね。
モノサガシ業をしているケンタ。そして、彼の助手であるアユミ。
とあるアパートの一部屋を借り、事務所として使用している二人。モノサガシという不思議な職業ゆえ仕事は少なく、ケンタは大好きな甘味を齧りながらクロスワード雑誌を解いている。ケンタよりも若干年上のアユミは、将来シナリオライターを目指しているらしく、アイスコーヒーを傍らにシナリオを書く上で必要な案出しをしている。
部屋の作りは文字通り味もへったくれもなく、質素な造りになっている。どこからか持ってきたか知らない事務机一つ、応接用ソファー一式と組み合わせて使うローテーブル。何となく事務所といえばというものを掻き集め、二人は何となく使用している。
現在、ケンタはソファーを、アユミは事務机の位置にいる。
追加事項として、ただいまの季節は猛暑を超え酷暑に近い夏。窓という窓を全開に開け放ち、唯一の冷房機である扇風機を回して暑さを凌いでいるという状況だ。
「えっと、夏の風物詩といえば……スイカワリっと……」
じっくりと雑誌と対話し、ケンタは確認しないままクッキーに手を伸ばし続け、最後の一枚を完食したと同時に拾い集めたワードを繋ぎ合わせ答えに辿り着く。
「……ふぅ、解けたぞ。えっと……なぁんだ、ナガシソウメンか」
解き明かしたものの、何とも物足りないケンタ。勝利の一杯ならぬ、勝利の一枚に手を出そうとするが、空を掴むばかり。数回パクパクしたのち、ようやく食べ終えたことに気づく。
「ねぇ、アユミ、前の依頼の報酬で貰ったマカデミアナッツチョコと水羊羹、まだあったっけ?」
クロスワードの次のページをめくりながら、ケンタは視線を合わさず甘味の在り処を尋ねる。
「マカデミアナッツチョコは三日前に食べ終わりました。水羊羹だったら、まだ冷蔵庫にあると思うけど」
アユミもほぼストレートに近いアイスコーヒーを啜り、視線を合わせようとしない。
「じゃあ、水羊羹食べよっと」
まだ甘味の足りないケンタは、雑誌を閉じて冷蔵庫にあるという水羊羹を探すことに。2ドア式の下の扉を開けて中身を確認したところ、中にはミネラルウォーターや蒲鉾、調味料に飲むお酢ぐらいしかない。
「ねぇ~水羊羹ないよ~」
「それは変ね。昨日まであったけど」
ようやくペンを置き、冷蔵庫の中を確認しているケンタの方へ向く。
「……昨日まであった?」
すごい小規模なミステリーと直面したケンタは冷蔵庫を閉じると、立ち上がり暫しの長考に耽る。
無言で見据えるアユミ。どんな一声を出すのかと様子を窺う。
見るからに考えていますという状況を示すように、ケンタは左手を顎に当て記憶を遡ることに。そして、吹き出しで表現するところの点3つを出したところで、過去とのリンクが終了する。
「あっ! 朝一の甘味に水羊羹食べたんだ!」
ポンと手を叩くと、落ち込んで諦めきれない様子でダラダラとしながらソファーに戻る。
「はぁ、もうお菓子的なものってないのぉ?」
背もたれにダルンと体重を掛け、甘えるような声音で甘味物をねだる。
「食べていたクッキーがあるでしょ? それで我慢すれば?」
再び案出しに戻るため、アユミは体勢を整え机に向かう。
「もう全部食べちゃった」
「なら、もうお砂糖しかないです」
止めの一撃を受けたケンタは、もうぐうの音も出なくなったように、室内には扇風機の回転音しか聞こえない。
「……仕事、しないとなぁ」
室内に蓋をしている天井を仰ぎ、ケンタはポツリと呟く。
「……そうね」
何かを思いついたのか、アユミは単発の言葉を発しつつペンを走らせる。
「……では、依頼があるかどうか確認いたしますか」
よっこらせという声と共に重い体を持ち上げ、ケンタは外の離れた場所にある郵便ポストに向かう。
「うはっ……あっつ……」
空からの直射日光と、熱せられたフライパンのような地面からの熱をダブルで受けながら離れたポストへ向かう。数歩しか離れていないというのに、この遠くに感じてしまう魔力は一体何なのだろうか。
「うわっ! あっち~、どうしてお前は金属なんだよ!」
逆に太陽の被害者であるポストにつっ込み、数日間に渡り放置していたポストに手を掛ける。ゆっくりと蓋を開けると、そこには原型を留めたものとそうでない郵便物で溢れ返り、凄まじい状況となっていた。
「ったく、余計なものまで入ってるよぉ」
ポスト内のものを全て掻き出すかのように無理矢理腕をねじ込み、奥から一気に取り出す。中身を確認すると、どこか場所すら断定できないお店のダイレクトメールや、地域の無料情報誌など多く入っている。
「しつこいけど、あっち~」
額に余計な汗を浮かべながら、よれよれになった手紙類を整えていくケンタ。その中に、依頼人から寄せられてくる一枚のハガキを見つける。
「おっ、依頼じゃん!」
そうして、嫌な陽射しから逃げるように急いで事務所に戻り、アユミに依頼があったことを教える。
「数日振りに依頼が来たのね」
わんさと手紙を抱えたケンタの姿を見たアユミは、案出しを中断しソファーの所へと来る。
両手に抱えるほどある手紙の山を低いテーブルに乗せると、ケンタとアユミはハガキの送り主や依頼内容を確認する。
「えっと、この度……」
『この度、葉書きをお送りいたしましたのは、あるモノを探していただきたく依頼した所存でございます。その“モノ”ですが、私の娘にプレゼントしたいと思っているレアな“まりこちゃんお着替えセット”を何としてもさがしてもらいたいのです。入手困難かと思いますが、あなた方ならぜひ探し出していただけると信じております』
という文面をケンタが代読し、依頼主の住所と連絡先も確認する。
「まりこちゃんお着替えセット?!」
「まりこちゃんお着替えセット?!」
同時に顔を見合わせる二人。二人とも、そのお着替えセットなるものがどんなのか分からず、唯一の情報の収集源として活用しているネットで確認を取る。
「えっと、”まりこちゃんお着替えセット“で検索っと」
検索サイトでさらりとワードを入力したとたん、引っ掛かる膨大なヒット数に驚きを隠せないケンタ。
「こっ、こんなに出てくるの?」
「……でも、大体はオフィシャルのホームページが最初に来るから、全部に目を通さなくてもいいの」
軽やかにキーボードとマウスを駆使し、アユミは目的の商品を取り扱っているホームページに辿り着く。
「げっ! ホントにレアな商品なんだ……」
「年間の生産数は約200セットで、大手の百貨店でしか販売を行わない。1セットの値段、3万9800円也」
クリックするごとに映し出されるセットの内容に、甘味しか興味のないケンタも否応なく反応してしまう。
「こんなリッチなものを娘さんにプレゼントしようとするなんて、ブルジョア主義も甚だしいなぁ!」
常日頃から贅沢というものを知らないケンタは、おもちゃにここまでお金を掛ける考え方に異論を唱える。
「……大手の百貨店という手掛かりだけで、探さなくちゃいけないのか」
「でも、どこかの百貨店にあるのだけは明確になったわ」
冷静に分析し、アユミは手馴れた様子でパソコンを終了させる。
「こんなレアなモノを探させようとしてるから、依頼を達成した報酬はとてつもなく大きいんじゃないかなぁ~」
依頼にどう応えようという考えよりも、ケンタは達成後に貰える報酬のことで頭が一杯になっていた。
『……これじゃ、また原付のガソリン代がかさんじゃうな……』
知的そうなメガネの奥の瞳では、これから移動手段で必要となる交通費をはじき出していた。
甘味のないことでひもじい思いをしていたケンタは“まりこちゃんお着替えセット”なるモノを探す依頼を引き受けた。
ケンタはアユミの運転する原動機付き自転車アオタマ号(アユミが命名した)に二人乗りし、街のありとあらゆる百貨店を巡店していくという寸法で開始した。
各百貨店を巡り、依頼品があるかということをするだけなのだが、2人とも己自身でも困ってしまうチャームがあり、人の密集する場所で発揮されてしまうのである。
2人共、何もモーションを掛けていないというのに、ケンタは仕草や言動で母性本能をくすぐるようで年上のお姉さんにモテる。アユミは、知的そうな外見からそうだが、俗に言われるイケメンに遭遇すると思考回路がショートしてしまう。
仕事を共にしている2人も例外なく特徴に当てはまるが、お互いに意識したことはなく、良くも悪くもフラットな関係を維持している。
あちこちの百貨店巡りをしてようやく得たのは、とある百貨店で数量限定ではあるが発売するという情報だった。
そのラストチャンスに賭けるべく、2人は百貨店のオモチャ売り場に作られた長蛇の列に加わる。
「はぁ~、ようやく探していたモノに出会えるね」
今日も恨めしいくらいの晴天に恵まれ、お昼を前に気温はぐんぐんと上昇した。その結果、今日も真夏日を記録し、何日連続していたか忘れるぐらいだ。
「あうっ、溶けちゃうよ……」
左手にはさきほどデパ地下で買ったジェラートがあり、ケンタは暑さを凌ぐため食べていた。百貨店の中は冷房が効いているとはいえ、凍らせたアイスは持つ人物の体温と周囲の温度差で否応なく溶け始める。
一方、一緒に並んでいるアユミは、これまでに消費したガソリン代や駐車料金、ケンタの間食代を携帯電話の電卓機能を利用して算出していた。依頼を引き受けた際には自然とアオタマ号を活用してしまうため、ガソリン代が掛かってしまうのは仕方のないことだとたかをくくっていた。しかし、近年の原油価格の高騰で、同じ量のガソリンを入れても何十円と増していき、お小遣いの少ない彼女にとって死活問題になっていた。
「……やばっ、残金がほとんどない」
算出した数字を見下ろし、アユミは重苦しいため息を吐くのだった。
ようやく店側から販売を開始しますという一声と共に、周囲はざわつき始め徐々に列は進み、お着替えセットを購入した人達が通り過ぎていく。
「散々苦労して探し当てたんだもん。僕の前で売り切れなんてことないよね?」
「……そうね」
依頼の達成を目前に喜びを隠せないケンタと打って変わり、現実問題を突きつけられたアユミの表情は暗い。
あと4人、3人、2人とカウントダウンが進み、いよいよケンタ達の順番となる。
「あっ、あの、お着替えセットを1つください」
「誠に申し上げにくいのですが、さきほどのお客様が最後でしたので、これにて完売となります」
ガガーン!!
散々待った挙句の店員の一言。それは、今までの苦労を全て真っ向から否定されたようで、その衝撃は半端なものではなかった。
「……うっ、ウソ……」
2人の後ろで並んでいた人々も一様に落胆の色を隠せないまま、散り散りになっていく。
「……本当です」
終始にこやかに対応する店員。
終始、現実を受け入れられないケンタは、何度も呪文のようにない事を確かめ続けたのだった。
今回の依頼で得たもの、それは体や心に圧し掛かる疲労感と、アユミを財政難に陥れた領収書の束だった。
依頼人に今回の依頼を達成できない旨を電話で伝え終え、改めて、モノ探しは紙一重なことだと実感する。
思い描いていた結果を得られなかったケンタは、事務所に戻るや否やソファーに全体重を預ける。
「はぁ~これって、僕が単に運がないだけのことなのかな?」
暑さと依頼を達成できなかったショックからか、天井を見上げる目は死んだ鯖のようになり気力が感じられない。
目に見えたリアクションのないアユミだが、机の上に並べられた領収書の枚数と額に頭を悩ませていた。
「私にとってメリットがないのはいつものことだけど、ここまでに深刻なマイナスは死活問題だわ。援助とポケットマネーで遣り繰りしてきたけど、生計が成り立たない。やっぱ、バイトを始めなきゃいけないかな……」
突きつけられた現実問題に、アユミはがっくしとうな垂れる。
室内で唯一、扇風機がカタカタと動き、脱力感に包まれた2人は身動き一つできないまでになっていた。
そんな時、首振りをしている扇風機がソファーセットの間の机の上で散らかり放題になっていたモノを吹き飛ばし、下になっていた一通のハガキが出てくる。
「そこにあるハガキって、確認した?」
始めに気づいたアユミが言うと、重苦しい空気を纏ったケンタはのろのろとした動作でハガキを手にする。
「……このハガキ、見覚えがないや」
表の消印や宛先、そして裏面の文面を眺めて見覚えのない事を確認する。しかし、そのハガキの消印は数日前のもので、しばらく放置されていたことを物語っていた。
「これ、一週間前の消印だ。何で気づかなかったんだろう?」
「郵便物をほったらかしにしたからじゃないの?」
的確なつっ込みを入れるアユミ。そのハガキに書かれている内容が気になり、ケンタの傍に近づく。
改めて裏面の文面に目を向けると、文字の大きさや間隔にばらつきがあり、簡単そうな文字も漢字では書かれていなかった。ここから推理するに、差出人は子供であると推理する。そして、文章を黙読する2人に引っ掛かるワードが飛び込んでくる。
『助けてください!』
この一文を見た2人は、暑さを一瞬にして忘れてしまうのだった。
2章:少年とおじいちゃん
いつの間にか届いた一通のハガキ。多くのハガキを見てきた2人は、字体や文面だけで差出人の年齢や学歴などを推測できた。その2人がインスピレーションで感じ取った差出人は、小学生の低学年だと思った。
“こんにちは。ぼくは、第二カンナザワ小学校に通っているキバタユウタです。お友達からものさがしをしてくれる人がいることを聞いて、ハガキを書きました。ぼくにはさがしてもらいたいものがあります。ちょっと前まで元気だったおじいちゃんが急に病気にかかって、病院に入院するようになりました。お医者さんが言うには“ノウコウソク”という病気で、ずっとねむったままです。どうかケンタさん、おじいちゃんが目を覚ましてくれるおクスリをさがして下さい。そして、おじいちゃんを助けてください。もう一度、おじいちゃんとおしゃべりがしたいです。おねがいします〟
今までに届いた依頼のハガキの中で、これほどまでに想いのこもったハガキを見たことがなかった。取り掛かるのも大体が甘味がきれたタイミングを見計らって行っているため、無意識にぞんざいな仕事をしていた。しかし、この差出人の抱える想いを感じ取った2人は、何よりも最優先で解決しようと同時に思った。
「なっ、なんて健気なハガキなの……」
「アユミ! 僕、この子のために全力で探すよ。早速、会いに行こう!」
全は急げ!
この言葉のまま、2人は嵐のように戸締りを済ませ、アオタマ号に跨った。
第二カンナザワ小学校二年生キバタユウタ。
今の時期、小学生であるユウタは、夏休みの真っ最中。父親は会社に勤め、母親は昼の間パートに出ている。そのため、長期の休みである現在、ユウタは家でひとり過ごしている。時々、近所のおばさんが様子を見に訪れたりしているが、基本、1人でいることが多かった。
そんなユウタは、友達と遊ぶことがなく、1人ですることがないため、学校の宿題をしている。家にいるときは常に施錠され、知っている人物以外、ドアを開けることなどしない。
そのようなことなど露知らず、モノ探しをしているケンタとアユミは、ハガキに書かれた差出人の住所を瞬く間に探し当てる。
閑静な住宅街の中にある一軒家。小さな家だが二階建ての造りになっており、並みの暮らしを営んでいると推測する。
「ここの家?」
「住所が正しいなら……」
自分達を繋ぐ一通のハガキを見下ろし、玄関先に出ている表札と差出人の苗字が一緒であることを確認する。
「早速会って、話を聞こう」
第一印象が肝心とばかりに、2人は玄関先に立つと、インターホンを鳴らす。
家の中では正常にインターホンが鳴り、ユウタは誰が訪れたのかを確認するためドアのところまで来る。
ドアを隔てて、両者が初めて合間見えることに。
「こんにちは~モノ探し業をしてる者で~す」
ドアの前まで来ていることを知らないまま、ケンタは覗き穴に満面の笑みを見せつける。
『モノ探しをしてる人なら、証明できるものを見せてください』
ドアの向こうから聞こえてくる少年の声。間違いなく、差出人に違いなかった。
「証明するものだね。分かった」
自分の身分を証明するものとして取り出したのは、保険証や免許証ではなく、自分のお手製で作った工作丸出しの名刺だった。
「どお? 見えるかな?」
作ったモノがお間抜けなら、見せる人もお間抜けなもので、これでもかと穴のレンズに名刺をくっつける。
「ケンタ、そんなに密着させたら、穴を塞いじゃうけど」
「えっ? あっ、そうだね」
古典的な天然ぶりを発揮したとことをアユミにつっ込まれ、お手製の名刺を数秒間、適正な間隔を開けて見せる。
『……モノ探しをしているケンタさんですね、今、開けます』
確認がとれた? 様子のユウタは、すぐさまドアのロックを全て外し、ドアを開ける。
内側から開けられたドアの前に立っていたのは、年端もいかない男の子だった。
ハガキをくれた本人と出会えたケンタとアユミは、愛車のマルタマ号をガレージに置かせてもらい、家の中へと招き入れてもらった。
「あの、飲み物は麦茶でいいですか?」
「うん! ギンギンに冷えた麦茶ね」
いち早くリビングに入ったケンタは、室内を見渡し涼しくしてくれるもの
を本能的に探す。そんな時、壁に掛けられた家族写真に目が留まる。そこには父親と母親、そして幼いユウタ君の他に一人の老人が納まっている。その人物こそ、今回話題となっているユウタ君のおじいちゃんだろうか。
心地いい冷風を送り出しているエアコンの前を占拠するケンタの厚かましい言葉に、アユミは手の甲でふくらはぎを叩く。
「イテッ!」
苦痛の言葉に、台所で準備しているユウタが顔をのぞかせる。
「いっ、いいの、お構いなく」
苦笑いを浮かべ、何事もなかったかのように振舞うアユミ。
「(冷たいもの、飲みたいよ……)」
「い・い・の! お構いなく」
心底がっかりするケンタに対し、顔を背けながら歯をむき出しにして言い聞かせるアユミ。
「(もう、年上のケンタがしっかりしないで、どうするの!)」
小声で注意を促しているところへ、自分の分とお客様であるケンタとアユミのために用意したコップとお菓子を持って来るユウタ。
「ありがとう」
「わ~い、麦茶にお菓子だ~」
茶の間のほぼ真ん中にあるテーブルの上にユウタが置くと、待ってましたとばかりに飛びつくケンタ。
「言ったそばから!」
そこでも制裁の意を込めて側頭部を小突くアユミ。
涼しい室内で心も体も癒されたケンタは、ここへ訪れた目的を果たすため話を切り出す。
「改めて聞くけど、このハガキ出してくれたのって、君だよね?」
後ろのポケットから出したハガキは少々ヨレヨレになっていた。
「はい、そうです」
「で、入院しているおじいさまの様態はどうなんですか?」
結露してしまっているグラスに左手を添え、アユミは空気を読みきった問いを尋ねる。
「……おじいちゃんは、ぜんぜん目を覚まさなくって、呼吸器や多くの機械の助けをもらって生きてます。お父さんとお母さんはもう治らないって思っているみたいで、自然に死んで欲しいって言ってます」
沈鬱そうな様子で話しているユウタの傍らでは、甘味に目がないケンタはからっと揚げたサツマイモチップをガリガリ言わせながら食べている。
「……そうなんだ。辛いよね、治してくれるはずのお医者さんが無理だなんて言うの……」
ユウタ君の切ない話が心に響いたアユミは、感情の箍が外れしまい気づくと目に涙を浮かべていた。
「……それで、もう頼れる人がいなくなって、モノ探しをしているケンタさんにお願いしたんです」
終始俯き、喉の渇きを潤す麦茶の存在を忘れ、ユウタは心を苦しめている元凶を涙を浮かべ二人に伝える。
「ふぅむ、なるほど……」
一人外野にいるケンタは、話に耳を傾けているものの出されたものに対し遠慮はなく、常にどちらかを口へと運んでいる。
一方のアユミは、完全にユウタ君の話しに感化されてしまい、さっきまで一口ずつ飲んでいたが、次の瞬間には残りを一気に飲み干していた。
「……お姉さん決めた! 世界中の人がサジを投げて諦めたとしても、私やケンタが何としてもおじいさまを助けてあげる!」
アユミのどこかにある接続率の低い回線が繋がってしまい、暴走気味に依頼を快諾してしまう。
「アユミさぁ、そんな簡単に安請け合いするのもいいけど、勝算があってのお言葉なの?」
ようやく話に参加しようとするケンタだが、麦茶に入っていた氷を口に含み転がしている。
「勿論よ! どこかの甘味の良し悪しで依頼を引き受けるお子様とは違うの。ケンタ君の話を聞いて、何とも思わなかったわけ? どうにかしてあげたいって思うのが人の道理でしょ!」
いつも見せる冷静沈着さは消え失せ、バックにオーラを従え迫り来る熱血漢のような勢いを纏っている。
「まぁ、アユミがそこまでいうのなら、ユウタ君の依頼を引き受けるよ。でもね、依頼を受けるに値する報酬がないと、世の中はまかり通らないんだよ。人は、報酬を得るために仕事をする。特殊な理由がない限り、タダで働こうなんて思う人はいないからね」
プロっぽい意見を述べるケンタであるが、とどのつまり、仕事の引き換えに甘味を遠まわしに要求していた。彼のやる気は、甘味の質や量に比例して上昇する。
「……わかりました。どんなことをしても、ケンタさんに満足してもらうだけのものを用意します」
いつの間にかユウタ君は正座をし、商談をまとめるのだった。
だいぶ陽が翳ってきたとはいえ、まだまだ暑さの残る外を寄り添うように歩くケンタとアユミ。さきほど涼んでいただけに、無駄なガソリンを消費しないようマルタマ号を押している。
「……ごめんなさい、ケンタ。あなたの意見を無視して依頼を引き受けちゃって」
スクーターを押しながら、ポツリ呟くアユミ。さっき接続してしまった回路は今は遮断され、いつもの冷静なアユミに戻っている。
「依頼? あぁ、たまにはいいんじゃない、アユミが主体で決めちゃっても」
言葉は普段のケンタらしいフランクな内容だが、全身から湧き出す汗で顔や服はぐっしょり濡れている。
「……依頼を引き受けてから言うのもなんだけど、人の命を救う探し物なんて前例のないことだなって、今更思ったんだけど」
今までに引き受けた全ての依頼内容を思い起こし、アユミは自分のしてしまったことに対し嘆息を吐く。流れを勢いで押しやったがために引き受けてしまったことに、徐々に後悔の念が積み重なっていく。
「うん、そうだね」
不安材料がないのか、ケンタは今直面している暑さを和らげるようにシャツの襟首を摘みパフパフしている。
「……ケンタ、今回の依頼、簡単に済ませられない問題じゃないの。そうだというのに……」
「わかってるよ」
何も考えないというか、反射的な返答にアユミは、ハッとケンタの方に顔を向ける。
「とっても重大な依頼だってわかる。でも、何もしないで結論を出すのは早いんじゃないかな?」
「えっ?」
「何事も善処することが大事なわけで、どんなモノがユウタ君やユウタ君の家族にとって大切なモノか分からないじゃん」
これでもかというほど、ケンタは満面の笑みを並んで歩くアユミに見せる。
「それに、これは、僕にしかできないことだし、必ず、依頼を達成してみせる」
幼さ残る少年は、屈託のない笑みをしたかと思えば、今度は決意を胸に抱く真剣な眼差しを見せる。
「……バカ」
メガネの奥の瞳に一握りの安心感を浮かべながら、アユミはケンタの側頭部を小突くのだった。
「なっ、何するんだよ?!」
「……だったら、依頼の成功率を上げなさい」
暑さで参ってるんだと自分に言い聞かせ、急に頬が熱くなるのを感じていた。
夕陽も沈み、ユウタ君の家では両親が揃い、夕食を食べようとしていた。
夕食は家族全員が全員揃うまで食べないため、父親が帰宅したところで食べる事ができる。
この日の献立は、ハヤシライス・イタリアンドレッシングサラダ・コンソメスープであり、家族が囲う食卓に並ぶ。
帰宅した父親はスーツのまま食卓に付くものの、暑苦しいらしく上着だけ脱ぎネクタイを緩める。母親は、パートから帰ってきたその足で夕食を作るため、ポロシャツにジーンズという出で立ちをしている。
一家団欒の時だというのに会話はなく、父親は缶ビールをコップに注ぎ飲み、食器のカチャカチャという音ばかりが響く。そんな暗い食卓の中、ユウタ君は両親の顔色を窺っている。
「……あなた、あのね、今日、仕事帰りにお義父さんの様態を見て来たの」
重たい空気に耐えかねた様子で口火を切る母親。
「……様子はどうだったんだ?」
ビールを一口飲み、視線を合わせようとしない父親。
「……いつもと変わらないそうよ。呼びかけにも反応しないし、痛みにも反応しない。心電図にも異常はなく、意識不明のままだって」
いつもと代わり映えしない様子なのだろうか、両親揃って会話をする気力がわかず表情が暗い。
「……もう先行きが良くならないのなら、生きていることが苦痛でしかないはずだ。このまま、自然に死んでくれればいいんだがな」
「あなた、なんて事言うの! 自分の父親が倒れたっていうのに、お見舞いも行かない。その上、自然に死んでくれだなんて、無責任に決め付けないで!」
義理の父親とはいえ、倒れてからというものずっとお見舞いをしてきた母親は、血の繋がった息子である夫の言動に苛立ちを覚えていた。例え、治らないだろうと思ったとしても最期まで看取るのが家族であり、血縁を結んだ者の役目だと。
「……俺だって、意識を取り戻して欲しいって思ってる。だが、これ以上、生きる屍となってしまったオヤジの姿を見たくないんだ。だがら……だから、俺は、一度も病院には行かなかった。ただ思うことは、安らかにあの世に行ってくれって願うだけだ」
父親とて超えがたい葛藤があり、生まれ育ててくれた事実を否定することはできない。そんな複雑な想いがないまぜになってしまい、自分に被害が及ばない方法を自然と選択してしまっていたのだった。
「……そうよね。誰も、苦しんでいる姿なんて見たくないものね。機械に繋がれ、機械によって延命させられている。そんな親の最期を見るなんて、心が締め付けられるわ」
人であって、人ではない姿。
食べることも、喋ることも、動くこともできない人間。そんな当たり前のことができない人など、魂の抜け殻でしかない。
「……お父さんもお母さんも、どうしておじいちゃんが治るって考えないの!」
夫婦のやり取りを子供らしからぬ冷静な目で見ていたユウタ君は、心に堪っていたモヤモヤを開放するように叫ぶ。
「ユウタ……」
「分かってくれ、ユウタ。もう、おじいちゃんの病気は治らないんだ……」
子供の発した一声は空気を一瞬にして変え、両親の視線はわが子へと向けられる。
「……違うもん! 絶対おじいちゃんの病気は治るもん! おじいちゃんが治るって言わないお父さんもお母さんも大キライだ!」
誰も信じてくれる人がいないことを察知したユウタ君は、食事もそのままに茶の間から出て行く。
「……ユウタ」
途方に暮れた様子で、両親はユウタ君の出て行った出入り口に目を向けていた。
まるで全ての人から拒絶されてしまったかのような絶望感に包まれてしまったユウタ君は、自分の部屋に閉じこもり一人泣いていた。
「……おじいちゃん、早く……病気……治って……」
夜だというのに部屋の電気を付けず、ベッドの上で膝を抱えて泣き続けるユウタ君。それは疲れて寝てしまうまで続いた。
3章:本音とホンネ
数日後、ケンタとアユミはユウタ君の案内でおじいちゃんが入院している病院を訪れた。地域に密着した診療体制を整えながらも狭い装いはなく、窓口の広さを与えてくれる。
勤務しているスタッフの人数が少なくないという印象があるのに、一歩病院内に入るとすぐユウタ君の姿を見るや否やスタッフが挨拶をしてくる。幼い子供というだけで多少の知名度があるかもしれないが、出会うスタッフ全員がユウタ君を知っている感がある。
「病院の人、全員がユウタ君のこと知ってるみたい。すごいね」
「うん。一週間のうち、3・4回、お見舞いに来てるから」
さすが言うだけあって、ユウタ君の足取りはわき目も振らず目的の場所へと進む。
「あのさ、ちょっと、いいかな?」
と、皆の足を止めさせるケンタ。
「何、どうかしたの?」
最後尾を歩くケンタに視線を向けるアユミとユウタ君。
「えへへ、お見舞いするタイミングに言うセリフじゃないけどさ、トイレに行きたいんだ」
彼としての気遣いなのか、この場の空気を読みきってのはにかんだ笑みを浮かべる。
「はぁ~、空気読んでます的な感じに振舞ってるみたいだけど、読みが浅はかなのよね」
「あの、トイレがどこにあるかって分かりますか?」
メガネの奥から鋭い眼光を浴びせるアユミのそばで、ケンタを気づかう言葉をかけるユウタ君。
「僕がどんな仕事しているかってわかるでしょ? 大丈夫、先に行ってて」
「そう、なら先に行きましょ」
一階のエレベーターで別れ、ケンタはトイレへ、アユミとユウタ君はおじいちゃんが入院しているICU(集中治療室)へと向かう。
「さぁて、病院といったら、やっぱり売店でしょ。何だか知らないけど、病院の売店ってワクワクするんだよなぁ」
探し当てたトイレから出てきたケンタは、人に聞かれてはあまりよくないことを呟きながら売店に対し思いを馳せていた。小さい店舗でありながら、多種多様なものが売られ、まるで子供が集まる駄菓子屋のような雰囲気がある。
「ユウタ君のおじいちゃんのお見舞いも大切だけど、僕の甘味も大事だよねぇ」
病院のどこかにあるはずの売店を探し歩くケンタ。天井からぶら下がっている看板を確認していると、余所見をしていたために誰かとぶつかってしまう。
「あうっ!」
「きゃっ!」
互いに反発し合い、ケンタとぶつかった人物はほぼ同じタイミングで床にしりもちをつく。お互いに誰とぶつかったのか分からないため、謝罪の言葉を述べた瞬間に目と目が合う。
「ごっ、ごめんなさい、余所見をしてて見てませんでした」
「こっ、こっちこそ、注意してなくて、ごめんなさい」
目と目があった瞬間、発動してしまうケンタのチャーム。女性の特にケンタよりも年上のお姉様に効果を発揮する、ケンタにとってありがた迷惑な現象。
「あら~っ、なんて可愛いボウヤなの。どこもケガはな~い?」
「はっ、はい、どこも……」
ちょっと上目遣いに見たもんなら、まさに鬼に金棒。美少女に萌えるように、お姉様方はケンタの美少年なルックスでコロッとおちてしまう。
「たぁ~いへん、お顔が真っ赤よ。何か、冷たいものを買ってあげるわ」
まるで愛おしいものに接するように、お姉様はケンタの頬に優しく触れる。その時にも、何か恥らう仕草をしちゃうもんだから、更にケンタへの愛情が湧いてしまう。
「おっ、お構いなく……ああぁっ!」
ところ変わって、ユウタ君のおじいちゃんが入院しているICU。
室内に入ると、まるで機械達が会話をしているように心電図や心肺装置が動き、数名の患者さんは身動きせずベッドの上に寝ている。その中に、ユウタ君のおじいちゃんがいた。
「おじいちゃん、今日も来たよ」
経過を観察している看護師さんたちの邪魔にならないよう、アユミは周囲に気を配りながらユウタ君のおじいちゃんに近づく。
外見はそれほど重症であることを感じさせないが、体のあちこちに電極が繋がれ、脳波や心拍、延命を施すために必要となる心肺装置が作動している。それぞれが一定の間隔で作動し、消えかけそうな命をこの場の全員に伝える。
「眠っているように見えて、懸命に戦ってるのよね。自分と……」
現実に、風前の灯となった人の姿を目の当たりにして、アユミは悲しみを堪えきれず目元を潤ませる。
「……昨日ね、お庭に植えた朝顔が3つ咲いたんだよ。それに、つぼみも一杯。おじいちゃんにも見せてあげたいな」
何の躊躇いもなく、自発的にピクリとも動かないおじいちゃんの手を握るユウタ君。自分の温もりを分け与えるように、皺の寄った指先を握る。
それから、身近に起こった出来事を楽しそうに話すユウタ君。それはまるでおじいちゃんと会話をしているようで、元気な姿をしていればもっと華やかな光景になるのにと思うアユミ。
「それでね、今日は、おじいちゃんに紹介したい人が来てるんだよ。おじいちゃんのために、モノ探してくれるユウタさんとアユミさん」
「初めまして、水原アユミです」
ケンタ君の背後で見守っていたアユミは、紹介を受けてケンタ君のおじいちゃんが横たわっているベッドに歩み寄る。
「ユウタさんは今はいないけど、この人達がおじいちゃんを治してくれるから、頑張ってね」
しっかりと願いを込めるように、ケンタ君はその握っていた手に力を込める。
「そう言えば、ユウタさんまだ来ないですね?」
傍らに立つアユミの顔を見上げ、まだ来ないユウタのことを気にするケンタ君。
「そうだね、何やってるんだろう」
病室にある掛け時計と左腕の内側に付けた腕時計を確認し、アユミはまだ訪れないユウタのことを思い出す。
所変わって、ケンタ君のおじいちゃんが入院しているICUの場所を探しているユウタ。アユミ達と一緒に病院に入った当初手ぶらだった彼だが、現在、どこで入手したか分からない大量のお菓子とジュースを抱えていた。
「はぁ~どこに行っても、こんなありがた迷惑な事が起きちゃうんだよなぁ」
辛うじて袋というまとめる物の中に収まっているが、この先、まだ増える可能性があった。
「早く二人に合流しないと、僕、お土産で埋もれちゃうよ……」
角を曲がるたびにいらぬ警戒を続け、ユウタは目的の場所を探していた。
いつも日課となっている年配の看護師さんからおじいちゃんの様態を聞き終えたユウタ君は、アユミと一緒に一階のロビーまで下りてきた。結局、ケンタとユウタ君のおじいちゃんが対面することはなかった。
「どっ、どうしたんですか、その大荷物」
「あっ、ああ、ごめんね、遅くなって」
ベンチでぐったりしていたケンタ。側には、いつの間に買ったか分からない大きなビニール袋が二つあった。
「遅くなったってねぇ、どこをほっつき歩いていたのよ?」
一向に病室に現れなかったケンタの有様を目の当たりにし、アユミは腰に両手を当て怒りを体全体で表現する。
「最初は、ユウタ君のおじいちゃんがいる病室を探したよ。でも、探しているうちに気付いたら、こんなに荷物が増えちゃったんだ。知ってるでしょ、特異なチャームがあること」
できるだけ怒られないよう、ケンタは優しい飼い主に拾って欲しいとねだる子猫のように上目遣いで見上げる。
「……そんな言い訳、通用すると思ってるの!」
一瞬、優しい表情を浮かべたと思ったのも束の間、再び険しい表情でケンタを睨みつける。
「ユウタ君、一緒に帰ろうか。お姉さんのバイクに乗って」
「えっ、いいんですか? いつも乗ってるの、ケンタさんなのに」
「そうだけど、今日は特別に乗せてあげる。だって、こんな(・・・)大荷物を(・)持って(・・・)二人乗り(・・)なんて(・・・)できない(・・・・)、からね」
ユウタ君を優しく誘う最中、ケンタはしきりに自分自身を指し示していた。
「でも……いいんですか?」
「いいんだよ。どうしてこうなったのか、ケンタは反省しないといけないから。本人だって、ねぇ……」
表情の切り替えを素早くこなし、アユミはギロッとケンタを睨む。
「うっ、うん、僕、反省したい気分なんだ。歩きながらね……」
アユミの圧力に完敗し、ケンタはどうすべきか悟る。
「そういうわけだから、一緒に帰ろう」
さっきまでの表情が嘘だったかのような優しい笑みを浮かべ、アユミはユウタ君の手を繋いで病院を後にする。
「……はぁ~最悪だよ……」
アユミに見放され、ケンタは途方に暮れるのだった。
それから数日後、ユウタ君の母親が本屋さんで働いていることを耳にしたケンタ。一度、会って話をしたいという口実のもと、趣味のクロスワードの雑誌をついでに買えるとあってどこか得した気分に浸っていた。
商店街にあるような小さな本屋さんのため、店内はあまり広くはなかった。そのため、ユウタ君の母親と思しき店員を見つける。
その人は、児童書コーナーの品出しをしているようで、子供達が荒らしてしまった絵本を整理していた。ちゃんとした場所に戻されていないらしく、中々声を掛けるタイミングがつかめないでいた。
「あっ、あの……」
「はっ、はい、いらっしゃいませ」
不意に声を掛けられたため、振り向き様に店員としての対応をする。
「あっ、あの、木畠さんですよね? 息子さんのユウタ君から依頼を受けている者です」
ケンタも一般のお客ではないことを証明するため、あの手作り感丸出しの名刺を差し出す。
「岡倉ケンタ……あぁ、ユウタが言っていた、モノさがしを頼んでいる方ですね?」
多少の疑念が湧き上がるが、息子であるユウタ君が前もって話していたのか、ケンタの訪問に丁寧な対応をしてくれる。
「はっ、はい。あの、その、ちょっとだけお話をお聞きしたいんですけど、お時間は大丈夫ですか?」
本屋さんの店内であることを考慮し、ケンタは周囲に悟られぬよう小声で話す。すると、ユウタ君のお母さんは、一度、遠くのレジカウンターを一瞥し、お客さんの具合を確かめる。
「えっ、ええ、少しだけなら」
児童書コーナーの隅の方へと二人は移動し、ケンタはユウタ君とは違う視点である母親からの話を聞くことにした。
「僕は直接会ったことはありませんけど、ユウタ君のおじいちゃんの病状、かなり予断を許さないみたいですよね。そのことについて、どうお思いですか?」
「……それは、酷く落ち込んでいます。私よりも、ユウタの方がかなり。あの子、おじいちゃん子でしたから、暇があればおじいちゃんの家に遊びに行くって聞かなかったくらい」
おじいちゃんとユウタ君の楽しそうにしている様子が思い描けるくらい、ユウタ君のお母さんは思いを込めて話してくれる。
「ユウタ君、おじいちゃん思いなんですね。ユウタ君とお話しただけでそれが伝わってきます」
第三者から見た視点においても、ユウタ君は本当におじいちゃんが大好きなんだと実感できた。そこまで思う人物が明日をも知れぬ命であることを突きつけられたら、どれだけ悲しみ苦しむだろうか。
「ええ、倒れてからは、一緒にお見舞いに行っていたのに、今では、一人でお見舞いに行ってるくらいですから」
幼い自分の子供の健気な姿を思い浮かべたのか、ユウタ君のお母さんは徐々に表情が曇りだす。
「……どうかしましたか?」
「……いえ、治るって信じておじいちゃんのお見舞いに行ってるのが、あの子だけなんだって思ったものだから……」
「……お母さんは、おじいちゃんが治るって信じていないんですか?」
核心を突くケンタの言葉に、ユウタ君のお母さんの戸惑いが滲み出てしまう。
「それは……」
「どうお考えなんですか? ユウタ君やお父さんの意見ではなく、お母さん自信の思いは?」
このタイミングを逃すことなく、ケンタは誰の干渉も受けない己自身の率直な思いを聞き出そうと一歩踏み込む。
「……夫は、自分の父であるおじいちゃんはもう治らないと思ってます。植物状態になってしまった父親を見たくないと。ですが、ユウタは信じています。必ず良くなると」
お互いの思いを尊重するも、間逆な思いの狭間で板挟みとなりユウタ君のお母さんは苦しんでいるようである。
「それで、お母さんはどうお考えなんですか?」
「私は……私は、信じています。絶対、治ると」
真剣な対話の中で、ケンタは母親もユウタ君と同じ思いを持っているんだと理解する。
「ありがとうございました、お仕事中にお邪魔しまして。お母さんのお気持ち、モノ探しに役立ちそうです」
それまで顔を引き締め真剣に話を聞いていたケンタだったが、ここでようやく持ち味の優しい笑みを見せる。
「こちらこそ、おばさんの話を聞いてくれてありがとう。ユウタのために頑張ってね」
何か迷いを吹っ切ったかのように、ユウタ君のお母さんも優しい笑顔で答えてくれる。
「では、これで」
最後、軽い会釈をし、ケンタは次なる目的を果たすため、パズル系の雑誌のある棚を探しに向かった。
本屋さんから事務所に戻った頃、それまでカンカンに照っていたはずの太陽は重く暗い雲に覆われ、陽射しの代わりに大粒の雨を降らせていた。
「ふぅ、何だが久しぶりに雨が降ったような気がする」
窓ガラスを叩く雨粒に目を向け、ケンタはさきほど本屋で購入したクロスワードを解いている。ユウタ君の依頼を受けているというのに、どこか余裕を感じさせる。
「ところでさぁ、ユウタ君に『アノ話』をしてくれた?」
クロスワードを解く手を止め、ケンタは思い出したかのように話しかける。
「えぇ、ちゃんとしましたよ」
事務所でのアユミは常に冷静を保ち、リンゴ酢の牛乳割に氷を浮かべ飲んでいた。時々、小声で「スッパイ」とか呟きながら。
「あの、いつも思ってたんだけど、ケンタっていつも甘いものを食べてるよね?」
「うん。甘いものがないと、頭が働かないって言うでしょ? だから、食べてるの」
この日も、どこで買ってきたか分からないアイス最中を皿の上に置き、悪びれることなく食している。
「そう言ってるわりに、全然活かせてないと思うのは私だけ?」
ケンタの方へ椅子を向け、中身の半分になったコップを両手に包み込むようにして持つ。
「そっ、それは、時と場合によって発揮されないだけだよ」
ちょっと痛い所を突かれ、反論にしどろもどろしてしまう。
「フッ、どうだか」
ケンタの反論に少々呆れてしまうアユミ。
「いつも甘いものばかり摂らないで、もうちょっと健康面を気にしたら?」
「いいよ、気にしなくても。病気にもならないし、健康そのものだよ」
持っていた鉛筆を雑誌の上に置き、健康体であることを確認させるため両手を広げてみせる。
「例え今、健康だと思ってもいつか病気や怪我をしてしまうものなの。だから、毎日健康に気を使って過ごすことが大事なの」
あたかも自分は毎日健康に気を使ってます的なもの言いをするアユミ。お互い、二十四時間一緒にいるわけではないので、どんな事をしているのかさっぱり把握できていない。
「そういうアユミは、健康のために何かしてるの?」
悔しさを滲ませながら、反論するケンタ。
「常に気にしてるわ。一例を挙げると、これね」
すると、持っていたリンゴ酢と牛乳の混合物の入ったコップを見せ付ける。
「お酢って、体にいいの。新陳代謝を高めて、血液をサラサラにしたり、何よりも、体を柔らかくする効果があるの」
お酢の効能について語るアユミ。少し乾いた喉を潤すため、手にしているドリンクを一口飲む。良薬口に苦しと言うものなのか、ケンタの目の前で飲んだ瞬間、眉根を顰め苦々しい顔をする。
「あのね、お酢をいくらたくさん飲んだって、体は柔らかくはならないよ」
ケンタの軽い調子での言葉もそうだが、今まで信じていた効能がないと知らされ、ハンマーで殴られたような衝撃に襲われる。
「……うっ、嘘。ホントなの?」
「うん」
立場が逆転したと感じたケンタは、嬉しさをできるだけ隠しながらクロスワードに戻るのだった。
「体、柔らかくならないの……」
信じていたものが砕け散ってしまったアユミは、ぎこちなく机に向かうとガクッと項垂れてしまった。
4章:一瞬のキオク
ここはユウタ君のおじいちゃんが入院しているICU。
病状は改善されることなく、この日も同じように生命に携わる機材に繋がれベッドの上に横たわっている。
ユウタ君のおじいちゃんと同じような状態の患者が居る中、数値に異常はないかと女性看護師がチェックに巡回していた。意識がなく返事をされないと分かりながら、それぞれの患者に声を掛けて回る。
「おはようございます、上月さん」
ベッドに据え置いてあるカルテを取り、呼吸数、血圧などの状態を確認しようとした矢先、突然に異常を告げるアラーム音が鳴り響く。
「こうづ……大変!」
慌てて血圧計を確かめる看護師。両手に挟まれ映し出されている数値に、緊張感が駆け巡る。
「たっ、大変です! 上月さんの血圧低下! 急変です!」
この日もかんかん照りに太陽はぎらつき、世界を灼熱の熱波で覆っていた。昨日降った雨の痕跡を探すのに苦労するくらい、今日も真夏日を記録していた。
いつものように事務所で時間を潰しているケンタとアユミ。それぞれの定位置に座り、ケンタは何か確認でもしているかのよう念入りに指の関節を鳴らしている。一方のアユミは、ケンタに見つからないようこそこそとメガネを外し、専用の布で汚れをふき取っていた。
「ふぅ~今日も暑っついけど、平和だねぇ」
扇風機の前に陣取り、心地良い風を逃すまいと首を振る動きに合わせ動くケンタ。その動きを止めさせようとアユミがメガネを掛けなおそうとした瞬間、突然開け放たれるドア。
「はぁ、はぁ、はぁ、けっ、ケンタさん……」
突然の出来事に、ケンタもアユミも間髪入れずドアへと視線を向け、悲愴感に包まれたユウタ君に気付く。
「どっ、どうしたの突然。外、すっごく熱いのに……」
「ケンタ、追求するポイントがずれてる!」
能天気な問いを一蹴し、何かを察知したアユミはすかさず氷を浮かべた水の入ったコップをユウタ君に用意する。
「はい。暑い中、走ってきたんでしょ、これ飲んで」
優しく差し出すと、ユウタ君はちょっと躊躇うもののゆっくりと確実にコップに入った水を飲み干す。
「はぁ、はぁ、はぁ、たっ、大変なんです!」
「どうしたの?」
「……おっ、おじいちゃんが……おじいちゃんが、危険なんです!」
言葉を搾り出すように、ユウタ君は乱れた呼吸そのままに告げる。
「えっ! きっ、危険……」
「おじいさまの様態が悪化したの!?」
瞬時に空気を感じ取ったケンタと顔を見合わせるアユミ。
「こっ、こんな所でぐずぐずしてらんないよ。早く、病院に行かなきゃ!」
戸締りをそこそこに事務所を飛び出す二人。
日影に止めてあるアオタマ号のハンドルにぶら下げたメットを被り、スタンドを上げ座席に座るアユミ。顎紐の位置を調整すると、衝撃で曲がってしまったメガネを直す。
「早く、病院に急ぎましょ!」
アユミの言葉に促されたケンタはというと、自分が乗るどころか手にしたメットをユウタ君に被せ抱きかかえるとアユミの後ろに座らせた。
「えっ、ケンタさん、乗らないんですか?」
「僕のことよりも、ユウタ君が早く大好きなおじいちゃんの所に行かなきゃダメだ。アユミ、ケンタ君のこと頼んだよ」
いつになく真剣な眼差しでハンドルを握るアユミにアイコンタクトをする。
「えぇ、任せて」
イグニッションにキーを差し込み、エンジンをかけるアユミ。
「いいね、しっかり掴まってるんだよ。僕も、後から病院に行くから」
軽くユウタ君の肩を叩き、バイクを見送るケンタ。小気味良いエンジン音が遠くなって行くのを耳で確認する。
「こうしちゃいられない、僕も急がなきゃ」
一足先に病院に到着したアユミとケンタ君。
廊下は静かにということなどすっかり忘れ、二人はおじいちゃんのいるICUへと急ぐ。ICUの前まで来てみると、仕事を途中で抜けてきたケンタ君のお母さんが病室の前で待っていた。
「お母さん!」
おじいちゃんの様態が気になってしょうがないユウタ君は、お母さんに飛びつく。
「ケンタ! ケンタも来たのね」
お母さんの服の裾をギュッと握り締めるユウタ君。その顔には熱さや疲労の色はなく、危篤状態のおじいちゃんを案じずにはいられない憂いを纏っていた。
「おじいちゃんは、大丈夫なの?」
「お母さんも来たばかりで詳しくは分からないけど、おじいちゃんの心臓が弱っていて、危険なんだって……」
抱きづくわが子に諭すように、ユウタ君のお母さんはユウタ君の頭を撫でる。
「……嘘だ、お母さん嘘なんでしょ? お母さん、いつも言ってるよね、嘘をついちゃいけませんって。嘘を言っちゃだめなんだよ……」
おじいちゃんが危機的状態であることを否定しようとするユウタ君。これが大きな嘘であって欲しいと願うように。
「……ユウタ、おじいちゃんね、ずっと病気と闘い続けて疲れちゃったの。あまりにも病気が強くって、これ以上戦えないって……」
現実を頑なに否定するユウタ君を説得するように、お母さんはしゃがみユウタ君と同じ目線になって話す。
「……嘘だ、嘘だよ、おじいちゃん誰よりも強いもん。病気にだって、絶対勝てるよ……絶対……」
心の中では病気を克服できると信じているユウタ君。だが、ここまでおじいちゃんが危険な状態になることがないため、徐々にその思いは傾きかけていた。
「……あの、ユウタ君のお父さんって、まだ来られないんですか?」
ここで声を掛けるかどうか躊躇ったアユミだったが、ユウタ君の父親であり
自分の父親が危険な状態だというのに来ないというのが信じられなかった。
「……ちゃんと、お父さんにも連絡したんだよね?」
涙で濡れる両目をごしごし擦り、顔を上げお母さんに尋ねる。
「えぇ、病院からも、私からも夫に電話しました。だけど、会議中らしくて連絡が取れなかったんです。伝言を残しておいたんですけど……」
伝言を残したとはいえ、ちゃんと本人に伝わるかどうか心配なお母さん。例え伝言を受け取ったとしても、自分の父親の最期の姿を看取りに来てくれるか保証はない。
「……お父さん、ちゃんと来てくれるよね?」
「……当然でしょ?」
確証なんかない。
それでも、母親として愛する妻として、お母さんは今できる精一杯の笑みでユウタ君の両肩に手を乗せる。
一方のケンタ。
いつも交通手段として利用している「アオタマ号」がないため、ケンタは猛暑の中、病院へと帽子も被らず徒歩で向かっていた。気持ちは急くものの、茹だるような暑さと運動不足が祟り、休めそうな日影を見つけるとすぐに休むという情けない醜態を晒していた。
「ハァ、ハァ、ハァ、病院って、こんなに遠かったっけ……」
全身、水を掛けられたかのように汗でビチョビチョになり、ケンタは虚ろな瞳で雲ひとつない空を見上げる。この時ほど夏が嫌いになった瞬間は今までになかった。
Tシャツの襟首を摘みパフパフと内側に風を送り込みながら3度目の休憩をとっている時、ちょうど赤信号で止まる一台のタクシーに目が止まる。後部座席にお客を乗せているらしく、スーツを着た男性の姿が見える。
「はぁ~いいなぁ、こんな暑さと無縁なんだろうなぁ、タクシーの中」
羨望の眼差しでタクシーの中を覗いてしまうケンタ。後部座席の人物をじっくり見てみると、ユウタ君の家で見つけた写真の人物と瓜二つであることに気付く。
これは天からの思し召しではないかと思いつつ、ケンタは意を決して止まるタクシーの窓をノックする。それをいち早く気付くタクシー運転手。車内で何やら雑談をしている感はあるものの、一向にパワーウインドが開く気配がない。
「窓を開けてください、緊急事態なんです」
さっきよりも強い調子でドアを叩くケンタ。そしてようやく窓が半分ほど開けられ、後部座席に座っている人物と会話できる。
「誰なんだ君は?」
「あっ、あの、木畠ユウタ君のお父さんですよね? ユウタ君からモノ探しの依頼を受けている岡倉ケンタって言います」
「ユウタ? 岡倉ケンタ? そんなヤツ、知らん」
いきなり現れた男のことなど知るよしもなく、ユウタ君のお父さんらしき人物は一方的に突っぱねる。
「こっちは仕事中だ。邪魔をするなら他所へ行ってくれ」
「ユウタ君のおじいちゃんが危ない状況なんです。ユウタ君もお母さんも病院に向かいました。お父さんも来て欲しいと待っています!」
今のところその情報が伝わっていないらしく、狐に摘まれたような表情をしている。
「連絡? そんなもの……」
徐々に信憑性を感じつつあるらしく、スーツの内ポケットに仕舞っていた携帯を取り出す。そして画面を覗くと、妻と病院からの着信履歴があることに気付く。
「やっぱり、履歴があったんでしょ?」
「……」
更に増す信憑性に心が揺れる。
その間に時間は経過し、赤だった信号は青へと変わり一向に進まない様子に後続車からはクラクションがけたたましく鳴らされる。
「おっ、お客さん……」
タクシーの運転手もこのまま渋滞を作るわけにはいかないようで、後部座席の二人を不安そうに眺める。
「……」
「……ユウタ君のおじいちゃんである前に、あなたの父親じゃないんですか?
父親であるあなたが最期を看取らなかったら誰が看取るんですか? 将来、あなたが同じ立場に立ったとき、ユウタ君が看取りに現れなかったら、どう思いますか?」
ケンタはこれ以上考える時間を与えようとはしない、決定的な言葉をぶつける。それは子供の頃から言い聞かされている、自分がその状況に置かれたら、あなたならどうするという道徳心を養わせる問い。それを、成人を過ぎ、小さい子供を持つ親であるユウタ君のお父さんに問い掛けた。初心に返り、
大人の社会にかぶれてしまう前の姿を取り戻して欲しいと願って。
「……すいません、行き先を変更してもらっていいですか?」
身を乗り出し、運転手に話しかける父親。
「病院へ直行してください!」
「わっ、分かりました」
慌てた様子でタクシーの運転手はカーナビを操作し、行き先を変更し病院へのナビゲートを入力する。
「さぁ、君も乗って。一緒に行こう」
「はっ、はい!」
願いが通じ心を入れ替えた父親の姿に、ケンタは天にも昇りそうなくらい嬉しさで一杯になりながらタクシーに乗り込む。
そして、タクシーはユウタ君達の待つ病院へと直走る。
事態は小康状態を取り戻しつつあった。
ICUの外から様子を窺うユウタ君とお母さん、そしてアユミ。
中では医師と看護師達が懸命の処置を行っている。
「……どうか、どうかお義父さんを助けてください」
「お願い、神様、おじいちゃんを助けて……」
ドア一枚を隔てて行われている処置を見守りながら、ユウタ君とおかあさんは必死に祈っていた。
『……ケンタ、本当に、ユウタ君のお父さんを連れて来れるの?』
無常に過ぎていく時間を腕時計で確認し、アユミは一向にやって来ないケンタを心配していた。この期に及んで仕事を全うできないなどと投げ出さない保障はないものの、約束を果たさないまでも果たそうとする努力をこれまで見てきただけに、今回も最善の答えを探し出すのだろうと信じていた。
そのとき廊下を走ってくる二つの足音。近づいてくる方向に目を向けると、ケンタと最後のキーパーソン、ユウタ君のお父さんがようやく到着する。
「あっ、あなた!」
「お父さん!」
半ば諦めていただけに、ユウタ君もお母さんも病院へ来てくれたお父さんの姿に嬉しさがこみ上げてくる。
「ハァ、ハァ、あっ、アユミ! おじいちゃんの様子はどんな感じ?」
息を切らせながら、ケンタはICUの前で待ち続けていたアユミ達に様態を尋ねた。しかし、良い結果どころか悪い結果すら分からないどこか複雑な面持ちをしている。
「そっ、それが、分からないの。お義父さんの様子が」
「どっ、どういうことなんだ?」
流石に走ってここまで来たユウタ君のお父さんも暑さに耐え切れず、ネクタイを外しYシャツの上のボタンを外す。
「先生も看護師さんたちも、全然出てこないんだ」
散々待たされている上に、誰も状態を教えようとしない状況が続いているらしく、先発隊は焦らされているようである。その様子を目にしたケンタは何を思ったのか、突然、ICUのドアを開け中へ入っていこうとした。
「けっ、ケンタ!」
あまりの突然な出来事に誰もが身動きが取れず、反応に遅れる。
部外者の侵入に、中にいる看護師や医師などの視線が一気に集中する。
「ここは立ち入り禁止だ、誰だろうと入ってくるな!」
中年医師の一喝など気にも留めず、ケンタは振り返ると行動を起こさない一同に訴えかける。
「ユウタ君、お母さん、そしてお父さん、どうしてじっとしていられるんだよ!
みんな行動して、そして、おじいちゃんは助かるんだと信じるんだよ!」
心を揺り動かす決定的な言葉に、何かを躊躇っていたのが嘘のように、ユウタ君が口火を切ってケンタの元へと向かう。そして、お母さん、アユミと続き、ラスト、お父さんだけとなる。
「さっ、お父さんも」
「あなた」
「みんな、待ってますよ」
それぞれが促す言葉を述べていく。そして、今まで正反対の立場にいた息子であるユウタ君が満を持してお父さんを説得する。
「……お父さん、一緒におじいちゃんの所へ行こう」
お母さんに寄り添うように立つユウタ君は、まだまだ小さな手を広げお父さんも来てと差し伸べる。それは暗い闇に囚われている自分を救い出す一条の光のように、お父さんには見えた。
ゆっくりと、皆で紡いだ思い出をかみしめるように、お父さんはICUのドアをくぐる。
「先生……」
「……仕方ない、これが最期かもしれないんだ、看取らせてやろう」
看護師たちの心配を汲み取るものの、最期の時を迎えるかもしれない患者の家族を思いやむなく許可をする。
「おじいちゃん……」
看護師たちの間を掻き分けるように進み出るユウタ君。人垣が割れ、見えてきたベッドに横たわるおじいちゃんの姿。いつも以上に多い点滴台と管の数。それだけに、今回の危機的状況が前例のないものであることを物語っている。
「あの、様態は……」
「……言い難いのですが、長期に渡る延命処置により心臓も各臓器もかなり弱っています。そのため、いつ心臓が止まってもおかしくない状態です」
聞いた自分を呪いたくなるような現実を突きつけられ、ユウタ君を始め、この場にいる誰もが沈鬱な面持ちとなってしまう。沈黙をさせまいと一定周期に刻むおじいちゃんの心拍。その数値を、近くの看護師が逐一告げる。
「……ユウタ君、君との約束を果たす時が来たよ」
誰もがこの雰囲気に押しつぶされそうになる時、ケンタは不意にユウタ君の手を取ると体に添うように置かれているおじいちゃんの手を握らせる。
「ケンタさん?」
「さぁ、お母さんも、お父さんも、おじいちゃんの手を握って。そして、想いを一つにするんだ」
ユウタ君に手を握らせると、杭のように佇んでいる二人を促し同じようにおじいちゃんの手を握らせる。
「いいね、想いを一つにするんだ。そうすれば、きっとキセキは起こる」
重ねられる三人の手。そして、その上に乗せるケンタの手。すべてを包み込むように優しく添えると、念じるように瞼を閉じる。
その様子を見守る病院スタッフ。その時、ゆっくりとした周期だった心拍数が跳ね上がり、再び緊張感が漲る。
「せっ、先生! 心拍、血圧と共に上昇しています!」
「なっ、何だって!」
半ば諦め状態だった病院スタッフを襲う奇跡的な事態。自分の目でも確認するため、中年医師は強引に割り込み心拍計を見る。
そして、今まで何一つ動かなかったおじいちゃんの指先がかすかに動き出し、重ね合わせていたユウタ君たちにも伝わる。
「ゆっ、指が動いた!」
重ねていた手を素早く退けると、確かに指が動いていた。それに加え、今まで意識を取り戻す気配さえなかったというのに、閉じられていた瞼がゆっくりと開いていく。
「おっ、おじいちゃん!」
きょろきょろと周囲を見渡すおじいちゃん。光に慣れていないのか、しきりに瞬きをする。
「しっ、信じられない! このような前例、今までにないぞ!」
中年医師が言うように、周囲で見守っていた看護師達も一様に驚きを隠せない。
意思表示をしようとするおじいちゃんの気管に通されたチューブをゆっくりと抜き、喋れる状態にする。
「おっ、おじいちゃん……」
もう二度と会話できないと思っていたユウタ君は、両目に涙を一杯に溜めおじいちゃんに縋り付く。
「ゴホッ、ゴホッ、ゆっ、ユウタ……」
枯れ木のように痩せ細った手をユウタ君の頭に乗せる。
「こっ、コウジ……はっ、ハルカ、さん……」
側で見守る二人にも気付き、それぞれの名前を告げる。
「おっ、おやじ……」
「おっ、お義父さん……」
両親も奇跡的な出来事に涙をこらえることができず、頬を伝い落ちる。
「おっ、おじいちゃん……おじいちゃん……」
泣きじゃくるユウタ君。止めどなく零れ落ちる涙をおじいちゃんは手を伸ばし、優しく拭い取る。
「ゆっ、ユウタ……いっ、今まで……いっ、一緒にいられて、たっ、楽しかったよ……」
優しく頬に手を添えながら、無理に作り笑いを浮かべるおじいちゃん。
「おじいちゃん……」
添えられた手に優しく重ねるユウタ君。
「……いいか、ユウタ……おっ、おじいちゃんが、しっ、死んでも、なっ、泣くんじゃ、なっ、ないぞ……」
弱った体に鞭を打ちながら、おじいちゃんは孫の姿をしっかり目に焼き付けるように見据える。
「うっ、うん……分かったよ、おじいちゃん……」
「よし、よし……それでこそ、ユウタ、だ……」
その言葉を最後に、おじいちゃんは突然眠るように瞼を閉じる。そして、ユウタ君の頬に添えていた手が急に落ちる。
「おっ、おじいちゃん?」
突然のことに、何が起きたのか理解できない。その答えを誘うように、一定の周期で刻んでいた心拍計の波形が消え、一本の線が横に伸びていく。
そして鳴り続けるアラーム音。
「先生、フラットラインです……」
看護師の言葉を受け、再度、自分でも確認する医師。そして、聴診器をおじいちゃんの胸に当て心音を聞く。
「私としては、これ以上延命処置を施しても無理だと思いますが、いかがなさいますか?」
「……このまま、逝かせてやってください」
最後の選択肢に対し、お父さんは全てを受け入れ延命行為を断った。
「……死亡時刻、15時13分……」
医師が死亡宣告をすると、今まで鳴り続いていた心拍計のスイッチを止める。
今まで鳴り続けていたアラームが消え、沈黙が支配する。
一つの命が目の前から消え、沈鬱な面持ちのユウタ君達。
「……ユウタ」
自分よりも何よりも、おじいちゃんのことが好きだったユウタ。その彼が一番に落ち込むだろうと、お父さんはユウタ君の肩に手を置く。
「……お父さん、僕……」
横顔から涙が伝う様子が見て取れた。やはり、泣いているのか。そう思ったものの、振り返った先に見えたのは、真夏に咲く太陽のように笑顔を作る息子の姿だった。
「……僕、泣かないよ」
○エピローグ
「はぁ~世の中、世智辛いなぁ~」
「……そうね」
ユウタ君の一件から数年が経ったものの、ケンタ達のスタンスは何一つ変わっていなかった。
知名度も仕事量も何一つ変わらず、変わったことといえば2人とも年をとり、ケンタも年相応にバイトを始めたぐらいだ。
モノ探し業は継続しているものの、バイトの方が忙しくなり逆におろそかになってしまうほど。
今日もこれからバイトのシフトが入っているケンタ。アユミは引き続きケンタの助手をしているが、シナリオライターとしての仕事をするようになり、時々、時間を割かれてしまうこともある。
「よっこらしょっと……」
ねっころがっていたソファーから起きるケンタ。
「……いってらっしゃい」
将棋のように何手も先を読んだアユミは、ただ起き上がっただけのケンタに
投げ掛ける。
「まだ、何も言ってないけど?」
「……いつものバイトの出勤時間でしょ? どこへ行くか言わなくても分かります」
「……いやっ、意外と違うかもよ?」
「……行ってらっしゃい」
コミカルに返すものの、一遍の余地なく追い出されてしまう。
「……行ってきます」
「……チェッ、僕よりも稼いでるからって、冷たいんじゃない?」
今まで資金面でアユミに頼っていた部分があったのは事実。それが今となり跳ねっ返りが襲ってきたことを、ケンタは理解していなかった。因果応報というヤツだ。
季節は早くも秋の気配を感じれるまで涼しくなり、半袖を着ていた日々が懐かしく思うほど。
バイト先へ向かう途中に出くわす、何か探し物をしている女の子。往来のある通りだけに、早く見つけてあげなきゃと直感が告げる。
「何か探し物ですか?」
「……はい、大切なものなんです。あれがないと私……」
舗装されたアスファルトの上を、目を皿のようにして探す女の子。
「大切なものって、どんなものですか?」
「……ヘアピンです」
「ヘアピンですね」
ここはプロにお任せと言わんばかりに、ケンタは女の子と一緒になって探し始めた。バイトのことなど忘れて。
暫しの捜索の後、ヘアピンを探し当てるケンタ。
「ヘアピンって、これですか?」
その一言に、今まで背を向けていた女の子が振り返る。
「そっ、そうです。それです!」
見つかった安心感と嬉しさからか、女の子は目に涙を浮かべていた。
「見つかって良かったですね」
任務を終わらせたケンタは、簡潔な言葉を残し去ろうとする。
「……待って」
呼び止める女の子に思わず振り返るケンタ。徐に見つけてくれたヘアピンを付ける。
「……えっ?」
ヘアピンを付け、顔を上げる女の子。その容姿に何かを感じるケンタ。
「……私も、見つけた」
人が行き交う中、2人の時計は左回りに時を刻み始めるのだった。
END
○エピローグ(Another Ver.)
この日も30℃を超えようとしていた。真夏日が何日続いているのか、もうすっかり忘れているぐらい暑さにやられていた。
アユミは、この暑さの中執筆活動に勤しみ、額に汗を浮かべながらパソコンに向かっている。
一方のケンタは、扇風機の風を独占するように、背もたれのない椅子に座り涼しい風を背に受け一通の手紙を読んでいた。ローテーブルの上に置かれた封筒の送り先には、木畠晴香と書かれている。ユウタ君のお母さんからだ。
『拝啓 岡倉ケンタ様、水原アユミ様。この度、ユウタのお願いを叶えていただきありがとうございました。家族全員でおじいちゃんの最期を看取れた事、そして、植物状態だったおじいちゃんと言葉を交わせたのは、ケンタさん達のおかげです。ユウタから聞いたのですが、甘い物が大好物ということで、おじいちゃんが生前好きでした和菓子を今回、遅ればせながら、お礼の品としてお送りさせていただきました。お口に合うかどうか分かりませんが、お納めくださいませ 敬具
追伸 ユウタもお礼がしたいということで、ユウタの宝物も同封いたしました』
手紙を読み終え、同封されているというユウタ君の宝物を取り出してみる。封筒を逆さにして出てきたものは、数粒の花の種だった。
「うん? 花の種? ねぇ、アユミ、この種って何の花か分かる?」
手の平で受けた種をアユミに差し出し、種の正体を尋ねる。
「えっ、種?」
執筆作業を中断し、アユミは差し出された種を注意深く確認する。
「う~ん、これは、朝顔の種、みたいです」
メガネを微調整し、導き出した花の名前。それは、ユウタ君が生前のおじいちゃんに話していた花と一致する。
たくさん咲いた後にできる種。その種をユウタ君はお礼の品として入れたのだった。
「朝顔の種か。へぇ~初めて見たよ」
「珍しくもないですよ、朝顔」
人にはそれぞれ自分だけの常識がある。何だが、いい響き。
「さて、報酬の甘味を食べよっかなぁ~」
依頼を達成した見返りにもらう甘味。これ以上の喜びを感じる時はめったにない。
「中身は……うげっ!」
カエルを踏んでしまったかのような奇声を上げるケンタ。その声にパソコンに向かうアユミは、否応なく反応してしまった。
「何、今の声?」
「みっ、見てよ……梅モナカアイスだって……」
箱の中身を一個取り出して見せるケンタ。そのパッケージに描かれていたのは、桃と似て非なる青梅の絵がプリントされていた。
「グッド・タイミングじゃない。暑い日にアイスを食べれるなんて、幸せなことだと思いますけど。その上、梅を使ってるなんて、健康にも配慮されてる。ケンタ、人の恩は素直に受けるものだからね」
アユミが推奨している酸っぱい物(梅)が使われたアイスというだけに、彼女はいよいよ酸っぱいものを食する瞬間が訪れたのだと内心ほくそえんでいた。
「わっ、分かってるよ……」
ニンマリしているアユミの視線を感じつつ、ケンタは袋を開け意を決してアイスモナカをひとかじり。ひんやりと広がる甘さと酸味。梅の香りを鼻腔に感じる。
「……」
「どう?」
もしゃもしゃと咀嚼するケンタの様子を窺うアユミ。第一声が気になってしょうがない。
「……おいしい!」
イメージしていたものと異なり、ケンタは心に思うことを素直に口にした。
「酸っぱいもの嫌って言ってたけど、悪くないかもね」
考え方が変わったケンタの姿に、アユミは自分の信じたものが正しいと実証されたようで内心喜んでいた。
「あっ、バイクの音。郵便が来たのかも」
食べかけのモナカを銜えたまま、ケンタは郵便受けのある外へと向かう。
外は暑かった。当然といえば当然だ。
口の中を酸味と冷気で満たしながら、ケンタは熱々に熱せられたポストの蓋を一気に開けてみる。するとそこには一通のハガキが。
「おっ、ははきは、はいっへふ」
中を覗き込み確認するケンタ。そして、上下左右に触れないよう恐る恐るハガキを取り出そうと手を伸ばす。
新たな出合いと待ち受けている甘味達。
甘味を日々の糧とし、今日も岡倉ケンタはまだ見ぬ甘味を求めて『モノ探し』をするのであった。
END