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第4話 またいつか

私は「ヒイロ様」に本当に感謝しています。


孫の顔を見れているのも、あの方のおかげですから。


私の息子の名前、ヒイロなんですよ。


村の老婆はそう、昔を懐かしむように語った。


50年前、この名も無き場所を襲った魔物の大群から一人の緋色の眼をした女性が救ってくれたという。


村の人々は彼女の事をあやかり、「ヒイロ様」と呼んだ。


いつしかこの村は英雄への感謝として彼女の勇敢さを称える石像をたて、毎年「ヒイロ祭」をおこなっているのだという。


『ラステロ連邦 地方情報紙 コラム』



僕は『ロイヒル情報局紙』という新聞を何時間もかけて読破した。


今の世界の情勢や常識が描かれていた。


いくつか気になった見出しや情報を確認しておく。



まずは、現在「黒王歴920年の春」であるということ。


司書さんに確認したところ最新号がこの年月の発行であったので間違いない。


本で調べてみるとどうやら黒王歴というのは全世界で統一的に用いられている暦のようだ。



そして、先月号の「18代目勇者 アリス・ウォール ゼクスロイド帝国の大雪原大陸を視察 勇者の墓場へ」と書いてある見出し。


これが気になった。


勇者とは、世界のバランサーであり巨悪を討ち滅ぼす者と書斎で見たことがある。


勇者が死ねば、新しい勇者が覚醒する、その循環で世界の均衡が保たれている。


しかし、妙な記述があった。


アリスは勇者の覚醒時に必ず出るとされる勇者の紋様がでていないらしい。


しかし、勇者以外が抜くことができないとされる聖剣を抜いたのだから疑いようもなく勇者なのだが、何かひっかかる。


そして、かなり気になる記述があった。


それは大学の存在だ。


ロイヒル帝国には世界最高峰の学校があると知った。


それが「ロイヒル魔術学院」である。


この大学は「白碧」とも呼ばれ、とてもレベルの高い教育を施していることでも有名だ。


ここの学位を手に入れられれば、職には困らない。


自己のレベルアップにも繋がる。


ありがたいことに、双璧は授業料・入学金は免除だ。



双璧とは、ロイヒル剣術学院・ロイヒル魔術学院のことである。


しかも優秀な剣士・魔術師と認められれば、生活の補助や多額の給付型の奨学金まで降りる。

入学の年齢や族種は不問だ。


とても門戸が広い。街の役所で申し込みすれば、テストを受けることができる。


テストで合格すれば入学できるそうだ。


これは受けるしかない。よし、申し込むか。


僕は強くならなきゃいけない。自分なんてまだまだだから。


そうして僕は最西端の役所に向かい、必要な書類を書いて提出。


もちろん手数料はなし。


帝都ロイヒリアに行かなくて良いのは便利だ。


テストは半月後だそうだ。それに向けて準備しなければならない。


僕は剣術の腕を鈍らせないようにしないといけない。


僕が使う蒼流は鍛錬による維持が他の流派に比べても重要だ。


特性上、間合いの管理やカウンターの成功率など感覚を多用する。


感覚はどうしても鈍ってしまう。1日剣を持たないだけで、実力の80%も出せないという話もある。


だからこそ剣術の練習がしたい。


しかし、ギルドへ行ってもまだEランクであるため、ロクなクエストは受けられない。


剣術の鍛錬になるかといえば微妙なところである。


やはり街の外に出て夜に魔物狩りをするしかないか。


とはいえ、今日なんの考えも無しに街の外に出るのは危険だ。


街の外にどんな魔物がいるか、どんな盗賊がいるかわからない。


だから早く宿をとり、情報を集めつつ、当面は冒険者をしてお金を稼ぐしかないだろう。


そう考えて図書館の外に出ると、もう外は暗い。


薄暗い街灯と月の光が街を照らしている。


僕は宿すら取れていないので内心まずいと思って急ぐ。


偶然近くの宿には空きがあった。


少なくとも双璧のテストまではこの街にいるつもりなので、五ヶ月分の宿を取った。


有金のほとんどが消えたのでこれからは頑張って稼ぐしかない。


ここまで長期滞在する人は少ないそうで、驚かれたのち大歓迎された。


この宿は朝晩のご飯つき。最高の環境に身を置くことができた気がする。


それにしても、今日は収穫があった。


何せ『アリシア手稿』に全く書かれていないことも、新聞や今日漁りまくった本には描かれていた。



僕は『アリシア手稿』に今日得た情報を書き足す。この本は僕の知識の源。


何せレヴァリアがくれたんだ。大切に持って最大限活用したい。


僕は1日の疲れを癒すために、部屋に戻りベッドに埋もれた。早く眠ろう。意識が遠のく。




僕は翌朝冒険者ギルドへ向かった。


クエスト受注のためだ。朝日に照らされながら、ギルドの門を叩くとやけに揉めていた。


「いーじゃねーかよぉ、少しくらいはよぉ、俺様は元Aランクのこのギルド最強クシュル様だぞぉ」


「やめてください!離してください!」


酒場で緑のローブを羽織った銀髪のエルフのような少女がスキンヘッドの大男に絡まれていた。


「やめたらどうですか?女の子が嫌がっていますよ」


「ああん?なんだぁテメエ。このガキが。殺すぞ?」


僕は間に入り止めようとしたら胸ぐらを掴まれてしまった。


このギルド喧嘩両成敗だっけか。その理由も頷ける。


荒くれ者が多いのだろう。


「あの。ここで争ったらあなたも冒険者ランクの降格は下げられるか、最悪剥奪されますよ」


「ギルド酒場内決闘は両者のランクを降格または資格を剥奪する」と書かれた注意書きを指さす。


彼はこちらを睨んで舌打ちをする。


「それに、元Aランクってことは揉め事降格させられたんじゃないんですか?」


「テメェ…」


クルシュが怒りで顔を歪めた。


「どうですあそこで決闘するのは」


僕は闘技場を指さして提案する。大男も納得したように眼を細める。


「ほう?このギルド最強のクルシュ様に挑むとはなあ。いいぜ。ぶち殺してやるよ」


彼は自信に満ち溢れた顔で笑みを零した。


この感じじゃ確かにギルド内でかなり強いのは間違いないな。


酒場の隣には、冒険者同士で模擬戦を行うための闘技場が用意されていた。


大きさはこのギルドと同等だろうか。この建物自体とても広いのだ。


決闘する場所としては申し分ない。


もっとも、こんな所で揉めるより戦って黙らせたほうが早い。


ギルドの受付嬢に目配りしたら問題ないですよ〜という視線を向けてくれる。


そういえば、ここにきたばかりの頃、どうしても解決しないときは闘技場をご利用くださいと言っていた気がする。


スタッフとしては酒場で暴れて器物を損壊する騒ぎになるよりは、暴れても問題ない場所を用意する方が都合がいいのだろう。


よし。ならば話が早い。


「あの…私が悪いんです。あなたを巻き込みたくはありません…」


エルフがバツの悪そうな顔でこちらを見る。


「お気になさらずでいいですよ。負けませんから」


「てめえ…ぶっ殺す」


僕たちは向かいあった。騒ぎを聞きつけたギャラリーが10人ほど集まってきた。


どうせ戦うなら力を示せたほうが勝手がいい。


これから舐められて危害を加えられるよりは、畏怖された方がいい。


よし死なない程度にやるか。


ギルド受付嬢のお姉さんが審判を務めてくれるらしい。


至れり尽くせりだ。


「それでは開始させて頂きます。武器は木刀のみ、降参か戦闘不能になった方が負けとなります」


二人が頷く。


「では・・開始!」


お姉さんがそう高らかに宣言するとクルシュは殺意籠った眼で突っ込んでくる。


中々に早い。流石元Aランクなだけある。


やはり荒くれ者なのだろう。


剣筋は汚いが、その中でも洗練されたものがある。


僕は剣を受け流しながら相手を観察する。


この構え、剣戟は甲流だな。


僕はバックステップをして距離をとる。


にしても、手が少し痺れる。力はかなりあるようだ。


「大口叩いて逃げ回るだけなんてなぁ。情けねぇ。終わらせてやるぜ」


クルシュは腰を低く剣を寝かせた。


この予備動作は【甲流上級技・辻斬り】だな。


甲流は全ての流派の基礎の中の基礎、だからこそ対策がしやすい。


僕は剣を縦に構えてカウンターの準備をする。


案の定正解だった。


「ぶっ殺す!!【甲流上級技・辻斬り】!!!」


「は、早い・・」


「なんだあれ死んじまうぞ・・」


ギャラリーが心配するのを横目に横に薙ぎ払う技を難なく受け流し、体を捻らせ、その勢いで足元を救う。


10年以上、五大英雄の師匠に来る日も来る日もメッタ打ちにされてきたのだ。


ちゃんと"見える"


「ぐわあ!? てめぇ・・・受け流しやがったな」


大男は体勢を崩すも、地面を蹴り間合いを取る。


そして、何されたか理解しこちらを見る。


真の弱者は自分の身に何があったかすらわからない。


ギャラリーの反応を見ればわかる。


と考えるとこの男、やはりなかなか強いな。


「ええ。流石元Aランク、確かな実力を感じます」


「わけわかんねえことを・・!おら!【甲上剣技・斬り返し】!・・なっ!?」


クルシュは立ち上がると即座に剣で薙ぎ払ったが、そこに僕はいなかった。


彼は驚いた表情を隠せず、後ろを振り返る。


そこに僕はいた。間髪入れずに蹴りを入れると大男は吹き飛んで体勢を立て直す。


「ハァ…ハァ…テメェ、何者だ」


「名乗り遅れました。ユリウス・シュヴァルツヴァルトです」


「ケッ、聞かねぇ名前だ。いいぜ、俺様の本気見せてやるよ。」


「おい、あれって…」


「クルシュ様の聖級剣技か!?」


ギャラリーが騒ぎ出す。この男、聖級が使えるのか。


となるとマトモに喰らえばまずいな。


「喰らえ!【甲流聖級剣技・居合抜刀撃】!!」


その瞬間、クルシュの木刀が目にも止まらぬ速さで右から出てくる。


その場の全員が大男の勝ちを確信していた。



俺は、小さな村で生まれた。


畑と川しかない、どこにでもある村だ。


夜になると灯りは数えるほどで、星がやけに近かった。


母ちゃんはよく英雄譚を聞かせてくれた。


剣で竜を斬った男の話。

一人で国を救った女の話。


その中でも、俺が一番好きだったのは――

“緋眼の英雄”の話だった。


赤い瞳で、絶望を焼き払った女。


母ちゃんの膝の上で、その話を何度もせがんだ。


いつか、俺も。


そんな風に思っていた。



成人して、村を出た。


隣には、幼なじみのマオがいた。


「クルシュ、絶対最強になろうね」


あいつはよく笑う女だった。


怒ると怖いくせに、すぐ泣いて、すぐ笑う。


でも、誰よりも強かった。


俺は思った。


こいつのために強くなりたいと。


守ってやりたいと。



俺たちは、強かった。


小さな依頼から始めて、魔物を狩り、護衛をこなし、

気づけば名が広まっていた。


やがて俺はAランクになった。


マオは子どもみたいに喜んだ。


あの頃と同じだ。


「すごいよクルシュ!流石私の自慢の恋人!」


その笑顔を見て、俺は思った。


――ああ、幸せだな。


この日常が、ずっと続けばいいと。



悲劇は、音もなくやってきた。


薬草採取の依頼だった。


山の麓。危険もないはずの場所。


俺は装備の点検で同行できなかった。


知らせを聞いた瞬間、

何も持たずに飛び出していた。



土砂降りだった。


山道はぬかるみ、靴が沈む。

息も整わないまま、名前を呼び続けた。


そして――見つけた。


マオは、倒れていた。


「……マオ」


抱き上げた体は、驚くほど軽かった。


「ごめんな……俺が、いなかったばっかりに」


必死に山を下ろうとした。


その時、彼女が微かに目を開けた。


「もう……いいの」


かすれた声。


「だい……じょ……ぶ……」


最後まで、俺を気遣っていた。

マオは、そこで動かなくなった。


雨が激しくて、涙がどれだけ流れたのか分からなかった。



やがて、笑い声がした。


振り返ると、男が二人立っていた。


汚れた装備。濁った目。マオを襲った山賊だ。


「あーあ、まだ生きてたのかと思ったのによ」


「運が悪かったな、あの女」


その瞬間、拳が動いていた。


何をしたのか覚えていない。


ただ気づいた時には、

誰も立っていなかった。



それからのことは、よく覚えていない。


葬ったのか、捨てたのか、


泣いたのか、叫んだのか。


ただ――


俺は、酒を飲み始めた。何かから逃避するように。


何かに怯えるように。


俺は墓石の前で縋ったように泣いた。


だが、大きな声で泣きじゃくる俺とは裏腹に、そこには静寂しかなかった。



仲間を殴った。


依頼を放棄した。


何もかもを裏切っちまった。


自分が何をしているのか分からなくなった。


揉め事を起こしたことがアダとなり、Aランクは剥奪された。


今じゃBランクだ。



情けねぇよな、マオ。


お前が生きてたら、

俺はどんな奴になってたんだろうな。


まともに笑えてたのかもしれない。


いや――


お前がいるだけで、

俺は幸せだったんだ。




僕は反応が遅れガードするも少しばかり吹き飛ばされ、地面を何とか足で引っ掛ける。


少し息が上がるのを感じる。そろそろ疲れてきている頃だ。


「…耐えやがったな。認めよう。お前は強い。だが2度目はねェぜ!【甲流聖級剣技・居合抜刀撃】!!」


縮地、僕への距離が縮まる。今だ。


ニコッと不敵な笑みを浮かべると、剣が青白く輝く。


この間合いを待っていた。


「【蒼流聖級剣技・白夜】」


勢いよく斜め右に振り下ろすと衝撃波が走る。


「くぅ!?ぐわあああああああああ!!!」


クルシュはフィールドの中央部から端っこまで吹き飛ばされ倒れ込む。


会場にいた人は顔を腕で覆い衝撃波に備えた。


「ハァ…ハァ…危なかった」


「ぁ・・!勝者!ユリウス・シュヴァルツヴァルト!!」


呆気にとられていると、受付嬢が彼が戦闘不能なのを察知して、慌てて勝敗を宣言する。


「ユリウスさん!申し遅れました。私はレイナと申します。先程はありがとうございました!」


助けたエルフの女の子が真っ先に近寄ってきた。


いえいえとニコニコしながら対応する。人助けも大切だよね。


レヴァリアを見て育っていたから、何だか人助けをしなきゃいけないという気持ちに駆られる。


彼女は、きっと困った人がいれば助けたはずだ。


根拠はないけども、そんな気がする。


だからこそ困っている人がいれば積極的に助けたい。


倒れたクルシュを横目に、僕は彼女と酒場に移動した。


僕はレイナと仲良くなった。


彼女はどうやらハイエルフ族で冒険者をしながら世界中を旅しているそう。


冒険者ランクはC級だ。


しばらくは彼女とパーティを組んで件数をこなすことにした。


活動実績がないとギルドから除名されるかもしれないしね。






僕がこの街に来てから、三ヶ月が経った。あれからというもの、僕は毎日ギルドに赴きクエストをこなしていた。


盗賊討伐、魔物討伐、薬草収集など仕事内容は多岐に渡る。


依頼を受ける度レイナとパーティを組んでは、外に繰り出していた。


毎日クエストを複数件受注と達成していたら僕のランクはCになっていた。


Cはギルドで平凡という感じだ。レイナはBとなっていたようだ。


Bは冒険者の中でも上澄みと言っても過言ではい。


なんせ上から4番目である。


相当なものだろう。パーティというのはとても便利だ。


案件にはもちろん腕前制限がある。


例えば、失われた森で親しみ深い凶器熊サイコベアの討伐クエストはBランクでないと受注できない。


しかし、パーティであれば、メンバー誰か一人でもAならば受注ができる。


つまり自分より位の高い相手とパーティを組めば、難度の高いクエストを受注できる。


当然、ランクの高い依頼は報酬金も高いし、低いそれよりも早く自分のランクが上がりやすい。


端的にいえば効率的なのである。


今日も今日とて、鬼オーガの討伐依頼を受けた。


「なんか最近の鬼オーガおかしいらしいねー」


鬼オーガのでる場所まで続く街道を歩きながら一人レイナはそう呟いた。


「おかしいって?」


「なんか変な魔力を纏っているらしいんだよ。なんなんだろ。今回の案件ではそんなやつ出て欲しくないんだけど」


「まあ大丈夫でしょ。レイナがいれば勝てるよ


「もーユリウスのほうが強いってー」


「あはは」


そんな他愛もない会話をして、歩き続けること少し。


やっと鬼オーガの出る地帯にやってきた。


「なんなの…これ」


彼女は驚愕した顔で見る。そこには何体もの死体が転がっていた。


これは間違いなく、人間のものである。


強力な何かに潰されて顔の原型を留めていないもの、上半身だけのもの、目がくり抜かれているもの、数え切れないほどの死体がそこにあった。


ほとんどは腐乱死体となっているようで、強烈な臭いを放ちながら、蝿がそこに集っている。


「…鬼オーガの討伐依頼、だよね」


レイナが喉を鳴らす。


「少なくとも、鬼オーガの“仕業”じゃない」


俺は周囲を見渡した。


踏み荒らされた地面。折れた木々。引きずったような跡。


だがそれ以上に――不自然だ。


死体が散っているのに、どこか“まとまり”がある。


まるで誰かが、見せるために放置したみたいに。


「……まず、数を把握しよう。遺留品も集める」


「えっ、いまここで?」


「うん。ギルドに報告する時、数がないと動かない」


それに、放置すれば獣に荒らされ、証拠が消える。


俺は唇を噛んで、死体へ近づいた。


腐乱は進んでいる。服は裂け、鎧は潰れ、骨が覗いている者もいる。


だが――金属だけは、雨の中でも形を保っていた。


胸当て。


肩章。


そして、倒れた男の腰にぶら下がっていた小さな金属牌。


指で泥を拭う。


刻印が浮かび上がった。


「……ロイヒル王国軍の紋章?」


俺の背筋が冷えた。


ただの冒険者じゃない。

ただの村人でもない。


正規軍――国の兵士だ。


「嘘…」


レイナが青ざめる。


「こんなところに、王国軍が来てるの? しかも……こんな数」


「……これは、依頼の範囲じゃない。事件だ」


俺は息を吐き、視線を強くする。


「レイナ。遺留品を回収して、身元がわかる物を集めよう。俺は数を数える」


「う、うん……!」


俺たちは黙々と動いた。


剣、護符、指輪、折れた紋章章、持ち主の名が刻まれた札。


ポケットの奥から出てきたのは、濡れた紙片だった。字は半分溶けている。


命令書の切れ端――そんな類だろう。


どれも“国が動いていた”証拠だった。


そうして手を伸ばした先に、ひとつだけ――異様に目を引くものがあった。


首から下がった、小さなペンダント。


泥に埋まりかけている。


俺はためらってから、それを拾った。

蓋を開く。


中には、小さな写し絵が挟まっていた。


笑っている女と、幼い子ども。


その背後に、ささやかな家。


写し絵の端には、指でなぞったような文字が残っている。


――『帰ったら、一緒に』


胸の奥が、ぎゅっと掴まれた。


手が、ほんの一瞬止まる。


……帰れなかった。


帰るはずだった。


でも、こうなった。


「ユリウス……」


レイナが小さく呼ぶ。


俺は蓋を閉じた。


考えるな。今は。


ここは、まだ終わっていない。


「レイナ」


俺は顔を上げる。


「ギルドに戻って、回収班と医療、それと……できれば上の人間を呼んで」


「上の人間?」


「王国軍の紋章がある。これは“正式な報告”が必要だ」


レイナが唇を噛む。


「でも……ユリウス一人になるよ?」


俺は周囲の森を一瞥した。


静かすぎる。虫の声が、どこか薄い。


「……大丈夫」


大丈夫じゃない。でも、二人で足を止めるわけにはいかない。


「早く。走って」


レイナは少しだけ迷って――頷いた。


「わかった! 絶対戻るから!」


彼女は踵を返し、雨の中へ駆け出した。


すぐに足音が遠ざかり、森の匂いに溶ける。


一人になった。死体の山と、腐臭と、雨音。

そして――妙な“気配”。


「……数えてるのか。律儀だな」


背後から、声が落ちた。


僕の身体が、反射で剣へ向かう。


振り返る。


そこに、人がいた。


痛みが降り注ぐ土砂降りの中、彼が雷に照らされる。


紫髪。黒いローブ。顔は整っているのに、笑みが薄い。手には黒い剣。


刃には、鮮血が残っている。


「私は死神教団が僕――【甲剣帝】ヴァルハリオン」


青年は雨に濡れながらも、まるで舞台の上みたいに立っていた。


「死神様に命を捧げるのは、お前か? それとも――逃げた女か?」


血の気が引く。


こいつは強い。


……今まで出会ったどんな奴より。


レヴァリアほどではない。だが、それでも。


「レイナは関係ない」


俺は剣を抜き、前に出た。


足が震えるのを、呼吸で押し殺す。


僕らは更に足を進めた。


ヴァルハリオンの黒剣が刹那、空を斬る。


何とか避けたが、間一髪。相当な腕前の剣士だ。


「甘いな」


「くっ・・!」


追撃で蹴りを喰らう。咄嗟に剣を横にし、攻撃を受け流すも凄まじい力だ。


吹き飛ばされて、岩にぶつかる。僕は血を吐いていた。なんて強いんだ。


こいつは恐らく甲流の帝級…それもかなり洗練されている。ほとんど獄級に近い。


「終わりか?」


黒い剣が次々に襲ってくる。反撃に転じようとしても全く隙がない。正攻法じゃ勝てない。


「【炎聖級魔術・大火の焔】!」


僕の前に大きな紅の魔法陣が現れ、大きな炎となり、ヴァルハリオンに命中。


「ほう。驚いた。聖級でもこのような威力…ただその剣は飾りか?」


その瞬間、彼は猛スピードで僕の間合いに突っ込み、剣を抜く。


「【水聖級魔術・水の槍】!!」


「チィ…二属性の魔術が使えるなんてな。【瘴気の研究者】サマが喜ぶなァ。殺すのが勿体ないほどだ。だか甘い。【甲流帝級剣技・五月雨打突】」


「ぐっ…かはっ…!!」


一瞬で詰められたかと思えば、激しい突きを喰らう。


何とか避けきったが、腹部を掠められており、斬られ、吐血する。


この男、本当に強い。フラフラになりながらも何とか剣を構えるも、またしても距離を詰められる。


「終わりだな。【甲流帝級剣技・大鉈振】!!!」


水平軌道の薙ぎ払い。


この瞬間を待っていた。


この間合いなら"討てる"


「【蒼剣帝技・昇蒼龍】!」


「チィ!!!」


下から勢いよく剣を返せば、魔剣アンドラスはヴァルハリオンの右腕を捉えた。刹那、切断に成功。


右腕は勢いよく吹っ飛んでいった。


僕が得意とするのは間合い管理とカウンターが主流の蒼流。


だから僕は敢えて技を使わずに魔術ばかりを使っていた。


普通なら、魔術ばかり使う者の剣は大したことない。


それに二属性使えれば尚更だ。


だから距離を詰める。一瞬の隙が生まれる。


僕はそれが狙いだった。


彼は驚いた顔と苦悶の表情をしていた。


苦悶と驚愕の表情を浮かべながら、腕と共に飛んだ剣を拾う。


「これじゃ……死神様の計画は台無しだ」


「死神ってなんだ」


「死ぬやつに教える義理はない」


「【甲剣帝技・剣戟の舞】!」


剣舞。

それは戦闘ではなく、殺戮を目的とした太刀筋だった。


刃が視界を埋める。


僕は必死に追い、何度も斬られた。


だが致命傷だけは避ける。


この量を防ぎきるのは不可能だ。


「……よくついてくるな」


ヴァルハリオンが笑う。


「気に入った。教えてやろう。死神教団は――死神復活のための結社だ」


呼吸が止まる。初めて聞いた。新聞にも書籍にもそのような団体の存在はなかった。


「魂を集めてる。怨嗟の魂ほどいい。強者の魂ほど価値がある」


狂気が滲む声。


そんなことの為にあの人たちを殺したのか。


帰りたくても帰れなかったんだぞ。


「あの兵士たち?惨めだった。妻や子供がいるから見逃してくれってな…もちろん殺したが」


血が、逆流する。


「……!!」


「お前も惨殺する」


その嘲笑は吐き気を催すほど愉悦に満ちていた。


刹那、僕は黒い魔法陣を左手に展開し、相手から見えないように隠す。


そして、ヴァルハリオンは当然突っ込んでくる。


またあの"技"を出す気だ。次それを喰らえば、命はない。


だが、その間合いは僕のものだ!


「【影帝級魔術・死すら喰らうモノ】」


闇が蠢き、無数の触手が生まれる。


十の影が、ヴァルハリオンを絡め取った。


「影魔術だと……!? 滅んだはず……!」


黒剣が触手を斬る。


だが――間に合わない。


四本が、心臓を貫いた。


血飛沫。彼の身体が崩れる。


それでも、笑っていた。不気味なくらいに。


「俺の魂も……死神様に……」


そのまま、静かに倒れる。

最期まで、笑顔だった。


ざわざわとした胸騒ぎと森が、静まり返る。


「……終わった」


剣を落としそうになる。

膝が、もう持たない。


帝級の剣技や魔術を連発した反動が確実に来ている。


死を覚悟する戦闘は……久々だ。


視界が白む。

世界が遠ざかる。


(ああ……やばい)


身体が傾く。


そのまま、意識が闇へ沈んだ。




意識が、ゆっくりと沈んでいく。


地面の硬さも、冷たさも、もうはっきりとはわからない。


指先の感覚だけが遅れて残り、やがてそれすら霧のように溶けていった。


森は、やけに静かだった。


血の匂いと、土の湿り気。


遠くで風が葉を揺らす音だけが、現実をかろうじて繋ぎ止めている。


「ユリウス!!」


遠くから声がした。


輪郭のぼやけた世界の中で、その声だけがはっきりと届く。駆け寄る足音。


枝を踏み折る音。

息を切らした気配。


その背後には、さらに重い足取りが続いていた。


金属の擦れる音。


鎧が触れ合う低い響き。


複数の人間が一斉に近づいてくる気配。


「……来た、のか」


かすれた声が、喉の奥でほどける。


薄く目を開けると、レイナの姿があった。


銀の髪が乱れ、呼吸が荒い。


その背後には、ギルドの討伐部隊が静かに立っていた。


彼らは戦場を見渡した。


倒れた剣士。


裂けた地面。


焼け焦げた木々。


そして、血の跡。


だが――誰も声を上げなかった。


既に報告を受けていたからだ。


ただ、ひとりが小さく息を吐く。


「……準幹部級、単独撃破か」


別の隊員が低く応じる。


「信じ難いが……事実だ」


「後で驚け。まずは生存者の確保だ」


淡々とした声だった。

死を見慣れた者たちの、無駄のない判断。


レイナは膝をつき、ユリウスの傍に身を寄せた。


「……よかった」


その一言に、すべてが詰まっていた。


「本当に……よかった」


震える声。

だが涙はまだ落ちていない。


僕は答えようとしたが、言葉は形にならなかった。

ただ、浅い呼吸だけが続く。


その間にも、討伐部隊は静かに散開していた。


一部はヴァルハリオンの遺体を確認し、

一部は森の奥へと進む。


――死体の山へ。


レイナは、その方向を見た瞬間、視線を逸らした。


だが耳は、作業の音を拒まなかった。


鎧の擦れる音。


布を広げる音。


慎重に何かを持ち上げる気配。


そして、低い報告。


「王国兵……三十二名」


短い沈黙。


「装備番号と王国本部からの報告から照合。第二討伐隊で間違いない」


さらに間があった。


「……全滅、か」


誰かが小さく息を呑んだ。


「準幹部一体で、ここまで……」


「違う」


別の声が、静かに重なる。


「これは戦闘じゃない。惨殺だ」


その言葉は、森の空気を冷やした。


レイナの脳裏に、最初の光景が蘇る。


砕かれた鎧。断ち切られた体。


抉り取られた眼。


――怨嗟を集めるための殺し。


拳が、無意識に震えた。


「……許せない」


風に溶けるほど小さな声だった。


だが、確かに怒りを帯びていた。


やがて、一人の隊員が遺品を抱えて戻ってくる。


その中で、ひとつのペンダントが滑り落ちた。


小さな音を立てて開く。


中には、粗い筆致の絵があった。


妻と。

幼い子ども。


レイナはそれを見つめたまま、動けなかった。


「……帰れなかったんだね」


その言葉は、誰にも向けられていない。


ただ、風の中へ消えていった。


やがて担架が運ばれ、僕の体が静かに持ち上げられる。


視界が揺れる。


木々の隙間から見える空。

遠ざかる戦場。

黒剣の亡骸。


そして――レイナの顔。


涙を堪えたままの表情だった。


「……ユリウス」


彼女は小さく呟く。


「終わってないよ」


それは祈りのようで、

決意のようでもあった。


その声を最後に、

ユリウスの意識は、静かに途切れた。


白い天井が、やけに遠く見えた。


意識が浮上するたび、波に揺れるような鈍い痛みが腹を走る。


清潔な病室の匂いと、柔らかな光。


それだけで、自分が生きているのだと実感できた。


――生きている。


それは不思議な感覚だった。


死に触れた手が、まだ温もりを残しているような、そんな曖昧な感情。


とてもギリギリの戦いだった。


「……目を覚ましたか」


低く、落ち着いた声がした。


視線を向けると、窓辺に男が立っていた。


黒い外套。長身。


背を向けたままでも、ただ者ではないとわかる気配がある。


男は振り返った。


黒髪に鴉色の瞳。


鋭さと疲労を同時に宿した眼差しだった。


「初めまして、というべきか」


微かに笑う。


「ギルドマスターのレイブンだ」


その名は知っていた。


この街で知らぬ者はいない。


戦場帰りの英雄であり、数え切れぬ討伐を指揮してきた男。


僕も伊達に情報収集してるわけではない。


彼の功績は新聞紙や各種媒体にて大きく取り上げられていた。


彼は五大陸で5名しかいないXランクの冒険者だ。


「……ユリウス・シュヴァルツヴァルトです」


声が掠れていた。


「知っている」


レイブンは静かに歩み寄り、椅子に腰を下ろす。


「三日間、君は眠っていた。処置に当たった医師は“奇跡”と言っていたが……俺は違うと思っている」


彼の視線がまっすぐこちらを射抜く。

そして、心做しかクスリと笑う。


「お前が生き延びたのは、奇跡じゃない。

生き延びるだけの力があったからだ」


沈黙が落ちた。

遠くで誰かの足音が響き、また消える。


病室は、時間さえ息を潜めているようだった。


「……ヴァルハリオン」


レイブンが呟いた。気が滅入るような吐息とともに。


「奴の名は聞いたことがあるか?」


僕は首を振る。戦ったあの男だ。


「甲流帝級の剣士だ。死神教団の準幹部と目されていた男」


その声には、わずかな重さがあった。


「奴の討伐隊は何度も組まれた。

Aランク、時にはSランクの混成部隊だ」


短く息を吐く。そして彼は遠くを見つめた。


「……全て返り討ちだった」


その言葉は、事実である以上に、

積み重なった死の記録のように重かった。


「懸賞金も跳ね上がった。ギルドとしての名誉のために言うが……国が動くレベルだ」


レイブンは、静かに続ける。


「死神教団には、多額の懸賞金がかけられている。奴らはただの狂信者じゃない。国家を揺るがす存在だ」


窓の外では、春の風が木々を揺らしていた。


その穏やかさが、語られる事実の凄惨さとあまりに乖離している。


「見ただろう。王国軍の死体の山を。あれは死神教団討伐作戦のチームの1つだった。精鋭部隊だ。それを奴は一人で壊滅させた。」


僕は息を飲むことしかできなかった。


「そんな男を――」


レイブンは一瞬、言葉を切った。


「お前は一人で討った」


何も答えられなかった。


誇りも、達成感も、そこにはない。


ただ思い出すのは、腐臭の漂う死体の山と、

狂った笑みを浮かべて倒れた青年の顔だけだった。


そして守れなかった命のことだけ。


「……俺は誤解していたのかもしれない」


レイブンは静かに言う。


「英雄は大声で現れるものだと思っていた。どんな英雄譚でもそうだろう。だが、お前は違う」


鴉色の瞳が細められる。


「静かに現れて、静かに世界を変える」


その言葉に、僕は目を伏せた。


それは罪悪感だった。もう少し早く行けば助かった命もあった。


あの、兵士のペンダントがよぎる。


僕がもっと早く行けば、彼は死なずにすんだ。


帰るべき場所に帰れたんだ。


「僕は……ただ、止めただけです」


「それができる者が、どれだけいる?」


短い問いだった。


答えは、要らない問いでもあった。


レイブンは立ち上がる。


窓から差し込む光が、彼の影を長く床に落とした。


「本題に入ろう」


声が、少しだけ公的な響きを帯びる。


「ギルド規約第22条の第2項に基づき――」


一拍。


「ユリウス・シュヴァルツヴァルトを、Xランクへ昇格させたい」


静寂。


風の音だけが、病室を満たす。


「異例だ。前例もほとんどない。」


だがレイブンの声音には、迷いがなかった。


「準幹部級の討伐。単独撃破。そして生還」


彼は真っ直ぐに言う。


「これ以上の理由は、必要ない」


僕は言葉を失っていた。


Xランク――それは名誉でもあり、責務でもある。


しかし、世の中にXランクは現状5人しかいない。


目の前の男もまた、Xランク。


幾度も押し寄せる魔物を撃退し、街を守るシンボルでもある。


強さには当然責務が伴う。彼はそれを体現していた。


彼は獄級の闇魔術の使い手。


この世でも指折りの闇魔術師である。


その力で、街の人々の安寧を守っていた。


レイブンは少しだけ表情を緩めた。


「もちろん、強制はしない。だが……」


窓の外に視線を向ける。


「世界は今、静かに壊れ始めている」


振り返る。


「死神教団の存在、勇者の不安定さ、そして各地で相次ぐ戦乱。」


「お前のような存在が必要だ」


病室に、柔らかな光が満ちていた。


まるで新しい物語の始まりを祝うかのように。


僕は黙り込んでしまった。


確かに、とても魅力的な話だ。


歴代で5人しかいないXランクになれば、この上ない栄誉が与えられるとともに、生活も安定する。


でも、僕にしたら地位名誉はいらない。


それよりも世界で困っている人達を助けてくれるような存在になりたい。


僕の憧れは「彼女」だから。彼女は世界中を旅したことを教えてくれた。


自慢みたいだから、と人を助けたことは言わなかったけど、確かに"緋眼の英雄"の功績を称える伝承や話は各所に存在する。


僕も彼女に助けられた1人だから、その恩を色んな人に還元したい。


そうなれば、答えは当然一つだった。


「僕は…Xランクにはなれません」


空気が、静かに張り詰めた。


レイブンは否定もしなければ驚きも見せない。

ただ、続きを促すように視線を向ける。


「理由を聞いても?」


僕は少しだけ考えたあと、素直に口を開いた。


「Xランクになれば……街に縛られます」


それは確信に近い言葉だった。


Xランクは街の最後の砦としても機能する。


「緊急討伐、指名依頼、国家案件。どれも拒否はできないです」


「決して街を守るとかが嫌なんじゃありません。

それに、この街は好きです。生まれ育った場所にも近いですし」


窓の向こうを見つめたまま続ける。


「僕は……まだ、旅の途中なんです」


僕の脳裏には彼女とのした約束がよぎる。

彼女の願いを無碍にすることはできない。


「守るべき約束もあります。会わなければいけない人もいる。そして救わなければいけない人々も世界にたくさんいます」


ギルドマスターに視線を戻す。


「この街に留まるわけにはいきません」


レイブンは腕を組み、黙って聞いていた。


僕は小さく苦笑する。


「それに……」


一瞬だけ言葉が止まる。


「僕には、あまりに大きすぎます」


自嘲とも取れる柔らかな声だったかもしれない。


でも事実だ。僕はまだ帝級。少なくとも獄級には遠く及ばない。


ヴァルハリオンは準幹部だと聞いた。


幹部はきっと、僕なんかよりも遥かに強い。


また、あんなことがあったら守れるとは限らない。



「ヴァルハリオンに勝てたのは、運もあります。

もし一歩違えば、僕は死んでいた」


指先が布団の上でわずかに震える。


「過大評価です」


僕はまだ強くならなければならない。絶対的な強さが欲しい。


守るものを守れない自分の弱さが嫌いだから。


「Xランクなんて肩書、僕には似合いません」


病室の空気が少しだけ和らいだ。


レイブンは深く息を吐き、窓の外に目をやる。


「……なるほどな」


声に落胆はなかった。


むしろ、どこか納得したような響きだった。


「お前は英雄になりたいわけじゃない」


僕は答えない。


否、答える必要なんてなかった。


レイブンは立ち上がる。


「昇格は保留にしておこう」


外套が揺れる。


「だが、忘れるな。お前が何者であるかは……お前が決めることじゃない」


振り返り、静かに続けた。


「世界が決める。お前にもいずれわかる時が来る」


それだけ言い残し、彼は扉へ向かった。


レイブンがドアノブに手をさしかけようとしたところ、扉が開く。


その向こうに、ひとりの影が立っていた。


銀色の髪が光を受けて揺れる。


大きな瞳が、不安と安堵を同時に宿していた。


「……レイナ?」


彼女は一歩踏み出す。


しかし何か言おうとして、言葉が出ない。


レイブンは彼女を一瞥し、静かに道を譲った。


「五分だけだ」


低く告げ、部屋を出る。


扉が閉まり、二人きりになる。


レイナはしばらく動かなかった。


まるでそこに立っているだけで、現実を確かめているようだった。


やがて、ゆっくりと歩み寄る。


「……ばか」


小さな声だった。


「ほんとに……ばか」


ベッドの脇に立ち、彼女は視線を落とす。


握りしめた手が、わずかに震えていた。


「死ぬかと思った」


その言葉は責めるものではなく、ただ抑えきれない感情が零れたようだった。


僕は困って笑うことしかできなかった。


「ごめん」


レイナは何も言わない。


ただ、ベッドの端にそっと腰を下ろす。


「……でも」


小さく息を吸う。静寂を切り裂くのにはそれで十分だったんだ。


「帰ってきてくれて、よかった」


その言葉は、春の風よりも柔らかく、病室の空気を満たした。


僕は何も返せなかった。


ただ、静かに目を閉じる。


生きている。

その実感が、ようやく胸に落ちてきた。



朝の光は、やけに優しかった。

窓から差し込む光が白い床に落ちて、揺れている。


あの日の血の匂いも、剣戟の残響も、ここにはない。

ただ、穏やかな朝だった。こんな平穏を心から愛したい。


「起きてる?」


扉の向こうから、控えめな声。誰だかはすぐにわかった。


「うん」


そう答えると、すぐに扉が開いた。


銀色の髪が朝の光を受けて、ほのかに輝いている。

レイナは少しだけ照れたように笑った。


「今日、暇?」


「……暇、かな」


彼女は満足そうに頷いた。


「じゃあ、買い物付き合って」



市場は、相変わらず騒がしかった。


焼き立てのパンの匂い。


香辛料の刺激的な香り。


笑い声、呼び込みの声、値切り交渉の声。


生きている音が、そこには満ちていた。


あの日とは違った風景がそこにはあった。


僕は袋をいくつも持たされていた。


「ユリウス、これ安いよ!」


「さっきも似たの買ってなかった?」


「違うの!色が違うの!」


そう言って彼女は笑う。


その笑顔を見ていると、どうでもよくなる。


荷物の重さなんて、気にならない。


むしろ、この時間が終わることの方が怖かった。


「……ねえ」


彼女が立ち止まる。


そこは小さな装飾品店だった。


ガラス越しに、色とりどりの宝石が光を散らしている。


その中で、ひとつだけ強く目を引くものがあった。


深い、飲み込まれそうな赤。


燃えるようでいて、どこか透明な光を持つ宝石。


レイナはそれをじっと見つめていた。


「綺麗……」


小さく呟く。


「ユリウスと同じ色だ」


胸が、少しだけざわついた。


彼女は気づいていないのか、ただ純粋な目で宝石を見つめている。


「私、この色好き」


笑って言った。


「なんか……あったかいから」


僕は何も言わず、店の中に入った。


「これ、ください」


店主が微笑む。


金貨が数枚、僕の手から離れていく。


少し苦しい気もするが、そんなのは関係ない。贈り物に値切ったものを渡すのは失礼だ。


レイナは目を丸くしていた。


「え、ちょっと……ユリウス?」


僕はブローチを彼女に差し出す。


「似合うと思う」


一瞬、言葉が止まった。


レイナはゆっくりとそれを受け取る。

赤い宝石が彼女の掌で光った。


「……いいの?」


「うん」


それ以上の言葉は、必要なかった。


彼女は胸元にブローチをつける。

赤い光が、銀の髪の中で静かに揺れる。


「……どう?」


「すごく、似合ってる」


そう言うと、彼女は少しだけ泣きそうな顔で笑った。


彼女の陽だまりの中の笑顔が乱反射して、みえなかった。



その日は、ただ歩いた。


川沿いを歩き、屋台で甘い菓子を食べ、

意味もなく坂を登り、意味もなく下った。


会話は途切れ途切れだったけれど、沈黙は心地よかった。


こんな感情を抱いたのは久しぶりだ。


夕暮れが街を染め始める。


空は橙色から紫へ、ゆっくりと色を変えていく。


僕たちは丘の上に座っていた。


街の灯りが、ひとつ、またひとつと灯る。


「……ユリウス」


レイナが呼ぶ。


「うん」


「兵士さんたちの遺品は遺族のもとに届いたみたい。ペンダントを届けたら、ありがとうっていわれた」


彼女は涙まじりの声でそう語った。


「帰るべきところに帰れたんだね」


よかった。大切な人との別れは辛い。


僕も親を亡くした。


その形見は今も肌身離さず持っている。


これは親の写鏡だ。


遺族の方々もきっと、前を向いて行けるはずだ。


「ユリウスにとって、帰るべきところってどこ?」


「僕は失われた森で育ったからな…今は親もいないし帰るべきところはないのかも」


「そっか…私はこの街が帰るべきところなの。この街が大好きだから。ここの人たちの笑顔を守りたい」


彼女は屈託もない笑顔で僕に笑いかけてくれた。


「旅、出るんでしょ」


肯定も否定もできなかった。

ただ、頷いた。


彼女は怒らなかった。

悲しそうでもなかった。


ただ、静かに遠くの空を見ていた。


「そっか」


それだけだった。

しばらくして、彼女は笑う。


「いいと思う」


その言葉は、僕の予想よりずっと優しかった。


「ユリウスは、止まる人じゃないもん」


胸が少し痛む。


「風みたいだよね」


彼女は空を見上げる。


「どこにでも行けて、どこにもいない。見てないと心配になるくらいに、どこかにいっちゃう。」


僕は何も言えなかった。



別れの日は、思っていたより普通にやってきた。


燦々と照り付ける朝日。


荷物はもうまとめてある。宿の人にも挨拶は済ませた。


宿の前に立つと、空は澄み渡っていた。


レイナはすでに来ていた。


赤いブローチが、胸元で光っている。


「……似合ってる?」


「うん」


それが最後の確認みたいだった。


しばらく沈黙が続く。


「ねえ」


彼女が言う。


「また会える?」


その問いは、あまりにも静かで、それでいて重かった。


僕は少し考えてから答える。


「会いに来る」


それは約束というより、願いに近かった。


また会いたいって自然と思えたんだ。


レイナは頷いた。


「うん。待ってる」


笑っていた。


でも、その笑顔の奥にあるものを、僕は見ないふりをした。


直視なんてできなかった。足を止めてしまいそうになるから。


「……ありがとう」


僕は言った。


彼女は首を振る。


「こっちこそ」


一歩、下がる。


「行ってらっしゃい」


その言葉が、背中を押した。


僕は振り返らず歩き出す。


でも、数歩進んだところで足が止まる。


振り返る。


レイナはそこにいた。


赤い宝石が、朝の光の中で燃えていた。


手を振る。彼女も振る。


それだけだった。


それだけで、十分だった。


僕はまた歩き出す。


春風が頬を揺らした。


最西端の街は、ゆっくりと遠ざかっていく。


胸の奥に、確かな温もりを残したまま。


出会いもあれば、別れもある。人生は一期一会、でもまたいつか巡り会えますように。


僕は馬車に乗ったまま、揺れに身を任せて静かに思いを馳せた。



彼の背中が見えなくなっても、私はその場を動かなかった。いや、動けなかった。


朝の風が頬を撫でる。


それは優しくて、でも少しだけ冷たかった。


「……行っちゃった」


言葉にすると、急に現実味が増す。

さっきまでここにいたのに。


同じ空を見て、同じ空気を吸っていたのに。


不思議と涙は出なかった。


ただ、胸の奥がぽっかりと空いている。


市場の喧騒が遠くから聞こえてくる。


パンの焼ける匂いも、果物を売る声も、昨日と何も変わらない。


なのに、世界の色が少しだけ薄く見えた。


まるで白黒の写し絵みたいに、色彩がなかった。


焦燥感が胸を焦がして痛い。


私は胸元に手を当てる。


赤い宝石が指先に触れた。


光を受けて、小さく揺れる。


「……綺麗」


あの日と同じ言葉が、自然にこぼれた。


彼と同じ色。


そう言ったとき、彼は何も言わずに店に入っていった。


少し照れた顔で、ブローチを差し出してきた。

あの時の表情を思い出すと、胸が温かくなる。


「バカだなあ」


小さく笑う。


金貨なんて、彼にとって決して軽いものじゃなかったはずなのに。



ギルドへ向かう道を歩く。


足取りは、いつもより少しだけ重い。今日は良い天気で今にもスキップしたくなるくらいなのに。


酒場に入ると、いつもの喧騒があった。


誰かが笑い、誰かが酒を飲み、誰かが次の依頼を語り合っている。


あの大男もいた。


彼はどうやら更生して真面目にギルドで仕事をこなしているらしい。


「あの、この前はすまなかったな…」


とバツが悪そうに謝られた。


私は「大丈夫です!」とだけ言って、喧騒に目を移した。


その中に、彼の姿はない。

それだけで、こんなにも静かになるなんて。


「あのボウズはどうしたんだ?」


そっか。彼は知らないんだ。彼だけじゃなくて、街のみんなが。


日常は、誰がいなくなっても日常であり続ける。


いなくなった人間は新しい誰かに置き換わり、朝日は昇る。


「旅に出ました」


「そうか…あいつに感謝したかったんだがな」


クルシュは頭を掻きながら困ったように笑った。


「なんで感謝なんですか…?恨んでるものかと」


「思い出したんだよ。誰かを守る為に、マジになるつーかさ。あいつを見てたら俺も前に進める気がしたんだよ」


クルシュさんの言うこと、凄くわかる。


ユリウスを見てたら、進まなきゃってなるもん。


「レイナ?」


受付嬢のリナが声をかけてきた。


「ユリウスくんは?」


「旅に出たよ」


彼女は驚いた顔をして、それから微笑んだ。


「そっか。あの子らしいね」


うん、と頷く。本当に、彼らしい。



その日の依頼は、一人だった。

森へ向かう道を歩く。


隣に誰もいない。

何気ない会話も、剣を交えたあとの笑いも、ない。


それなのに、孤独とは少し違った。


胸の奥に、確かに何かが残っている。何かが引っかかっている気がする。


戦闘が終わり、木にもたれかかる。


空を見上げる。


青い空の向こうに、どこかへ続く風が流れている気がした。


風がどこかにいってしまいそうで、手で掴もうとしたけど、掴めなかった。


何故か涙が溢れてきた。泣かないって決めたのに。


私はブローチを握る。


「……元気かな」


きっと、元気だ。


無茶をして、怪我をして、それでも笑っているんだろう。


「また会いに来る」


彼はそう言った。


約束じゃない。

でも、嘘でもない。


あの人は、そういう人だ。


私は立ち上がり、涙を拭った。


「……よし」


小さく息を吐く。


止まっているわけにはいかない。


彼が進むなら、私も進む。


いつかまた会ったとき、隣に立てるように。


「待ってるからね」


空に向かって呟く。

思ったより多くの方に読んでいただいたり、評価していただいて、びっくりしています。

ゆるく書いていきますので、評価やコメントいただけるととても喜びます。これからもよろしくお願いいたします(^-^)

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