第1話 育ての親
その男の剣は 陸を割って海を創り出した
淡々と敵を斬り捌く姿は
まさに
混沌から救いし救世主であった
第17代目勇者へスス・テイラーの伝記 『剣の峰』より
◇
いにしえの御伽
紅に煌めく緋眼を携え
同胞とともに 万世の罅割に英雄をして修繕せしむ
嗚呼 神は告げる
戦う処に骸あり 救う人に悲哀あり 罷る場所に悪魔あり
然れども唯己をふるいたたせるのみなり。
死んだ同胞の恨み数しれず 名誉に潰される者は 逃げる事は赦されず
魂託せし者 矜恃と剱を以て 巨悪を撃ち抜かん 邪悪を打ち滅ぼさん
『緋眼の英雄』の弾き語り一節より
◇
「…………」
風に靡くその髪の白銀と紅さが際立つ綺麗で透き通るような眼。
綺麗な顔立ち、引き締まった躰。黒い装束を纏った女性は自分の住む失われた森の最深部から離れて入口に来ていた。
失われた森はウェステ大陸の極西、そのまた西の果てに生い茂る森で多種多彩の魔獣が巣食うその森は人間が近付ける様な物ではなかった。
◇
失われた森に差し掛かる最西端の街並みはとても寂れていて、通りすがる人々は何とも鬱屈としている。
人通りは全ての種族が均等にいるようで、人間だけとか、魔族だけとかそんなくだらない偏りはない。
街の外れには魔物が多いせいか、堅牢な城壁に囲まれたその都市は、かの有名な詩人ケルペによって「白牢獄」とも準えられてる。
城壁は高さ5mとほどになるもので、さしたる魔物では突破できないものであった。
そんな街に私は今足を踏み入れるのである。
『五大陸周遊記』作者レブン・ファドラーンより
◇
一際離れた場所に栄えている街はあるがそこは最西端と呼ばれている。
こんな森の前で人の子…1歳になるばかりか分からぬ幼子が籠に入っている。
少し遅ければ魔獣によって喰われてしまうのではないかと心配を煽る様相だった。
「捨て子か…憐れだな…」
こんな辺境に捨て子などその子の命を既に諦めている様で大層哀れだった。
緋眼の英雄は活発な性格で、悲しい事が嫌いだった。
目の前にあるほんの小さな命の息吹は風前の灯火で見捨てれば彼の命は無いだろうと分かっていた。
私自身、何らかの葛藤があったのかもしれない。
自分は元々人間などハナから興味がない。
寧ろ前の大戦で醜悪な人間によって自分は傷つけられた。
しかし、単純過ぎるのではないか。
目の前で何の罪もない赤子を、過去の同種との柵で「悪」と断定し見捨てるのは。
彼に一体なんの罪があろうか。
サラサラとした金髪に紅い眼、それは自分と同じ「緋眼」であった。
(嗚呼。神よ)
だから弟子として、子として育ててみる事にした。
それは唐突でほんの気まぐれだった。
吸血鬼が残り少ない余生で人間を育てるのも悪くはない。
そう思った。
彼には故郷の言葉で"夏風"という意味がある「ユリウス」の名前を与えた。
風として、縛られる事なく自由に、享楽に。
緋眼の英雄が成しえなかった事を「ユリウス」に任せる事にした。
600年前に受けた"呪い"の憂鬱さを紛らわせる為にも。
それが憂鬱から願いへと変わるとも知らずに
◇
息を飲んでしまうような白い荘厳な神殿の前には、透き通るような蓮花の咲いた池。
心地よい夏風も肌に親しむ。
豪華絢爛とも形容できる庭で侍女が紫陽花の手入れをしている。
これが夢だと実感したのは自身の身体が半透明だったからだ。
どこかで見たことあるようなノスタルジーに浸った。
◇
「疲れるねこれ…レヴァリアは昔もこうやって練習してたの?」
木刀を手に持ちながら少年は膝に手をつき、息を荒げていた。
そんな彼とは対照的に、レヴァリアは何事もなかったように、根を上げた彼をやれやれと見下ろしながら彼に対して諭すように剣を向けた。
「あぁ。そうだな。同じ位の時はこれ以上やってたな。そんな所でヘコたれていたらいつまで経っても私には勝てないぞ」
森の最深部に位置するこの区域は一軒の豪邸とも言える広さの家と周りを囲う緑が際立っていた。
木刀を持ちながら木に打ち込みをする金髪で透き通るような紅眼と細身。
容姿は眉目秀麗という言葉が似合うユリウス。
その傍ら緋眼の英雄である私が、その剣の筋を指摘しながら改良を積み重ねるように指導する。
私の気まぐれから7年が経過していた。
私はユリウスを養い剣や魔法を教える一方で母が子に抱く愛情を注ぎ彼を育て続けた。
どうも幸いな事にユリウスは剣も魔法も筋はあった為、その才能を開花させる事が私の楽しみでもあった。
「次右、そして剃り返して左に打ち込み、バックステップで間合いを測って下段に構えろ」
「ッ…!」
いきなりの指示に彼はバランスを崩し、尻餅をついてしまった。
いててと苦悶の表情を浮かべる彼に手を差し伸べる。
そしてまた訓練の繰り返しだ。
ユリウスは5歳になってから私の本格的な剣術の指導を受けている。
自分で言うのはなんだか歯がゆいが、私はかつての大戦で「英雄」とさえ呼ばれた人物。
その戦闘力の高さには自信がある。
彼は何度も挫折しながら確実に強くなってきている。
「その内慣れる。お前は筋が良い。よし、1000回打ち込んだな。サマになってきたじゃないか」
訓練場と称した簡素なフィールドの木々には何度も木刀が打ち込まれたことによる黒い傷がついている。
これはユリウスがどれほど剣を振るったかの指標ともなっており、数万回はくだらない。
実際彼はこの傷を見て自己のしてきた努力を認識し、訓練のモチベーションにしていたようだ。
◇
(ふぅ…疲労で倒れそうだ)
僕は訓練場に仰向けに倒れ込んだ。
いくら何回もやってきていることとはいえ、1000回はきつい。
体がしんどい。
レヴァリアは何ともないような顔をしている。
いつかはああやってなれるのだろうか。
そうやって呑気に空を眺めていると、レヴァリアが覗き込むようにこちらにきた。
「取り敢えず次は魔術だな。魔術についての注意事項を2つ挙げろ」
「まずは魔力量に注意すること。 生物には内包できる魔力量が決まっている。これを考えないで使えば、必ず身が滅びる。2つ目は…えーと…」
「自分の力を驕らず過信せずだ。己であれ敵であれ力量を見誤り死ぬってのが1番ダメだ。さて、答えられなかった事だしユリウスの晩飯は抜きだな」
「なっ!?それは困るよ」
そんな冗談を交えながら彼女は家に作っていた簡素な十字架に手を合わせた。
レヴァリアは敬虔なケイヒル教の信徒。その信条に彼女は従っている。
毎朝30分祈りを捧げ日が高くなる頃にも30分、そして夜寝る前も30分。
そうやって祈りを捧げ続けていた。
その為か、3年に一回ほど住んでいるこの森から「ケイヒル教国」に聖地巡礼に行っていた。
この森はロイヒリア帝国というウェステ大陸に位置する国にある。
その峡谷は山脈と海を超えたところにあるらしく、彼女は巡礼に行くと半年は帰ってこなかったことも。
彼女は数百年来これを毎日続けているそうで何故そこまでするのか聞いたところ、何処か寂しそうに「何れ話す」と言った。
緋眼の英雄と彼女は呼ばれていると自慢げに語って来た時があった。
その誇らしげな張った胸は自分の人生に思いを馳せながらもどこか寂しそうな瞳をしていた。
僕は気になったものの言及することは控えた。
自分は思慮分別のある男だ。
何せレヴァリアの息子なのだから、と強く確信していた。
そんな自己陶酔は置いておく。
だが過去に一度だけ聞いたことがある。
レヴァリアは何をして、今に至るのかをである。
人の略歴はやはり気になる。
人は人生を歩んでいる。
そのストーリーは人によって全く異なっており、その主人公はその人しかなり得ない。
その時は秋風が森の中を駆け巡る、紅葉の季節だった。
鬱蒼と生い茂ったこの森ですら、衣替えをする時期である。
彼女はその時期に決まって花で飾られたアクセサリーをハンドメイドし、家の近くの墓跡まで持っていっていた。
そこには2つの墓がありいつ何時見ても花が添えられていた。
誰が運んでいるのかはわからない。
レヴァリアかと考えたが彼女不在時もその花は継続的に供給され続けている。
墓標に刻まれた文字は読めなかったが1つは剣が墓に突き刺さっており、もう1つの墓の裏には金色の十字架があった。
僕は気になり、聞いてしまった。
「これって誰のお墓なの?」
彼女は困ったような、悲しいような、懐かしむような顔をしたのちに答えてくれた。
これはレヴァリア曰く500年前に亡くしてしまった大事な戦友らしく、1人は戦士、もう1人は高位神官だったらしい。
8歳であったユリウスにも彼女の宗教への信仰の厚さは戦友が関わっているのではないかと思ったが口にするのは辞めた。
きっと大事な友人だったのだろう。あまり踏み込むのは宜しくない。
レヴァリアは自らを吸血鬼族と呼んでいた。
ユリウスは本が好きで良く家に有る書斎で本を貪っていたので記憶していたが吸血鬼族は日光を嫌い、十字架を嫌う。
だけどレヴァリアは寧ろ陽が好きで十字架も然りだった。
ここで僕はレヴァリアが特異な存在であると考えた。
なぜならば、レヴァリアは種族としての根源を変えることはできないと教えてくれたからである。
つまり、人間は鳥族のように羽を生やして飛ぶことはできない、ということだ。
今回のケースでいえば吸血鬼族な以上は十字架が苦手であるし、日光も嫌いであるのが根源なのだ。
これについて聞いたら、驚いた表情をしながらも、コトワリから外れた存在だからと教えてくれた。
いまだにこの意味は自分でもよくわかっていない。
しかし彼女が例外の存在であることは自分でも理解した。
レヴァリアは僕が大層な読書好きと知ってから手帳のような革で包まれた本をくれた。
この本にはこの世界にまつわることがくまなく書かれていた。
タイトルは『アリシア手稿』
この世界は五つの大陸から構成されていること、現在いるロイヒル帝国のこと、歴史のこと。
僕の知識の根源はこの本である。
彼女から新しいことを教えてもらった日にはこの本に同様の記載があるか見てみたり、なければ書き足したりした。
そんな僕をみて彼女は嬉しそうにしていた。
そしていつかこの本が僕を助けてくれるとも言っていた。大切にしたい。
僕は自分がレヴァリアの正式な子では無い事は気付いていた。
この世界では両親の髪色を併せたような色が髪色としてそのまま子にも反映される傾向がある、という文献をレヴァリアの書斎で見た事がある。
唯一同じなのは、何もかもを染め上げてしまうような紅の眼であった。
だからこそ無関係なのに慈しみの心を持ち、家と食糧すら与えてくれたレヴァリアを敬愛し慕っていた。
いつの間にか彼女と暮らし稽古を付けてもらう内に彼女の強さや賢さも弱者に手を差し伸べる優しさも全て僕自身の目標にもなっていた。
彼女は人間なんぞ別にどうだっていいと言っていたが、色んな人たちを助けていたのを僕は知っている。
定期的に森で迷った人を街まで返してあげていた。
"いつか自分は強くなって弱い立場にいる人を救いたい"
彼女だからこそ成しえたことを後を追いたいと僕は純粋に思った。
そのことを彼女に伝えたことがある。強くなって、たくさんの人を救いたいと。
彼女は驚いたような顔をしながらしばらく考え込んだのちに口を開いた。
「強くなれば、身近な人は傷付くかもしれない。それでも守り抜く覚悟はあるのか?」
彼女は遠くの空を見つめながら、僕に問いかけた。
「守れるだけの強さをお前は持てるのか」
「強さは剣技や魔術こ力だけではない。知恵や知識も強さだ。その知恵や知識を手に入れる覚悟はあるのか?」
彼女は強さゆえの辛さを知っていた。身近な人が傷つけられる恐怖、孤独、そして責任。
「あると言ったら嘘になると思う。だけど自分で考えて考えて導き出した答えの意思は曲げたくない。だから覚悟する」
「言うようになったなユリウス。今からそれだけの事を成し得る為の知識や知恵を叩き込んでやる」
「はい!」
僕は何だか嬉しくなった。
レヴァリアが出来なかった事をやってみたい。彼女を超えてみたい。
そして認めて貰いたくなった。
彼女が書斎に移動するように命じられ行き着いた先は木で出来た洒落た机と椅子だった。
しばらく経った。
静寂な場を物音が支配する。
コツコツと足音が鳴り響き、レヴァリアが本を大量に持ってきた。
華奢な体つきで良くもまぁと思った。
でも、英雄と呼ばれる程名声を挙げた人だ。
ある種不思議な形で納得していた。
「兵法学、魔術学、その他色々って感じだな。数学とかに関しては前々から教えていたし成人したと認定されるのは16歳だ」
「それまでにキッチリと頭に入れて貰う。勿論剣術も格闘術も実技の魔術もだぞ」
この世界に於ける成人年齢は16歳である。
16歳になれば、この世界のどこに行っても大人として認められる。
そして親から正式な名前を頂く、というのが風習なのだそう。
少なくともこの失われた森が位置するウェステ大陸ではそれが常識らしい。
だからいずれ僕も16歳になったならレヴァリアから名前を貰うのかもしれない。
彼女から一人前の大人になったと認めてもらうためにも、今は勉強を頑張ろう。
今の苦労が将来を資するのである。
「大変だなぁ…でもやるしかないか…頑張る」
「その意気だ。期待しているぞ」
弟子の成長ぶりに思わずニッコリとした彼女はまず兵法について教えてくれた。
彼女は僕が一軍を持つ将になったとしてもおかしくはないと踏んでいた。
「多彩な魔術が使えるし剣術も今の歳ですら王都に出たら中の上くらい。素直すぎることの性格面以外は適しているな」
と彼女はよく呟いていた。
「敵の情報や数、魔術師は何人いるのか腕利きは何人いるのか把握するのが大切だ」
「情報がないと何も出来ないからだよね?」
「そうだな。よく知っているな。まず情報がないと何も出来ないな」
「相手の軍が1万だとして味方の軍が5千だとする。数が分かるならば幾らでも対処のしようがある。」
「逃げるのも良し、戦うならば兵力を分散させて意表を付くのも良し。」
「だが情報が無ければベストとされる対処法すら思い浮かべられない。この世界では情報よりも実力の方が偏重されている印象がある。」
レヴァリアは腕を組みながら目をつぶった。
具体的なビジョンを思い浮かべているようである。
彼女は歴戦の猛者だ。
彼女が言及するような場面に幾度もなく遭遇しているはずだ。
「理解したよ。情報は過小評価されているんだね」
僕はそう答えてやった。すると彼女は間髪入れず続ける。
「それさえ抑えれば後は柔軟な発想力だ。野戦ならば地形の特徴を活かせる物が良いな。」
「特に川の流れの速さや地形何かを調べておいてそれをどう活かすかだ。魔法だとしても自然の摂理は覆せない。それが前提条件だ。」
魔術は基本的に地形や天候を操ることは出来ない。
古代魔術や神属性魔術でなければ不可能だ。
しかし両者とも今は使える魔術師はほとんどいない。
寧ろ聖級魔術ですら使えれば魔法大学や帝国騎士団から引っ張りダコだそうだ。
「一つ質問があるのだけど」
僕は無意識にそうレヴァリアに問いかけた。
「ん?構わない。言ってみろ」
「レヴァリアはこの世界…から出た事があるの?」
唐突だが、この様な言葉が僕から出た。
思えば、彼女に対してある違和感を抱いていたのかもしれない。
妙に俯瞰した分析や言説、他の世界との対比を行っていなければ成し得ないものだった。
「出たことはないな。しかし、コトワリから外れた存在ではあることは確かだ。私は昔、悪魔と契約した」
ユリウスは彼女の口から紡がれた意外な言葉にどこか納得しながらも驚いてしまう。
彼女の顔は何処か寂しげで懐かしむ様な顔だった。
何とも言えない表情は僕の脳裏から離れることはなかった。
「………」
「なるほど…」
僕はそう深く相槌を打った。
すると彼女は不思議そうな顔をしていた。
今までこんな話をしても信用されたことがなかったのだとすぐにわかった。
「案外簡単に信じるんだな。用心深いお前の事だからもっと疑ってくるもんだと覚悟していたが」
用心深いってそんな。
僕はこの方レヴァリアの話は疑ったことはなかった!と言ったら嘘になるな。
最初は疑ったかもしれない。
しかし遡及的に、記憶の断片を繋ぎ合わせたら合点がいったのである。
理を外れた存在であるのも納得が行く。
「今更レヴァリアの話は疑えないよ。嘘はつかないし」
「嘘…か。まぁこの話は真実だ。お前が16になった時に色々と話すつもりだ。さぁ、勉強の続きだ。」
彼女はそうやって話の収拾を付けた。
悪魔と契約した、とは俄には信じ難い。
というかレヴァリアの話でなければ、信じていなかった。
悪魔とは神話上の生き物である。神と対極をなすもの。
神は人に信託を与え、悪魔を祓う。
神は最高位の権力者にしか予言をしないのである。
この大陸で言えばケイヒル教国の教皇がそれに当たる。
そんな話をレヴァリアから聞いていた。
「なるほどね…悪魔、か」
頬杖をしながら机に向い本を取る僕を、何故だか上機嫌に見つめるレヴァリアの姿が静寂の中に佇んでいた。




