②ちぐはぐな君
「美味しい〜!」
程よくスパイスの効いたスープを口に含んで、ヤクは幸せそうな笑みを浮かべた。
「シキくん、このスープすごく美味しいんだよ!一口あげようか?」
「……」
「シキくん?」
ヤクが手をひらひらと振ってみせると、シキははっと顔を上げた。
「悪い、考え事してた」
「そっか、邪魔してごめんよ」
再びスープを飲み始めたヤクを、シキはじっと見つめた。
こいつは何者だろう。
もう何度目にもなるその問いを、シキは今再び取り出してみる。
ルームメイト・ヤク。
ヤク・ルーニュ・フロンタイト。
(奇妙な名だ)
王都から随分と離れた領地を治める田舎貴族「フロンタイト」は確かに存在する。なるほどヤクは田舎者のように世間知らずな一面があるし、こちらがイライラするほどやけにのんびりとしてもいる。だが、先程医務室で茶を飲んだ時もいま目の前でスープを飲んでいる姿も、時折ヤクの見せる洗練された上品な所作はどうにも「田舎者」のそれとは似つかなかった。
奇妙な点を挙げようとすればキリがない。それは本人とも話した入学式の時の反応にしろ特能にしろ……。しかしシキの疑念を決定的なものとしたのは、ルームメイト制度だった。この制度は表向き、学生同士が切磋琢磨する学園生活を推進するためのものである。ゆえに通常は磨き合うに足る相手__入学試験での成績が近しいもの同士を同室とするのだ。それがどうだろう。才気溢れる学園長の息子、入学試験首席合格者であるシキと同室となったのが、最下位入学のぱっとしない田舎貴族の息子とは。将来が約束されたようなシキにとって、これはまさに晴天の霹靂であった。
(だが、この組分けには学園長が絡んでいる。単に俺の不利益になるだけのことをするはずがない。むしろこの組分けには俺にとって……というより家門にとって有益な何かが___)
例えばそう、強力な後ろ盾の取得とか。
(だが、下手をすれば俺の評価を下げることになりかねないリスクを犯してまで得ようとする後ろ盾ならば、並大抵の権力者ではない……今やかなりの権力を振るうこのジェージニアントをも凌駕する家門……)
「ごちそうさまでした!さ、行こっかシキくん」
「なぁヤク。ちょっと聞いていいか?」
「なぁにシキくん?……あれ、ケネーさ……先輩?」
食堂を出たところで、ヤクたちはちょうど廊下を歩いてくるケネーを見つけた。ケネーもまたヤクたちの姿を認めると、ゲッと言わんばかりの露骨に嫌な顔をしてみせた。
「お前たちまだ食べてたのか」
「ケネー先輩は?今授業じゃないの?」
「授業担当の教師が体調不良ってことで急遽休講になったんだよ!サボりじゃねぇぞ?」
どうも彼には相手の発言を敵意あるものとして受け取る性質があるらしい。
「そうですか。じゃ、俺たちはこれで失礼します」
「わっとと、シキくん⁉︎ またね、ケネー先輩!」
「気安く呼ぶな!」
話を遮られたこととケネーの棘のある言い方とに苛立ったシキは、早急にこの場を離れようとヤクを引っ張っていった。
「ケネー先輩、なんで怒ってたのかなあ」
「そりゃお前が馴れ馴れしくファーストネームで呼ぶからだろ、敬語だって抜けてたし」
「えぇ!だって、ケネー先輩って僕その名前しか知らないし、敬語って難しいし……」
自室の椅子にしがみついてごにょごにょと答えるヤクを尻目に、シキはそっと部屋の鍵をかけた。深く息を吸う。それからゆっくりと歩みを進めてヤクの前にしゃがみ込み、視線を合わせた。
「ヤク。お前が敬語を使わないのは、お前があいつらより偉いからか?」
「え?」
「お前のその辿々しい敬語、今まで使う機会がなかったからじゃないのか?」
「……な、何言ってるの?シキくん」
昼下がりの強い逆光に照らされて、シキの顔はよく見えなかった。
「お前はおかしい。下手な敬語に上品な発音、稚拙な言動に洗練された身のこなし、最低成績のお前に最高成績の俺……全てがちぐはぐだ。けれど俺は、その全てに説明をつけられる唯一の答えを見出した」
大きく見開かれた碧の瞳にシキは人差し指を立て、耳元でそっと、しかしはっきりと囁いた。
「お前、王子だろ」
カチ、カチ、カチ……。
部屋に備え付けられた振り子時計の音だけがやたら大きく響いた。耐え難い沈黙がこの部屋を支配する。気の詰まる瞬間が無限に引き延ばされたかのような空間にとうとう耐えられなくなったのか、不意に窓の外で小鳥がチィと鳴いた。再び時が流れ始める。息をするのも忘れたかのように固まっていたヤクは、堰を切ったように話し出した。
「一体何を言ってるの、シキくん?僕が敬語を使い慣れないのは実家のお屋敷にずっと閉じこもってたからだし、身のこなしなんて貴族ならみんな……それに……第一……」
ヤクはそこで息切れした声を繋ぎ合わせるように一息つくと、幾分か落ち着きを取り戻して言った。
「この国に王子はいないよ」




